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第3話 セルフィエルの出立

アリーシャがメリーベルに頼みごとをされていた時刻とほぼ同じころ、エストレア国首都ベルファールにある王宮の廊下を、王弟セルフィエル・シャノン・エストレアは足早に歩いていた。


すれ違うたびに臣下に会釈をされ、それに目礼で答える。


向かう先は現国王であり兄でもあるザフィエル・ステファン・エストレアの執務室である。今の時刻、ザフィエルは朝議から戻ったばかり、仕事を始める前に一息入れている時間だった。いつもなら王室師団長として兄と共に朝議に出席したあと、セルフィエルは通常の任務や訓練に勤しみ、次の日の朝まで兄の顔を見ることはない。


しかしこの日は事情が違った。


執務室の前にたどり着く。

一つ深呼吸をして、扉をノックし、名を名乗る。


入室許可の声とともに中に入る。


よく整理された真正面の机では、すでに兄のザフィエルが今朝届いた封書の確認をしていた。入ってきたセルフィエルを見て、その手を止める。


「セルフィエル。お前を朝議以外で見るのは珍しいな」


相変わらずの仏頂面での発言だが、皮肉ではない。ただの感想である。

それをわかっているセルフィエルは、にっこりと笑顔で返した。


「そうですね、兄上。お互い忙しくてなかなか話す機会がなくて寂しいです」

 

ザフィエルの無表情がわずかに変化する。


「……そ、そうか。今、ジャクリーンが茶を準備してる。たまには一緒にどうだ。ベルベットも喜ぶ」


ジャクリーンは5年前に隣国から嫁いできたエストレア国の正妃である。ベルベットは第一王女で、先月4歳になったばかりだ。多趣味なジャクリーンの趣味のひとつが茶を淹れることで、夫の分は使用人に頼まずいつも自分の手で用意している。魅力的な誘いだが、今のセルフィエルにはそれに応じている時間がなかった。


「すみません、とても残念なのですがまたの機会に。……兄上、俺は今からシェットクライドに発ちます」


ザフィエルは申し出を断られてわずかに悲しそうな顔をしたが、次の瞬間はっと顔を上げた。


「今からか?」


「はい。この2週間で準備は整えました。今は静かな時ですし、王室師団も2カ月程度ならば副団長に任せても問題ありません。何かあれば直ちに戻ってまいります」


表面上穏やかな微笑を浮かべてはいるが、セルフィエルの目は暗く強い意志にきらめいていた。ザフィエルはふっと視線をそらす。


自分の小麦色のものとは違う紅茶色の瞳。


……父上と、同じ色。


「……何もお前が行かなくてもいいんだぞ。遣いをやってもいいし、捕らえようというのではない、本人の意思次第なのだから、文を出したっていいんだ」


セルフィエルは笑みを深くした。いくら隠そうとしても、おそらく自分の本当の目的に兄は気づいている。


この10年間、明るくふるまっても心の奥底にはずっと父の存在があったセルフィエルに、2週間前母が残した真実。


それを聞いた時から弟の目に宿った暗澹とした喜びの感情。

父の仇を、自分の手で討てるかもしれないという希望。


だが、遠まわしにセルフィエルを止めるザフィエルが心配しているのは山奥で生きている娘の命ではない。


セルフィエルのことだ。


ザフィエルが案じているのは、その娘に相対した時の、弟の精神だった。

セルフィエルは三兄弟の中で父親を一番愛し、尊敬している。その強い思いは今もおそらく、衰えることなく。もう父のことは過去になりつつあるザフィエルや妹のヴァージニアほどには、まだ彼の中で10年前の出来事は薄れてはいない。


「ありがとう、兄上」


それがわかるから、セルフィエルは礼を言った。いつも自分を心配してくれる不器用で優しい兄のことが、セルフィエルは好きだった。


だから、笑顔で嘘を吐く。


「大丈夫です。必ず無事にその娘を連れて戻ってきますから」


「……わかった。気をつけてな」


一礼し、セルフィエルが退室する。

それと入れ違いに、隣の給湯室からジャクリーンが静かに現れた。居た堪れなさそうに佇む妻に、ザフィエルは小さく苦笑して声をかける。


「聞いていたのか」


「ええ、すみません……出るに出られなくなってしまって……」


ジャクリーンが長く波打つ金髪を揺らして俯く。そして夫にティーカップを手渡しながら、控え目に尋ねた。


「……行ってしまわれましたね。よろしいのですか?」


王太后が他界したその日に、ジャクリーンには遺言のことを話してあった。


「そうだな……止めても、どちらにせよあいつは行ったと思うからな……」


あの父を一撃で殺したのだ。年齢は明らかではないが、当時すでにそれほどの手練れ。返り討ちにされる可能性は低くない。しかし弟は全て覚悟の上で行ったのだろう。

ならば、もう何も言うことはない。


「……セルフィエルも、そろそろ前を向いてもいい頃だ」


カップの中の紅茶を見つめながら、ザフィエルはひとり言のように呟いた。




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