その9
山崎が驚いた顔で有村を見た。
「す、すみません。面倒なことをお願いして・・・」
「大丈夫。山崎に言ったわけじゃないから」
僕がフォローすると、山崎は今度は僕を見て言った。
「え? そうなのか? でも・・・」
「大丈夫だって」
「石川、出てくる」
唐突に有村がそう言った。そして、ふらりと立ち上がると自室に戻って行く。出掛ける支度をするのだろう。山崎はわけが判らず、呆然としている。
「・・・ええっと、これはどういうことなのかな? 有村さんは・・・僕の依頼を受けてくれたって思っていいのか?」
「いいんじゃないかな」
笑って僕がそう言うと、山崎は緊張の糸が切れたのか、ぐったりとソファーに身を預けた。
「大丈夫か?」
「・・・うん。なあ、一応確認しておくけど、あの金髪碧眼の青年は本当に、ジェミニなんだな?」
「そうだと思う。君の言う青年の容姿はジェミニそのものだし、君を罠にはめたやり方も実に彼らしいから」
「そうか。・・・だよな。あの青年からはすごく嫌なものを感じたんだ。なんというか・・・言葉で言い表すのは難しいんだけど、まるで悪意そのものという感じで・・・美しい分、不気味な男だった。お前も、有村さんもよくあんな奴と対峙できるよな。厄介事を持ち込んでおいてこんなこと言うのもなんだけど、僕はもう、二度と会いたくないよ・・・」
「判るけど、会わないわけにはいかないかもな」
「言うなよ。あいつがジェミニだと思うと、もう濡れ衣を着せられようと、もうどうでもいいような気がしてきたよ」
「だめだよ」
僕が何か言う前に、有村の部屋のドアが開いた。そこから着替えを終えた有村が現れ、じっと山崎をみつめる。
「そういうこと言っていると取り返しがつかないことになると思うけど?」
「え? あ。す、すみません」
山崎はソファーから身を起こすと背筋を伸ばした。ここに来た時よりも緊張しているのが判る。
僕はこっそりと口元をほころばせた。
有村は淡い色の木綿のシャツにジーンズをはいて、今の季節にふさわしい麻のジャケット羽織るというごく普通の格好をしている。山崎が改めてかしこまらなければならない理由はそこにはない。では何が山崎をそうさせるのか? 着替えを終えて出てくるまでのこのわずかな時間の中で、有村の内面に変化があったからだ。それは、彼の瞳の色で判る。
ジェミニという悪魔のような男と対峙する覚悟を秘めたその瞳には、凛とした知性の光が宿っていたのだ。山崎でなくとも、はっとするだろう。
「あなた、何も悪いことしていないんでしょう? 悪魔はいつだってそういう弱い部分につけこんでくるんだから・・・」
と、途中で有村は言葉を切って黙ってしまう。何事かと山崎は身構えるが、何のことはない。喋るのが面倒になって途中でやめただけなのだ。
「有村」
「・・・ああ、出かけてくるよ」
「え? え? まだ話の途中じゃ・・・」
山崎が困惑して、有村と僕の顔を交互に見比べるが、有村は取り合わない。玄関にふらふらと向かいながら軽く僕に手を振って言う。
「夕食までには戻るから。ああ、めんどくさいなあ・・・」
「行ってらっしゃい。気を付けて。あ、それから、よろしく言っておいて」
「うーん」
どこまでも気の抜けた声でそう言いつつ、有村はドアの手前ではたと止まった。
「あ。忘れてた」
「うん? 忘れ物か?」
「あのさ」
僕たちのところに戻ってくると、にやりと笑って言った。
「山崎さん、お金、ありますよね?」
「え? お金って?」
「例の賭けで勝ったという百万円です」
「ああ、はい。勿論、手つかずのままで部屋に。それが何が?」
山崎が怪訝そうに聞き返すと、有村は簡潔に答えた。
「それ、調査料として僕に下さい」
「え?」
山崎は目を丸くして硬直する。きっと今、有村にまつわる噂が彼の頭の中をぐるぐる回っているに違いない。有村は高潔な人で調査料は求めないとされている。高潔かどうかは別として、有村が調査料を求めないのはそういう請求をするのが面倒というだけの話しなのだ。実家が裕福、自身にもそれなりの収入があるということも請求しない理由だろう。
「あの、それってどういう意味ですか?」
山崎が恐る恐る、問いかけるのを、きょとんと有村は見返す。
「そのままの意味だけど。何かおかしいこと言っているかな、僕」
「あ、いいえ。・・・そうですか。判りました。後日、お渡しします」
「そう。それじゃまた後日」
有村は回れ右すると、今度こそ部屋を出て行った。
「・・・石川」
ドアが完全に閉まってから、山崎が虚ろに言う。
「噂と違うんだけど・・・」
「うん。気持ちは判るよ」
僕は苦笑しつつ言った。
「有村は変わった奴だけど信用はできるから、今は彼の言う通りにしてくれ」
「・・・判ったよ。・・・他に何かすることはあるか?」
「今のところはいいと思う。また何かあれば連絡するからそれまでは通常通りに過ごしてくれ」
山崎は不安そうな顔ながらもおとなしく頷いた。
(次回につづく)