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第26話 ミモザ祭りの夜


ミモザ祭りの朝がやってきた。雨はすっきりと上がり、空はきれいに晴れ上がった。

セルフィエルは朝早くに訪ねてきたメリーベルの祖父によって酒場の応援として駆り出され、アリーシャは久しぶりにいつもよりもだいぶ遅く起床した。

今日はまる一日休暇だ。正午近くにターニャと待ち合わせて町をまわる予定である。メリーベルはナイジェルと約束があるらしく別行動だ。

正午まではまだ時間がある。アリーシャは部屋の掃除を済ませ、洗い終わった洗濯物を干すために外に出た。

強い日差しに思わず目を細める。そのまま瞼を閉じてゆっくりと息を吸った。

春の匂いがした。雨上がりの土の香りも。

今から町へ下りるのだろう、家族連れのはしゃぐ声が聞こえる。

目を開けて、空を仰いだ。雲一つない、真っ青な快晴。

少し視線を下ろせば、見慣れた村の風景、人々、緩やかに町へと下る坂道。


「…………」


心の底から愛しさがこみ上げ、笑みが漏れる。

絶望の只中にいた自分を掬い上げて、優しく包みこんでくれた場所。

ゆっくりと時間をかけ、癒してくれた。アリーシャが自分で居場所を見つけられるようになるまで。

この村が、ドーラムの町が大好きだった。

ここで暮らしていきたい。許されるなら、年老いて死ぬまで、ずっと。


(……だけど)


今朝、家を出て行く時のセルフィエルを思い出す。何かを決意した顔で話があると言っていた。彼の顔を見たときから、胸の奥のざわめきが消えない。


「…………」


その時、鐘が2回鳴るのが聞こえた。考え込んでいたアリーシャは我に返り、地面に置いた洗濯籠を抱えて家の裏手に回った。




ミモザ祭り当日はその名の通り、町中にミモザの花が溢れる。

目に入る全ての建物の壁がミモザの黄色で覆い尽くされ、女性たちは皆思い思いに編んだミモザの花冠で髪を飾っていた。町中が鮮やかな黄色に染まり、太陽の光を反射して輝いている様は圧巻だった。

正午過ぎにターニャと合流し、露店をまわり始める。いつもと変わらない服装のアリーシャと違い、ターニャは膝丈の明るい山吹色のドレスを着ていた。髪にはもちろん手作りの花冠である。「アリーシャの分も作っておいたわよ!」と言われ、断り切れずにアリーシャも頭にミモザを飾った。少々照れ臭いが、今日は特別な日だ。他の大勢の女性たちと共に自分も楽しむことにする。

日が暮れる頃、ターニャの店の前で彼女と別れた。手を振って見送ってから視線を感じて振り向くと、微笑みを浮かべたセルフィエルが立っていた。


「セインさま。酒場のお手伝いは終わられたのですか?」


アリーシャが走り寄りながら聞くと、セルフィエルが首を鳴らしながら答える。


「うん、これから夕食時なのにって引き留められたけど、アリーシャと約束があるって言ったら快く送り出してくれたよ。……今町に来たところだけど、すごいね。町中黄色一色だ」


感心したように言われ、アリーシャは自分のことではないのに何故か誇らしい気持ちになった。


「きれいでしょう?昼間の太陽の下のミモザも素敵でしたけど、こうやって夕日を映して橙色に染まっているのも良いですよね……。毎年本当に楽しみなんです」


わずかに胸をそらしてそう言うと、セルフィエルが微笑んでアリーシャの髪に手を伸ばした。一瞬どきりとしたが、彼の指はアリーシャには触れず、花冠の花びらをちょんと摘まんだ。


「これ、今日は町の女の人みんな頭に乗せてるね。アリーシャも被ってるなんて思わなかった。……似合ってるよ、可愛い」


「……ありがとうございます。ターニャがわたしの分も作ってくれて、せっかくだし、年に一度だからと思って……」


言われ慣れない言葉に動揺し、口調が少々言い訳がましくなる。

そんなアリーシャを見下ろしながら、セルフィエルが静かに言った。


「……アリーシャ。君に話したいことがある。だから迎えに来たんだ。でも今すぐじゃなくてもいいよ。君がもう少しここにいたいと思うなら、帰りたくなるまで付き合う」


居心地悪げに彷徨わせていたアリーシャの視線の動きが止まる。鳶色の瞳がセルフィエルを見上げ、やがて細められる。アリーシャは嬉しそうに笑い、しかしゆっくりと首を振った。


「……いえ、もう充分です。今日一日、すごく楽しくて、とっても幸せでしたから。……家に帰りましょう」


「……わかった」


町中の喧騒を抜けて、ニース村へと続く道に入る。いつもは静かなこの道も今夜は人通りが多い。1時間ほど歩いて2人はアリーシャの家へ辿り着いた。


「今お茶を淹れますね。セインさまは1日働いてお疲れになったでしょう。座って待っていてください」


「うん……ありがとう」


セルフィエルはどくどくと速まる心臓の音を感じながら、台所の椅子に腰掛けた。

そして卓子の上で手を組んで考える。

……どう切り出すべきか。

とりあえず、素性を明かさなければ何も話せない。騙していたことを謝り、名乗って、王太后の遺言を告げる。何故自分がここに来たのか経緯と目的を説明し、その上で尋ねる。王太后の言ったことは本当なのか。もしそうだとしたら、10年前に何があったのか。何故父を刺し殺したのか。そして……そして。

思考が止まる。……その後は正直どうしたいのか、自分にもまだわからない。


しかし全てを打ち明ける前に、はっきりと伝えておきたいことがある。

アリーシャに対する自分の気持ちだ。

全てを話してしまったあと、何が起こるか分からない。理由次第で自分が逆上してアリーシャを殺してしまうかもしれないし、その逆だってないとは言い切れない。

ならばその前に、苦悩の果てにようやく認めた彼女への恋情を、アリーシャには知っておいて欲しかった。


「……お待たせしました」


ことり、という音と共に、セルフィエルの前に湯気を立てたティーカップが置かれた。


「……ありがとう」


「いいえー」


アリーシャは自分の前にもカップを置き、椅子に腰掛ける。セルフィエルは卓子の中央に置かれた灯りに照らされる彼女の顔を眺めた。アリーシャはお茶を一口啜ると、穏やかな微笑を浮かべて口を開いた。


「……それで、お話とは何でしょう、セインさま」


「…………」


唾を飲み込む。セルフィエルは深呼吸をするとアリーシャの瞳をじっと見つめ、ゆっくりと確かめるように口を開いた。


「……まず……アリーシャ、俺は君のことが好きだ」


アリーシャの目が見開かれる。

わずがに唇が動くが、彼女の言葉を待たずにセルフィエルは続けた。


「冗談だと思うかもしれない。……確かに出会った頃は、俺の知っている女の子達と違う君の反応を見て楽しんでいた部分もあった。でもこの半月一緒にいて、君のわずかな表情の変化を気にするようになって、もっといろんな顔を見たいと思うようになって……たまに見せる心からの笑顔を、心底愛しいと思った。……いつの間にか、どうしようもなく君に惹かれている自分に気付いたんだ」


アリーシャは俯いたまま黙っている。表情は見えない。

セルフィエルは一息吐いてから、囁くように言った。


「……アリーシャ、俺は本気で君が好きだ。……これだけは、俺がこれから何を話しても変わらないから……信じてほしい」


口を閉じ、アリーシャの反応を待った。

アリーシャは俯いたまま動かず、前髪が影を作って彼女の顔は窺えなかった。


「…………?」


予想していた反応と違うことにセルフィエルは戸惑った。……てっきり「からかわないでください」と苦笑されるか、真っ赤な顔で照れるかと思っていたのだが。


「……アリーシャ?」


あまりの無反応に、彼女の顔を覗き込むようにして小声で囁く。灯りに照らされたその頬が普段よりも青白く見える。

返事はなく、しばらく重い沈黙が落ちる。


「…………」


セルフィエルがもう一度声を掛けようと息を吸ったとき、アリーシャが すっと顔を上げた。

その表情を見て、セルフィエルはどきりとする。

彼女の表情は普段通りだった。いつも通りの、笑顔。


アリーシャが口を開く。掠れた声で問われる。


「……好き、なのですか。わたしのことを、あなたが」


…………あなたが。


どういう、意味だろう。

セルフィエルの心臓が、どくりと脈打った。

手にじんわりと汗がにじむ。嫌な感覚が胸を締め付けた。


「……そうだよ、アリーシャ。俺は君が好きだ」


一瞬、アリーシャの笑顔が泣きそうに歪む。

そして、ゆっくりと言った。



「…………あなたは」



「あなたは…………わたしを、殺しにきたのでしょう」





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