くくりヴァーテックス 曖昧な睡蓮の言の葉
「ようこそお越しくださいました、お嬢さん」
結局、船の上で見たどんよりとした曇り空は、この島までつながっており、なんというかこの島の暗黒面と出くわそうとしている私にぴったりでした。
「ごきげんよう」
この挨拶をしてくれた老紳士は、農家と思しき服装でしたが、礼儀はしっかりと弁えているようで、その社交辞令の中にしっかりと自分の心情を乗せていました。
来客は珍しいようで、本当に嬉しそうですわ。
「もしかして、あの噂でしょうか」
先ほどの表情とは打って変わり、訝しそうにこちらを見つめる老紳士。
「ええ、ここに食物連鎖の頂」
「ああ、そちらでしたか」
「え?」
重ねてきたのにももちろん驚きましたが、それ以上にまるで他のれっきとした選択肢があるようなセリフに、たじろぎましたわ。
「他にも、あるのでしょうか?」
「ああ、いえすみません。じゃあ、行きましょうか」
色々こちらの疑いの目も見抜かれたようで、私は度肝を抜かれました。意外にも、この老紳士の歩くスピードは速く、このままでは置いていかれてしまいそうで、急いで船を後にし、着いていくことに決めました。
「この島は、噂が立ちやすいものでしてね。小さな噂に軽く吐いた嘘が重なり、それが肥大化して、神怪が鳴き声を上げる。この島は、そうやって人々を安定させているのです」
なんだか、物騒な島ですわね。
まあ、そもそもの目的が人をも喰らう神怪に会いに行くというものでしたので、それなりに覚悟はしていましたが、それでもやはりこの話を聞くと、この島自体の存在が妖しいという私の仮説が、現実味を帯びてきてしまいますわ。
「いえいえ、この話はこの島だけ特有の事案では全くないですよ。」
歩くスピードが少し遅れているのが分かり、違和感を覚えながらも、歩幅を合わせた。
「普通に生きて、コミュニティを作れば、少なからず曖昧模糊で荒唐無稽な存在は生まれるものです。皆さん、脳があって声を出せますからね」
視線を空に向け、この老紳士は続けます。
「たとえば、色恋沙汰と言えば、わかりやすいですかね。そういう五感ではわかりかねることで盛り上がるのが、人間というものです」
「目には見えないもの、曖昧なものを、欲しがるということですか」
「概ね、そのような感じです。それを、お嬢さんは悪いことだと思いますか?目には見えないものを信じ、見える世界から逃げて、心のうちにすがる。そういったことを悪いことだと思われますか?」
「そうですね…あまり、良いこととは思えませんかね」
現実から逃げるということは、自分勝手で自己中心的で傲慢な考え方だと思いますわ。
自分と相手が違うことは当たり前のことであり、それを他人のせいにしてしまうのは、お門違いも甚だしいと思いますわ。
「そうですか。私の意見があって、あなたの意見がある。彼には彼なりの、彼女には彼女なりの考えがある。それは、とても良いことだと思います。そうですね、反対ですか。では、あなたは常識にすがることも、悪いことだと思われますか」
その言葉を突きつけられると、言葉もなかった。
「いえいえ、責めているつもりは毛頭ございません。目には見えないものを信じるというのは、凄く危険な行為であることに変わりはありませんから。うまい話に、誰かの嘘。欺瞞や詐欺。そして、綺麗ごとや目標。しかしながら、そのすべては、曖昧なものではないのです」
「曖昧なものではない?」
「そこには、人の何かしらの意志があるということです。だまそうという意志、上に立とうとする意志、試そうという意志、励まそうという意志、行動するための意思表示。必ず意志が見られるのです。つまりそこには、純粋な思いはない。何かに擬態している意志なのです。逆に、夢というのは純粋な思いのみでできています。そこには、他の気持ちが含まれていない、つまりは純金のような存在。私は、擬態と純粋ということで、偽物と本物とよんでおりますが」
「すみません、よく分からないのですが」
「そうですね、少し難しい話をしてしまったかもしれません。では、一つだけ質問を残させてください。愛は、本物でしょうか、偽物でしょうか。さあ、着きましたよ」
気付くと、そこにはそれはそれは大きな山があり、その先には、とてもこの世の花とは思えないほど大きく、それ以上に美しく麗らかな綺麗な花が凛として咲いておりましたわ。
「これが、黄泉の花…」
「たぶん大丈夫でしょうが、気をつけてください。彼女は男の子が大好きです」
「男の子?」
「ええ、小さい男の子です」
私以上に危険な香りがしますわね。




