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第25話 雨上がりの、夕焼けの色

だいぶ小雨になってきたとはいえ視界は未だ晴れず、3歩先は白く濁って判然としなかった。

濃い霧の中を、アリーシャは獲物を抱えて歩いていた。一歩ごとにぬかるんだ地面から足を持ち上げようとするたび、肋骨がずきりと痛んだ。

それでも休憩を取らず、一定の速度を保って歩き続ける。

髪と衣服が身体に纏わりついて体温を奪う。手足の先の感覚はとうになくなっていた。

骨折した個所には何の処置もしなかった。昨夜は彼の手当てをしたあと、濡れた身体のまま寝台に入った。

普段ならそんなことはしない。この仕事は健康が第一だ。身体を壊した途端に収入が絶たれ、生活が立ち行かなくなる。

だが、昨夜はひどく投げ遣りな気分だった。思考が停止し、今朝起きてからも気分はますます陰鬱に濁った。脳にも身体にも泥が詰まっているようだ。こんな気持ちは久しぶりだった。この村に来たばかりの頃を思い出す。


(……いま、何時くらいだろう……)


時間の感覚が掴めない。全てに対する感覚がおそろしく鈍っている。


(……まあ……4つ鐘が鳴る頃には村に帰りつけるだろう……)


そう思った、瞬間。

ぐっと踏みしめた地面の泥に、ずるりと足を取られた。


「……!」


歩き慣れた道で油断していた。咄嗟に獲物を山側に投げ、重心を移動して体勢を立て直そうとする。が、無意識に折れた肋骨を庇いうまく力を込めるのに失敗する。

治療を怠った、自業自得。なんて滑稽な。思わず自嘲の笑みが浮かぶ。

本当は、こうなることを望んでいたのではないのか。


(……ああ、そうだったのか)


得心がいった。

些細な自暴自棄の果ての偶然の事故を、自分はいつも待っていたのかもしれない。なんと他力本願なことか。いつも、いつだって……自分では、何も決められない。

ふいに、すべてが面倒になった。目を閉じ、両足の力を抜く。

落ちる。


「―――――ぅえ!?」


喉の奥から奇声が漏れた。突然誰かに襟首を引っ掴まれ、強引に引き摺り上げられる。


「……っ、ごほっ、はっ……、っ……」


気道を急激に締め付けられ、そして解放されたせいで呼吸がうまくできない。

咳き込むせいでみぞおちが痛む。なぜか先ほどよりも痛みが鮮明だ。

涙ぐみながら背後を見やると、こちらも若干息を弾ませ、ぎゅっと眉根を寄せたセルフィエルが見下ろしていた。


「……セ、セインさま……」


戸惑いと共に弱弱しく呼びかけると、怒ったような顔のまま無言で睨みつけられる。


「…………」


その迫力に何も言えず戸惑いながら見返していると、セルフィエルはしばらく言葉を探すように視線を彷徨わせた後、結局諦めたように小さく息を吐いた。


「……探し回って見つけたかと思えば……。……まったく……こんなに霧が濃いんだから、もっと気をつけなくちゃ危ないでしょ」


いつかの自分の台詞をそのまま返される。思わず眉根を寄せ、目線を逸らしながら小声で礼を言う。


「……すみません。ありがとう……ございます」


「……はーーー」


すると彼は片手で顔を覆って深く溜息を吐き、その場に座り込んでしまった。


「……!?セインさま……?」


アリーシャも慌てて地面に膝を付く。ぬかるんだ土がぐちゃりと音を立てた。

なぜ彼がここに。いや、それよりも なぜ俯いたまま動かないのだろう。アリーシャはセルフィエルを正面から窺い、遠慮がちに声をかけた。


「……あの……大丈夫ですか。……あ、傷の具合はいかがですか?お疲れかと思って今朝は声をお掛けしなかったんですが……今日一日は、お休みになっていた方がいいですよ。わたしも町に獲物を届けたら家に帰りますから。明日はいよいよお祭りですからね。ミモザの花で、町中が黄色く飾り付けられるんです、とっても綺麗ですよ……。……ええと、雨も もうすぐ上がりそうですし、良かったです、明日はきっといいお天気に」


「ちょっと黙って」


沈黙が居た堪れなくて喋り続けていると、突然セルフィエルが動き、ゆるく抱きしめられた。

彼の肩口に顔を埋める格好になり、アリーシャは驚いて口を噤む。

以前と同じ状況だ。ただし、あの時の何倍もアリーシャを包む力は弱く、みぞおちが痛むことはなかった。


(……気遣って、くれてるのかな……)


自分勝手な願望だろうか。しかし、彼の腕からは優しさが感じられ、それがアリーシャを落ち着かせた。

とりあえず指示された通り黙ったままでいると、セルフィエルの指がゆるゆると動いてアリーシャの髪を梳き始めた。耳元でわずかに憮然とした声が囁く。


「……それは、アリーシャの癖なの?」


「え?」


「なんか……困ったり動揺すると、脈絡なく天気の話を始めるの……それ、癖?」


言われて、アリーシャはしばし考え込んだ。……そうなのだろうか。……そうかもしれない。

彼は何故か、アリーシャ自身でもわからなかったり気付かなかったりしたことを突きつけるのがうまい。だからきっと、これも当たっているのだろう。

そう思っていると、しみじみとした呟きが耳に入る。


「…………あー、なんか……こういう、小さなことが いちいち気になって指摘して確かめて、自分だけが知ってるんだー、とか……優越感に浸りたくなるのって、典型だよね……」


「はい?」


突然始まったわけのわからない独り言に、アリーシャは戸惑いの声を上げた。そんな彼女を尻目にセルフィエルは立ち上がり、彼女に向かって手を差し伸べる。


「なんでもない。……じゃあ行こうか」


「……?……はい」


差し出された手のひらに素直に縋り、腰を上げる。そのまま獲物に手を伸ばそうとすると、アリーシャの手が届くよりも早くセルフィエルが全て担ぎ上げた。


「俺が持つ。祭りまで手伝うって言ったんだから、責任持って最後までやらせて。……今朝、一人で行かせてごめんね。家に帰って、まずアリーシャの怪我の手当てをしよう。大丈夫、まだ時間はあるよ。今2時を回ったところだから。それから2人で町まで下りよう。……いいよね?」


「……はい」


アリーシャのまだ少し呆然とした返事を聞いて、セルフィエルは満足気に笑った。懐中時計に目をやる。


「じゃ、行こうか」


歩き出し、彼女が一拍遅れて後を付いてくるのを横目で確認してから、セルフィエルは空を仰いだ。


告げなければならない。そして訊かなければ。

最初は、親しくなって、あわよくば惚れさせて何気なく聞き出そうなんて思っていたけれど。

それももう無理だ。全く修正不可能なほどに計画は狂ってしまった。

自覚してしまった今となっては、そんな余裕はかけらも残ってはいない。

半日考えて、考えて……考え抜いて、覚悟ができた。

彼女に聞こう、真正面から。一体何があったのか。なぜ父を刺したのか、その理由を。

きっと彼女なら答えてくれる気がした。

それを聞いた後、自分の心に従おう。彼女を殺すのか、それとも母上の遺言の通り外国へ逃がすのか。


頑なに認めることを拒んで、目を逸らし続けて。

しかし一度認めてしまえば、それはすとんと胸に落ちた。

とても清々しい気分だった。楽になった胸で、ゆっくりと深呼吸をする。

空を見上げると、わずかに夕日の色が透けて見えた。

いつの間にか雨は上がっていた。


明日は、ミモザ祭りだ。



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