第43話 駆け引きの報復
(……セインさま、よね?)
無言で見つめあう2人を眺めながら、ターニャは心の中で呟いた。
最後に見た時から多少日に焼けて何故か着ているものも上流貴族並みに高価そうだが間違いない。
余裕あり気に薄く微笑んではいるが、よく見れば髪は少々乱れ靴も砂埃で汚れていて急いでここまで来たことが窺える。
……おそらく、アリーシャに会うために。
そういえば以前もこの男は突然断りもなく消えて戻ってきた。今回と同様に。
(……もしかしたら)
心配するだけ損なのかもしれない。これから先またいきなりいなくなることがあっても、彼はきっとアリーシャのもとに帰ってくるのだろう。
「…………」
ターニャは小さくため息を吐いた。そして小さく笑みを浮かべると、音を立てないように注意しながら階上にある自室へと姿を消した。
「……ご無事、だったのですね……」
2人の間に落ちた沈黙を破ったのは、アリーシャの安堵の呟きだった。
その声に勇気を得たかのように、開いていた距離をセルフィエルが一歩詰める。
「うん。……心配した?」
飄々と訊くセルフィエルの姿に、アリーシャの眉根がわずかに寄せられた。
「当たり前でしょう。……3日後にいらっしゃるって仰ったのにお見えにならないから、何かあったのかと思いました。……いったい何をしていらっしゃったのですか。何も連絡してくださらないから、」
てっきり、もう、わたしのことなんて。
「……アリーシャ」
不自然に言葉を切って俯いたアリーシャの目の前まで距離を詰めると、セルフィエルは真剣な表情で口を開いた。
「ごめんね。半年も放ったらかしにして。本当はすぐにもう一度戻ってこようと思ったんだけど、宰相が辞任した直後で国政が乱れていてね。政治体制が整うまではできるだけ兄の近くで支えるべきだと判断したんだ。長く都を空けた直後だったしね」
ごめんね、ともう一度耳元で囁けば、アリーシャは決まり悪げにますます下を向いた。
自分勝手に彼を責めた自分が恥ずかしくなったからだ。
「……すみません、そうですよね、ご公務でお忙しいのに……申し訳ありません、先ほどわたしが申し上げたことは、どうか忘れてください」
そう言って頭を下げる。
アリーシャの肩からさらりと流れ落ちた黒髪を見ながら、セルフィエルは思った。
(……相変わらず、ほんとに素直だなぁ……)
どんなに忙しくても手紙くらいは書けるだろう、とか。3日後に来ると言ったんだから、せめて来られなくなったことくらいは連絡して欲しかった、とか。いくらでも言い返せるだろうに。
アリーシャから見えないのをいいことに、セルフィエルはわずかに口の端を上げた。
確かに仕事が忙しかったのも事実だが、手紙一つ書かなかった主な理由は、アリーシャの自分に対する気持ちを確かめたかったからだ。
離れている間にアリーシャにとってセルフィエルがどれだけ大切な存在かを再確認させ彼女の自分への想いを確固たるものにしてやろうという、非常に身勝手な下心である。
(押して駄目なら引いてみろ、っていうし)
だがその作戦が成功したかどうかは甚だ疑問である。この半年でアリーシャはかなり逞しくなったらしく、戻ってきてみたら彼女にとってのセルフィエルは大切な人を通り越して早くも思い出の人になりかけていた。
そのことにセルフィエルは少々焦り、また不満を覚えた。
(俺は早く会いたくてたまらなかったのに)
自分で自分の首を絞めていたくせに、それを棚に上げて彼は胸の中で一人ごちた。
そしてようやく頭を上げたアリーシャに向かって期待とともに問いかける。
「アリーシャ、寂しかった?」
「はい?」
「だから、半年間俺に会えなくて寂しかった?会いたかった?」
アリーシャの頬が紅潮する。視線をセルフィエルから逸らし、言葉を探すように視線を彷徨わせた。
「それは……」
「……俺は寂しかったよ」
「え?……っ」
心細げな声に思わず顔を上げると、セルフィエルの瞳が思ったよりもずっと近いところにあって心臓が跳ねた。その動悸を治める間も与えられないまま、逞しい腕に優しく抱きしめられる。
「あ、あの、殿下……っ」
「アリーシャに会いたくて会いたくて仕方がなかった。四六時中君のことばかり考えていたよ。最後に触れた唇の感触が忘れられなくて、眠れない夜もあった」
「――――――っ」
アリーシャの顔が真っ赤に染まった。
「ずっとこうして抱きしめたかった。触れたかった。君の顔を見て、声が聞きたかった。……ねえ、それは俺だけ?君はこの半年間何を考えて、どんな風に過ごしてた?……アリーシャ」
一息置いて、半年前と同じことを尋ねる。
「俺のこと、好きになってくれた?」
「…………」
沈黙が落ちた。アリーシャの頬に押し付けられた彼の胸から動悸が伝わってくる。
(……そんなこと)
訊かなくてもわかるだろうに。なぜわざわざ訊くのだろう。
わずかな不満を視線に込めてちらりと見上げれば期待に満ちた紅茶色の瞳と視線がかち合った。
(……なんだか)
どうしようもなく癪な気がした。このまま彼への想いを認めるのが。
好きだと言うのはいつでもできる。しかしアリーシャにも半年間音信普通で待たされた意地があった。
アリーシャは静かに深呼吸すると、微笑んで彼の顔を真っ直ぐに見つめ、ゆっくりと言った。
「……さあ、どうでしょうね」
セルフィエルの両目が見開かれる。
その様子を見たアリーシャは得意げに笑った。
わたしにだって、これくらいの意地悪は許されるだろう。