その1
僕たちが『共同生活』を始めたのはまだ肌寒い三月の初めの頃だった。
慌ただしく越した先はある港町の古い洋館だ。昔、ホテルだったというこの建物はアパートメントと姿を変え、凜とした佇まいを今も見せている。名を白櫻館といった。
この建物、レトロといえば聞こえはいいが、平たく言えばボロでなのある。
廊下や階段は実用の点でかなり問題があった。床がきしむくらいどうということはないのだが、困るのは歩く場所を選ばなければならないというところだ。ただぼんやり歩いていると年老いた廊下や階段の、特に痛んだ部分を踏み抜いてしまう恐れがあるのだ。
初めて下見に訪れた時、対応に現れた大家の白川みずえ夫人に手取り足取りつくづくと、正しい廊下及び階段の歩き方のレクチャーを受けた。壁に背中を押しつけて、更につま先で歩いたり、危険な場所を体重をかけずそっと飛び越えたりと、薄っすら汗までかいて長い廊下を渡っていく間、僕の頭の中では映画インディ・ジョーンズのテーマ曲がエンドレスで流れていたことは言うまでもない。
本当にこんなところに住むのかとうんざりしたが、同行していた相方の顔を見ると珍しく楽しそうに笑顔を浮かべている。そんな顔をされるとやめようとは言い出しがたく、仕方なく大家さんの案内に従って借りる予定の部屋を見てみることにした。
大した荷物もない身軽な独身男ふたりが住むだけのこと、部屋の広さは申し分なかった。十畳ほどのダイニングキッチンを挟んで両側に洋室が二つ。独立したバスとトイレに、広めのベランダ。そこは大通りに面していて、石畳と雰囲気のある街灯が港まで続いており、夕刻の景色はさぞ麗しいだろうと思われた。
気候が良くなればこのベランダにテーブルセットを置いて食事をしながら夜景を楽しむのも悪くないな、と心が弾む。そう思うと少しばかりの不便も危険もまあ、いいかと思えてしまうから人とは不思議なものだ。
しかし、本当にここを住まいと定めていいのだろうか。
自分で言うのも何だが、僕は平凡な男である。穏やかに無難に日々を過ごしたい、のだが、ここではそのささやかな望みは叶えられそうにないのだ。何せ変わっているのは建物だけではなく、ここの住人たちも負けず劣らず変わっているのだから。
住人すべてを確認したわけではないが、何だか得体のしれない人、何で生計を立てているか分からない人が多いようだ。こんな人たちばかりどこから湧いて出てきたのやら。よく集まったと感心してしまう。この建物に何か呪いでもかかっているのではないかと思ってしまうほどだ。
迷う僕の気持ちなど、相方は知る由もなく、ここを気に入った彼の気持ちは残念ながらどうも揺るがないようなので、僕は渋々、相方は嬉々として、この古いアパートメント白櫻館に引っ越すこととなった。
しかし、こうして変わった物や者に囲まれて生活してみても、一番変わっているのはやはり僕の相方、有村達士なのではないかと僕は密かに思っている。
有村とは長い付き合いだが、彼は僕の想像を軽く超える生き物である。彼の行動そして言動に悩まされ、呆れ果てながらも、それでも彼が魅力的な人間であることは否定できない。
まず第一に挙げる彼の特徴は『やる気がない』ということだろう。
生きることに意欲がない、というか、常にぼーっとしていて何を考えているか分からない。いつも憂鬱そうで、放って置けば何も食べず、何もせず、そのまま餓死してしまいそうな奴なのだ。しかも幸せそうに。
有村とは高校の時に知り合った。僕たちが通っていたのは自由な校風の高校だったため、制服もなく、教室はオープンスペースで壁がなく、座る席も決まっていなかった。そんな感じだったから授業中でも生徒がふらりと入ってきたり出て行ったりということが比較的許されていた。そんな中、気が付くと僕の隣に座っていたのが有村だった。クラスが違うはずの彼が当たり前のようにそこにいるのを不思議に思いながらも、オープンスペースの教室を思えば、まあ、そんなこともあるかと放って置いた、のだが、あまりにだらだらとしている彼の様子が気になって、あれこれと世話を焼いてしまったのが、今思えば運の尽きだった。有村は、つまり僕に懐いてしまったのだ。
彼は背は低くないものの、ひょろりと痩せて色が白く、少女のような面差しの華奢で可憐な人だ。それは今でも変わらない。もう、お前なんか知らん、そう思うことが何度もありながら、結局、突き放せないのはそんな彼の外見のせい、なのかもしれない。男として、か弱く可愛いものを守ってあげなくては、という本能が働くのではないだろうか・・・誤解のないように言っておくけど、同性に恋する趣味は僕にはない。
有村のことを語ろうと思えば、先ず、彼の仕事について触れなくてはならないだろう。彼は・・・探偵である。といってもこれは本人の意思と反するところにある。彼の本職は別にあって、それは絵描きなのだ。アクリル絵の具を使って独特のタッチで神秘的な世界を描く。彼の外見も合わせて、若い女性に絶大な人気を誇っている。
紹介が遅れたけれど、僕の名前は石川裕。子供向けの小説を書いている作家である。そういうわけだから、有村と組んでよく仕事をしている。僕の小説に彼が挿絵を描くのだ。自分で言うのも何だけど、これは結構、好評で僕たちは友人であり、仕事上のパートナーでもあるのだった。それが一緒に暮らす理由でもあるのだけど。
さて、少し話が逸れてしまった。有村の探偵業について語ろうと思う。それについては、ここ白櫻館に僕たちが落ち着いて、すぐに舞い込んできた奇妙な出来事をお話しするのがいいかと思う。
それは新しい部屋にそろそろなじみかけてきた最初の土曜日。僕の大学時代の友人、山崎光一が訪ねてきたことから始まる。
(次回につづく)
お読みいただきありがとうございます。
ジャンルは推理にしましたが、謎を解くというほどのもでもなく……ホームズ&ワトソン的な掛け合いを書いてみたくて作ったお話しでした。
今回は冒頭だけです。
次回から話しが始まります。またよろしければ読みに来てくださいね。