第弐拾漆話 早乙女の中に潜む者は
「ああ、気持ちよかった。大腿筋の毛細血管の隅々まで酸素が行き渡るのが実感できるよ。どうしたんだい? 君たち。こんなに気持ちいいのに、なぜ一緒にやらないんだ? さあ、特別サービスでもう五百回追加してあげるから、レッツ、トレーニンッ」
「うるせえよ。世界中の人間が手前と同じ価値観だと思うな。俺は忙しいんだよ。今からこのオッサンを殺すとこなんだからよ」
「おいおい、そいつは穏やかじゃないなあ、フンッ。ここは一旦落ち着こう、フンムッ。そうだ、少し筋トレしよう、エイッ。汗を流せば嫌なことはすぐに忘れるよ、ソイヤッ。ストレスが溜まりやすいのは筋肉が足りてない証拠だぞ、ウンッ」
「なんでお前は喋るときにいちいちマッスルポーズをとってんだ。そうしないと喋れない仕様なのか。暑苦しくて仕方ねえんだけど」
「そういえば自己紹介がまだだったねえ。はいみんな、ちゅうもーく」
「おい、ひとの話を聞け」
ヤスオのツッコミを一顧だにせず、早乙女は両乳首付近の筋肉をピクつかせながら裏声で喋り始める。
「ヤアミンナ、僕、大胸筋。上腕筋君ヤ腹筋君ト仲良シナンダ。好キナモノハプロテイン。ヨロシクネ。エッ? 僕ノコト、触リタイ? 触レ合イタイ? 仕方ナイナア。今回ダケハ、特別ダヨ」
続けて早乙女が普通に喋る。
「おいおい、僕の許可もなく勝手に触らせるなんて、サービス精神旺盛だぞ。どうやら大胸筋君は君たちが気に入ったみたいだ。お近づきのしるしに触らせてあげよう」
「触りたいなんてひと言も言ってねえし、そんなオイル塗りたくった男の乳を触る趣味もねえよ。大体それ、手前の自己紹介じゃなくて大胸筋君の紹介じゃねえか。いや、大胸筋君なんてこの世に存在してねえのは重々承知してるけど」
「ほらほら、遠慮してると、一生に一度のチャンスを逃がしちゃうぞ。大胸筋君はこう見えて結構シャイなんだから。気が変わって、もう触らせてあげないなんて言ってから後悔しても遅いんだからね」
そう言いながら早乙女が胸元をヤスオの顔面へと近付ける。オイルと汗が混じった臭いに思わず顔をしかめる。
「なんで俺に振るんだよ。ここにはもっとイジリがいのありそうな奴が三人もいるじゃねえかよ! あ、そうだ。お前にいい女を紹介してやる。ちょっと齢はいってるけど、とっても気立てのいい世間ズレしてないお姉さんがいるんだ。ほら、鬼椿先生! 見つけましたよ。貴女が長年待ち焦がれた白馬の王子様を!」
ヤスオの呼びかけに対する鬼椿の返事をありすが通訳する。
「あー、ごめーん。お姉さん、筋肉バカだけは無理だわー。普通のバカならウェルカムなんだけどー。だって」
「どんだけグルメなんだ。アナタ、ご自身が選り好みできるお立場かどうか、きちんと理解してらっしゃる?」
「さっきからなにを言っているのかな? 大胸筋君はすでに触ってもいいよモードに入ってるんだよ」
早乙女のぴくつく胸元がさらにヤスオの顔面に肉迫する。
「いや、ほんと。マジ遠慮しときます。触って後悔するより触らなくて後悔する方が一万倍マシですから。シャイな大胸筋君の人格を尊重したいと思います」
「仕方ないなあ。僕はいいって言ってるのに。じゃあ、お次は大臀筋君の紹介だ」
早乙女は背を向けてもとより面積の少ないブーメランパンツを両手で引き上げ、臀部の割れ目に食い込ませた。
「ちょ、ちょっと待ってくれ。いま地上でなにが起こってるか知ってるのか知らないのか知らないけど、アンタの持ちネタを悠長に観賞してる場合じゃないんだ。自己紹介はとりあえず後回しにしてくれると助かる」
ヤスオが早乙女を一旦黙らせ、改めてハカセが出撃命令を出す。




