第36話 紅茶色の瞳
「信じられないかもしれないけど。―――君を好きになっていた」
アリーシャは目を見開いた。
全く予期しなかった言葉に頭の処理が追いつかない。
何か言おうと口を開くが、吸いこんだ空気は音にならずにそのまま吐き出される。
動揺を落ち着かせるために、静かに浅い息を繰り返す。
「……っ……」
しかし自分を真っ直ぐ見つめる彼の瞳から目が離せなくて、ますます混乱する。
感情の抑制が利かない。口の中がカラカラに乾く。
脳内で様々な言葉が渦巻く。そんな、まさか。
本能から歓喜の感情が湧いてくるのを、理性が必死に押しとどめていた。
落ち着け、自分に喜ぶ資格なんてない。
第一、そんなことあるわけがない。
彼は自分のことを憎む理由はあっても、好きになる理由なんかない。
これはまだ、彼の作戦の一部だ。
でも、そうだとしたら、なんて。
なんて――――残酷な。
「……………なんで」
「………え?」
ダメだ。
必死に抑えようと思うのに、声に涙が混じる。
落ち着け、被害者は彼だ。自分は彼の父親を刺したのだ。それを忘れるな。
落ち着け、落ち着け、落ち着け。
そう祈るのに、身体がいうことを聞かない。
心の奥底から何かが溢れ出しそうになり、無意識に喉が音を紡ぐ。
「なんで、……ひどい……なんで……?」
「アリーシャ?」
両手で頬を挟まれ、顔を覗き込まれる。
「……っ」
セルフィエルの瞳がすぐそばにある。
紅茶色の瞳。
あの人と同じ色。
ティーカップの中の水面と同じように、見る角度によって色を変える。
嘘なのに、騙すつもりに違いないのに、心配してくれているなんて、あるわけがないのに。
こんな、時まで。
なんて、なんて、やさしい色。
「……ふ……うぇ…………」
アリーシャの顔がクシャリと歪んだ。
もういい。
責められても、詰られても、殴られても、殺されたっていい。
もう、罪悪感に押しつぶされそうになりながら懺悔をし続けて生きるのは、……疲れた。早く、楽になりたかった。なのに。
限界だった。
頭の中がぐちゃぐちゃだった。
感情が、爆発する。
「う、ふぇぇぇぇ……」
アリーシャは子供のように、声を上げて泣き出した。
突然のことにセルフィエルは面食らい、あからさまに うろたえ始める。
「え、え、ど、どうし……」
「……ふ、っ……ひどい、ひどい、なっ……なんで、なんで、そんなこというの……?」
「え?」
普段の落ち着いた様子が嘘のような、舌足らずで幼い口調。
驚き狼狽するセルフィエルを、アリーシャは涙をぼろぼろとこぼしながらキッと睨みつける。
「わ、わっ……わたしに、あなたのこと、すきに、ならせて………うらぎって、ころして、おわりじゃないのっ……?」
「……何言ってるんだ?」
「な、なんで、まだ、つづけるの?いつまでつづくの?わたし、い、……いつまで、あなたのこと、すきでいればいいの……?……はやく、ころして……!っ……はやく、」
血を吐くように、アリーシャは絶叫した。
「おばあさまとグリエルさまに、会わせて………!」
力尽きたように泣き崩れる。
そしてこの10年間を取り戻すように、涙を流し続けた。
セルフィエルは傍らで、そんなアリーシャを見つめていた。
だんだんと嗚咽が収まり、彼女が泣き疲れて眠るように意識を失ってしまうまで―――ずっと。