遺言は唐突に
「彼女の視点」
小学生のときに母が亡くなった。
短い、あまりにも短い闘病生活の末に。
以来、私と弟は父子家庭になったのだけど、くじけたり落ち込んだり、というときにお隣の存在は大きかった。
コウ、こと安達洸汰は私のお隣さんにして幼馴染というか、同い年でも兄妹のような関係。
しかも、私の弟とコウの弟は、奇遇にも同じハルという名前で、私とコウ、うちのハルは私たちのひとつ下の学年だったのもあって、いうなれば4人兄妹のようなもの。
そしてコウ、ハル、コウの弟の春はずっと野球少年だったので、何も知らない人からしたら本当に兄弟みたいに見えるだろうな。
コウのお母さんには本当にお世話になっていて、休みの日は安達家ハルは地元のシニアチーム、うちのハルは都内でも有名なボーイズチームに所属しているためにコウ母は安達家のハルの送迎、コウ父はうちのハルの送迎なんかも手伝ってくれて、私は小さい頃は弟のチームやコウのシニアリーグの手伝いでちょろちょろしたものだった。
ちなみに、シニアチームは地元のチームのこと。
ボーイズチームは学校でいえば私立のようなもの。
各地でここぞという選手が集まる。
この日は、近所で私とコウが受験した市立宇井野高校の合格発表も終わり、コウの庭で自主練習しているのを見ながらコウの防具みがきをしていた。
「ほんとうに宇井野でよかったの?野球部そんなに強くないんだって言ってたね」
「まあ、レギュラー狙いだったかんな。雪華まで別に付き合うことなかったんだぞ」
「私は……ほら、制服なし、交通費なしが大きかったし……。ハルの学費だってあるのに、私であんまり出費はさせなくなかったから」
父の稼ぎがどうとかいうより、遠い学校だと家事の問題もある。
これ以上安達家の負担になるのも避けたいし、幼馴染のような兄妹のようなコウがいたほうが安心だったのもある。
「それに、お母さんの母校だったしね」
生前に聞いた、幼い記憶だけど、それは守りたかったというか。
コウは練習を切り上げて、タオルで顔をぬぐいながら、無言で私の頭を撫でた。
別に今時片親なんて珍しくもない。だから、なんで私だけお母さんいないの、なんていうダダはないけれど、この幼馴染はそうやって慰めてくれる。
「……まあ、うちの親もどっちかっつーと、お前のほうがかわいがってるしな。勝手に使っておけ」
「……うん、ありがと」
コウが、私に気を使って宇井野にしてくれたんじゃないかと疑ってしまう。
けど、野球の強さなら強豪校が近くに色々あったのに。
弱小部で、人数集まるのだろうか。ましてや今までそんなに実績なかったところに、経験者がくるのかなぁ……。
不安……。
コウはこれでもシニアチームで関東大会の上位に入ったことがある。有能捕手なのだ。
「ん?どうした?」
コウが、不安なのを察して穏やかな声で私の思考を促した。
こういうことは、珍しいらしい。
学校ではけっこう短気・俺様キャラで知られているけど、コウの中では私は大事な妹だというような扱いがあって、イライラは見てても、私へされたことはない。
「ううん、なんか、今、妙な気分がして。高校、始まるまでグラウンド整備にいくんだよね?お弁当作るよ」
「ああ、どうも手入れ悪かったしな。春休み中、マウンドとか、せめて内野はどうにかしてぇからな。頼む。……雪華、おまえマネージャーとかやる気ないか?」
「ああ……ううん。家のことやりたいし、コウとダブルハルのお弁当くらいが私の限界」
部活なんかに参加していたら、学校終わってからのあれこれが出来ない。
掃除とか洗濯とか。
ただでさえコウ母にはお世話になってるのに、これ以上は頼めないし。
だから、せめて今までお世話になった分、高校在学中はコウのお弁当係を引き受けたんだし。
「……あんま、無理すんなよな」
なでなでするのはいいけど、時々場所を考えて欲しいと思ってしまう。
中学では私とコウは付き合っているとは思われているんだろうよねぇ……。
友達からも何度も言われているけど、私達は純粋に兄弟感覚なのに。
とか思ってたら、隣でチャイムが鳴った。
つまり、桐月家。
私の家だ。
「はい!あの、すいません。住人ここにいます!」
慌ててコウの家から出て、自分の家に回ると、見たこともないしっかりとしたバッチのつけたスーツの人がいた。
出された名刺を、セールスかなにかと思いながら受け取ると、「弁護士」の表記に驚いた。
「雪華、どうした?セールスなら断れ」
「違うよ、コウ。弁護士さんだって」
「弁護士ィ?」
後ろから私を追ってきたコウが、無遠慮にスーツのおじさんを眺めた。
ただでさえ眼光が鋭いのに、かつてそれで何度も相手のチームプレーヤーを脅していた視線がおじさんに刺さる。
案の定、大人のひとでさえたじろいで、”猛犬注意”の家に入ってしまったような顔。
実際、コウは学校で私の番犬だと周囲に言われているので、なにやら申し訳なくなる。
「桐月雪華さんでいらっしゃいますね?あなたが高校入学されてから渡すように、生前からお母様より遺言状を預かっておりました」
ーーお母さんの、遺言……。
とりあえず客間に通して、お茶の支度をするけど、コウは弁護士を詐称した危険なやつかもしれないとか小声でいってのけて、私が弁護士さんと向かいに座ると自分も横であぐらをかいた。
「あの、雪華さん。隣の方は……?」
「あの、幼馴染で、隣の家の安達洸汰くんです」
「兄代わりです」
俺がいたらなにか問題でも?といいかねない低音で、コウが弁護士さんを見る。
「内々のことなので、ご本人様とだけでお渡ししたほうがいいと思うのですが……」
弁護士さんは、コウを怖いものを見る目つきでそろそろというけど。
先程の威嚇が未だきいているみたい。
すいません。
コウは兄モードが発動するとこうなるんです。
「あの、どっちにしろ結果は教えてしまいますから、同じことだと思います。気にしないでください」
どんな遺言にせよ、コウに相談するに決まっている。
母に隠し財産が、とかはないと思うけど、家のこととかだったら、ますます私一人では手に負えない。
父は単身赴任中だ。
なんでついていかなかったのかというと、安達家とのおつきあいも長いし、単身赴任の期間が短いから。
「では」
観念したような、弁護士さんから渡された封筒を、震える手で受け取った。
ーーなんの話だろう。
字を見ても懐かしい、と思えるほど母の字を知らない。
それでも、読みすすめるに従って、セピア色の母の記憶がこみ上げて涙ぐみそうになっていたのが、最後の一文で引っ込んだ。
[私の余命宣告を受けて、私は雪華のことが心配で、お母さんの親友の一人に相談をして、あなたのいいなずけを決めておきました]
ーーーーいい、なずけ?
良い菜漬け……?
ちがう……。あまりのことに混乱で脳内がショートしてボケている……!!
お母さん、もっと他に心配することはなかったのでしょうか。
お父さんに、再婚していいから、とかハルの面倒をよくみて、とかならともかく……。
私に、婚約者……?
そんなことを、お母さん、あなた、私が小学生のうちから心配して……??
もっと、他に心配すべきことはーー?
「それで、こちらがその許嫁となられた方の今の御写真と、ご住所と……」
大判封筒を差し出した、弁護士さんのその手からコウが書類を奪い取り、引きちぎった。
「冗談じゃねェェェェェーーーーーー!!!!!」
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ヒロインより幼馴染が暴走。次回もヒロイン視点ですが、その次はもうひとりの視点となります。
もう、実はこれの第二弾も企画していますが、いい加減野球マミレなので次回はテニス部にでもしようかと思います。実はそれ以外スポーツのルールがあやしげなので。