第33話 窮追
「……殿下、お話とは何でしょうか?」
翌日の昼過ぎ、セルフィエルは宰相のノーワンを王の執務室に呼び出した。ザフィエルとジャクリーン、ヴァージニアは、隣室の居間で待機している。
セルフィエルはノックと共に入室した宰相を固い表情で見つめると、わずかに口角を上げて声をかけた。
「仕事中にすまなかった。……座ってくれ」
そう言ってソファを指す。やや戸惑った顔のノーワンが腰を下ろすと、自分もその向かいに腰掛けた。正面から改めて宰相の顔を見る。
意思の強そうなくっきりとした眉はやや訝しげに寄せられているが、その下の青みがかった黒い瞳は通常通りに落ち着いていた。
セルフィエルはノーワンが先王の寄宿学校時代の学友だったということを思い出し、その年齢を40代半ばと推測した。顔色はやや不健康に青白いが眼光は鋭く、知性の高さを窺わせる。
父亡き後ザフィエルが王としての信頼と地位を築くまで、この国が諸外国と対等に交流を保ってこられたのはノーワンの功績と言っても過言ではなかった。
いざ本人を前にすると、自分の疑惑がアリーシャへの好意ゆえの不公平なもののように感じられる。セルフィエルは静かに一つ深呼吸をし、極力無心に、私情がこもらないように淡々と告げた。
「……単刀直入に聞きたいことがあるんだ。10年前の、先王崩御の時のことなんだが」
ノーワンの瞳がわすかに細められる。
「……ずいぶん唐突ですな。何でしょうか」
「実は先日、王太后が他界する直前に言い遺したんだ。先王を殺したのは乳母ではなく、実は乳母の孫娘で、その娘はまだ生きている。彼女を保護し、国外に逃がしてやって欲しいと。俺は彼女に会い、10年前何があったのか、その娘の口から聞き出すことができた。しかし昨日兄と妹と話していて、母上の話とその娘の話に食い違いがあることに気付いたんだ」
セルフィエルは一度言葉を切り宰相の反応を見たが、彼は無表情でセルフィエルを見返している。セルフィエルは続けた。
「……そのため昨夜、納得のいく説明を探して議論したのだが我々だけで埒が明かない。何せ当時俺と兄は寄宿学校に入っており、王宮を空けていた。父の訃報を聞いて慌てて戻った時にはもう全てが終わっていたんだ。妹のヴァージニアは当時4歳。何も覚えていなかった。そこでお前に聞きたいんだ。当時のことを一番よく知っているのはおそらく10年前も宰相位に就いていたお前だ。……当時、何か不審に思ったことはなかっただろうか」
口を閉じて向かいの男の目を見つめる。ノーワンは瞼を閉じて一つ大きな溜息を吐いた。
「……突然言われましても……これと言って、思い出せませんが。先王様が見罷られてからこの10年、実にたくさんのことがありましたので、それらに埋もれて正直なところ記憶があまり定かではないのです。当時わたしは事態の収拾に努めるのが精一杯で、亡くなられた先王を拝見したのも葬礼の際が最初で最後でしたから……しかし、何が問題なのですか?その娘が殺したのだと、王太后さまが言われたのでしょう。まさか、その娘は自分ではないと言っているのですか?」
「いや、その娘……アリーシャは自分が先王を刺したのだと認めている。……しかし母上は実際に彼女が刺したところも、父が絶命した瞬間も見ていない」
ノーワンがあからさまに眉を顰め、首を傾げる。
「わかりませんな、殿下。何が矛盾しているというのですか。現にその娘は自供しているのでしょう。自分がやったと」
「ああ……しかしアリーシャの話によると、彼女は小刀で父に一撃しか与えていない。なのに母上の話では、父の身体には複数の刺し傷があったらしい。……これでは辻褄が合わない。この疑問を解決するべく、昨夜から話し合いを続けているんだ」
「……その娘が嘘を吐いているのでは?」
「……そうかもしれない。でも理由がない。……こうは考えられないか?アリーシャは急所を突いたと確信しているが、当時まだ幼かった彼女の技術、そして異常な精神状態の中にあった混乱のせいで、彼女の攻撃はわずかに父の内臓を逸れ、致命傷を負わせるには至らなかった」
「…………」
「しかし多量な出血に父に気を失い、そしてアリーシャも気絶してしまった。母上が逃げるアリーシャの後ろ姿を見てから、すぐに庭に出て父上の遺体のそばで小刀と乳母を見つけている。……娘が気を失ってから乳母がアリーシャと父上を発見する間に、誰かが気絶していた父上に近付いて、落ちていた小刀で止めを刺した」
あくまで淡々と話しながら、セルフィエルはノーワンの変化を注意深く窺っていた。こころなしか、彼の青白い顔からさらに生気が失せ、一層色をなくしたように見える。瞬きもわずかに多くなっているようだった。
「……そんな……その娘が混乱していたと仰るのであれば、それこそ何回刺したかなんて覚えていないでしょう。本人が1度だと言っても、実際は何回も刺したかもしれない」
「しかしアリーシャは生まれた時から父直々に訓練を受けていたんだ。将来、父直属の暗殺部隊の一員になるために。もしも彼女が本当に無意識だったとしたら、急所を一撃で仕留めるように身体が動くのが自然ではないだろうか。なぜ真っ先に心臓を狙わなかったんだろう」
ノーワンが口許を歪めてわずかに笑み、早口に続けた。
「それこそ咄嗟の出来事に錯乱していたんですよ。その娘は当時まだ9歳だったのでしょう?身長が届かなかったんじゃないですか。だから脇腹を」
瞬間、セルフィエルは身体が強張るのを感じた。聞き違いだろうか。……いや。
一拍置いて、手足の先からじわじわと絶望感が這い上がってくる。
一気に汗ばんできた両手を、膝の上で痛いほどに握りしめた。そして自分に言い聞かせる。……落ち着け、冷静になるんだ。
俯いたまま動かないセルフィエルに、ノーワンが不審げに声をかける。
「……殿下?どうかされましたか?」
「今、何て言った?」
「は?」
「身長が、届かなくて……だから?」
「ですから……心臓には手が届かなかったんでしょう。それで……」
唐突に言葉が切れる。口を開いたまま目を見開く。
空気が凍りつく。セルフィエルはゆっくりと立ち上がった。その動作に怯えたように、ノーワンもソファから腰を上げる。
「……!」
「……母上によれば、父上が身体の数箇所に受けていた刺し傷は、全て小刀によるものだと見受けられたらしい。正面から胸と喉、そして、……脇腹。母上は思ったらしい。ああ、おそらく少女は不意をついて脇腹を刺したあと、倒れた父上の胸と腹にとどめを刺したんだと。でもアリーシャは一回しか刺していないらしい。そのあとは泣き疲れて眠ってしまい、気が付いたら祖母に抱きかかえられていたそうだ」
「……その者が嘘をついているのではないですか」
ノーワンが絞り出すように言う。その表情にはもはや余裕は微塵もなく、顔は苦しげに歪んでいる。セルフィエルは厳しい声で続けた。
「俺にはそうは思えない。それにたとえそうだとしても、お前がなぜアリーシャの刺した場所を知っているかの説明にはならない。アリーシャは夜のうちに逃げ、アーシェは王妃と出会ってから一晩幽閉され、翌朝処刑された。お前は先程、父の遺体を見たのは棺の中が最初で最後だと言った。葬礼の時には衣服も整えられ、傷口は見えなかっただろう。……お前に、アリーシャがどこを刺したか知る機会などなかったんだ。……アリーシャと父が気絶している最中に、2人の傍に近寄らない限り」
「―――――っ!」
ノーワンが顔を上げた。よろよろと数歩後ずさると、ぱっと身を翻して駈け出す。セルフィエルが咄嗟に腕を掴もうとするが間に合わない。
「待て!」
制止の声も無視し、ノーワンは勢いのままに執務室の扉に体当たりするように開け、室外に走り出た。部屋の外に立っていた衛兵が、転がるように出てきた宰相を見て驚きと困惑の表情を浮かべる。
「捕らえてくれ!城の外に逃がすな!」
セルフィエルが声を張り上げると、衛兵は動揺しながらも我に返りノーワンを確保しようと追いすがる。
騒ぎにザフィエルとジャクリーンも廊下に飛び出してくる。
しかしノーワンはすでに廊下の角を曲がろうとしていた。
と、偶然向こうから別の衛兵が曲がってきた。衛兵が宰相の体当たりを受けるような形で2人は衝突するが、体格差から尻餅をついたのはノーワンの方だった。
「うわっと……、……ノ、ノーワンさま!?申し訳ありません、大丈夫ですか?」
若い兵士は慌てて手を差し伸べる。が、
「捕まえてくれ!」
「え?殿下!?……へ、陛下と王妃さま、それにヴァージニアさまも!?」
駆け寄ってくる3人に混乱し彼の動きが止まる。その隙を突き、ノーワンが懐から護身用の刀を抜いて目の前の兵士に切りかかった。
「ちょ、ど、どういうことですか!」
兵士も動揺しながら自らの剣を抜き応戦する。しかし文官と武官では勝負にならない。瞬く間にノーワンは峰打ちにより気絶し、床に崩れ落ちた。
「陛下……これは……」
追いついた国王を見上げ事態が把握できない若い衛兵に、ザフィエルは告げた。
「……ご苦労だった。悪いが宰相に縄をかけて、地下の尋問室に運んでくれないか。舌を噛まないように口に布を咥えさせるのを忘れるな。わたしも すぐに行く、それまで見張りを頼む」
ぐったりと意識を失った宰相が兵士に担がれていった。ザフィエルは傍らの弟を見やる。
「……俺が話を聞いてくる。お前は休んでいろ。……ご苦労だった、セルフィエル」
ザフィエルは労いの言葉をかけながらも、苦々しい表情を崩さなかった。セルフィエルは兄の顔を見つめ、顔を歪めると小さく頷いた。