魔軍の主
宙に散った魂が地中に沈む。
沈んで沈んで回っていく。
配管を通り、迂回に迂回を重ねた先にはけ口を見つけた。蛇口から吐き出された存在力が、急速に自己を再認識。生まれた時から無意識に備わっている行動のように、複雑怪奇なプロセスをあっさりとクリアー。
無形の存在から有形へと速やかに復帰した。
分解、再認識、再構成。どういった物を所持して、何を身に付けていたか。それさえ理屈抜きに再現されていく。
体にその機能自体が備わっていなければ行えないような奇跡を、あっさりと体現してケイは復活した。
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なぜだ?なぜ…
「まだ生きている?」
問いかけても答えは無い。
ケイは再び、最寄りの拠点…つまり死した筈のター=ナの集落で目覚めた。
地中をぐるぐると回る感覚を覚えている。確かに死んで魂は地下へと還った。だが、目が覚めたということは敵はこの地に封印を施さなかったということになる。
なぜ、そんなことをするのか?
戦った剛魔将はそれほど甘い相手ではない。あの竜人は敵に敬意を払うからこそ、手を抜かないはずだ。不滅の相手に有効な手を打つ…それを行わない訳がない。
死亡地点は地下室だったが、復活したことにより議事堂まで上昇していた。自分達が散らかした瓦礫を縫って、外に出る――
「やぁ」
「…やぁ」
陽気な声に思わず、返事を返してしまう。
待ち構えていたのか。目に写ったのはどこかで見覚えのある黒髪の少女。
…どこで見たのだったか、思い出せない。
横には妖艶な美女が立って微笑んでいる。こちらも艶やかな黒髪で、姉妹でも通るだろう。こちらは見覚えが明確にある。…魔将の一人、ルムヒルトだ。ゲームであった頃、人気があった。
魔将を伴にしている少女が善の側にあるようには見えない。
大体にしてルムヒルトの立ち位置が少女よりも後ろなのだ。まるで、従者が主人を立てるように。
「…なぜ、私を生かしておいたのです?魔軍の王よ」
かまかけである。はっきりと確信が持てたわけではないが、魔将よりも上となると他に思い当たらない。
そして…奇妙だった。少女の強さが計れない。
この世界に適応するにつれて気配の強さで相手を推し量ることができるようになった。しかし、この少女からは何も感じない。それが恐ろしい。弱いのなら、強いのなら分かる。だが、分からないというのは何を意味するのか。
「そりゃあ君のことを気に入ってるからだよ。つまりは贔屓だ」
…駆け引きもへったくれもない。それは自分達が得意としていたことだが、相手にされると鼻白んでしまう。少女は自分が魔軍の主であることも否定しなかった。
そして、自分のことを知っている。それがケイに友人の考えが正しかったことを伝えるかのようだった。
「この世界に我々を引き込んだのも?」
「そうだよ」
あっさりと黒幕は正体を明かしたのだった。
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マリユーグ、どこかで聞いた名前だった。
「わぁぁたしはぁぁ!」
肉塊がプルプルと震えながら何事かを口走り、腕を振り下ろす。
単純な質量と膂力任せの一撃で、技巧などまるで感じられない。だからこその脅威というのも確かにあるが…回避はさほど難しくはない。
『才の差とは残酷なものだな。人間種で最高位の性能を付与されているのだが、このような姿になってしまった。星界人の小柄な体に詰め込まれた性能とは出来が違う。…王の技術を持ってしてもこの男の肉体を利用すればこれほどまでに不出来だ。素体が劣等に過ぎた』
青い影が言う。
遠く離れた戦闘を実況するその声は、実験結果を見守る研究者のようだ。笛の音のような息継ぎが耳に残る。
「私、こ、そ、がぁぁぁ!世界ののの、のの、の!」
肉塊から溢れ出る言葉は自分のことばかり。度し難い程の自己顕示欲と特権意識は、そうそうお目にかかれるようなものではなかった。
「思い出した!マリユーグって名前…」
「リンピーノさんのところで先祖の墓を占拠してた自称貴族さんっすねぇ」
その言葉でタルタルもまた、思い出した。
腕をへし折り、恐怖を刻みつけた男。当面の安全を得るために野望ごと叩き潰して贄となってくれた男であった。
「ドワァァァフ!おまえがぁぁぁぁ!」
「おい、あんた!なんか凄い恨まれてるけど知り合いか!?」
カナネを守るように抱きかかえて逃げ回るサザークが叫んだ。
彼ら、リトルフットの3人が守ってくれている限り、族長の身は安全だろう。カナネは自分達とは違い、不滅ではない。多少不利になろうとも、この遠征の成果として守り抜かなくてはならなかった。
「お三方!族長様を連れて一足先に…!南へと向かって下さい」
「ここは…あたしらで充分!トワゾス騎士団にお任せっす!」
今や誇りとなったその名前を名乗れば、不快な肉塊にも立ち向かえる。
風を切って飛ぶグラッシーの矢が肉塊を削りつつも、時折僅かに残されている頭部を狙う。
この肉塊…マリユーグは確かに強い。強いが、それは自分達と比べて僅かに上程度。こうまでならなければ人を越えられなかったマリユーグと最初からそうあるべしと用意された星界人。
魔将が語るように才の差は悲しいほどだ。人数で容易く覆ってしまう。これが自分の努力で得たものならば遠慮なく見下せるだろうが…
「おおおぉぉ!お前が、がが、がぁ!」
不出来な枝豆のような巨腕の一撃を大盾で受ける。
衝撃が腕に響くことは無かったが、敵の膂力が足の踏ん張りを上回って弾き飛ばされる。その勢いのままに、森の木々を突き破って転がっていく。
急転していく視界にも、超人の感覚は酔いはしなかった。
背中を打ち据えられた結果として血を口から一度、吐き出すが・・・
「〈ヒール〉!」
少し離れた位置から、カイワレの声が聞こえた。
緑の光が体を覆うと傷んだ内蔵も元通り。余りの都合の良さに笑ってしまいそうだ。
戦えば戦うほど自分という存在の異常さに精神が悲鳴を上げるのをタルタルは感じていた。それを感じる度に、心を怒りで塗りつぶして鉄の表情を作る。そうでなくては、戦えない。全ては元の世界に戻るために。仲間のために。
何も感じずに、元の世界のことだけを考えたかった。
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「…一日に二度も負けるとか、流石に心がへし折れそうですよ。その肉体は少しばかり卑怯なのでは?」
口ではそう言っても、それほど傷ついているわけではない。いきなりの決戦を望んだのも仲間の怒りを代弁したからのようなもので、純粋ではなかったからだ。
尋常な決闘を終え、膝をつくケイを魔軍の主は微笑んで見つめていた。それは愛児を慈しむ母親のようで…、なるほど異常な存在だった。
魔将ルムヒルトは目の前で繰り広げられた戦いにも、何一つとして手を貸さなかった。初めからこの結果が見えていたのだろう。魔将に敗北した男が、それを束ねる存在に勝てるわけもない。
戦いを終えてケイも悟っていた。こいつには勝てない。
ギスヴィンやルムヒルトといった魔将が相手ならば、勝ち目自体は残っている。首に届きさえすればいいのだ。10回戦えば3回ぐらいは勝てるとケイは踏んでいる。
しかし、目の前の存在が示した力を相手にすれば剣など!
そしてどうして見覚えがあるかも理解して、諦念の沼に沈んでいった。前提として魔軍の主が無敵であるという事実がある以上、戦闘という行為が意味を失ってしまうのだ。
「そう。この体はこの世界の設定に存在していた理論上最高の性能を誇る。僕も流石にちょっとぐらい特別な存在でいたくてね」
「…それで、その設定を拝借したわけですか。元ネタというわけで」
「そうか!君はこの体を見たことがあるんだったね、ケイゴ?」
誰にも明かしていない本名を呼ばれて、こみ上げるおぞましさで失意から強制的にすくい上げられる。
いつから見られていたのか。少なくとも2年間は自分の私生活すらも覗き見られていたのかもと思えば、気色が悪い。恐怖や羞恥といった明確な形にならない単純な不快感が胸中の瘧となって苛んでくる。
それを何とか無視して、黒幕の存在を探っていく。
「正直、忘れかけていましたがね。幾らなんでもGMの肉体はズル過ぎでしょうに。オープンβ以来ですが、あのクソみたいな回復力を再現しないでくださいよ」




