第6話 風土学者セイン
「……どうぞ」
アリーシャはセルフィエルとメリーベルのぶんのお茶を淹れると、それぞれの前に置いた。
「ありがとう、アリーシャ」
「すみません、突然押し掛けて」
恐縮するセルフィエルに、アリーシャはにっこりと微笑みかけた。
「いいんですよ、滅多にお客さんは来ませんし、嬉しいです。シェルダンさんのお料理、美味しかったでしょう?」
「はい、とても。それに彼に釘を刺されてしまいました。アリーシャさんに変な気を起さないように、と」
冗談めかしてそう言うと、アリーシャが苦笑しながら「すみません」と言った。
メリーベルが笑う。
「気にしない方がいいですよ、セインさま。あの人アリーシャに近づく若い男性みんなに言ってるから。アリーシャのこと大好きなんです」
「そうなんだ。大丈夫ですよ、って返しておいたけど、でも」
セルフィエルの紅茶色の瞳が、しっかりとアリーシャの鳶色の瞳を捕らえる。
「アリーシャさんがこんなに魅力的な女性だってわかっていたら、安易に返事しなかったのになぁ」
その言葉の意味がわからず、アリーシャが固まっていると、横からメリーベルにつつかれた。
「やだ、アリーシャ、口説かれてる!きゃー!」
口説かれている……のだろうか。
町の薬屋や食堂の店主とばかり交流があり、あまり若い男性と話す機会がないアリーシャと違って、メリーベルは恋人であるナイジェルや彼の友人などとよく一緒にいるところを見かける。外見からは想像がし辛いが、アリーシャよりもだいぶ若い男性と会話をすることに慣れているのだろう。
「……それで、セインさま。わたしに何のご用でしょうか?」
気を取り直して尋ねる。
「うん。郷土料理屋さんのおじさんが、アリーシャさんのことをべた褒めでね。まだ若い娘さんなのに、大人でも躊躇うような危険な仕事を、今まで特に大きな事故もなく続けてるって。この地方の植物や動物、普段どんなものを食べているのかもわかるし、できたらしばらく傍で見学させてもらえないかと思って」
「……、そうですね、でも朝がだいぶ早く家を出ますし、もし何かあったら申し訳な……」
やんわりと断りかけたアリーシャにかぶせて、メリーベルが顔を輝かせて言った。
「それはいい考えだわ!アリーシャ、1カ月後に町でミモザのお祭りがあるでしょう?外からの観光客でどっと人が増えるから、そのぶん材料の注文も増えて……毎年大変そうじゃない。セインさまに手伝っていただいたらどうかしら?」
「お祭りがあるの?それは楽しみだなあ。荷物持ちくらいしかできないけど、喜んでお手伝いさせていただくよ」
アリーシャが何か言葉を発する前に、とんとん拍子に話がすすんでいく。
「あの、でも、わたしが町に行くのに同行するとなると一日おきになるので、セインさまがご自分の調査のために遠出ができなくなると思うんですが……」
セフィエルはアリーシャを見て、首を傾げた。
「一日おき?何のこと?」
「え?」
「もちろん明日から毎日来るつもりだよ」
「え……!?毎日……?」
「よかったわね、アリーシャ!あ、セインさまこの村の酒場の二階が宿屋になっていますから、そこに泊るといいと思います。わたしの祖父母がやっているので、少しお安くできますわ。さっそく今から一緒に行きましょう」
「助かるなぁ、ありがとう、メリーベルさん」
「メリーで結構ですわ、セインさま。アリーシャのことも同様に……アリーシャさんだなんて、他人行儀ですわ」
正真正銘、今日会ったばかりの他人だよ、メリー。アリーシャが心中で突っ込み、胡乱な目でメリーベルを見つめると、意味ありげなウィンクが返ってきた。
動かされた唇を読むと、「チャンスよ、頑張って、アリーシャ!」。
一つ小さくため息を吐き、町から持ち帰ってきた少し大きめの麻袋を取り出した。
「メリー、これ、今日の朝頼まれたもの。これでよかったかな?」
メリーベルは歓声をあげて、袋の中身を確認した。
「うん、これ!本当にありがとう、アリーシャ!お金は足りた?」
「足りたよ。それからこれ、メリーにお土産」
そう言って、白い小花の細工があしらわれた小さな髪留めを差し出す。
「え!わたしに?いいの?」
「うん、明日、ナイジェルとデートでしょう?この間メリーと一緒に町に降りたとき、気に入ったって言ってたから」
「嬉しい!アリーシャ、ありがとう!明日はこれをつけていくね!」
メリーベルは麻袋と髪留めを大事そうに抱えると、席を立った。
「じゃあ、セインさんを酒場に連れて行っておじいちゃんに紹介してくるね。ほんとにありがとう、アリーシャ。おやすみなさい」
「おやすみなさい。明日楽しんでね。セインさまも、長旅でお疲れでしょう。ゆっくり休んでくださいね」
「うん、ありがとう。ゆっくり休んで、明日の朝に備えるよ。それじゃあおやすみ、アリーシャ」
「……」
さらりとかわされた。そうして二人は、アリーシャの家をあとにし、酒場へと向かっていった。一人になってカップを片づけながら、アリーシャは呟く。
「メリー、あんなに滑らかに人と話せるんだなあ……」
自分にはできない芸当である。経験の差が主な理由だろうが。
「……しかしあんなに積極的に人の世話を焼きたがる子だとは知らなかった」
おそらく今までアリーシャの前では発揮できずにやきもきしていたに違いない。
「……でも……」
さきほど出て行ったばかりの、背の高い青年を思い浮かべる。
うなじと耳、目を隠すくらいの赤味がかった栗色の髪。
端正な顔、優しそうな紅茶色の目。やわらかな物腰。
自分がそういうことに疎くても、さぞ女性にもてるだろうと容易に予想がつく。
明日、本当に手伝いに来る気だろうか。
しばらく思案するが、それは今考えても仕方がない。
アリーシャはいつも通り道具の点検を終えると、夕食の準備に取り掛かった。