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第28話 特別



「ぅあっ……!」


どしゃりと音を立てて、積もった雪で濡れた地面にアリーシャは力いっぱい叩き付けられた。だが痛みを感じている暇などない。すぐに追撃が来る。飛んできた拳を間一髪で躱し、即座に体勢を整える。

そんな彼女を見て、グリエルはわずかに口角を上げた。


「いい反応だ。すでに反射のみで動けているようだな。速さは……まだ少し足りぬところはあるが、成長過程だ。これから筋肉も付いていくだろう。……さて、そろそろ切り上げるか。もうすぐメイシーラとヴァージニアが帰ってくる頃だ」


その言葉にアリーシャは戦闘態勢を解き、顔に付いた泥を袖口で拭った。


「はい!……!?」


その時だった。ふと、人の気配を感じる。近い。


「……グリエルさま……」


小声で王の名を呼ぶと、グリエルは無表情のままゆっくりと鞘から剣を抜いた。


「ああ……誰かいるな。隠れているらしいところをみると城の者ではないか……。王宮の内部……しかも王族しか入ることを許されないこの庭にまで侵入するとは、よほどの手練れだ」


「…………」


アリーシャもまた腰から小刀を抜き、腰を低くして構える。先ほどの気配は消えていた。

あたりに静寂が満ちる。

すばやく周囲に目を走らせる。いつも通りの光景。茂み。小さな池。枯れた井戸。

木々の陰に、子供がいた。


「――――っ!?」


アリーシャは心臓が止まるかと思った。無表情にアリーシャを見返すあどけない顔の主は5つか6つほどの男児だった。ばくばくと鳴る胸を押さえ、安堵の溜息を吐く。


「……はー、びっくりした……。グリエルさま、いましたよ。男の子です。たぶん侍女さんか女官さんの子が迷って……」


「アリーシャ!」


グリエルを振り向きながら言いかけたアリーシャの言葉を、鋭い声が遮る。次の瞬間、アリーシャの脇を男児が一瞬ですり抜けた。その小さな手には吹き矢が握られている。


「―――――っ!」


無理やりに身体の向きを変え、その小さな身体を追いかける。状況が把握できない。しかし確かなことは、彼の口にあてられた吹き筒の先は真っ直ぐ王を狙っているということだった。

吹き矢が放たれる。グリエルは剣を一閃してそれを叩き落とした。男児はそれを見ても無表情のまま、後ろに跳びながらまた吹き筒を構えた。


「グリエルさま!大丈夫ですか!?」


アリーシャの叫ぶような問いかけに、王は頷いて答えた。


「ああ。しかし……恨みを買い過ぎてどこの国の刺客かはわからんが、考えることは皆同じだな。あいつもお前と同じ……生まれた時から訓練を受けた暗殺者だろう。しかしあんな子供に一国の王の暗殺を任せるとは考え難いな……おそらく、指示した奴は最初からあの子供が返り討ちに合うことは想定済みだ。あいつを捨て駒に使うことで、俺の周りの情報をできるだけ集めるのが目的だろうな」


アリーシャの背に悪寒が走った。全身の毛が逆立つような感覚を覚える。


「おい、しっかりしろ。……来るぞ」


「は……はい」


かろうじて返事をする。しかしその胸は氷を飲み込んだかのように冷たかった。

……捨て駒。最初から、殺されることを想定して。

頭の中で王の言葉が反響する。口の中が渇く。


(考えることは……皆、同じ?)


グリエルさまも、そう思っているのだろうか、……わたしのことを?


頭を左右に激しく振る。なんてこと、一瞬でもそんなことを考えるなんて。

そんなこと、あるはずがないのに。

顔を上げると、向かってくる子供に向かってグリエルが剣を構えるのが見えた。

アリーシャは思わず声を上げる。


「グ……グリエルさま!?ま、まさか、殺すつもり……」


「当たり前だ。どこの誰かは知らんが、これ以上諜報されるわけにはいかん。一刻も早く仕留める」


王は振り返らずに答える。冷静な声。言外に愚問だと言われた気がした。

アリーシャは思わず、自分の立場も忘れて食い下がった。


「でっ……でも、あの子は何もわかっていません!ただ……ただ指示をされた通りに、誰かの役に立ちたくて、それだけで……!」


きっと、自分のように。


しかし今にも泣き出しそうなアリーシャには一瞥もくれずに、グリエルは間合いに入った男児に向かい剣を振りかぶった。

刹那、無表情だった顔に一瞬恐怖の色が宿る。


「――――――っ!」


一瞬見えたその表情がアリーシャの目に焼き付いた。

男児の顔が、今日別れたばかりのヴァージニアの笑顔とだぶる。

同じくらいなのに。まだ、あんなに小さいのに。まだ真っ白で、きれいなままでいられるはずなのに、なんであの子は、…………わたしは。


思考が灼き切れた。身体が勝手に動く。

逆手に小刀を持ちかえ、左の掌で柄尻を支える。

体中に響く、重い感触。


――――――気付いた時には、両手が真っ赤に染まっていた。


「……何という………ことを………………」


呆然とした声が耳に届く。頬につぅっと水が伝う感触。視界の隅から男児が消える。予想外の事態に退くことにしたのだろう。アリーシャは震えて涙を流しながらも、わずかに安堵した。

しかし、見上げた先の見開かれた紅茶色の瞳と目が合い再び全身が恐怖に包まれる。熱い涙がとめどなく流れ、俯く。


「………ごめ……なさい……」


口から漏れたのは謝罪の言葉。だがそれとは裏腹に、両腕にはさらなる力が籠った。


「……お前……わかっているのか。無事ではすまないぞ……お前も……アーシェも……なんという……ばかなことを……」


苦しげに絞り出される言葉。

アリーシャを後悔が襲った。おばあさま。ああ、わたしは、何ということを。


(……でも)


心の中で形にならない言葉が荒れ狂う。

ひどい。なぜ、そんなことができるの。同じ子供なのに、今日ヴァージニアさまをなでたその手で、なぜ……あの子を殺せるの。

みんな同じなのだろうか。わかっていた、グリエルさまにとって本当にたいせつなのは、2人の王子さまと、ヴァージニアさまと、メイシーラさまだけ。

わかってた、けど……もしかしたら、ほんのすこしでも、わたしもグリエルさまのとくべつになれるかもって……だから今まで、いっしょうけんめい…………なのに。


だいすき、だったのに。


様々な思いは言葉にならなかった。

アリーシャは泣きながら、ただ壊れたように謝り続けた。

王が目を閉じて、動かなくなるまで。




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