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サロン ド カフェ

作者: 琢磨真

 


ーーー


 目の前の男はさきほどからため息ばかり、現実と夢に挟まれ、揺れながるるこの男は常連とはいわずとも今日が初めての顔合わせということもない。


 とはいえ、いつもはこのような様子ではなかった筈だ。愛想が良いとは言えないが、顔色一つ変えずに酒を煽り、皆が帰るより早く会計を済ませ、あくまで紳士的に店を出ていく。年齢よりずっと大人らしく見えたものだ。


 何があったかは知らないがカウンターの端でこのまま辛気臭い顔をされても酒が不味くなるというもの、幸か不幸かカウンターに座るのは彼だけだが。


「大吾さん、先程からため息ばかりで一体どうしたっていうんです」

 彼はいかにも憔悴したかののうな表情を浮かべ「いやぁ、最近どうも悩ましくって」

「貴方程の人間が頭を悩ませるだなんて一体どんな奴なんです」

 彼は言う「僕、今まで本当の恋愛っていうものをした事がないんです。恋愛を知らなかったんです」


「さぞやその真の恋愛をさせる相手でも見つけてしまったというわけですかい」

  彼は一瞬、目を開くも「うん、それが最近口の中を傷つけてしまってね、それで歯医者に通っているんだけど」

「ほお、受付の女の子もしくは衛生士さんに可愛らしい子がいたと」


 彼は先ほどよりも目を見開いて、「聡さんにはお手上げだ。そうなんです、どうも一目惚れというか、参っちゃって」

「もうその子の連絡先は知ってるんですか」

「うん、何度か2人で出掛けたりもしているんだけど、どうもなかなか進めなくて」

「そんなに仲良いならなんで連れてきてくれないんです。まぁ、その話は置いておいて、それは大吾さんが原因なんですかい、恋愛を知らないからっていう」


 彼は先程までとは打って変わり、まるで違うと言いたげに首を振り、「そりゃあ、僕にも原因があるかもしれませんよ、でもねどうも彼女に壁があるみたいなんです、何でも昔、婚約者に振られたとか」

「まぁ、婚約者とですか、それは物騒だ」


「僕としては、婚約者がいたなんて事は何とも思わないんです。でも、彼女が踏み出さないとこの先はないのかなって」彼は最初のように落胆した表情をみせる。

「どのような恋愛をして来たかは存じあげませんが、ただ、彼女だけでなく貴方も一緒に踏み出さなければならない」


 そう言って土間を上がり、陳列棚に向かう。あいつめまたフォークナーをメーラーやカポーティと並べやがって、そう愚痴りながら目当ての本を見つける。

 カウンターに戻り、彼の目の前に一冊の文庫本を置く

「ありましたよ、貴方みたいに真の恋愛を見つけた男の物語」

「ええっと、E.ヘミングウェイ 武器よさらば…確かこの人ってキューバの作家だよね」


「さすが大吾さん博識でいらっしゃる。でもキューバじゃないんですよ、この人はアメリカの作家です。確かにキューバを愛して、晩年はキューバで過ごしたみたいですがね」

「へえー老人と海、でしたっけ、何となく読んだことあるような無いような。でもアメリカ生まれとは思わなかったなぁ」


「彼はいわゆるロストジェネレーションを代表する作家で第一次世界大戦後で迷える、喪失の時代を力強い文筆で生き抜いた作家なんです。そして何より大の酒好き、貴方のようにモヒートを愛していたそうですよ」


 彼は底に緑の溜まったグラスに視線を落とし、「へえーそんな文豪さんと好きなカクテルが一緒だなんてなんか照れるなぁ、じゃあもう一杯!それと、ヘミングウェイについては分かったけど、さっき僕と一緒で言ってなかったかな」


 グラスに入れた砂糖と本場ではイエルバ・ブエナと呼ばれるハーブの一種ををライムで湿らせ、木の棒の先で潰しながら答える

「ええ、第一次世界大戦でイタリア軍に従軍したアメリカ人の話なんですがね、その彼も戦争で負傷し、搬送された病院で篤志看護師の女性に一目惚れをするんです。その彼女がなんとまた婚約者と死に別れててね、まるで貴方みたいな境遇なんですよ」

「それはまるで神様が僕に読めって言ってるみたいだね」


「ええ、生と死、命の儚さ、真実の愛、戦争で命が曖昧な時代ですから、それと今神様って言いましたね」

「うん、別に神様を信じてるわけでは無いんだけどね。神様がどうかするっていうんですか」


「まぁ、それは読んでのお楽しみということで」そう言って、出来上がったモヒートをコースターの上に置く。

 ちなみにうちのモヒートにはハバナクラブを使う。バカルディも有名だが、今はキューバで作られていないからだ。

 文学を愛するもの、ヘミングウェイを愛するもの、そして酒を愛するものとしてはとことんカクテルの由来や原料には拘りたいと常々思う。


「うん、ありがとう!さぁ、モヒートも楽しんじゃおうかな!」

 最初の鬱屈とした彼の様子からは一変、若者らしい無邪気な姿に微笑みを浮かべながら、人は大抵の悩みならば人に話すことで楽になるものだと思う。そういった存在になればと思い、この店を開いたのだから。


 ーーーカランカラン


「いらっしゃいませ、さて今日は何をお探しで?」



 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 この拙作が私の処女作です。

 最初の一話目には私の大好きな文豪ヘミングウェイについて書かせていただきました。

 私が読んで素晴らしいと思う作品や大好きなお酒についてサロンドカフェのマスターを通じて、紹介できたらいいなと思い、この文章を書いています。

 少しでも多くの方が紹介された文学やお酒に興味を持っていただけたならば幸いに存じます。


 さて、今回紹介したアーネスト・ヘミングウェイの『武器よさらば』ですが、長編としては彼の二作目に当たります。

 彼らしい、力強いハードボイルド調で淡々とリズミカルに作り出される世界の中で、特に、生と死や命の儚さがくっきりと浮かび上がってくる、若い内に一度は読んでおきたい小説です。

 私の拙文の中では触れていませんが、この作品には雨がヘミングウェイによって意識的にまた運命的なものとして描かれています。読む際には雨に注目して読んでみるとより深いものが得られるかもしれません。

 少し、神について触れているのにも言及すると、この作品の主人公は決して神に対して心身深いとは言えないものの、神に対して祈り、願う場面があります。主人公の宗教観についても注目してみると良いかもしれません。


 ヘミングウェイについては他の作品も紹介できたらと思います。それでは引き続きサロンドカフェをお楽しみに。


 ちなみにこの本を探す際には 、

 新潮文庫 大久保康雄さんが訳された物が良いかと思います。評釈も非常に分かりやすいですし、彼の手によってヘミングウェイの力強い世界が日本語でもってしても損われることなく忠実に再現されています。


 2018.6.15. 琢磨真


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