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銀色の月  作者: 篠崎葵
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第四章 ツアーが始まった!

 その夜、あたしは彩姉にメールを送った。

《相談したいことがあるんだけど、明日会えない?》

 彩姉はすぐに返事をくれた。

《昼から用事があるから、午前中に行く》


 そして、翌日の午前中、彩姉はキルフェボンのケーキを持って来てくれた。

「伯父さんと叔母さんは?」

「お父さんはゴルフ。お母さんは美容院に行ったから、昼まで帰って来ないと思うよ」

 ケーキの箱を開けると、フルーツタルトが四つ入っていた。あー、美味しそうだっ! あたしは張り切ってタリーズのコーヒーを入れた。

 彩姉はいつものようにダイニングの椅子に座った。

「で? 相談ってなに?」

 いきなり……。

「うん……」

 あたしはなんとなくヒカリとのことを言い出しにくくて、話をまず彩姉とダイチのことに振ってみた。

「彩姉、ダイチとその後どうしてるの?」

 彩姉は浮かない顔でテーブルに片肘を付き、その手の甲に頬を乗せた。その表情から、上手くいっていないことは見てとれた。

「最近、あいつ忙しくて会えなくて、あまり話できてない」

「そっか……」

 彩姉、辛いだろうな。そう思いながら、彼女の前にコーヒーとケーキを差し出した。彩姉はケーキのお皿を自分の前に引き寄せて、フォークでケーキを切った。

「あたしのことはいいのよ。祐奈の相談は? どうしたの?」

「うん……」

 なにからどう話そうかと思ったそのとき、彩姉が突然口を押さえて椅子から立ち上がり、シンクのほうに走り出した。

「うっ……」

 水道の水を勢い良く流し、吐きそうな様子で身体を曲げる。突然なにが起きたのかと思って、あたしは呆然とした。

「彩姉……、どうしたの?」

 彩姉のところに寄っていった。彩姉は苦しそうにシンクにもたれ掛かっている。具合が悪いのはすぐにわかる。仕事が忙しくて体調を崩したんだろうか。それにしても辛そう。

「彩姉……」

「ごめん、祐奈……」

「大丈夫?」

「……大丈夫」

 肩で大きく息をしながら、やっとという感じで声を搾り出す。彼女は立ち上がり、流していた水を止めると、あたしのほうを向いて目を伏せた。

「あたし……生理が遅れてるんだ。もう三週間くらい」

「えっ?」

 それって、まさか。

「赤ちゃん……?」

 思いもよらなかった。彩姉は困ったような顔をして目を伏せた。

「まだ確かめてないからわかんない。でも、もしかしたら……」

「ど、どうするの?」

 学校の同級生がデキチャッタって噂は聞いたことがある。だけど実際にそういう状況を目にしたのは初めてでどうしていいかわからず、メ一杯ビビッてしまった。彩姉は少しの間黙っていたけど、すぐに真剣な目をしてあたしに訴えた。

「祐奈、このことは黙ってて。誰にも言わないで。ちゃんとするから!」

「ちゃんとするって、どうするつもり? ダイチは知ってるの?」

「だから、あいつとは最近話してないのよ。でもちゃんと話してきちんとするから。祐奈、お願い、誰にも言わないで!」

 あたしの肩を両手で掴み、切羽詰まったように哀願する彩姉の顔。初めて見た。社長から交際を認められていないダイチとの子供がお腹にいるかもしれない。もしこのことが外に知れたら、本当にどんなことになるかわからない。そんな彩姉の心配な気持ちはあたしにもわかる。

「誰にも言わないよ。安心して」

「頼むよ、祐奈。約束だよ」

「うん」

 あたしが言うと、彩姉はホッと小さく息をつき、椅子に戻った。

「ケーキ、いらない。口つけてないから。祐奈、食べる?」

「うん、食べる!」

 フッと笑うその女性らしい柔らかな顔は、もういつもの彩姉だった。

「あんたはいいわね、元気そうで」

 子供扱いされたような気がして、あたしは拗ねるように横を向いた。

「そんなことないよ。あたしだって、いろいろ悩んでんだから」

「そうなんだ? で、なにを悩んでるの? お姉さんに言ってみな?」

「あたし……ヒカリに結婚を前提に交際申し込まれた」

 言うが早いか、彩姉が想像通りの反応をした。

「はぁぁ!? クレムンのヒカリ!? 彼がなんであんたに!?」

 智ちゃんのときと同じだ。そんなに意外なの? いや、意外だってあたし自身が一番思ってるけど……。

「なんでって、そんなのあたしが訊きたいよ。っていうか、彩姉、結婚を前提にってどういう意味?」

「そりゃ、将来結婚するつもりで、真面目に付き合いましょうってことでしょ」

「結婚って言われたって、あたし高校生だし」

「そうよねぇ。ヒカリは一体なに考えてんだろ。いい加減なこと言うヤツじゃないと思うけど」

「ヒカリは真面目でいい人だよ!」

 あたしは思わず熱くなった。

「フフン」

 横目でちらっとあたしを見てニヤッと笑う。

「で、彼と結婚するわけ?」

「まだ、そこまでは……。知り合ったばっかだし。ただ、将来そんな風に考えられたらいいなって。ヒカリにもそう言った」

 彼女はヨシヨシって感じで頷いた。

「ヒカリはなんて?」

「そのときが来るのを待ってるって言ってた」

「そっか。それで、彼とはエッチしちゃった?」

 突然突っ込まれて驚き、あたしは赤くなって目を背けた。

「な、なに言うのよ。彼はそんな人じゃないもん」

 彩姉はニヤリと笑った。

「なるほど。彼は一応あんたのことわかってるみたいね」

 あたしのこと……そうなのかな。ヒカリはわかってくれてるのかな。

「でも……。あたしがもし彼の申し出を断るんなら、もう会うのはやめようって言われたの」

「なぜ?」

「辛いから、って」

 彼からそう告げられたあの日のことが頭に甦り、あたしは胸が痛くなった。食事に行った帰り、太郎を拾った海岸に停めた車の中で、彼は精一杯の想いを込めてあたしに交際を申し込んでくれた。きちんと返事ができなかったけど、キスされて、抱き締められて、あたしは嬉しかった。あの夜の、くっきりと黄色く輝いていた三日月を思い出す。

 彩姉はゆっくりとコーヒーを口に運び、それから言った。

「それは、彼が本気だからね。ヒカリは信頼していいと思うよ。あたしのとこにも変な噂は入って来てないし」

「あたし、ちゃんと返事できなかったけど、このまま付き合っていいのかなぁ……」

「いいわよ。だいたい、まだ十六や十七のあんたに結婚なんて言葉出すヒカリのほうが間違ってるよ。それだけ本気なんだろうけど。今のまま付き合ってけばいいんじゃない?」

 彩姉にそう言われて、なんだかとても気が楽になった。

「ただし」

 彩姉があたしに真剣な顔を近付けて忠告した。

「マスコミには、十分過ぎるくらい気をつけること! いい?」

「うん」


 昼から、あたしは電車に乗ってヒカリのマンションに行った。電車の窓から見る空は、抜けるような青さで綺麗だった。十月が近く、陽射しも少しずつ和らいでいるのがわかる。

 スペアキーを使って、玄関に入った。

「ヒカリ!」

 奥からヒカリが出てきた。

「いらっしゃい、ユウナちゃん」

 白いTシャツにジーンズのラフな格好。今日はのんびりできるんだね。

「起きてた?」

 あたしが訊くと、彼ははにかんだように笑った。

「さっき起きたとこ」

「ご飯は?」

「俺、いつも朝食は食べないから」

「もうお昼過ぎてるよ。なんか作ろっか?」

 そう言って冷蔵庫を開けた。でも彼の冷蔵庫にはいつもなにもないのよね。その日もボルヴィックのペットが二本と缶ビールが数本入ってるだけだった。

「ヒカリぃ。ちゃんと食べなきゃ」

「食べてるよ。それより、どっか行こっか」

「そうだね。すごくいい天気だよ。太郎も外に連れてってやりたいな」

「じゃ、そこの公園行く?」

「うん!」

 太郎をキャリーに入れて、あたしたちは外に出た。階段を降りるとヒカリが左手を差し出した。あたしはその手を握った。大きな温かい手。初めて手を繋いで歩く。そんななんでもないことが、なんだかとても嬉しかった。このとき、初めてホントにヒカリの彼女になった気がした。


 お昼どきだったせいか、それとも日中の暑い時間帯のせいか、公園には人はあまりいなかった。数組の親子がいたくらい。

 あたしたちは木陰のベンチに座り、太郎をキャリーから出してハーネスを付けた。太郎はハーネスを嫌がっていたけど、付けられるとベンチから飛び下りて、ベンチの足や周りの草をクンクンした後、木に飛びついた。

「太郎! 太郎ってば! 危ないよ!」

 あたしの忠告を無視して彼は木の上に登っていく。さすがに猫だけあって、いとも簡単そう。

「太郎、久しぶりに外に出たから喜んでる」

「ハーネスが取れないように気をつけて」

 太郎を木に上らせたり、下ろしてひっくり返して構ったり、草でちょっかいかけたりしてひとしきり遊び、ベンチに座って一息ついた。膝の上にいる太郎の背中が温かい。

 空を見上げると、本当に雲一つない真っ青な空が輝いてる。なんて綺麗なんだろう。

「いい天気だね」

 あたしが言うと、ヒカリは両肘をベンチの背もたれに預けて空を見上げた。

「ほんとだね。こんな青空、久しぶりに見たな」

「十年後も、二人でこうやって綺麗な空を見ていられたらいいな」

「きっと、できるよ」

 ヒカリの穏やかな声が、あたしの胸の中で溶けていく。この平和な愛しいときがずっと続けばいい。あたしはそう思った。


 次の土曜の夕方、あたしたちは食事に出掛けた。

 ヒカリは会うなり、あたしにCDを渡した。

「ユウナちゃんにプレゼント」

 受け取ってジャケットを見ると、黒のバックに流れるような黄色い文字で「rondo」と書かれ、クレセント・ムーンの文字とロゴが入っている。隅に「祐奈ちゃんへ」の文字があり、その下にはメンバー全員のサインが入っていた。それが彼らのニュー・アルバムだっていうのはすぐわかった。

「ありがとう!」

 あたしは車に乗り込むと、すぐにそう言った。いつだったか、アルバムができたらサインを入れてプレゼントしてくれるって言った約束を覚えててくれたんだ。あの小さな約束をちゃんと果たしてくれてる。ヒカリは信用していい人だっていうのがわかる。

「アルバム、聴いてもいい?」

 ケースの蓋を開けてカーステレオに入れようとすると、ヒカリがそれを制した。

「まだリリース前だから。音が漏れるとヤバいから、帰ってから聴いてくれる?」

 そっか。そういうもんなんだ。ちょっと残念。でも帰ってからが楽しみ!

 この日、十日後にはツアーが始まることを聞いた。ツアーは三週間くらい続き、その間は会えないことになる。今までレコーディングやプロモ作りであまり会えず、やっと会えるようになったと思ったら今度はツアー。彩姉がダイチとあまり会えないと嘆いていた気持ちがわかる気がした。

 レコーディングの間も会えなかったけど、あのときはヒカリの部屋で手紙をやり取りしながらすれ違ったり、時々でも会えた。でも今度は本当に一か月近くも会えなくなる。その間、ヒカリの彼女である証拠が欲しかった。あたしはヒカリに頼んでみた。

「ツアーに出る前に、うちの両親に会ってくれる? ヒカリを紹介したい」

 ヒカリは一瞬驚いたようだったけど、ふわっと微笑んで快く受け入れてくれた。

「いいよ。いつがいい?」

 そして、次の日曜日にうちに来てくれることになった。


 二日後の夜、あたしはお母さんが機嫌がいいのを見計らって、話を切り出した。

「お母さん、今度の日曜日、なにか予定ある?」

 お母さんはお皿を洗いながらいつものようにのんびりした返事をした。

「別にないけど。なに?」

 あたしはドキドキしながら切り出した。

「あのさ、紹介したい人がいるんだけど、会ってくれない? 日曜日にうちに来てくれるって言ってるんだ」

「いいよ。珍しいわね。だれ? もしかして、彼氏?」

 彼氏を紹介するのなんて初めてで、あたしは恥ずかしくなって、下を向いた。

「うん……」

 お母さんはからかうように聞いてくる。

「へぇ、どんな子? 同じ学校の子?」

 そっか、お母さんから見れば、あたしの彼氏って同級生とかそんな感じのイメージなんだろうな。でも、全然そんな人じゃないのよね。

「ううん。あのさ……ちょっと年上なの」

 お母さんは驚いて確かめる。

「えっ、どっかの会社の社長とか? 止めてよぉ」

「いや、そんなに年上じゃないけど……」

 お母さんったら、どういう発想してるんだろ。社長ってなによ? でも、ある意味その心配はいいとこ突いてるかもしれないな。

「有名だから、お母さんも知ってるかもしれない……」

「どういうこと? だれよ?」

 あたしはどう言っていいのかわからず、そのまま濁した。

「会えばわかるよ。とにかく、日曜日は家にいてね」

 言い捨てて部屋に戻った。これであとは日曜日にヒカリを紹介するだけだ。交際を認めて貰えるといいな。だけど彼氏が芸能人なんて言ったら、反対されるかも。ううん、たとえ反対されても、あたしはヒカリと付き合っていく。これからも、絶対ヒカリに付いていく。そのとき、あたしはそう心に決めた。


 約束の日曜日。空は厚い雲に覆われ、肌寒かった。

 あたしは朝からソワソワして落ち着けず、お母さんも珍しく早くから掃除機をかけたり、拭き掃除をしていた。お父さんもきちんとしたシャツを着て、ダイニングで新聞を読んでいる。

 ヒカリが来る約束の時間まであと少し。あたしは外に出てヒカリを待った。ほどなくしてヒカリのダークグリーンの車が見えた。

 ガレージに車を入れると、いつもの落ち着いた様子の彼が運転席から出てきた。スタンドカラーの白いシャツに芥子色のスーツ。落ち着いた黄色がヒカリによく似合ってる。手にはGIOTTOのケーキの箱を持っていた。

「おはよう、ユウナちゃん」

 ヒカリはあたしを見ると、いつものようににっこりと笑った。

「ヒカリ、来てくれてありがと」

 あたしはヒカリの腕に抱きつき、玄関に向かった。

「緊張しない?」

「メ一杯緊張してるよ」

「全然そんな風に見えないよ。いつもと一緒じゃん」

「そんなことないよ。心臓バクバクだぜ」

「ホント?」

「ホントだよ。見せてあげよっか?」

 あたしたちはアハハと笑い、玄関のドアの前まで来た。

「いい? 開けるよ」

 あたしが言うと、ヒカリは慌てて髪やスーツの衿を整え、背筋を伸ばした。

「うん」

 ドアを開け、玄関に入る。

「お母さーん!」

 すると、奥からお母さんが出てきた。

「いらっしゃい」

 お母さんは、ヒカリを見ると一瞬固まったように見えた。Tシャツにジーンズの爽やかな学生じゃなくて、肩にかかるロン毛に芥子色のスーツのミュージシャンだもんね。想像してたイメージと随分違ったんだろうな。無理ないけど。

「初めまして。大橋光です」

 ヒカリは軽く頭を下げて挨拶した。お母さんは心持ち引きつった笑顔を作り、ヒカリを中に促した。

「ど……、どうぞ、上がってちょうだい」

「お邪魔します」

 ケーキの箱をお母さんに手渡し、あたしたちはリビングに行った。並んでソファに座ると、隣のダイニングからお母さんが声をかけた。

「コーヒーでいい?」

「うん」

 答えながら立ち上がり、あたしはお母さんを手伝って、ヒカリが持って来たモンブランをお皿に乗せた。お父さんは知らん顔でダイニングの椅子に座って新聞を読んでる。

「お父さん、ヒカリが来たから、あっちで一緒に話でもしててよ」

「う……うん」

 お父さんは渋々立ち上がり、折り畳んだ新聞を手にリビングに行った。

「いらっしゃい。祐奈の父です」

 ヒカリも立ち上がって挨拶する。

「大橋光です。初めまして。祐奈さんとお付き合いさせていただいてます」

 どこかぎこちない二人の挨拶を聞きながら、あたしはケーキを運んで、テーブルに並べた。ヒカリの横に座ると、すぐにお母さんがお砂糖やミルクを入れたお皿を持って来て、お父さんの隣に座った。コーヒーメーカーから、コーヒーの芳ばしい香りが漂ってくる。

 お母さんが話を切り出した。

「祐奈から、年上のかたってお聞きしてますけど、光さんは二十歳過ぎてらっしゃるの?」

「はい。もうすぐ二十四歳になります」

「そう。じゃあ、祐奈とは七つ違うことになるかしらねぇ。学生さんじゃないわよね?」

「ええ。音楽関係の仕事をしてます」

 あたしは思わず口を挟んだ。

「クレセント・ムーンってバンド、知らない? テレビにも出てるんだよ。ヒカリはそのバンドでギターやってるの」

「うーん、聞いたことあるような気もするけど……。そんな人が、なんで祐奈と知り合ったの? もしかしたら、彩香?」

 お母さんてば、こういうとこは鋭い。あたしは正直に頷いた。

「夏休み前に彩姉と彼らの楽屋に行って、そこで」

 あたしの横でヒカリも頷いた。

 お父さんが、ちょっと硬い表情で訊いてきた。

「音楽の仕事をする前は、なにを?」

 ヒカリはお父さんのほうを向いて、普段と変わらない様子で答えた。

「大学生でした」

「ほう。どこの大学?」

「明治です。法学部を出ました」

 お父さんは驚いたようだった。ふふ、ヒカリはなんでもできるのよ。あたしは彼を誇らしく思った。

 ちゃんと大学を出たと知ったお父さんは彼を受け入れてくれたようだし、最初は意外なものを見たような様子のお母さんも、彼がきちんと受け答えをする様子を見て好感度が上がったようだった。

 あたしたち四人は三十分ほどコーヒーを飲みながら話ていたけど、やがて話すこともなくなり、会話が途切れ始めた。

「ヒカリ、二階にあたしの部屋があるの。上がろ」

「うん」

 あたしはヒカリと一緒に二階に上がった。


 部屋に入ってドアを閉める。

「フゥ……。緊張したぁ……」

 ヒカリが胸に手を当てて大きく溜息をつく。あたしはアハハと笑った。

「ライブとどっちが?」

「そりゃ、ライブのほうがずっと気が楽だよ」

 言ってヒカリは出窓のほうに寄り、外を見下ろした。あたしの部屋の一方はバス通りの道路に面していて障害物がないので、遠くまで見渡せる。歩道と、車道と、向かいの通り、その先の家々、それからずっと向こうに続く空。

「へぇ、この部屋は見晴らしがいいね。南向き?」

「うん、こっちが南」

「やっぱ南向きの部屋は明るくていいね。俺も引越そうかな」

 あたしはベッドに腰掛けて言った。

「そうだね。もう少し広い部屋に引越せばいいのに」

 ヒカリも隣に腰を下ろした。

「んー。でもあそこへは寝に帰るくらいだから、今はいいや。ユウナちゃんと結婚してからね。そしたら広い家に住ませてあげるよ」

 ヒカリがにっこりと笑ってあたしの頬に手を伸ばし、キスをした。

「ヒカリ……」

「ん?」

「ツアーに出るのは、木曜日?」

「うん」

 四日後には、彼は長いツアーに出てしまう。レコーディングが終わって、やっと一緒にいれる時間ができたのに、またすぐ離ればなれ。そう思うと胸が苦しい。今のこの時間がずっと続けばいいのに。ヒカリの隣で、ヒカリの声を聴いて、ヒカリの温かさを感じる時間が、ずっと続けばいいのに。

「一か月近くも会えなくなるの、寂しいな」

 ヒカリの胸に顔を預けると、彼は片手であたしの頭を抱いた。

「すぐだよ。帰ったらまっ先にユウナちゃんに会いに来るから、待ってて」

「ホント?」

「もちろん」

 ヒカリの優しい声が響く。彼が信頼できる人だということは、十分わかってる。けど……、けどやっぱり心配。

「浮気、しないでね」

 遠慮しながらそう言うと、頭上から彼の困ったような声が聞こえた。

「そうだなぁ。ツアーには女の子のスタッフも何人かいるし、どこに行ってもファンの子たちは可愛いし……」

 なにっ!? 聞き捨てならない台詞っ!!

「ヒカリッ!」

 慌てて目を上げると、悪戯っぽく輝く彼の瞳がそこにあって、とても幸せそうに笑っていた。

「好きな女の子からそんな風に言ってもらえるなんて、初めてだ。嬉しいね、最高だ」

「もうっ。誤魔化さないで」

 あたしが文句を言うと、ヒカリは落ち着いた声で言った。

「誤魔化してなんかないよ。俺がどんな気持ちでユウナちゃんに告ったと思ってんの? 浮気なんかできないよ。わかってんだろ」

 わかってる。あのときの彼がどれだけ一生懸命だったか。どれだけ本気だったか。十分にわかってる。だから、今はそれを信じて三週間の間待つしかない。それが過ぎたら、また一緒にいる時間がたくさんできるだろうか。一か月後、あたしたちはもっと仲良くなれるかな……。


 木曜日、あたしは学校の帰りにヒカリのマンションに寄った。いつもと変わらない彼の部屋だったけど、彼の姿はなかった。今日からツアーに出てるんだもの、当然だ。

 太郎があたしの足元にすり寄って来た。抱き上げると、ゴロゴロと喉を鳴らした。

 テーブルの上にメモがあった。


 《サイドチェストの一番上の引き出しに、封筒を入れてる。

  お金が少し入ってるから、太郎のキャットフードとか

  必要なことがあったら遠慮なく使って》

  

 サイドチェストを開けると、一番上に封筒があって、中を見ると一万円札が十枚入っていた。

「こんなに!?」

 こんな大金持ったことない。いくらなんでもキャットフードで十万もしないよ。

 お金と一緒に、動物病院の診察券が入ってるのに気づいた。万が一、太郎の具合が悪くなったときのためだろう。動物って保険がないから、診察代が高いって聞くものね。ヒカリってすごい気遣いの人だ。あたしは太郎を抱きしめた。

「太郎、おまえのご主人はいい人だね。こんなに大切にされて、羨ましいよ。……あたしもこのくらい大切にされてるのかな……」


 * * *


 ヒカリがツアーに出てしばらくすると、学校で中間試験が始まった。あたしは一生懸命勉強した。法学部を卒業したヒカリに笑われたくなかった。それに、勉強に集中して余計なことを考えないでいることで、ヒカリに会えない寂しさを埋めようとしていた。

 お陰で今回の試験はいつもよりよくできた。


「森下!」

 男子に呼び止められて振り向くと、竜樹だった。

「試験、どうだった?」

「うん、今回はちょっと頑張った!」

 あたしはピースサインを竜樹に返した。

「すごいじゃん! 頑張ってるな。なんかいいことあったの?」

「ううん、なんもないけど」

 なんもないっていうより、ヒカリがツアーに出てて会えない状態だから、いいことどころか悪いのよね……。

「竜樹はどうだった?」

「うーん、俺はイマイチかなぁ……」

 自信なさそうな彼の様子が心配になった。

「らしくないね。どうしたの?」

「いや、どうもしねーけど。なんか最近身が入らなくてさ」

 竜樹の顔は、確かに元気がなかった。

「ひさしぶりに『シェ・ブラン』で喋ってく?」

「んー、そうだな」

 竜樹は力なく笑った。そのどこか寂しそうな笑顔は、今まで見てきた生き生きした竜樹のものとは違っていて、あたしは心配になった。


「シェ・ブラン」で、あたしたちはテーブルを挟んで向かい合って座った。

 以前竜樹と来たのは、一学期の終業式の日だった。あの頃、外は暑くて、お店に入ったとたんひやりとして気持ちよかったっけ。今はもう十月で、屋外でも気持ちのいい季節になった。月日が過ぎるのは早い。こうして毎日いろんなことに追われていると、よく言われるように、高校生活なんてあっと言う間に終わるのかもしれない。

「なんにする?」

「んー、もうかき氷やアイスは寒いね。あたし、ホットココア」

「俺カフェモカ」

 竜樹がオーダーを取りに来たお姉さんに注文してくれた。

 試験が終わってみんな一息つきたいのか、同じ制服を着た生徒たちが次々と店に現われる。お茶を飲んだり、ケーキを食べたり、食事をしたりしながらくつろいでいる。みんな、試験頑張ったんだろうなぁ。

「生物は難しかったね。あたし、ヤマが外れちゃった」

「そうだな。日本史も散々だったよ、俺」

「あれ? 竜樹、日本史は得意じゃなかった?」

「まぁね。でも、今回は全然覚えらんなかった」

「珍しいね」

 竜樹は大きな息をひとつついた。浮かない顔をしてる。

「大丈夫?」

 じっと竜樹を見つめると、彼は恥ずかしがるようにあたしから目を逸らし、無理に笑いを作ったように見えた。

「なに言ってんだよ。大丈夫だよ」

 そう言ったけど、あたしは心配になって、彼の様子を注意深く見ていた。彼はふてくされたように続けた。

「少なくても、赤点取るような馬鹿しないよ」

「なに言ってんの。赤点なんか取ったら大変だよ」

 うちの学校は、赤点が何点以下かという決まりがない。平均点の六十パーセント以下が赤点になるので、全体の試験の出来によって大きく変わってくる。極端な話、平均点が四十点の場合は二十四点以下だけど、平均点が七十点になると四十点でも赤点なの。だからある程度の点はとっておかないと安心できないってわけ。

「赤点ってことはないけど、前回より順位落ちてるのは確実だな」

「どしたの? ホントに元気ないね」

 すると竜樹はちょっと怒ったように横を向いて言った。

「誰のせいだと思ってんだよ」

「え?」

 あたしのせい? あたし、竜樹になにか迷惑かけることしたかな?

 ウエイトレスのお姉さんがコーヒーとココアを持ってきて、あたしたちの前に置いていった。

 あたしが竜樹になにかしたのか、一生懸命考えたけど、思い当たることはなかった。

「あたし……、なにか迷惑なことした?」

 竜樹はちらっとあたしのほうを見てから、そのまま下を向いて話してくれた。

「学園祭の打ち上げのとき、俺、おまえに振られただろ。正直言ってあのとき、俺はそんなに深く考えてなかったんだ。クラス出し物で一緒に作業してからなんとなく森下のこと気に入ってさ、かわいいなって思って、付き合ったら楽しいだろうなって」

 学園祭の打ち上げで、みんなで夜ファミレスやカラオケに行って、帰りに送ってもらったことを思い出した。

——俺、森下のこと好きなんだけど、俺と……付き合ってくれない?

 竜樹の真剣な眼が思い浮かぶ。

「勘違いするなよ。深く考えなかったって言っても、いい加減な気持ちで言ったんじゃないぜ。ホントに付き合いたいとは思ってたんだ。でも……」

 竜樹は続きを言いよどんで、コーヒーを一口飲んだ。

「結局振られたろ。ま、仕方ないか、ってそのときは思った。でもその後、日が経つにつれてショックがひどくなってきて、で、ある日気がついた。俺、自分で思ってたより森下のこと好きだったんだって」

 えっ……。

「そうなると、もう勉強なんか手がつかなくてさ。森下に好きなヤツがいることはわかってるし。やっぱダメなのかなぁ、とか、好きなヤツって誰だろう、とか、いろいろ考えちゃってさ。俺に告ってくれる子も何人かいたけど、他の子と付き合う気持ちになれなくて……。テスト勉強全然手につかなくて、散々だった」

 竜樹は目を上げることなく一気に喋った。竜樹の気持ちに応えられないことは、申し訳なく思った。竜樹はカッコイイし、優しいし、人気もある。こんな彼氏がいたら本当に楽しいだろうなって思う。でも竜樹と付き合うことはできない。あたしはヒカリが好きで、ヒカリと付き合ってるんだから。ヒカリと結婚するかもしれないんだから。

「ごめん……」

 すると、竜樹はやっと目を上げて、力なく笑った。

「森下が謝ることじゃねーよ。俺だって、告ってくれた子にはみんな断ったし、森下が俺と付き合えないって気持ちはわかるよ」

「うん……」

「こんなこと言って、却って困らせたかもしんないけど、ごめんな。でも、気持ちを伝えときたかったから」

「うん。ありがと」

 そう言うと、竜樹は恥ずかしそうに横を向いて言った。

「礼を言われることじゃねーよ」

「でも好きだって言ってくれて嬉しかったし、こうして気持ちを伝えてくれたことも……」

「うん……」

 お茶を飲んでから、竜樹はあたしを家まで送ってくれた。あたしたちは学校のことや友だちのことなどを話しながら帰った。竜樹の様子は今までと変わりなかったけど、そんな風に振る舞うのが辛いだろうことは容易に想像できた。普段と変わらないよう振る舞うことで竜樹がどれだけあたしを想ってくれているかが伝わってくる。竜樹はやっぱり優しい。竜樹が望むならこれからもいい友だちでいたいと思った。


 ヒカリからは、一日に二通くらいメールが来た。今起きてこれから移動だとか、もうすぐステージが始まるとか。ステージが終わった頃に電話をくれたことも二回ほどあった。でも忙しいらしくてゆっくり話すことはできず、頻繁に連絡があるわけでもなく、寂しかった。

 CDプレイヤーのトレイにヒカリからもらったニューアルバムを乗せて、プレイのボタンを押す。クレムンのメンバーが奏でる音とともにヒカリのギターが聞こえる。神経を澄まして彼のギターのフレーズを耳で追いかける。繊細で、透明で、ときには力強く、ときには甘く優しい。ヒカリはどんな思いでこの曲を作り、このギターを弾いたんだろう。彼がギターを弾く姿や、黒い瞳を輝かせて優しく微笑む姿が思い浮かぶ。今、手の届く距離に、肩が触れ合う距離にいてほしい。会いたい……。

 ベッドに入ってからも、いつも彼のことを考えていた。彼は今なにをしてるだろう。今日のステージはどうだったのかな。スタッフの女の人やファンの女の子に誘惑されていませんように。そんなことを思いながら眠りにつく毎日だった。


 * * *


 ツアーが始まって二週間ほど経ったある明けがたのことだった。ぐっすり眠っていたあたしは、コツンという音で目が覚めた。寝ぼけた頭を働かせて、なんの音だろうと考えた。少し経ってから再び、コツンと同じような音がした。窓ガラスになにかがぶつかる音だ。

 時計を見ると、四時過ぎ。あたしはベッドから起きて出窓のカーテンを開け、外を見た。窓の向こうは薄暗く、空はブルーブラックで、雲の縁が僅かに太陽の光に輝いている。目を凝らして見ると、向かいの通りの家や屋根が見える。視線を手前に移して歩道を見ると、木の傍にぼんやりと人影が見えた。そっと窓を開けてみる。肩まである黒い髪に、白っぽいジャケットを着てこっちを見上げている男の人。それはヒカリだった。

 あたしは目を疑った。ヒカリがなぜここに? しかも、明けがたのこんな時間に? 今ツアー中じゃないの?

 ううん、そんなことはどうでもいい。そこにいるのはヒカリに違いないもの。

 あたしは慌てて窓を閉めると、カーディガンを片手に部屋を抜け出し、音を立てないように注意しながら階段を降りて玄関を出た。ドアを閉めると、外気は冷たくてぞくっとした。カーディガンに腕を通しながら歩道に目をやる。すぐ先の木の下にヒカリが立っていた。黒い瞳が真直ぐにこっちを見ている。あたしは彼を目がけて走った。彼は両腕を広げてあたしをぎゅっと抱きしめた。

「ユウナちゃん……!」

 ヒカリの胸に抱かれながら、あたしは夢をみているようだった。でもこの温かさ、この澄んだ声、かすかなJPSの煙草の匂い。夢じゃない。これは間違いなく本物のヒカリだ。

「ユウナちゃん……、会いたかった……」

 呻くような彼の声があたしの耳に聞こえた。

「ヒカリ……、あたしも、会いたかった……!」

 そう言うと、あたしを抱く彼の腕にいっそう力が入り、あたしは息ができないくらいだった。彼はあたしの頬にキスし、そのまま唇に熱いキスをした。

「どうして……。ツアーの途中じゃないの?」

 彼はあたしから身体を離し、あたしの髪を手で梳きながら微笑んだ。

「夕べは名古屋だったんだ。ユウナちゃんに会いたくて、会いたくて……ホテルでも毎日眠れなくて。東名飛ばしたら会えるかなって思って、打ち上げの途中でスタッフの車借りてきた」

「ヒカリ……」

「ツアー中はみんなクレイジーでね。毎晩うちのスタッフとツアー先のスタッフでライブの打ち上げがあって、遅くまで酔いつぶれて、いつホテルに戻って寝たんだか記憶にないまま朝早くマネージャーに叩き起こされて。目が覚めたら、次のステージのことばかり考えてる。来る日も来る日も周りはそんな感じで、神経おかしくなっちゃうよ。こんなときにユウナちゃんの笑顔が見れたら、って。毎日そんなことばかり考えてた……」

 ヒカリの言葉が嬉しくて、泣きそうだった。あたしが毎日ヒカリのこと考えてるように、ヒカリもあたしのこと考えてくれてたんだ。

「ツアーで疲れてるんでしょ。長距離運転は危ないよ」

 彼はあたしの腰に両腕を回して嬉しそうに笑った。

「大丈夫。ユウナちゃんの顔見たら、元気が出た。変わったことはない? 太郎は元気にしてる?」

「うん、元気、元気。ほら、昨日遊んでたら太郎にやられちゃって」

 あたしは太郎にじゃれて作られた掌の引っかき傷を見せた。ヒカリはクスッと笑った。

「猫の傷は残るから、ちゃんと消毒して薬塗っとかないとダメだよ」

「うん」

 ヒカリが指であたしの髪を梳く。

「髪、解いてると長いんだね」

「そうかな」

「うん。今まで、ポニーテールしか見たことなかったから。ポニーテールのときより、ちょっと大人っぽいね。こんな時間に来て得した気分だ」

「びっくりしたよ。寝てたら、コツンって音がするんだもん。なにかなって思って」

「ごめん、せっかく寝てたのに。睡眠不足はお肌に悪いんだよね。じゃ、俺、そろそろ行かなきゃ」

「もう? やっと会えたのに……」

 ヒカリに抱きついた。ヒカリはあたしを見下ろしてくすっと笑った。

「俺も、もっと一緒にいたいよ。でもホントにもう戻らなきゃいけないんだ。九時の新幹線に乗るから、八時にはホテルをチェックアウトしなきゃいけないんだよ」

 忙しいスケジュール。八時までに名古屋に着くのなら、本当にすぐUターンして帰らなきゃいけない。あたしは急に寂しくなり、顔を上げて言った。

「あたしも一緒に行く! 連れてって!」

 ヒカリは一瞬驚いたような顔をしてあたしを見たけど、すぐに両手を広げてふわっとあたしを抱いた。

「ユウナちゃんは、いつも俺に嬉しいサプライズをくれる……。俺だって、このまま連れて行きたいよ」

 震えるような声でそう言ってあたしから身体を離し、再びあたしの髪を指で整える。

「でも高校生のユウナちゃんを連れてったりしたら、俺、未成年者略取で訴えられちゃう。それに、来年受験するんだったら、ちゃんと学校に行って授業受けないとね。これからは一時間だって無駄にできないよ」

 ヒカリったら、ホントにお兄さんみたい。初めてデートしたときもそんな風に思ったっけな。

「それから」

 ヒカリは念を押すように付け加えた。

「睡眠はしっかりとって、いつも可愛くしててね」

「ヒカリ……」

 わかってる。ヒカリは二十代半ばの人気ミュージシャンで、あたしは所詮ただの高校生。住む世界がまるで違う。こうして出会って現実に恋をしたことが、あり得ない、奇跡に近いことなんだ。彼と自分の立場の違いを思うと、あたしは泣きたい気持ちになった。

「ユウナちゃん……」

 ヒカリが心配そうな声をしてあたしの顔を覗き込んだ。

「泣きそうな顔してる。泣かないで。俺、帰れなくなっちゃうよ」

「ごめんなさい……」

「帰って来たら、すぐ連絡する。あと一週間で帰れるから、もう少し待ってて」

 そんな風に優しく言われるとますます切なくなって、涙が出てしまった。彼は指であたしの涙を拭って、あたしの頭を自分の胸に抱いた。彼の腕の中はすごく心地よかった。ヒカリは優しい。ヒカリを好きになってよかった。ヒカリが大好き……!

「ユウナちゃん。帰ったら、いっぱいデートしよう。どこに行きたい?」

 デート……。あたしは嬉しくなって、一生懸命考えて答えた。

「映画観に行きたい」

 ヒカリはくすっと笑った。

「いいよ、一緒に行こう。他には?」

「んと……。美味しいケーキ屋さん」

「うん。それから?」

「シーパラでペンギン見たい」

「いいね。あとは?」

「ヒカリと太郎と三人で公園で遊ぶ」

「うん」

 あたしはヒカリにたくさんわがままを言った。ヒカリはうん、うんと頷いて聞いてくれた。


 * * *


 数日後、彩姉から電話があって、それから私を訪ねて来た。彩姉の雰囲気は、前回見たときより落ち着いた感じがした。

「具合、どう?」

 あたしが訊くと、彩姉は言葉を探しながら答えた。

「うん、まあまあ。二週間くらい前、病院に行ったんだ」

 病院……。産婦人科のことだ。あたしは身を乗り出して訊いた。

「どうだって?」

 彩姉は少し照れくさそうに頬を染めて答えた。

「三か月だって。予定は来年のゴールデンウィークあたりみたい」

「へぇ……。おめでとう、彩姉!」

「ありがと」

 彩姉がお母さんになるんだ。不思議な感じ。でも彩姉の幸せそうな顔を見てると、なんだかあたしまで嬉しくなった。

 ダイチのこととか、どうなっただろう。この前、社長は二人の関係をよく思ってないって言ってたし。

「ダイチには話したの?」

「うん……。ダイチは、なんとかするから産んでくれって。で、今社長と話を詰めてるとこ。案の定、社長はカンカンだったけどさ、ダイチが頑張って説得したみたいで。どういう形で公表するかとか、考えてる」

「そうなんだ。でも、いい方向に向いてるんだね。よかった」

 あたしはホッとした。あんな優しそうなダイチだもの、彩姉を安心させてくれるって信じたい。

「結婚式はするの?」

「うーん、どうなるかなぁ。まだ全然わかんない」

 そっか。普通なら、できちゃったら早く入籍して式挙げて、ってなるんだろうけど、結婚式もできるかわかんないなんて、芸能人と結婚するって大変なんだな。

「式、挙げられるといいね。あたし、彩姉のウエディングドレス姿見たいなぁ。彩姉なら、きっとすっごくきれいな花嫁さんになると思うもん」

「ありがと、祐奈」

 彩姉は幸せそうに笑った。

長い文章を読んでくださり、ありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
[良い点] ミュージシャンとか、芸能人とかと付き合うと、出来ちゃうというイメージが湧きますね。 でも、ヒカリとユウナの関係は、普通のカップルよりも、真面目で真剣なところがいいなーと思います。
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