第30話 星空の下の帰途
ドーラムから王都へ向かい、セルフィエルは馬を駆っていた。
深夜だからだろうか、時折り馬車とすれ違うくらいで、徒歩や自分のように騎乗の人間は皆無だった。
いくら春とはいえ、飛ぶような速度で駆け抜ける夜道は冷える。顔に冷気を受けながら、セルフィエルはようやく自分が落ち着きを取り戻してくるのを感じていた。冷静になるにつれ、軽い自己嫌悪に陥る。
「…………何してるんだろう、俺…………」
思わず呟いた独り言は、一瞬白く漂うと瞬く間に後ろに流された。
本当に、何故こんな夜中に王都に向かって馬を走らせているのだろう。
おそらく帰り着くのは午前3時頃。当然兄も妹も寝ている時間だ。
3人で落ち着いて話ができるとしたら、どんなに早くても夕食の時だ。まだ丸一日ある。村で朝を迎えてから王宮に帰っても同じことだったのだ。
彼女の家で夜を過ごすことが困難ならば、酒場の主人に頼めば留めてくれたはずだ。
もう祭りは終わったのだ、空き部屋の一つくらいあっただろうに。
「……はー」
そんなことにも思い当らなかったとは、どうやら自覚している以上に自分は動揺していたらしい。
しかし驚いたのは、この期に及んでもアリーシャに対して負の感情が湧いてこないということだった。
話を聞く前は全てを語られた後怒りと憎しみに心が支配されて淡い想いなど吹き飛んでしまうと思っていたのだが、思いのほかセルフィエルは冷静だった。
おそらくアリーシャが終始落ち着いていたことと、事の顛末が想定の範囲内だったこと、そして たどたどしく打ち明けられた理由に僅かでも共感してしまったことが原因と思われる。
しかし事実は変わらない。アリーシャは確かに父を刺して、逃げたのだ。
セルフィエルは陰鬱な気分になった。
王都を出た時は、こんな風に複雑な気持ちを抱えて戻ることになるなんて思いもしなかった。父の仇をとれると意気揚々と出かけたのに。
アリーシャの口から10年前のことを聞いた今、彼女を生かしておく理由はない。
なのに殺すこともできず、かと言って国外に逃がすこともせず、ただ迷って逃げるように村を出てきてしまった。
最後に自分が何を言ったのかもよく覚えていないし、アリーシャがどんな顔をして自分を見送ったのかも記憶にない。正直自分に手一杯で、彼女の様子を気にする余裕なんてなかった。
(……どうしよう……)
セルフィエルは空を仰いだ。満天の星空が視界いっぱいに広がる。
王都に帰って、兄と妹に会ってから自分は何を話すというのか。
本当は殺すつもりで父の仇に会いに出かけたが、気が付いたらその娘を好きになっていた。話を聞いたが命を奪う気にもなれず、どうしたらいいかわからなくなって帰ってきた。
(…………)
正直に要約するとこうなる。セルフィエルは目眩がした。間抜けにもほどがある。
これを打ち明けた時の兄と妹、そして兄嫁のジャクリーンの顔が想像できない。驚くところまでは予想がつくが、そのあとどう反応するのか三者とも全く読めなかった。
(怒りは……しない、とは思うけど……)
兄は無表情で頷いて終わりかもしれない。妹はわからない。空想癖があるから、もしかしたら兄の恋愛話、という観点から興味を持つかもしれない。ジャクリーンは……兄の反応によるか。
また溜息が漏れた。
2人は黙ってセルフィエルの好きなようにさせてくれたと言うのに、何という体たらくか。セルフィエルは未だかつて自分にここまで落胆したことはなかった。
(…………でも)
ほぐれてきた頭で考える。
アリーシャの話を聞いても変化のない彼女への気持ちに安堵している自分がいることも確かで、そしてその感情こそが驚きだった。
全てを聞いた後でも彼女を好きでいられたことにほっとしている。
冷静になってみれば、全くひどい状況だった。父への尊敬と忠誠心が、彼女への想いに負けたということか。
(…………いや)
そういうことではないだろう、と思った。
父のことを今でも敬愛しているかと問われれば、セルフィエルは胸を張って是と答えることが出来る。父がこれからという時に命を絶たれたのは無念だし、それ自体には憤りも覚える。
しかしそのこととアリーシャへの気持ちは、もはやセルフィエルの中で完全に別物となっていた。
(まあ……だからこそやっかいなんだけど)
不思議と悪くない気分だった。
最近気付いたが、自分は存外に前向きな性格だったらしい。落ち込みはするが、そこからの浮上が早い。この ひと月で見つけた己の意外な長所だった。
手綱をわずかに引き、少し馬の速度を落とす。直線に伸びる道。前後には自身の他に影も見えない。
「…………」
白い息を吐き、再び空を見上げた。空気が澄んだ春の夜空を見られるのもあとわずかだ。すぐに夏が来る。
ならば今のうちに眺めておこうと思った。
どのみち王都に着いたら、ゆっくり星を眺める時間などないだろうから。