第弐拾陸話 塗り潰された過去
ハカセは胸元から一枚の紙を取り出した。ヤスオが受け取ると早乙女の履歴書だった。
「確かに、綺麗な字だな。早乙女早苗も本名のようだ。でも、性別欄にちゃんと男に丸付けてんじゃん」
「でも普通早乙女早苗って名前を見たら女性だと思うだろ。性別欄が目立たないもんだからよくチェックしなかったんだ」
「まあ、俺がチェックしててもそのミスはやったかもな。でも肝心の顔写真がないのはどういうことだ?」
「両面テープが残ってるだろ。きっとなにかの拍子で剥がれたんだ。それをてっきり職員の誰かが剥がして自分のポケットに入れたもんだと深読みしたのが間違いの元だな。それほどの美女ならもう採用するしかあるまいと決断したんだ。顔は会ったときのお楽しみにとっておこうと思っていた」
「出会い系じゃねえんだからよ、そこらへんはきっちり押さえとけよ。そういうサプライズ感を求めるからこんな地雷を踏むんだ。一体どうすんだよ。最近は労働局がうるさくって、一度雇用した奴は簡単に首切れねえんだろ」
「採用してしまったからには仕方ない。しばらくは試用期間として適当に出撃させて、なにかと難癖つけたり嫌がらせをして自主退にもっていくほかはあるまい。ここだけの話だが、早乙女君はさる総理大臣のひ孫で、母方の先祖には維新十傑の一人がいる。親戚の親戚には皇族までいらっしゃる政界のサラブレッドなんだ」
「なにがサラブレッドだ。政略結婚を繰り返す華麗なる一族の徒花じゃねえか。その果てにこんな筋肉バカができたんじゃご先祖も浮かばれねえな。ブリーダーが聞いたら失笑モンだぞ」
「まあそう言うな。彼はああ見えて結構なエリートだ。詳しい学歴は履歴書にあるから省くが、現在はアメリカ留学してコロンビアン大学のインビテーションスチューデントとして在籍している。今般、三号機のパイロットに採用されて急遽帰国したがな」
「なんかその学歴は甚だ怪しい感じしかしないんだが。それにこの履歴を見る限り、義務教育はおしなべて偉そうなおっさんの名前を冠した学校ばかり行ってるな。もしかして、裏口じゃねえの? 大体こいつはアメリカ留学してるのに、なんでここに履歴書送ってきたんだ。おかしいじゃねえか」
「ぶっちゃけて言おう。ある国会議員のセンセイが優秀な人材がいるから雇ってほしいと袖の下を送ってきたんだ。大方海外で好き放題やってるバカな身内を押し付けたかったんだろう。そのときはまあ、前向きに検討しましょうとか言って履歴書だけ受け取って、それで終わるはずだったんだ」
「なるほどな。その履歴書がなにかの手違いでほかの就職願いに紛れ込んだと。そんでもって奇跡的な偶然が重なって採用に至ったと。それならまあ、仕方ないわな」
「そういうことだ。これぞまさに神のいたずらのなせる業。人間の力では到底不可避だったんだ」
「なんて納得できると思ってんのか! この糞馬鹿野郎が! なんでお前はいつも裏目ばかり引くんだ! なんでもかんでも独断で決裁するんじゃねえ」
再びハカセの首を締め上げるヤスオの目にはすでに殺意が宿っている。その一方、スクワットを終えた早乙女が腕で額の汗を拭った。




