第41話 それまで、待っていて
「……」
据わった目で睨まれる。
メリーベルもターニャの横に並び、セルフィエルをじっと見つめて震える声で詰問した。
「ミモザ祭りの翌日からアリーシャの様子がおかしくなったんです。同時にあなたもいなくなるし。町中で噂になっています、あの若い風土学者がアリーシャを弄んで捨てて逃げたって。どういうことですか、わたしたち、あなたが真剣だと思ったからアリーシャとの仲を応援したのに」
「メ、メリー!」
アリーシャが慌てて駆け寄り、メリーベルの袖を掴む。
「違うの、す、捨てられたとか弄ばれたとか……それにこの方は」
「アリーシャ」
アリーシャが言わんとしていることを悟り、セルフィエルは咄嗟に遮った。今ここで素性を明かせば、この2人はセルフィエルに対して言いたいことを言えなくなってしまう。
「確かに君たちの友人を悲しませたのは俺だ。それについては謝る。すまなかった」
立ち上がり、頭を下げたセルフィエルにターニャとメリーベルは怪訝そうに眉を寄せる。
セルフィエルは顔を上げてわずかに微笑んだ。
「俺はアリーシャを深く傷つけてしまった。だからこれからは、彼女の笑顔を守るために全力を尽くそうと思う。……アリーシャが、それを許してくれるなら」
ターニャが困惑気味に口を開く。
「……遊んで捨てたんじゃないの?」
セルフィエルは困ったように笑った。
「捨てられるとしたら、俺の方かな。もっとも、俺たちはまだそんな関係じゃない。まだ口説いている途中で、アリーシャからの返事はもらえていないんだよ。焦らず気長に待とうと思っているけど」
緊迫した静寂。
メリーベルが不安げにセルフィエルとターニャを交互に見る。
ターニャは静かに深呼吸をした。
「……ひとつだけ、聞かせて。あなた、アリーシャのこと、本気で好きなの?」
そうでなければ許さない。言外にそう告げられる。
ターニャの翠瞳に真っ直ぐに見つめられ、セルフィエルも表情を引き締めてゆっくりと答えた。
「……好きだよ。心からアリーシャを―――愛してる。もしも彼女が俺の想いを受け入れてくれたら、一生かけて彼女を幸せにする」
まるでプロポーズのようなその言葉に、アリーシャとメリーベルが絶句した。
「誓えるかしら?」
「誓うよ」
「誰に?」
「……アリーシャをここまで温かく包んで育てたドーラムの町とこの村の人々、それに彼女の最愛の友人である、君たち2人に」
数秒ののち、ターニャがふっと頬を緩めた。
「……嘘じゃないみたいね。……アリーシャ、本当にもう、大丈夫なのね?」
振り返って問えば消え入るような声で是と返され、ターニャとメリーベルはようやく安堵の笑みを浮かべた。
「でも、セインさま、もしアリーシャがセインさまと一緒になることを選んだら……アリーシャを、連れて行ってしまわれるのですか……?」
メリーベルが遠慮がちに問いかけた。もしそうならば仕方がない。だけどその時までに、心の準備をしておきたい―――揺れる瞳がそう言っているように見える。
セルフィエルは少し考え、アリーシャの方を向く。
「アリーシャは、どうしたい?もしも君が俺の想いに答えてくれたとして、俺とともに王都へ来るか、それともこのまま、ここで暮らすか」
王都。ターニャとメリーベルは、その言葉に軽く瞠目する。しかし何も言わないまま、アリーシャの返事を待った。
「……わたしは……」
伏し目がちに眉を下げるアリーシャに、セルフィエルは優しく微笑みかけた。
「いいんだよ、アリーシャ。……何も考えず、素直に君がどうしたいかを言ってごらん。俺はそれが、一番嬉しい」
その言葉に後押しされ、アリーシャは意を決して顔を上げた。
「―――わたしは、できるなら……ここで暮らしたいです。この村が無理なら、せめてドーラムで。まだ、みんなと一緒にいたいです。離れたくない……」
「……うん、わかった」
セルフィエルはその答えに満足したように、目を細めて微笑った。アリーシャもほっと笑顔になる。
(一緒にいたい、離れたくない、か。いつか、俺にもそう言ってくれる日が来るかな……)
そんな日が訪れるかどうか。それはこれからのセルフィエルの努力次第だ。
静かにアリーシャに歩み寄り、しっかりと目線を合わせる。
「今すぐには無理だけど、これから徐々に準備して、アリーシャと一緒に暮らせるようにする。それまではあんまり会えないけど、絶対ここに戻ってくるから。……信じて、待っててくれる?」
「……はい」
アリーシャは胸がいっぱいになり、再び瞳が潤むのを感じた。
「……あーあ、何だかあたしたち お邪魔みたいだから、行きましょうか、メリー」
「そうね。アリーシャ、あとでちゃんと話聞くからね」
「えぇ!せっかく来てくれたのに……もう行っちゃうの?」
「あんたが心配で様子を見に来ただけだもの。大丈夫なら、あとはセインさまに任せるわよ」
最後に悪戯っぽく片目をつぶると、ターニャとメリーベルは去って行った。
「……良い友達を持ったね、アリーシャ」
2人になってからそう告げられて、アリーシャは誇らしげに笑った。
「はい!」
それに一つ頷くと、セルフィエルも窓の外に視線を向けた。
「さて、俺も一度王宮に戻るよ。飛び出てきちゃったからね……帰って顛末を説明しないと。アリーシャも一人で考える時間が必要だと思うし。次に来られるのは3日後くらいかな……。正直君を一人で残していくのは、とても心配なんだけど」
じっと眉を寄せて自分を見つめる紅茶色の双眸を見上げ、アリーシャはふわりと笑った。
「……もう、大丈夫ですから。自分で死を選ぶようなことは、もうしません。大事な友達を悲しませたくありませんし、……今は、たくさんの人に助けられたこの命を精一杯生きようと思います」
「……そう」
セルフィエルはアリーシャに歩み寄ると、華奢な身体をぎゅっと抱きしめた。
アリーシャもぎこちなくセルフィエルの肩に手を添えて囁いた。
「……自殺はしません。約束します。……わたしは、あなたのものですから」
腕の中から聞こえた声に、呼吸が止まる。
セルフィエルはアリーシャの顔をまじまじと見つめた。
アリーシャは微笑んで続ける。
「わたしの命は、あなた方グリエルさまのご家族のものですから」
一気に脱力する。
「ああ、そういうこと……」
「はい?」
「いや、いいんだ、気にしないで」
アリーシャは首を傾げながらも、些か緊張した面持ちでセルフィエルから少し距離を取った。
「……?」
そして思い詰めた表情で顔を上げ、濃赤色の瞳を真っ直ぐに見つめて口を開く。
「わたしの弱さも臆病なところも、全て含めて好きだと言って下さって……本当に、本当に嬉しかったです。きちんと考えて自分の言葉で答えを出しますから。それまで、わたしのことを、嫌いにならないで……待っていて、くれますか?」
「…………」
上目遣いに自分を窺うアリーシャの顔を、セルフィエルは無表情で見下ろした。
不安げに揺れる鳶色の瞳。真っ赤に染まった頬。固く握られた拳。
全身から切羽詰まった緊張が伝わってくる。
普段とはまるで違うこんな彼女の姿を知っているのは、おそらく世界で自分だけだ。
そう思った瞬間、無意識に口が動いていた。
「……ごめん、アリーシャ。やっぱり待てない」
「え?なん」
ですか、と続けようとしたアリーシャの言葉は声にならず、吐息ごとセルフィエルの口の中に飲み込まれた。