呼び名
ある朝のこと。
「おはようございます、殿下」
「あー……おはよう、アリーシャ。……ところでいい加減、その殿下っていうの、やめてほしいんだけど」
「では何とお呼びすれば」
「うーん……そうだなあ……普通にセルフィエルでいいけど……ちょっと長いな」
「部下の方々には何と呼ばれているのですか?」
「え、部下?……えーと、普通だよ。団長とか、隊長とか」
「では……団長とお呼びしましょうか?」
「何で、おかしいだろ。アリーシャは王室師団員でも俺の部下でもないんだし」
「一応殿下の護衛と専属女中という立派なお役目をいただいておりますが」
「だからそれは名目上だけだってば」
「でもお名前で呼ぶのは、少々恐れ多い気がします」
「……困ったな。でも実際俺の呼び名なんてそんなに種類ないよ。えーと、兄上からはセルフィエルって呼ばれるし、妹はセフィ兄さま、義姉上はセルフィエルさん、城の者は殿下、部下は団長か隊長、友人からは……セフィかエルかセルフィエル」
「そうですね……エルさまかセフィさまがいいでしょうか。セルフィさまというのも新しいですが」
「却下。女性の名前みたいな響きになる。……なに、他の人と一緒は嫌なの?自分だけが呼ぶ特別な名前が良いって?嬉しいなぁ、アリーシャ。いいよ、一緒に考えようか」
「いえ、そういうわけでは」
「真顔で返さないでよ。ちょっと傷ついた。……なんなら、旦那さま、とかご主人さま、でも良いよ」
「それは妻が夫に対して、もしくは使用人が雇い主を呼ぶ時の呼称ですよ。先程殿下はわたしのことを使用人でも部下でもないと仰ったでしょう。ということは、わたしたちはどちらの関係でもありません」
「……そうだけど。何か悲しくなってきた」
「セフィさまにしましょうか。殿下が使ってらした仮のお名前と似ていますし、呼びやすいです」
「……ありがとう、偽名って言わないんだね。うん、いいよ、それで。どっちみち近い将来には旦那さまって呼んでもらうことになるんだし」
「ところで殿下、セインさまとは誰もお呼びしないのですか?村で呼ばれていた時には随分馴染んでいるようでしたが」
「さりげなく流さないでくれるかな。……ああ、セインは友人や部下と町に出る時に使っていたから、呼ばれ慣れてるんだ」
「名乗らなければならない場合があったのですか」
「そりゃあ、娼館に行く時には呼ばれる名前がなきゃあの時に……、なんでもない」
「ああ、納得しました」
「え!?し、知ってるの?」
「……当たり前です。わたしをいくつだと思ってるんですか」
「……いや、そうなんだけど、何か意外で」
「ドーラムは大きな町ですからね。高級娼館も2つほどありました。時々注文を頂いて大変助かりましたよ」
「……そう。でもね、アリーシャ。安心してね。もう行かないから」
「どこにですか?」
「だから、娼館とか……もう、アリーシャ以外の女性と関係を持ったりしないからね」
「なぜですか?」
「………………なぜって」
「ターニャが言っていました。悲しいけど、男の人には必要な時もあるのよ、って。メリーベルはそんなことないと怒っていましたが。……よくわかりませんが、理解できないからと言って否定するのはよくありません。きっと男性には女性にわからない苦労があるのです。ですから、やめる必要なんてないのですよ」
「…………君、嫌だなあ、とか、思わないの」
「何がでしょう?」
「だから、俺が……その、他の女の人を抱いたりとかしたら、嫌だとか寂しいとか思わないの」
「……そうですね」
「…………あ、そう。俺はアリーシャが他の男と寝たら嫌だよ。吐き気がするくらい。想像するのも耐えられない。そんなことが起こったら きっと正気を保っていられなくなって、相手の男を殺しちゃうかも。まったく、こういう時、気持ちの大きさの違いを実感するよ……」
「…………」
「……なに、嫉妬する男はみっともないとか思ってる?……まあいいけど」
「……いえ、なんというか……」
「なに」
「……うれしいです。なんでかわからないですけど、そんな風に言ってもらえて胸が暖かくなりました。ありがとうございます」
「……アリーシャ、俺以外の男の前でそんな顔で笑っちゃ駄目だよ」
「……?どうしてですか?」
「どうしても」
「…………わかりました。……でも」
「ん?」
「心配しないでください。殿下に不快な思いをさせたくありません。なので、わたしは殿下以外の男性と一緒に寝たりしません。約束します」
「…………アリーシャ」
「はい」
「襲っていい?」
「……は、え!?」
「答えなくていいよ。聞くつもりないから」
「で、殿下……!」
「セフィって呼ぶんでしょ」
「セ……セフィ、さ、……んっ……!」
不意打ちのキスは、実はたまにされています。