サンフラワー
恋愛、ではないかもしれない。或る男の、夏の昼休みのできごと。
わずか30分間の記録。ショートショートとしてお楽しみください。
茹だるような蒸し暑い教室。
騒がしいガキどもは教室を走り回り、さらに室温を上昇させる。大人しい女子生徒たちからの軽蔑の眼差しには全く気づいてないようだ。
文庫本を持つ俺の手は汗ばみ、額から流れ落ちる汗が本に垂れないように気をつけながらページをめくる。
炎天の昼休み。窓を開け放っているにもかかわらず、黒板の横に備え付けられた温度計はあと少しで四十度に突入しようとしていた。ワイシャツは背中にぺったりと張り付き、喉は水分を欲して声のない悲鳴をあげる。あと何時間、この苦痛に耐えなければならないんだろう。
学校の昼休みは長すぎる。昼飯は疾うに食べ終えてしまった。あと約三十分の退屈をどうやって過ごせばいいのだ?と、いつも疑問に思っていた俺は高校入学当初から文庫本を二冊は持ち歩いている。
そのせいで俺はクラス全員の顔を覚えていない。休み時間、視線は常にページの上で踊る活字たちに向けられている。
一年の初めにやった自己紹介は真面目に聞いていたのだが、人間の記憶力とは悲しいもので、三ヶ月後の今では薄い靄のかかった断片的な思い出でしかない。
俺は暑さで朦朧とした意識をリフレッシュするために、カバンからペットボトルの清涼飲料水を取り出す。片手で器用に蓋を開けると、一気に飲み干した。ぬるい水分が喉を通って乾いた身体を潤してくれる。
視線を本に戻そうとしたとき、視界の端に輝くものが見えた。
それは、日の光を浴びて輝いて見えた栗毛色の髪の毛だった。
美しいセミロングの彼女は俯き、ルーズリーフに絵を描いている。
俺の目にはあまりにも眩しく、その美少女の透き通った白い肌は脳裏に焼き付いた。
一瞬、この世のすべてが静止したように無音になった。蝉たちの大合唱も、クラスの喧騒も、校庭の隅で咲く向日葵の光合成をする微量な音さえも聞こえなくなってしまったようだった。無論、そう感じているのは俺だけだろう。
よく少女漫画の一目惚れをするシーンで、イケメンか美少女にキラキラ輝くトーンが使われていることがある、らしい。実際に少女漫画を読んだことはない。
たぶんこれは、その一目惚れというものだろう。
俺の瞳孔は彼女をもっとよく見ようと広がり、光を吸収し、輝きのトーンを作り出す。
人を見て眩しいと思ったのは生まれて初めてだ。目が痛い。まるで太陽みたいだ。
俺はペットボトルと文庫本を持ったままで、その美少女を眺め続けた。
彼女は一心に絵を描いている。こんなにも暑いのにまったく汗をかかず、彼女の顔は涼しそうに見えた。
斜め後ろからの俺の視線に気づき、彼女は振り向いた。俺は慌てて本に視線を戻す。上目でちらりと彼女を見た。
視線が合ってしまった。
彼女は微笑むと、再びルーズリーフに向き直った。
ただでさえ暑いのに俺の頬は更に熱くなり、心臓が激しく脈打った。
それから本を読むふりをしてしばらく彼女を眺めていた。彼女が太陽なら、俺はそれを追いかける向日葵のように。
あと少しで授業開始のチャイムが鳴る。
退屈な高校生活に一筋の光が差した。
俺は汗を拭い、本とペットボトルを片付けると、彼女に話しかけようと席を立った。
何を話すかは、まだ決めていない。