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第24話 その感情の名前は



その日の夕方から降り始めた雨は、翌日夕方まで降り続いた。


「…………ん…………」


壁を打つ雨音に、セルフィエルはぼんやりと目を覚ました。視線だけを動かして窓の外を見ると、灰白く明るい。枕元の懐中時計を確認すると、短針は5と6の間を指していた。


「…………」


昨日、2人はずぶ濡れのまま無言でアリーシャの家まで戻ってきた。アリーシャがすぐにセルフィエルの顎と額を消毒し、薬を塗る。

額に包帯を巻かれるまで、セルフィエルはどこか虚ろな瞳で彼女にされるがままだった。

手当てが終わると、アリーシャが遠慮がちに沈黙を破った。


「……もう今日は、寝ましょう。……明日もありますから」


そう声をかけられても、どこか現実味がなかった。脳への衝撃がまだ残っているのだろうか。返事をせずに、のろのろと床に敷かれた布団に入る。

自分に注がれるアリーシャの視線を感じるが、正直どうでもよかった。


「……おやすみなさい、セインさま」


囁くようなその声を合図に、セルフィエルは目を閉じた。


それから今の今まで眠っていたらしかった。


「…………」


寝台に目をやる。アリーシャの姿はなかった。山に狩りに出かけたのだろう。

今夜は前夜祭だ。町中の店が夜通し仕込みをするのと同時に朝まで開店するため、アリーシャの仕事は今日が一番忙しいと聞いていた。

おそらく帰りは鐘が4つ鳴る頃、そして家には寄らずにその足でドーラムの町まで獲物を卸しに行くのだろう。


(…………一人で出かけたのか)


起こされなかったらしい。

昨夜の自分の態度を鑑みると、当然と言えば当然かもしれなかった。

眠っているセルフィエルを起こさないように そっと起床し、身支度を整えて出かけたのだろう。


「……はー……」


仰向けに寝転がったまま、深くため息を吐く。交差した両腕を瞼の上に置き視界を塞ぐ。

包帯の巻かれた額と、布を当てられた顎がずきりと痛んだ。


(……そういえば)


セルフィエルは打撲で済んだが、アリーシャは肋骨を骨折したはずだった。

彼女の骨を砕いた感触が、まだ左手に残っている。


(……手当、したのかな……)


昨夜、帰ってすぐにセルフィエルの傷の処置をしてくれたことはぼんやりと覚えているが、彼女が自身の怪我をどうしたのか、うまく思い出せない。

セルフィエルが寝入ってから処置をしたのだろうか。

そして今日もまたいつも通り……いや、通常よりも労働量は格段に多い……獲物を狩り、担いで歩くのだろうか、雨でぬかるんだ歩き難い山道を。

そして休む間もなく町まで持っていき、礼を言われて、いつもの顔で笑うのだろうか。

負傷していることなんて、微塵も感じさせずに。


「………………」


そうなのだろう、と思った。彼女はそうやって生きてきたのだ。

苦しくても辛くても、それを絶対に表には出さず、自分の中だけに留めて。

それはきっと彼女にとって、息をするように簡単で、自然なこと。

でも。


(…………痛くないわけじゃ、ないよな)


昨日の打ち合いを思い出す。アリーシャはセルフィエルの要望通り、本気で戦ってくれた。そしてその結果、自分は負けた。

しかし、何よりもショックだったのは勝敗ではなく。

自分が一瞬でも、アリーシャを殺すことを躊躇ってしまったことだった。

あの時。アリーシャの背後に回った時。

勝てていた。殺せていた。……あのまま逡巡せずに、刀を振り下ろしていれば。

だが、できなかった。一瞬でも、ほんのわずかでも、セルフィエルは迷ってしまった。

彼女の髪紐が目に入った瞬間。

あのまま行けば刃の軌道上にあった髪紐は彼女の髪数束とともにやすやすと断ち切られ、そしてその先にある首は落とされていただろう。

何も訊かずに殺してしまっては意味がない。時機ではなかった。

そう言い訳することはいくらでもできる。

……だが。


「……っ」


唇を噛みしめる。


ずっとわからない振りをしてきた。だって、認めてしまったら、戻れなくなる。

なぜ自分はここにいるのか、それを忘れたことになってしまう。

尊敬する父を、敬愛する母を、裏切ったことになってしまう。


だからずっと、目を背けてきたのに。なのに、あの一瞬で。

刹那だったが、理解するには充分な時間。彼女の大切な祖母の形見だという飾り紐を傷つけることを躊躇った、その意味を。


喉が、ひゅっと音を立てた。

腕をどけて、天井を見上げる。視界がわずかにぼやけた。


はっきりと自覚し、吐き気がするほどの罪悪感に苛まれる。しかし、それでも。

そんな今でさえ、一人で雨の降りしきる山にいる彼女のことが、気掛かりで仕方がない。


「…………っ」


両目をきつく閉じる。

もはや疑いようがなかった。



――――――セルフィエルはアリーシャに、本気で惹かれていた。




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