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第34話 最後に選ぶのは

セルフィエルとヴァージニアは居間のソファに腰掛けていた。

一点を見つめたまま動かない兄を気遣うように見やりながら、ヴァージニアはセルフィエルの真向かいに座っていた。

しばらくそうしていると扉を開ける音がし、ザフィエルと妻のジャクリーンが姿を現す。


「……ノーワンに話は聞いた。10年前、奴が倒れている2人に近づいた時、父上は一瞬意識を取り戻したそうだ。……それで自分が止めを刺したと、自白したよ。極刑にはできないが……おそらく、一生牢から出ることはないだろう」


ザフィエルが静かに告げる。セルフィエルは溜息を吐くと、両手で顔を覆って俯いた。


「……俺はどうしたら良いんでしょうか……」


ザフィエルはわずかに微笑むと、弟の隣に腰を下ろした。


「……娘のことか」


問うと、セルフィエルがわずかに首肯する。


「……お前がここを出るときにも言ったと思うが。お前がしたいように、すればいい」


「それがわからないから聞いているんです……」


拗ねたようにセルフィエルが返す。

ザフィエルは驚いた。こんな弟の声を聞くのは何年振りか。

しばらく思案し、ザフィエルは言った。


「……じゃあ、こう考えろ。もうその娘の祖母が大逆罪で処刑されている以上、彼女を罪には問えない。我々に残された選択肢は、国外に逃がすか、そのまま村で生活するのを許すか、それとも殺すか。……お前がそうしたいのなら命を奪っても良いが、あまり意味のあることには思えないな……。すると逃がすか現状を維持するかだが、どちらの選択肢を選んでも結末はあまり変わらないと、俺は思う。……お前の話では、彼女は明るく性格もいい器量良しなのだろう?ならば国の外でも中でも、いずれは相思相愛の相手を見つけ一緒になり、子供をもうけて幸せに暮らすだろう。……だが」


「……?」


言葉を切った兄を、セルフィエルは顔を上げて不思議そうに見つめた。


「ここで問題なのは、だ。セルフィエル。お前がそれを許せるかどうかということだ」


「…………」


言われてぼんやりと想像する。

彼女が他の男と。

どこの誰とも知れない男にあの可愛らしい笑みを向ける。

恥ずかしそうに口付けを受け入れ、柔らかな体を抱きしめることを許し、その男の前でだけ艶やかに乱れてみせ―――。


そこまで考えて思考を無理矢理に止めた。もう充分だ。答えはとっくに出ている。


「…………兄上」


「ん?」


「嫌です。無理。我慢できない。絶対に許せません」


ザフィエルは微笑んだ。……この ひと月で、随分と人間らしくなったものだ。


「そうか。だったら、お前の好きにしたらいい。もし将来侯爵の地位が邪魔になったら返上してもいいよ。王室師団長は続けてもらわなくてはならないが」


「兄上……」


「セルフィエル、俺は嬉しいんだよ。俺のことばかり気にかけて自分のことはずいぶんとおざなりにしてきたお前が、初めて他人に興味を持った。お前が心から愛し、また愛されることができるかもしれない女性が現れた。俺にはそれが、奇跡のように思える。もうお前にそんな相手、現れないかも知れないと思っていたから。……そうしてしまったのは俺だ。ずっと申し訳ないと、礼がしたいと思っていた。今まで俺のために、ありがとう、セルフィエル。……俺は大丈夫だ。お前はもう、お前自身の幸せを考えていいんだよ。だから、もしお前が幸せになれる相手が見つかったのだとしたら、彼女にどんな過去があろうと、俺は応援する」


セルフィエルは胸が詰まって声が出なかった。まさか兄がここまで自分のことを考えていてくれていたとは。


「…………あの」


暖かな沈黙を、ジャクリーンの遠慮がちな咳払いが破った。


「……セルフィエルさん、決心したのなら早く戻って差し上げなさいな。彼女、きっと、今頃一人で泣いていますわよ」


唐突な言葉に思わず声が漏れた。


「……え?誰が?」


「その娘に決まっていますでしょう」


焦れたようにジャクリーンが言う。

一瞬想像するが、あまりの現実感のなさにセルフィエルは苦笑した。


「いや、それはないと思います。義姉上もお会いになったらわかると思いますが、精神的に強い娘なのです。自分の感情を抑制する術を知っているというか、常に理性でものを考えて動くタイプの人間です。それに10年前から覚悟したと言っていましたからね……今は大人しく、沙汰が下されるのを待っていますよ」


ジャクリーンは額を押さえてよろめいた。すかさずザフィエルが支える。


「大丈夫か、ジャクリーン」


「ええ、あなた……セルフィエルさんの発言に少し目の前が暗くなっただけですわ」


兄に睨まれ、セルフィエルは思わず心中で突っ込んだ。


(俺のせいなのか!?)


ジャクリーンが真剣な顔でセルフィエルに向き直る。


「……いいですか、セルフィエルさん。あなたの気持ちはともかく、その娘の気持ちはどうなんですの?」


……どうと言われても。


「いや……聞いていませんが、俺に好意を持っているとは考え難いですね。一目顔を見た時から俺の素性に気付いていたと言っていましたから。明らかに自分に恨みがあるはずなのに笑顔で近づいてくる相手に対して、恋情を抱く馬鹿はいません」


「馬鹿はあなたです」


「え……」


「今まで何人もの女性と浮名を流してきた癖に、女心を欠片も理解していませんのね。いいこと、あなたに触れられたり甘い言葉をかけられた時の彼女の反応はどうでしたの?」


「えーと……顔を赤くして慌てていました。まあ、だから俺も自信があったんですけどね、これはいけるって。でも、あれも演技だったのかと思うと女性の底知れなさを再確認して落胆したというか、恐怖を覚えたというか」


「なんで演技なんかする必要がありますの!本当に何とも思っていなかったのなら、笑って受け流せばいいことですわ」


「……あの、義姉上、話が見えないのですが、もう少しわかりやすく言っていただけませんか」


ジャクリーンは深呼吸して静かに告げた。


「……その娘も、あなたのことが好きなんですわ」


「………………は?」


妹に目をやれば、彼女は当然だと言わんばかりに大きく頷いている。

ジャクリーンが続ける。


「本当に……何でわかりませんの?その娘の胸中を想像するとぞっとします。自分を殺したいほど憎んでいるはずの男が、何故か優しく甘い言葉を掛けてくる。嘘だとわかっていても、駄目だとわかっていても好きになるのを止められない。あなたと一緒ですわ、セルフィエルさん。でも、……ええ、そうね、あなたの言った通り、きっと理性で動く娘なのでしょう。そんな自分を恥じて、穏やかな笑顔の下にあなたへの想いを隠し続けていたのですわ。……あなたに優しくされる度、嬉しい反面それが嘘だとも知っている。苦しかったでしょうね。……あなたが村を去る時、その娘はどんな様子でしたの?」


「…………覚えて、いません」


ヴァージニアが焦れたように口を挟む。


「……セフィ兄さま、……好きな男の人に冷たくされて平気な女なんていないのよ。……それくらい、わからないの?」


「でも……アリーシャは、今までの相手とは、全く違う」


彼女は嫉妬や媚、自己顕示欲といった、セルフィエルがこれまで付き合ってきた女性たちが当たり前に持っていたものとは無縁に見えた。

ジャクリーンが溜息を吐く。


「……一緒ですわ。いくら強くても、感情の抑制に長けていても、傷つかないわけじゃありません。……普通の、女の子なんですのよ」


セルフィエルの脳裏に、夕日の中で見たアリーシャの笑顔が蘇った。

最後に彼女に言った言葉が、どうしても思い出せない。

ジャクリーンが心配そうに呟く。


「泣いているだけならまだいいですわ。でも……思い詰めて、最悪の事態になっていなければいいのですが」


最悪の事態。それはつまり。


「――――――っ!」


考える前に身体が動いた。

気が付くとセルフィエルは部屋を飛び出していた。

遠ざかっていく足音を聞きながら残された3人は顔を見合わせ、誰からともなく苦笑する。


「まったく、しょうがない兄さまね」


義妹の言葉に笑って頷き、ジャクリーンは夫を見上げた。


「……いつもあなたを見ていましたから、セルフィエルさんは器用なのだと思っていましたけど……案外そうでもないんですのね」


「そうだな、あいつは今まで他人のことばかり気にかけてきたからな……自分のことに関しては、意外と不器用だよ」


そう言って、ザフィエルは愛おしそうに微笑んだ。



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