肉塊
トワゾス騎士団には団長達の帰りを待つ者達がいた。
皆で一から作り上げた拠点。木で作られた兵舎、拒馬槍と柵に囲まれている基地。団長の屋敷だけが立派な家屋だ。
だが、この屋敷の主はその特権を独占しようとはしなかった。一般の団員達は故郷では見ることも叶わないような代物で、彼らが憧れていることを知るとあっさりと開放してしまった。
団員たちは団長が好きだった。戦闘を過剰に好む些か人間的に問題がある団長ではあっても、平民が知る貴族の印象からは程遠く、親しみが湧く。公の場でなければ気さくに接しても咎めたりはしなかった。
幹部たちもそうだ。エルフのくせに軽薄なグラッシー、朗らかだが時折怖いタルタル、子供っぽいくせに鋭いリトルフットのカイワレ。居残っているビーカーに物資を届けに行くトメメ。
彼らは酔狂なことに北のウガレトの地で活動している。彼らは星界人であり、転移門を使った遠征が可能だ。団員たちはこうした時、日々の訓練や業務をこなしながら待つことしかできない。
「団長、元気かな…」
砂色の射手、アルレットもそうだ。自分の英雄は大丈夫だと信じていても待つということは辛いことだった。
//
自分の腹から溢れた血に膝をつく。
粘りのある血は脚甲に阻まれて滲み入りはしないが、よく滑る。自分の血で手を滑らしながら幾度も立ち上がろうとするが、肉体は気力に応じてはくれない。
「まだ…まだ…」
時間を稼がなければ。
先に行かせた者の中には自分とは違い、元の世界への帰還を望む者がいるのだ。倒れている暇など無い。瀕死になるまで戦ったからこそ分かる。この竜人が仲間に追いついてしまえば…
痛みも熱も感じない。ただただ寒い。それでもと、友情と使命感と快楽を薪に僅かな種火を消さない。
星界人の超常の再生力でも、復帰できるようになるまでには幾らか時間がかかる。そして、この敵はポーションを飲む隙など見せてはくれないだろう。
近付いてくる自分という存在の終わり。それ自体に恐怖は無い。
自分は与えられた性能で、この世界の住人を喜々として殺してきたのだ。いずれは自分の番が来ることは当然だ。
だが、同胞が目的を達せられないのは御免被る。
時間を稼がねば。時間を稼がねば。どれほど希っても奇跡のような回復は起きない。
「…これまでか。久方ぶりに楽しめた。さらばだ強敵よ」
腹に突き刺さった竜人の尾が引き抜かれる。赤い鱗は血に塗れて照り輝いていた。
この尾が敗因だった。武技での勝負に食らいつこうとする余り、敵にだけある部位を忘れていたのだ。
栓が抜けた場所から臓腑と鮮血が溢れだす。一緒に魂まで抜けていくようだ。
最後の力で顔を上げると竜人と目が合う。剛魔将の表情は分からないが、目には賛辞と惜別の念が込められていた。
魔軍の将にして誉れ高き武人。所属は違っても、この敵手は英雄に他ならない。
(最後の相手としては上等過ぎるな)
斧が迫る。
浮かんだ考えを言葉に出来ないまま、ケイの首は胴体から離れた。
地下室は朱に染まったが、星から生まれた血肉はしばらくすると跡形も無く消滅した。
///
死んでいく。
槍衾を超える度に、敵の剣を掻い潜る度に一行の数は減っていった。減るのは老ドワーフ達だ。彼らのレベル…という概念が未だに残っていのかは不明だが…は低い。自分がなんとも無いような一撃でもあっさりと死んでいく。だがその顔は一様に安らかで…
それをタルタルは歯噛みしながら見捨てていく他なかった。それが死に場所を求めていた彼らの望み通りだから何も言えずに。
大盾を構えてそのまま敵を弾き飛ばしながらの前進。それは確かに正面からの攻撃からは後続も無事に守れていた。だが、その他の方向からの攻撃には対応できない。
横から突き進んでくる一団。上から振ってくる矢。自分一人ならともかく、他者を守るのには限度が合った。
「〈フロートシールド〉!」
TPが回復したタイミングを見計らって【重装】のスキルを起動。周囲に“力”で形作られた盾が浮き上がり、周囲の仲間を数人だけ守る。これが限界であった。
「〈ディフェンスプロテクション〉!〈エリアヒール〉!」
半分焼け焦げた草原まで辿り着く。敵の囲みをあと少しで突破できるところまで来れたのは、癒し手であるカイワレの存在が大きい。彼女もまだ未熟だが、星界人に付けられた多少の傷を癒やすには充分。老ドワーフ達にとっては重傷ですら一瞬で治るのだ。
「カナネ様…っと!ごめん、タルやん、腕が塞がったっす!」
「申し訳ありませんグラッシー様…」
最後のゴーレムが倒れ、カナネを担ぐものがいなくなった。細身だが力強いグラッシーが搬送を引き継ぐが…範囲攻撃に優れているグラッシーの手が塞がることによってさらに追い詰められることになる。
だが、もう少しだ。地下室に現れたという強敵が来ないのは団長が止めているからだろう。あと少しで厚みを突破できるのだ。ほんの僅かな時間があれば…
「ここまでじゃな。ではな星界の同胞、楽しかったぞ」
そう言って後背から追ってきた敵に向き直るのは、山で言葉を交わした老ドワーフ。墓前に捧げる飾り物を作っていた、自分が連れてきてしまった老人だった。
止める間もなく敵の雲霞に飲まれていく老人。それが報われたのか、一行は囲みを突破していた。…老ドワーフ達が全滅したことにより足が速まったのだった…
////
〈スプリント〉を駆使して、一気に駆け抜けた。追ってきた少数の騎兵は担ぎ手を交代したグラッシーの矢によって倒すことができた。
新しく加わったサザーク達も、流石は大ギルド出身者と言うべきか健在だ。
「ここまで…来れば…」
超人じみた身体でも息切れするほどの強行軍だった。
その甲斐あって、敵兵の姿はグラッシーの目を持ってしても見えない。途中で森に紛れることにしたのが功を奏したのだ。
タルタルは一行を見渡した。
訪れたとき、跨ったゴーレム達の姿は無く、老いて尚闘士に溢れていたドワーフ達もいない。助け出せたのはカナネと、同胞である星界人三名のみ。重要度ならば勝利と言えるが、数で見れば明らかに釣り合ってはいなかった。
「皆いなくなっちゃったねぇ…」
寂しげに呟くカイワレの言葉は一行に染み通った。
嘆くほど親しかった訳ではない。だが、そうでないからこそ星界人達に何とも言えない虚無感をもたらした。…この中で彼らの死を悼む資格があるのはカナネだけのような気がしたからだった。
「いつの日か…彼らの死に報いる事ができるよう…わたくしは諦めません」
「…付き合いますぜ族長様!」
エルフが涙ながらに語る決意に応じるサザーク達。リトルフットの星界人達はどうやらタルタル達とは違う道を歩むことになりそうだった。
森の中の空気が少しだけ和やかになった。
…そのはずだった。
『補足したぞ。そこか』
息が漏れるような音とともに、捻れた顔を持つ者が姿を現した。しかし、その姿は青く透けて見える。…肉体ではなく、幻影。こうした演出はゲームであった頃ならばお馴染みの物だが、現実となってしまった現在においては如何なる術によって行われているのか?
「確か…魔将の一人の…」
「“宰魔将”ジークシス!この男まで復活してるなんて!」
カナネが上げた名前にタルタルは思い出していた。確かにメインのストーリーラインで見た覚えのある顔だった。スーツのような格好に捻れた顔。開いたままの口からは奇妙な笛のような音が紡がれている。
『ウガレトの盟主殿か。会えて光栄だが、我の目的は今回はそちらの者共だ。星界人共、貴様らは我らが道の妨げとなる』
「目ぇ付けて貰って光栄っすけどね。どうしてここが分かったっすか?」
なにせ自分達でも現在位置が明確にはわからないのだ。グラッシーの疑問は当然であり、同時に相手を探るためでもあった。
『途中までは我らが追跡していたのだ。そこに貴様らの能力を足して考えれば容易いこと。足手まといがいたと見えて、少しばかり予想が外れて時間がかかったがな。…お話はこれまでだ。我が直接手を出せば、王のご不興を買うことになるだろうが…この者ならば問題はあるまい』
空間が裂ける。空中に出現したそれはかつて、タルブ砦で見た物と同じ…
『行け、マリユーグ。貴様が恨んでいる者達はそこにいるぞ』
森の木々を踏み潰しながら巨大な肉塊が降ってきた。




