新入り
終わってみれば一瞬の間のような気がする。安堵と痛みでケイは剣を杖のようにして、その場に膝をついた。体力というより、スキルを使用したことによる疲労感のようで、“力”を引き出していた腹のあたりがぽっかりと空いたような感覚を覚えていた。
アルレットが駆け寄ってくるのが見えた。慌てていても足音はなるべく立てないのだな、と妙な感心をする。着ている革鎧にも損傷は見られず、砂色の髪が少し汚れているぐらいだ。
「…大丈夫?」
「ええ…なんとか、ですが」
自分の胸に目をやると、切り裂かれた鎧の隙間から地肌が見える。痣すら無かった。自然回復はこの世界でもあるのだろうか?とケイが疑問に思っていると、アルレットが身体をベタベタと触ってくる。
「あの…?アルレットさん?」
気恥ずかしくなったが、その真剣な顔つきを見て傷を調べているようで止める気にはなれない。砂色で視界が一杯になる。
「…驚いた。怪我は無いみたい。」
「でも鎧は無傷とはいきませんでした…すいませんアルレットさん。大事な物なのでしょう?」
こうしてマジマジと見てみれば、よく手入れされた革鎧だった。古い物なはずなのだが、ひび割れも少ない。父親の鎧と言っていたが、それを手入れするアルレットの様子を頭に浮かべると、改めて申し訳なくなってくる。しかし、アルレットは少し微笑んで首を横に振った。
「そう、大事にしてきた。だからこうして、役に立ってくれたの。謝らないで」
アルレットの笑顔に、単純に性能を比較したりもしたことが恥ずかしく思えてくる。
「そう…ですね。ありがとうございました」
礼はアルレットと革鎧そのものに対してだ、物にお礼を言うのは日本人としては珍しいことではないだろうが、最近はした覚えが無かった。
この世界にもそういう考え方はあるのだろうか、などとぼんやり考えていると息が整ってきた。
それにしても、とアルレットが口を開く。
「…大きい狼。こんなのは見たことがない」
「ダイアウルフという種類ですね…。このあたりに生息してるはずは無いのですが。手強い相手でした」
立ち上がったケイは、改めてダイアウルフの姿を見る。ケイがつけたものではない、古い傷も無数にあった。そして、あの最期に見せた穏やか目。この大狼は一体どんな事情で生息地を離れたのだろう。
故郷を追われたのか、あるいは何か目的をもってやってきたのか。既に動かないダイアウルフのことを知る機会は永遠に失われたのだろう。
いずれにせよ、依頼は達したのだ。証拠として持ち帰るべく、ダイアウルフの死体を担ぎ上げる。血と獣の臭いがしたが、どういうわけか気にならなかった。力を失い、だらりとした死骸は想像していたよりも重く肩にのしかかった。
アルレットの後ろについて、歩き出す。
〈スプリント〉の効果時間は短いが、この身体能力で駈けたことを考えれば農場からは結構離れてしまったであろう。土地勘のあるアルレットに先導してもらわなければならなかった。
わずかに傾斜のついた丘のような場所に差し掛かると、アルレットが口を開いた。
「…村の外って、そんなに大きい狼がたくさんいるの?」
「流石にここまで大きいのは、稀だと思いますが…同種なら群れで活動してる地域もありますね」
しかし、この世界では村人が一人一人名前を持っていたように、エネミーも個体ごとに差があるのかもしれない。そうなるとレベル云々の知識さえも使い物にならないかもしれない。
「…ふぅん」
適当に、ではなく考え込むような感じで発した声だ。アルレットが興味を抱いたのはダイアウルフだろうか、あるいは彼らが暮らす地域のことか。
アルレットが何か考え込んでしまったので、それ以降会話らしい会話もなく歩を進める。
丘のような一帯を越え、なだらかになってきた道を下っていくと前方から光が見えてきた。
カンテラの光だ。
前方から駈けてくる仲間たちを見て、ケイは安堵の息を洩らした。
村に戻った頃には、朝日が昇り始めていた。
家畜を襲っていた獣を無事退治した、と聞いたハトラギ村の面々の反応はおおよそ好意的だった。
おおよそというのは、そこまで危機感を持っていなかった者たちのようで、畜産などに縁の薄い生活をしているようだ。
村長のザールと自警団の面々の顔は流石に明るい。
特に自警団はともすれば、この獣を相手にすることになっていたかもしれないのだ。
大狼の死体は、トロフィーのような扱いを受けることになるようで、ケイは内心で顔をしかめた。
どういうわけか死闘を繰り広げた相手に何か愛着を感じているようで、自分自身の感情を持て余す。
もっとも表にそれを出す気は無かった。この村での取引は今後のための重要な一歩だ。わざわざ平地に乱を起こすつもりもない。
物資の譲渡は昼からと決まった。
(泊まっていけとか、宴を催すとか言われないあたりは、さっさと出ていって欲しいんだろうな。まぁ取引って話だったから文句を言う筋合いでも無いけれど…)
ケイはダイアウルフを退治することに成功したが、それはケイがダイアウルフより高い戦闘能力を示したことにもなる。発展の途上でまだまだ狭いこの村では、そんな人間を内側に留まらせるのは単純に怖いことなのだろう。
襲われた家畜の被害から見れば、ダイアウルフも恐らくはこの一体のみと見られていたことも大きい。狼は群れで暮らすもので、もしこのダイアウルフが複数いたのであれば被害はこんなものでは済んでいない。
報酬として渡された食料は芋のようなものと、干し肉。日用品は明らかに使い古しのものばかりだったが、量だけはある。それを手分けしてマジッグバッグに詰め込んでいく。
「また芋か…まぁ揚げてないからなんとかなるでしょうか。しかし肉を見るのは随分久しぶりですね」
思えば元の世界では望めば毎日食べられたのだ。干し肉は塩気が随分キツそうだったが、この山に近い村でどうやって塩を手に入れたのか。交易で手に入れたのか、山塩でもあるのか。
そんな下らないことを考えていると、アルレットが近付いてきた。
「…そのバッグってどうなってるの?」
(いや、そんなことを聞かれても…実際どうなってるんだろうなコレ)
「魔法が施されてるんっすよ。アタシ達星界人は大体持ってるっす」
グラッシーが咄嗟に助け舟を出してくれる。コミュ力という括りではタルタルが3人の中では一番優れているが、機転はグラッシーの方が効くのかもしれない。
「…エルフ。星界のエルフも森に住んでるの?」
「アタシ達はあんまり種族とか気にしないんっすよ。なので人それぞれってやつっすね。」
…そのあたりは疑問に思うのに、取ってつけたような後輩口調には突っ込まないのだろうか。ひょっとしてこの世界にもこういう口調はあるんだろうか。
「じゃあドワーフも?」
今度はタルタルに向き直ったアルレットが言う。
「まぁそうですね。僕達も他の種族と混じって暮らしてますよ」
タルタルが淀み無く応える。このあたりは流石だ。
すると、アルレットが次はケイの方に向き直る。何事かを決意したような真剣な表情に思わずたじろぐ。
「…うん、決めた。私もあなた達の仲間に入れて欲しい。お願い…します」
「「はぁ!?」」
タルタルとグラッシーが声を揃えて驚く。その一方でケイはあまり驚いていなかった。
この中で、彼女とマトモに交流したのはケイだけであり、事情もある程度知っている。ダイアウルフとの戦闘後に何か考え込んでいたので、おおよそ検討はついていた。
「何となく分かっていますが、一応聞いておきます。…理由は?」
「もっと色んな景色を見てみたい。できるならいずれ星界も。それに…この村に私の居場所はいずれ無くなる」
いつもの一拍遅れの口調ではない。それほど真剣ということなのかもしれない。
アルレットが僅かに視線を送った先にいるのは、居心地悪そうな猟師たちだ。
「死ぬかもしれませんよ?」
「それはこの村でも同じ」
期せずして、超人の肉体を得たケイには分からないことなのだろうが、この世界で平穏無事に一生を送るというのは相当難しいのかもしれない。
「あなたの行きたいところに行くわけではありません。自分の望まないことをする羽目になるやも」
「村の外は何も知らないから望むところ。やりたくないことは…仕事みたいなものだからちゃんとする」
アルレットの決意は固い。正直なところ、アルレットの戦闘能力には不安が残る。この世界でレベルアップという概念があるかも分からない。
また、蘇生するかどうかという疑問も有る。トライ・アライアンスであればNPCは何かの拍子で死亡したとしても即座に復活する。ただ、それはあくまでゲームの中の話だ。もっともそれはケイ達自身についてもまだ不明なのだが。
それら戦闘面での不安を除けば、むしろこちらからお願いしたいほどの人材だ。やや浮世離れした感はあるものの、この世界における常識もあるだろう。ケイたちに欠けた自活能力や知識も豊富だ。
「私たちがあなたのことを足手まといと判断すれば、あなたを見捨てるかもしれない。それでも?」
「その時は仕方ない。けどケイはそんなことしないと思うけど」
頬が少し熱くなる。困ったように仲間を見やれば彼らはニヤニヤと笑っている。
「決めたのなら、僕は支持しますよ団長。正直なところ、選り好みできる状況でもないですし」
「んー。どちらが良いのか分からないなら、とりあえず連れていけばいいと思うっすよ?」
視線をアルレットに戻すと、アルレットの真剣な眼差しとぶつかった。強い意志を感じさせる目。
それはケイには今まで持ち得たことが無いものだった。
また肩に荷が乗るのだろう。もっとも同じくらいケイも仲間に寄りかかっている。それがギルドというものなのだろうか。オヌライスがいれば何と言うだろうか。
大きく息を吐く。恐らくどちらを選んでも後悔をすることになるのだろう。なら――
「分かりました。アルレットさん。あなたの力を私たちに貸してください。私たちの力もあなたに貸しますから」
「アルレットでいい。私は騎士じゃないけど、よろしくケイ団長」
三人の声が重なる。
「「「ようこそトワゾス騎士団へ!」」」
照れが出てしまうのは仕方ない。ケイは頭を掻く。
新しく仲間を加えた旅は、どのようなことになるのか。不安と期待が同時に沸き起こる。とりあえず気になるのは干し肉だ。
アルレットが村長に話を通しに行く間に旅の準備を整える。ふとグラッシーが口を開いた。
「ところで団長。気になってたことがあるんすけど」
頷いて先を促す。
「ダイアウルフとの戦いって、ポーション飲む余裕とか無かったっすか?」
「あ」
荷物が手から滑り落ちた。




