エビチリ
エビチリ
「フツフツ・・・トゥクトゥク」と音を立てながら、小ねぎは鍋の中で沈んだり浮いたりを繰り返している。夕日の色の様に真っ赤なたれがマグマの様に動いている。我が家の鶏肉、もとい胸肉は繭のような半透明な膜に覆われてマグマの動きに逆らい、抵抗するかのように必死に耐えている。そう「必死」という言葉がよく似合う。なぜならこれ以上の加熱には胸肉は耐えられない。弱弱火からほんの少しでも火力をあげようもんなら胸肉は攻撃に耐えられず移動を始めてしまうからだ。
「ごくり」生唾を飲む私。
夫はまだ帰らない。たぶんもう1時間位待たなければならないだろう。秋は寒い。急な寒波が夏の余韻を一気に現実へと引き戻す。
「一階だから余計かな。」そう独り言をつぶやいた。
ガス台には、今日の私の「作品」達が並ぶ。
お味噌を少しケチった薄目な味噌汁、地獄風呂のようなエビチリ・・・ではなく、「トリチリ」。
冷蔵庫には春雨ときゅうり、ゆでた人参と魚肉ソーセージの自家製春雨サラダ。炊飯器には炊き立てごはん(0歳)。
「今日もやっつけた・・・」そう私は火力ゼロの台所でつぶやく。
エビ・・・この国ではエビはまるで「金」。飛び出ている目玉、曲がった腰、ナウシカのオウムのような手足。この文章にするとまるでおいしそうにもない物体は海が近くないこの国では金と等しいくらいの価値をその体に持っている。当然我が家は貧乏なので、ごくごくまれにしか、買うことが出来ない憧れの存在。
でも、「エビチリ」が食べたい。
でも、「エビ」が買えない。
=鶏。
鶏に求められているものはタンパク質である。いうなればほかのタンパク質が確保できないための予備的存在。そして、どんな色にでも染めることが出来る変化性。価格。トップバリュー!!
鶏好きな人がいたらここで謝罪します。
課の様にして今日も鶏は上様が待つ真っ赤なたれの中へ繭コーティングされたその身を「エビ」として犠牲にするのである。
「ありがとう。許せ、鶏。」
私はそうつぶやいて、味見と称してつまみ食いする。
「あつっ。」
鶏は私に会心の一撃をする。
謝罪を聞き入れてくれそうにもない。