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幸福な結末のその先へ(2)


アリーシャは一段落した夕食の準備の手を止め、窓の外を見た。

いまだ日は長いものの、徐々に夕暮れは早くなっている。だんだんと薄暗くなってきた中にぽつぽつと明かりが灯り始める。

いつもならば、セルフィエルを迎えに行く時間だ。

そう、いつもなら。


「…………」


溜息を吐いて、出来上がった今夜のメニューを眺める。きのこと鶏肉のシチューにサラダ、そしてくるみのパン。これで機嫌が取れるとも思わないが、セルフィエルの好物を揃えてみた。……食べてもらえるかもわからないのに。

そこではたと気づいた。


(しまった。……今日は食事会だと仰ってたっけ……)


何で今まで忘れていたんだろう。これではせっかくの支度も全くの無駄になってしまった。そのことがアリーシャをますます惨めな気持ちにさせる。


(もうそろそろ、お仕事が終わるころだ)


迎えにいくべきか、言われたとおり家で帰りを待つべきか。

実は今朝、アリーシャはセルフィエルが馬車で出かけた後こっそりとその後をついて行った。護衛という立場上自分の目の届かないところでセルフィエルに何かあってはいけないと思ったからだ。

いくら名目上だとセルフィエルに言われても、アリーシャは護衛兼家政婦という今の自分の仕事に密かに誇りを持っていた。

大切な人のために、自分の能力を役立てられる。そのことが純粋に嬉しい。

朝は人通りも多いので、馬車もそこまで速度を出さない。

毎日同じ道を通るので、一定の距離を保ってあとを追うことは可能だった。


「……」


しかしセルフィエルは護衛は必要ないと言った。さらに迎えはいらないとも。

彼の声音の冷たさが小さな棘となって、アリーシャの心をちくちくと刺しながら冷やしていく。

朝は深く考えずにあとを追い何事もなかったのを見届けてから帰宅したが、それから丸一日セルフィエルに言われた言葉が頭を離れなかった。


自分のことは自分で守れる。

必要なら他にいくらでもいる。護衛も、家政婦も。


「……っ……」


胸が、ずきりと大きく痛む。


本心から出た言葉ではないことはわかっている。

本当はアリーシャに傍にいてほしいと思っているのも、今朝のセルフィエルの怒りの原因が嫉妬であることもわかっている。


(……だけど)


素直に感情にまかせて出てしまった言葉だと受け流せるほど、アリーシャは今の自分に自信がなかった。

言われたことは どうしようもなく正しい事実で、そのことがアリーシャを打ちのめす。

自分はセルフィエルに立場を与えてもらわないと、傍にいることを願うことすら出来ない臆病者なのだと、改めて確認させられた思いだった。

この居場所は、セルフィエルが与えてくれたもの。アリーシャは何の努力もせず、ただ待っていて得ただけのもの。

だから彼の一言で、こんなにも危うくなる。

今まで自分が彼の与えてくれた立場に甘えて安心していたことの証拠だった。


(……駄目だ)


気づいたらまた、他力本願な自分に戻っている。

これではいけない。

彼はアリーシャと暮らすために出来る限りのことをして、今の生活を実現してくれた。

しかしアリーシャは何もしていない。何もせず、ただ与えられるものに満足していただけ。

セルフィエルは、アリーシャと一緒にいたいと言ってくれた。


(……わたしも、セフィさまと一緒にいたい)


アリーシャは両手を握り締めると、すっかり日が暮れたドーラムの町へと駆け出していった。



***



(……いた)


わずかに息を弾ませてアリーシャは立ち止まった。

この程度の運動で呼吸が乱れた自分に驚く。せめて体力を落とさないだけの訓練は欠かさないようにしようと心に誓う。でないといざ何かあった時に困る。

大通りをまっすぐ進み、もうすぐ州会議事堂が見えてくるというところで、華やかな装いの3人の娘と話しているセルフィエルを見つけた。

格好からしてシェットクライド衆議院の令嬢たちだろうか。

良くも悪くもセルフィエルは目立つ。その容姿も原因の一つだが、それよりも彼が外を歩けばもれなく若い女性たちに囲まれるからだった。

容姿端麗な未婚の王弟。今は州知事としてドーラムに滞在しているが、ゆくゆくは首都ベルファールに帰り国の中枢を担っていく存在。もしも見初められれば一家揃って王都に移り住むことができ、さらに家族ところか末代までも安泰を保証されたようなものである。

セルフィエルが笑顔で何か言い、娘たちが朗らかに笑った。


(……っ)


アリーシャの胸が締め付けられる。

そして一人の女性がセルフィエルの肩に軽く触れた。

それを見たアリーシャは思わず彼らの元へ早足で近付き、セルフィエルの片腕を両手で掴んだ。


「……っと、……え?」


急に腕を掴まれたセルフィエルから戸惑いの声が漏れる。

途端に話し声が止み、怪訝そうな視線がアリーシャに突き刺さる。

沈黙が落ちる。

居た堪れなくて、自分のしていることが途方もなく恥ずかしいことのように感じて、顔が上げられない。

下を向くと自分の衣服が目に入った。いつも通りの簡素な服装。さすがに山で仕事をしていたときよりは多少小奇麗だが、灰色のワンピースに白いエプロンでは目の前の女性たちにとってみたら山仕事の作業着と大差ないだろう。

日頃セルフィエルから送られてくるドレスは一度も日の目を見ずに衣装棚に仕舞われている。アリーシャはそのことを少しだけ後悔した。

数秒の後、頭上から冷たい声が降り注いだ。


「……なあに、この子」


別の声が答える。


「ほら、殿下の使用人の」


「ああ、あの、ニース村に住んでいた孤児の子ね」


最初の女性が合点がいったように頷くのを感じた。次いでわずかに声を潜め、しかしわざとアリーシャに聞こえるように言う。


「どうしてこんなところにいるのかしら。使用人はおとなしく家で待っていればいいのに」


彼女たちの視線に耐え切れず、セルフィエルを見上げて声を掛ける。


「……殿下、帰りましょう」


最初は驚きに見開かれていた紅茶色の瞳が、今は心なしか拗ねたように逸らされている。


「……殿下」


もう一度呼びかければ、視線を外されたまま短く返された。


「帰らない」


いつもとまるで違う乾いた声音にアリーシャは言葉を失う。


「帰らない……って……」


まだ今朝のことを怒っているのだろうか。

それとも。


(もうわたしのことなんか……嫌いになった?)


腹の底が冷える感覚にアリーシャが立ち尽くしていると、セルフィエルが追い討ちを掛けるように続けた。


「出るときに迎えはいらないと言ったはずだけど。これから彼女たちと約束があるんだ。先に休んでいなさい。……今夜は帰らないかもしれないから」


「……っ」


(……それって)


頭を殴られたような衝撃に動けないアリーシャに、黒髪に泣きぼくろが印象的な女性が優しく語りかけた。


「あなた、使用人ならば立場を弁えないと駄目よ」


そしてセルフィエルに向かい、


「殿下がいけないんですのよ、誰にでも優しくなさるからこうして勘違いする娘が出るのですわ。……さ、参りましょう」


自身の豊満な体をセルフィエルの腕にさりげなく押し付ける。


「……っ!」


それを見たアリーシャの胸に、薄暗い感情が一瞬にして渦巻いた。生まれて初めて感じる、それは嫉妬だった。

無意識に言葉が唇をついで出る


「……らないで」


「え?」


「殿下は、セフィさまは わたしのです、触らないでください!」


気が付けば叫んでいた。セルフィエルが息を呑むのが気配でわかる。

心拍数が極限まで上がり、汗が吹き出る。

生まれてこの方、人様にこんな口をきいたことはない。

一瞬にして後悔が押し寄せたが、もう遅い。言ってしまった言葉は戻らない。

アリーシャは半ば自棄になってセルフィエルの袖を掴み、目の前の煌びやかな女性たちをぐっと睨んだ。




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