大狼
ダイアウルフ、かつて現実の世界にも存在したという大型の狼。とはいえトライ・アライアンスにおける、ダイアウルフは全くの別物だ。体高は人間の背丈のソレに近いほどなのだ。
目の前のダイアウルフは、それより更に大きい。中肉中背のはずのケイを上回る体高だ。
(まさか…エリートエネミーか?)
エリートエネミーは、同じエネミーよりも強力な性能を持たされている。〈優れた〉とか〈力強い〉とか言った文字が名前の前に付いており、ゲーム時代ならひと目で分かる。また、同種のエネミーが落とすレアドロップアイテムを確実に獲得できることから、多少手強くても人気のあるエネミーだった。
ダイアウルフはレベル60ほどのエリアに出現するはずのエネミーであり、ここに出現するはずはない。
(そもそも、こういう可能性を考えていなかった…。グラスウルフやブラッドビーストなどは、レベル30代のエネミー。だから、ここにはソレ以上の敵はいないはずだと)
しかし、ここは既にトライ・アライアンスそのものではない。生き物であれば、縄張りを離れることだってあるかもしれないのだ。
自分が手に入れた、圧倒的な力。無意識にソレに酔っていた、とケイは認めざるをえない。
ダイアウルフが爪を振るう。咄嗟に剣で受け止めるが、驚くべき速さだ。そもそも剣と生物の爪が鍔迫り合いしてるなど、冗談にしか思えない光景だ。
この状況はマズイ。レベル60のエリートエネミーだとしたら、最大レベルである80のこの肉体をもってしても、片手間に勝てる相手ではない。おまけにこちらは装備を潜伏のために変えている状態だ。よく手入れされた革の鎧は、決して弱くはないと思うが、本来の鎧に比べれば性能差は天と地だ。
大狼はこちらを決して逃さないと、決意を固めてるようで、執拗に攻撃を繰り返している。
「…〈スラッシュ〉!」
こちらも覚悟を決めなければならない。裂帛の気合とともに、スキルを繰り出すと流石に大狼は弾かれ、距離を取ることに成功した。
様々な要因が重なってとは言え、初めての同格との戦いに震えが来る。これまでの数度の戦闘は、こちら側が圧倒的に有利だった。質でも数でもである。
それが今はどちらも対等と言っていい。躊躇や憐憫など顔を出す余裕などないのだ。
遠くでアルレットが何かを射た。奇妙な音を立てながら、飛ぶ矢。元の世界で言う、鏑矢のようなものであろうか。ダイアウルフを驚かすことが目的とは思えない。ならば応援を要請する合図だ。グラッシーやタルタルが駆けつけるまで、耐えることができるのだろうか。
大狼は自らの油断と、慢心を認めざるをえなかった。故郷を追われ、この地に流れ着いたまでは良かった。野に生きる者にとっては、死こそが敗北だ。たとえ、無様に逃げたとしても生き延びた彼は敗者ではない。だが、まるで【腐肉喰らい】のようにこそこそとした生活は、誇りに傷をつけ、感覚さえも鈍くさせた。
今夜にしてもそうだ。何者かが待ち構えているのは、彼にも分かっていた。だが、その者が駆けつけても、問題なく屠れると考えた結果がコレだ。
目の前の人間は、容易い獲物ではない。こうした鉄の爪を手に付けたり、手に木を生やした人間は奇妙な技を使う。仮に倒したとしても、鉄の毛皮に守られた肉は食いづらいのだ。
では逃げるという選択肢はどうか、この人間は自分と同等の速度で走れるらしく、それも駄目に思われる。だが人間は群れで暮らす生き物だ、まごつけば仲間が駆けつけてくるだろう。
この人間は倒さなくてはならない、応援が来る前に。ならば――
突然背を向けて、走り出したダイアウルフにケイは虚を突かれた。同等の存在といっていい相手との戦いに覚悟を固めていたのだ。予想外の事態に超人じみた感覚でさえも、一瞬遅れをとってしまう。
「逃げろアルレット!」
ダイアウルフの狙いは、後ろのアルレットだ。先程の応援を呼ぶための行動で注意を引いたのか。
ダイアウルフは瞬く間にアルレットにたどり着いてしまった。アルレットは咄嗟に短剣を抜こうとしているが、間に合わない。逃げるなりしてくれればケイが追いつくまで間に合ったのかもしれないが、後の祭りだ。
続く惨劇の光景が頭に浮かぶが、そうはならなかった。驚いたことにダイアウルフはアルレットを咥えている。正確にはアルレットの革鎧の端だが。そしてそのまま村とは反対の方角に向けて地を蹴った。
(しまった…!)
ダイアウルフに追従しながらケイは歯噛みする。今更相手の目論見に気付いた。ダイアウルフは先のアルレットの行為が応援を呼ぶためだと理解していたのだ。
アルレットを生きたまま連れていけば、ケイは追ってくる。追いつかれるかもしれないが、最低でも1対1の状態には持ち込める。アルレットは大した戦力ではないという判断か。
また仲間を待ち、その場にケイが留まるならそれはそれで良し。逃走には成功するし、餌も確保できる。
(獣だという侮りがあったのか!?)
対等と相手を認めた。ならば相手もそうであり、対策を打ってくるのは当然だ。いや、このような考えを持たなかった時点で、自分には驕りがあったのだ。
考えながら、足を全力で回転させる。わずかにケイの方が速いが、すぐに追いつくほどではない。少なくとも〈アサルトスラッシュ〉の射程範囲までは追いつく必要があるが、景色はどんどん流れていく。後ろを振り向けば――そんなことをする余裕は無いが――もう村は目に映らなくなっているだろう。
アルレットは、咥えられた状態で懸命に抗っている。短剣を幾度もダイアウルフの腹に突き立てているが、効果が有るようには見えない。それだけのレベル差があるのだろう。
〈スプリント〉の効果が切れそうになったころ、ようやく〈アサルトスラッシュ〉の射程内に手が届きそうになる。剣を腰だめに構える。
「アサルトス――」
その瞬間、ダイアウルフがぺっとアルレットを放り捨て反転した。アルレットがごろごろと転がり、動かなくなった。剣をダイアウルフに向けつつも慌ててそちらに駆け寄るが、息はあった。
改めてダイアウルフに向き直ると、姿勢を低く構えていた。もはや追いつかれると判断したのだろう。しかしその顔は追われるもののソレでは無かった。ここで決着をつけよう、そういった気迫が見える。
退治しなければならない相手だというのに、ケイは敬意を覚えた。この大狼は自分とは違う。戦士とでもいうべきか、覚悟とはこうあるべきというような姿だった。
時間が経過したせいか、走った後だからか、胸に湧く敬意のためか震えはもう襲ってこない。これからこの雄敵と雌雄を決するのだ、その思いがすんなりと頭に馴染んでくる。
現代人であった自分には到底味わうことのできそうもない感覚だった。あるいはこのアバターに精神も引っ張られているのか。
「トワゾス騎士団のケイと申します。恨みはありませんが…倒させて貰います!」
獣相手に敬語を使う様は、他人が見れば滑稽かもしれない。だがこの時はこれが相応しいように思えたのだ。ダイアウルフは何も言わない。ただ目がかかってこいと告げている。
(そうだ…挑戦者はあくまで自分の方なのだ)
開けた草原だ。周囲に目立つものは何もなかった。
二体の獣は同時に地を蹴った。
こちらは防御力に不足がある。ならば、高位の武器を活かして短期戦で終わらせる。
「〈パワーチャージ〉!…〈スライスダウン〉!」
〈スライスダウン〉はモーションにも隙がなく、相手の攻撃力を低下させる技だが威力は他のスキルほどではない。そこは、極短時間攻撃力を増大させる〈パワーチャージ〉で補う。
下からすくい上げるような斬撃を受けて、ダイアウルフの胸の辺りが朱く染まる。
だが、剣を振り抜いた後の僅かな間隙にダイアウルフもまた攻撃を放ってくる。こちらとは違い、まるで繋ぎのない、前足での連続攻撃。獣型のエネミーが使うスキル〈二連牙〉だ。
(牙って技名なのに、爪使うってどういうことだよ!)
内心で思わず突っ込みを入れるが、器用に爪の先を使った攻撃は革の鎧を引き裂こうとする。だが、貫通してこの肉体に出血させる程ではなかったようで、打撃じみた感覚に留まる。先の〈スライスダウン〉で攻撃力を低下させてたのが効いたのか。
「勘弁してくださいよ。借り物なんですから…!」
怯まないように下らないことを叫びつつ、こちらの反撃に移る。凄まじい勢いの単純な突き〈スティンガー〉だ。ダイアウルフは横に飛んで躱したが、それが狙いだ。こちらの剣はダイアウルフの皮を充分に裂けるのだから、相手からしたら突きは避けたいだろう。
伸びた体勢のまま、握りを少し変えて横薙ぎに剣を振るう。こんなスキルは無いため単なる斬撃だが、再び隙を突こうとしてたダイアウルフはマトモに食らう。
予備動作もないため力が十分に乗っていなかったのだろう、ダイアウルフは今度は切り裂かれずに単なる打撃を浴びた格好だ。
ダイアウルフはブルッと頭を振ると気を取り直したように、少しだけ距離を取った。
大きく息を吐く。落ち着いてくると、胸のあたりが痛い。先程の攻防で、食らった攻撃が痣にでもなっているのか。
一部のスキルが使えないのが泣き所だ。密着する形になり、どうしても反撃を浴びてしまう。
「はは――」
なぜだか笑い声を上げたくなる。痛いし苦しいのに、楽しい。この世界に来て、得た超人の肉体。それを存分に駆使している。使いこなせているわけではないが、この身体の限界まで振り絞っている。
スポーツ選手などはこういった気持ちなのか。これまで知る機会が無かっただけで、実は自分が戦闘狂なのか。判断する手段はないだろうが。
こちらも気を取り直して、身体を撓ませる。
コンボにならないスキルではつなぎ目が大きくなって、避けられるか反撃されてしまう。
(ならば最初から、連撃として設計されているスキルではどうだ?)
大きく踏み込んで横に薙ぐ。躱されるが気に留めず、更に斜めに切り上げる。今度は僅かに掠った。
最期にその体勢から、流れるように剣を斜めに振り下ろすと、ダイアウルフの耳のあたりが弾けた。
三角を描く連撃で一つのスキル〈トライブレード〉だ。動く相手に使うのがこれほど難しいとは思わなかったが、今度は反撃はない。
再び距離を取って睨み合いの形となる。
トライ・アライアンスであれば、命中か回避判定かしかなかったが、この世界では当たりどころが悪い、ということが当たり前に起こる。これまでの戦いでどちらも致命傷のようなものを負わせられていないのは、互いの身体能力が高すぎるためだ。咄嗟に身を捻るなどの行動が間に合ってしまう。
(TPが枯渇する事態は避けたい。通常攻撃をもっと有効に使わないと駄目だな)
スキルを乱用しても、サクッと勝負がついたりはしないようだ。ダイアウルフはこれまで〈二連牙〉を一回使ったきりであり、こちらの世界では当たり前の考えなのかもしれない。
(剣を振る動きが身体に染み付いてるのに、なぜ武術のような的確な動きができないんだ!)
そもそもこの世界に連れてこられた時点で不自然なのだから、考えてもどうしようもないことでは有るが、愚痴が心に浮かぶのは仕方ない。
ともあれ、通常攻撃を上手く使って、スキルを確実に叩き込めるタイミングを作り出す。もしくは回避されようと削り倒すかだ。
後者はTPの残量が把握できない現状では難しい。慣れればできるかもしれないが。
となれば、前者を取るしか無い。
考えながら、剣を繰り出す。ダイアウルフも同じ考えのようで、牽制じみた剣戟――片方は爪だが――が続く。
朦朧としながらアルレットは身を起こす。
目覚めたアルレットは、見慣れた革鎧に父が蘇ったのかと思ったがすぐに違うと分かった。あの星界人はわざわざ自分を助けに来たようだった。
騎士らしくない青年だった。アルレットが知る騎士はもっと偉そうだったが、あるいは星界人の騎士は皆あんなふうなのかもしれない。
大きな月の下で、銀の大狼と剣士が信じられないような戦いを演じている。
「きれい…」
まるで劇でもみているようだと、場違いな感想をアルレットは抱いた。
互いに隙を窺う攻防が続く。隙といっても確実にスキルを叩き込める隙のことだが、先にそれを見つけたのはダイアウルフの方だった。
この敵は驚くべき存在で、身体能力は自分を上回る。だが、その戦い方はまるで狩りを覚えたての子狼のようだった。人間の年齢は分からない。もしかすると本当に子供なのかもしれない。
しかしこの人間は、急速に戦い方を身につけつつ有る。隙を窺う術を思いついたのは大したものだが、新しい考え方に目を向けるあまり、もう一つの方法を考えていない。
隙を窺うよりむしろもっと原始的な方法。最初の応酬でそれに近いことをしていたというのに。
狼はなぜだかこの敵を惜しいと感じていたが、手は抜かないことにした。
来る、とケイは考えた。先程と同じ〈二連牙〉だ。戦いに焦れたのかもしれないが、その動きは先に見ている。右前足が迫って来る。剣戟の途中であり、回避は間に合わないが受けることはできる。一旦防いだ後、続く左の攻撃を躱せばいい。だがその〈二連牙〉は先とは違っていた。
「っ!?」
爪ではない。掌で押しつぶすような動きに、足を踏ん張る。だが続く二撃目も爪では無かった。掬い上げるような動きで、ケイは弾き飛ばされた。
(こんな応用もできるのか!)
しかし、爪ではないためこれも致命傷とはならない。仕切り直せばいいと、空中で身体を捻る。しかしダイアウルフの姿が視界に入り、ケイの表情は凍りついた。
大きく身体をしならせて、吠え声をあげようとしている。大型の獣型エネミーが使用するスキル〈ビーストロアー〉。断続的な衝撃波が襲いかかり、その間行動が不能になるスキル。
これがゲームであれば、見え見えのモーションから距離を取ればいいだけだが、今は空中でありマトモに食らうことになる。
これは先の考え方で言えば、後者に近いが違う。もっと単純にスキルを叩き込むタイミングをスキルでこじ開ける。思えば先に〈スティンガー〉をわざと回避させて、通常攻撃を当てたのだ。なぜこれを思いつかなかったのか。
衝撃波がケイを襲った。衝撃は素手で殴られた程度だが、延々と続く。宙に舞った身体が延々と浮き続ける。このままでは、恐らく受け身も取れずに地を這ってさらなる攻撃を受けることになる。場合によってはこの状態を倒れるまで繰り返されるかもしれない。
外から見れば一瞬なのだろうが、ケイには永遠にも感じられた。
しかしこの時、脳裏に疑問が浮かんだ。耳に届く吠え声はそれほど大きくは無い。だが衝撃波は実際にケイを襲っている。HPバーが見えれば、ダメージさえ受けているだろう。
エネミー専用のものとはいえ、コレはスキルだ。魔法の類ではない。ケイには一部のスキルは使うことができなかった。主に超常の現象を起こす類のスキルが。しかし、ダイアウルフはそれを可能としている。
同じTPを使うなら何が違うのか。ケイに使用できるのは、自身や攻撃を強力にしたようなものばかりだ。そして、スキルの使い方はTPと思われる腹の力を手や足、もしくは剣に宿すこと。つまり――
ケイはその方法に気付いた。
だが、状況はそれを許さない。意識を内面から戻しても事態は変わっていなかった。悔しさが湧き上がってくるのをケイは感じた。
(あと少し早く気付いていれば…!)
もはや後の祭りだ。これでそのまま終わるか、どこかでこの連撃から抜け出せたとしても、かなり厳しい状態に追い込まれることになる。
(…?)
不意に衝撃波が止み、続く攻撃はない。
未だ宙にあるケイはそれを見た。意識を取り戻したアルレットが矢を放ち、ダイアウルフはそれに気を取られたのだ。結局自分は助けられることになるらしい。
苦笑しながら閃いたアイデアをケイは形にした。
「〈ソードスタンプ〉!」
剣を足元に向けて構えると、落下の速度が上がった。ダイアウルフが咄嗟に飛び退くが、それでは距離が足りない。
剣が地面に突き立つと、大地に罅が入りめくれ上がる。その衝撃波がダイアウルフを襲う。
たまらず弾き飛ばされたダイアウルフが転がっていく。
〈ソードスタンプ〉は【フェンサー】のスキルで、一定範囲内を同時に攻撃できる、ゲームでよく言われる範囲技というやつである。似たような技は大抵のクラスにもあった。
気付いてみれば、単純なことだ。腹の中の“力”を手から剣に流すのと同じように、剣を伝わせて地面や空気に流せばいい。感覚的にはかなり難しい場合もあるだろうが、イメージしやすい技だったのが幸いだった。
ダイアウルフがよろめきながら立ち上がる、しかし既に距離が開いてしまっている。
「〈ソニックブレード〉」
鋭い衝撃波が地面を削りながら、一直線に飛んでいく。飛びかかろうとしていたダイアウルフはそれをマトモに受けてしまい、再び動きが止まる。そこに――
「〈アサルトスラッシュ〉」
スキルで一気に距離を詰めて来た剣がダイアウルフの頭に突き刺さる。
最期に目線が会う。意外なことにダイアウルフの目は穏やかなままだった。
ゆっくりと目を閉じ、ダイアウルフが大きな音を立てて崩れ落ちた。