第8話 祖母の形見の飾り紐
森を抜けると、源流があった。その流れが少し先の方で滝となり、遥か下の川に流れ落ちていた。絶え間なく水のぶつかり合う音が響いている。
滝の流れ落ちるところに生える薬草を採るためにアリーシャの選んだ方法は、自分の腰と太い木を長いロープで結び、滝壺に飛び込むことだった。アリーシャ曰く「ここは何度も挑戦したことがあるから大丈夫、帰りはきちんと岩壁をよじ登って帰ってきます」だそうで、その直後本当に飛び込んでしまった。
セルフィエルはさすがに付いていけないので、近くの木の根元に座り、おとなしくアリーシャの帰りを待つことにする。ニース村よりも標高が高いせいか、空気は澄んでひんやりとしていた。
遠くで鳥の鳴き声が聞こえる。よく晴れた青い空にゆったりと白い雲が流れていく。それをぼんやりと見つめながら、セルフィエルはぽつりと呟いた。
「……普通の娘だなあ……」
第一印象は、目鼻立ちは整っているがこれといって特徴のない、ただの村娘。年齢を尋ねたところあっさりと答えが返ってきた。今年で19歳になるという。父を殺した時にはたったの9歳だったということか。
(そういえば俺、どんな女の子かなんて想像していなかったな)
その必要も感じていなかった。ただぼんやりと、残忍で救いようのない極悪人を思い浮かべていた。セルフィエルが同情する余地など欠片もなく、躊躇うことなく命を奪えるような。
しかし当たり前だが、実際に会ったアリーシャは表情も感情もある一人の人間だった。生きるために仕事をし、周りの人間と助け合い、村の一員として、今を生きている。セルフィエルはその事実に、今更ながら戸惑いを感じていた。
手のひらの上の青い髪紐を見つめる。滝壺に飛び込む前のアリーシャに、失くすといけないから持っていてくれと頼まれたものだ。聞けば亡くなった祖母の形見らしい。幾種類もの青色の糸で丁寧に織られた髪結い紐は、見る角度によって微妙に色を変える。昨日も身に着けていたところを見ると日常的に使われているはずなのに、それにしては傷みが少なく丁寧に手入れされていることが窺える。
(祖母……父上の乳母だった人か)
孫のアリーシャの代わりに王殺しの罪を被り、処刑された女性。
(……どんな気持ちだったのだろう)
憎悪の対象でしかなかった父の仇の心情に、初めて漠然とした興味が湧いた。
この10年、アリーシャはどんな思いで生きてきたのだろう。常に肌身離さず形見を身につけるほどに愛していた祖母。たった一人の肉親。
どんな気持ちだろう。
最愛の肉親に罪を押し付けて生き延びるというのは。
命を絶とうとは、考えなかったのだろうか。そうでなくても、悲しみに暮れて、自分を責め続けるものではないのだろうか。
しかし、彼女は笑っていた。
常に穏やかな表情を浮かべ、メリーベルに礼を言われたときに見せた笑顔は、本当に幸せそうだった。
(なぜあんな風に笑えるのだろう)
最愛の祖母を犠牲にして、10年という長い年月を隠れ住んで。
それとも、先王を殺したことも祖母が身代わりになって死んだことも彼女にとっては何でもないことで、暗殺者にならずに済んだ幸運な過去の出来事に過ぎないのだろうか。
だからあんなに屈託なく、幸せそうに笑えるのだろうか。
(………)
正直、そうであってほしいと思った。もしそうなら、セフィエルは何の躊躇いもなく彼女を殺すことができる。
しかし、そうでないなら。
セルフィエルは目をきつく閉じて、思考を中断した。
これ以上考える意味はない。
(……いずれにしても)
彼女が父を殺した仇だという事実に違いはないのだから。