カナネ
カナネは外見の通りにエルフ族から選出された族長だった。
魔軍に対抗するために名目として作られた他種族の連合であるウガレト部族は、魔軍の封印とともに役割を失ったのだがここで終わるには勿体無いと思う者も確かにいたのだ。
その代表的な人物こそが先代の盟主…ビッグフットの軍人、ソルバーネだった。
彼は魔軍との最中にボウヌ連合、アナーバ同盟と関わった。そして、他の二同盟が戦後も存続していくことを知るとウガレト部族という仮初の共同体を存続させる必要に気付いたのだ。
ウガレト部族は他種族の連合であり、他の二同盟と異なりいわゆる亜人種が大勢を占めている。対してボウヌとアナーバは人間種主体の連合…戦争を望むにせよ融和を築くにせよ窓口が無ければ対抗できないとの考えからだった。
人間種は亜人種を畏れつつも見下していた。気に入る気に入らないは別として姿形からして異なるのだ。仕方のないことであった。
それはエルフ、ドワーフ、リトルフット、ビッグフットにも等しく存在する感情だ。己の種族こそが最優であり、覇を握るにふさわしい。しかし、人間は意図的に他4種族を一纏めにして扱うことで勢力として勝利したのだった。
そもそも、亜人という言葉自体、人間が言い出した言葉だ。
身軽さに優れ、魔力に優れるエルフ。
頑強さと器用さを両立させるドワーフ。
並ぶもの無き剛力を持つビッグフット。
小柄だが多才なリトルフット。
それらに対して、人間種の能力は言ってしまえば器用貧乏であり、胸を張って勝って言えるというのは数という要素のみだ。他の4種族の人口を足してようやく対等という繁殖力が強みだったのだ。
内輪もめでその強さを失わぬように自分達こそが“人”であり、他は紛い物に過ぎないという幻想を創り出すことで繁栄への道を創り出す。
逆に言えば4種族をまとめあげることができれば、人間種に対抗できる。
人間種と亜人種という括り自体は人間が作り上げたものであったが、勢力として対抗するために煽ったのはソルバーネでもあったのだ。
しかし、戦後の数年で急速に復興していく人間種を見て…ソルバーネは軍事力で人間種を上回ることを諦めた。数が多いということはそれだけで単純に強かったのもあるが、亜人種同士のまとまりのなさも想像以上であったためで…エルフとドワーフに代表されるように種族間の対立は減りはしても絶えることは無かった。
時が必要だった。種族が交わり、軋轢を無くすための長い長い時間が。
そのためには…人間達と争わぬよう努めなければならない。ではどうやって時間を稼ぐ?
答えは単純明快に…人間種と上手くやっていける者を前に押し出すのだ。
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「なぜ…わたくしを後継者に?」
カナネはある日、盟主たるソルバーネに呼び出され…後継者として指名されたのだ。
権限は徐々に移すことや、自分は一介の将軍に戻ることなどから細々としたことまで。それを聞き終わってから生じた疑問。
微に入り細に入り整えられた引き継ぎを見ればソルバーネの方が盟主として優れているのは明らかだった。
カナネは高貴な生まれであり、上古のエルフ種の血を引いてはいたが王族の端に引っかかる程度。それはそれで無用な争いを生む契機にもなる。その危険を冒してでもなぜ?
「そうさな。身も蓋もないことを言ってしまえば…そなたは見栄えが良いからだ」
髭を扱きながら老将軍は答えた。その直截さに思わずカナネは笑みをこぼした。
見上げるような体躯に魔軍との争いを乗り切った威風が載り、とてもこの偉丈夫の後釜が務まるようには思えなかった。
「真面目な話だ。そなたは人間達の価値観から見ても詩に歌われる程の美しさを持つ。それは強さであり、儂には持てん。戦時は儂で良かったが…平時となれば人間達は儂を警戒する。共に戦ったからこそ、力量を怖れるのだ。儂もまたプロヴランのジェイロスが恐ろしいようにな」
魔軍の長をかつて討ち取ったのはソルバーネではなく、ボウヌ連合の盟主と星界人だったのだ。個人的には互いに好感を持ってはいるが…あの王は必要に迫られればソルバーネに剣を向けることを躊躇わないだろう。そうした確信がソルバーネにはある。王とはそうした生き物だ。
故にウガレト部族には、人間達が“剣を向けるのを躊躇う”者が必要だ。
「貴方様に怖いものがあるとは知りませんでした」
「そう、それよ。そなたは見目だけでなく、意外に度胸がある。度量もな。なぁに盟主自体にそれほど能力はいらん。細かいことは部下がやる。そなたが努めるのは体と心の美しさを保つことというわけだ」
心も体も、時とともに腐っていくものだ。ソルバーネが要求していることは単純ではあるが、恐ろしく難しい。
見上げるような巨体の上に乗った顔を…目を見つめて、カナネは要請を受諾して後継者となった。
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盟主に選ばれてからの日々はとても楽とは言えないものだった。
多くの物好きが支えてくれなければ、内に熱いものを秘めた美姫だとて膝を折っていただろう。
それでも勤め上げたのは各国と、そして自分の背負う共同体と関わるうちにソルバーネの懸念が良く理解できたからだ。
戦後の世界は互いに大規模な戦争を起こすだけの余裕が無かった。だからこその平穏だ。
そして、種族を問わずに人々は時に、道理とは無関係なことで事を決することがあると知った。好き嫌いと言った感情がその最たるものだろう。
…世界は薄氷の上に立っていた。
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そんなソルバーネの先見の明も、カナネの努力もある時までは一定の成果を得ていた。しかし、恐るべきは運命とも言うべき時代の流れ。
魔軍の復活という事態があっさりと全てを砕いた。
燃えていく。多くの者達と共に作り上げた集落が。
崩れていく。先人から受け継いだ全てが。
ウガレト部族の象徴、4種族が共に暮らすター=ナの集落は蘇った魔軍の急先鋒、“剛魔将”ギスヴィンの手によって灰燼と化したのだ。
「つまらんぞソルバーネよ。かつての威風はどこにやった?時の流れは強者をさえ腐らせると見える」
赤の竜人はかつての強敵をあっさりと下して、その様を嘆いていた。
頭を砕かれて地面に無残な屍を晒した、先任者を前にカナネは盟主となってから初めて涙を流した。
突然の襲撃に、ウガレトの戦士達は余りにも無力だった。10年前に魔軍を討ち果たしたことなど夢だったかのように、敵のわずか一軍の前に敗北を喫したのだ。
星界人達がそんな自分を連れ出してくれたからか、ギスヴィンの興が乗らなかったためか、カナネは生き長らえた。
地下に潜み、絶える日々。それに耐えられたのはソルバーネに言われた唯一の責務からだったが、それも限界に来ていた。
そして、彼女は出会った。いや、この場合は出会ってしまったと言うべきか。
星から切り離され、嘆きに暮れているはずの星界人の中で…ただ1人、戦に酔いしれる男と。トワゾス騎士団のケイと出会ってしまったのだ。
それが良きことか悪しきことか、今は誰も知らない。




