第弐拾玖話 飛べない心
「どうした? 荒死郎。なにかトラブッたのか? そんなはずはあるまい」
ヘルメットに内蔵されたスピーカーからハカセの声が聞こえた。ヤスオの動きに妙なものを感じ、早速通信を入れてきたのだ。
「いや、トラブル以前にこのコクピット、不審なものがありやがるんだが」
「ええ? なんだってえ? すまんが、もう少し大きな声で言ってくれ。ここまで届かないだろ」
「なんだよ! このメット、会話は一方通行なのかよ! この、コクピットシートに貼ってあるのは、一体なんなんだよ!」
今度はハカセに聞こえるよう、大声で叫んだ。ハカセとの距離は百メートルは離れている。
「シートだって? そんな変なもの貼ってあったかな? すまんが、なにが貼ってあるのか説明してくれんか?」
「じゃあ言ってやる。お前、刑事ブランコは知ってるか?」
「ああ、もちろん知ってるとも。風采の上がらないブランコ警部がウチのカミさんもねって、カマをかけて犯人に手口の自白をさせる刑事ドラマの名作だろ? それがどうかしたのか」
「そのドラマのオープニングで、ブランコ警部がガイシャになりきって床に倒れこむシーンがあるよなあ!」
「ああ、ドラマのワンシーンだな。誰でも見たことあるんじゃないか?」
「それで、その床には刑事ドラマにつきものの白いテープが貼ってあるだろ。ヒトガタの!」
「チッ」
スピーカー越しに聞こえたハカセの小さな舌打ちをヤスオは聞き逃さなかった。
「このシートにも貼ってあるんだよ! そのヒトガタの白いテープがよ!」
「ったく。あれほど痕跡は消しておけと言っといたのに。整備班はなにやってんだ。あいつらの職務怠慢じゃないか。なんでいつも俺が矢面に立たされなきゃならんのだ」
「なにブツクサ小声で言ってんだ! 全部スピーカーで丸聞こえなんだよ! ハゲ!」
ヤスオがそう叫んだ直後、慌てふためくハカセの様子が遠目にも見て取れた。
「はっはっは。すまんすまん。今のはただの独り言だ。いまワイドショーで話題になってる手抜き工事のニュースを考えてた。ほら、よくあるだろ。人と話してる最中、まったく関係ないことを不意に思い出して、そっちに意識が行っちゃう、アレだ」
「その言い訳、苦しすぎるだろ! なんでも適当なこと言ってりゃごまかせるとか思ってんじゃねえ!」
そう吐き捨てるとヤスオはヘルメットをコクピットに投げ捨て、機体から降りた。ハカセが血相を変えて駆け寄る。
「おい。一体どうしたんだ。まさかお前、サボタージュする気か? ここまできて出撃しないとか、駄々をこねる気じゃないだろうな?」
「サボでもストでもねえ。駄々もこねてねえ。これは正当な出撃拒否だ。こんな物騒な機械に乗って、あまつさえ戦闘なんかできるか」
「物騒とは随分な物言いだな。あんなものはアパートを引っ越した大学生がよくやるパーティージョークじゃないか。それを間に受けて職務を放棄するなど大人気ないぞ」
「いや、あれ絶対ジョークの類じゃねえだろ。確実に誰か死んでるだろ。大体最初からおかしいと思ってたんだ。ありすが二号機で筋肉バカは書類選考で。んで、俺だけがなんか闇求人で募集かけた感じでいきなり一号機のパイロットとか、常識で考えてありえねえし。やっぱりそういう裏があったんだな。大方俺だけが死んでもいい捨石要員だったんだろ」
「誤解だ。あれは鑑識がとりあえずそのままにしといてくれとか言うから、剥がすタイミングがなかったというか、決して血のりが浮かんでくるとか、ルームミラーに変な影が移りこむとか、そんな妙な現象は一切ないから。だからなにも心配はいらないんだ」
「今のお前の説明に心配を払拭できる要素がなにひとつねえよ! 問題は解決してないけど、無理矢理物事を推し進めようとしてるだろ。とにかく、もう俺はこんな機体には乗らねえ!」
そう叫んでヤスオはその場に腕組して座り込んだ。




