第23話 手加減なしの、真剣勝負
次の日。
2人はいつも通り朝早く起き、身支度を整え、獲物を担いでドーラムの町に出かけた。
通りを歩く人の数が目に見えて多い。人数に比例し、町にあふれる熱気と活気も増していた。
何軒か飲食店や薬屋を回り、身軽になっていく。最後の1軒に立ち寄ったあと、アリーシャが笑顔でセルフィエルを見上げた。
「セインさま、とりあえず今日の仕事は終わりですけど、このあと村の酒場のお手伝いでしょうか?もしお時間があるようでしたら、少し町中を歩きませんか?普段は見られない露店なども出始めていますよ」
「いや……」
セルフィエルは口籠る。酒場の店主であるメリーベルの祖父には、今日は行けないと朝村を出る前に伝えてあった。
息を吸い、吐いてから口を開く。
「……アリーシャ」
「はい?」
彼女の目を真っ直ぐに見つめて、落ち着いた声でセルフィエルは告げた。
「……約束、覚えてる?背中の怪我が完治したら、打ち合ってくれるって。傷、治ったから、お願いできるかな?……ただ あの時は軽くって言ったけど……できれば本気で。手加減なしで……真剣に、仕合いがしたい。……いいかな?」
「…………」
アリーシャが驚いたようにセルフィエルを見つめる。数秒後、わずかに微笑んで答えた。
「……今日ですか?」
「うん。できれば今すぐ」
アリーシャが空を見上げる。
「……今日は、あんまり天気がよくないですね……風も出てきましたし、夕方から雨も降りそうですよ」
「アリーシャ」
普段よりも低めの声に名前を呼ばれ、アリーシャは笑みを浮かべたまま再びセルフィエルを見た。
「……わかりました。とりあえず、村に戻りましょうか」
それから1時間。2人はその道中をほとんど無言で歩き、ニース村に戻ってきた。
「……さて。……どこでやります?村の人たちから見えるところだと……心配かけちゃいますからね。喧嘩していると思われても困りますし。ちょっと山の中に入りましょうか。そう遠くないところに開けた平地がありますよね?あそこでいいですか?」
荷物を置きながら抑揚なく聞いてくるアリーシャに、セルフィエルは短く返した。
「いいよ。武器は……どうする?素手同士でも良いけど」
本来は、お互い剣で軽く打ち合うという予定だった。アリーシャも覚えているだろうが、そのことは言わず自分の腰の鞘を軽く持ち上げてみせる。
「わたしは小刀を使います。一番使いなれていますからね……。セインさまも、一番得意なものをお使いください。……でないと、納得できないでしょう?」
セルフィエルは はっとアリーシャを見た。普段通りの笑み。その表情から、彼女が何を考えているかを読み取るのは難しかった。
(……なんか、この顔を見るのも久しぶりだな)
最近は目にすることが少なくなっていた、無感情な微笑み。……セルフィエルはアリーシャを理解していた。少なくとも、彼女のその笑みが無表情と同じだと確信できるくらいには。
掴んだ剣の柄を、ぎゅっと握りしめる。
「……行こうか」
アリーシャも頷き、小刀一本だけを手に、立ち上がった。
「……風が……強くなってきましたね」
「…………」
山の中腹、木々が途絶えて少し見通しの良くなった岩場に、セルフィエルとアリーシャは向かい合って立っていた。足場は円状で、だいたい20歩も歩けば端から端へ行き着けるだろう。
「……空も……いよいよ雲行きがあやしくなってきました」
「…………初めに言っておくけど」
天候ばかりを気にするアリーシャの言葉を、セルフィエルが遮る。
「一切手加減なしで、本気で来てね。……いつも一人で狩りをしてる時みたいに」
アリーシャが一瞬瞠目し、自嘲気味に苦笑する。
「……ばれてましたか」
「偶然見たんだよ。俺の前では完璧だったから、心配しないで。……でも、今からは、そういうのなし。真剣に、真面目に、容赦なく、……殺すつもりで、かかってきて」
アリーシャの顔から笑みが消えた。数秒、その双眸を伏せて。
やがて顔を上げ、ゆっくりと、頷いた。
「わかりました。本気で、……命を奪うつもりで、いきます」
その言葉を合図に、2人の間の空気が変わった。触れれば切れそうなほどに、冷たく張りつめる。強まってきた風も、一瞬止まったように感じられた。
セルフィエルは静かに剣を構えた。腰をわずかに落とす。
対するアリーシャは自然体だ。右手に小刀を握ったまま、無造作にセルフィエルを見つめる。
先に動いたのはセルフィエルだった。剣を下段に構え、アリーシャに向かって疾走する。数瞬でアリーシャの目の前まで間合いを詰め、最後の一歩を踏みこんだ勢いのまま、刀身を下から上へなぎ払う。
(……!?)
感触はなかった。切ったのはアリーシャの残像のみ。直後、背後に気配を感じ頭で考える前に横に跳んだ。小刀が、横腹の布を切り裂く。
「――――っ!」
後ろに3歩跳躍し、距離を取る。アリーシャが間髪入れずに追ってくる。
と、突然目の前から彼女の姿が消えた。混乱する暇もなく、顎に衝撃が走る。岩場に手を付き、両足を振り上げて放たれたアリーシャの蹴り。鉛で殴られたような重さだった。痛みさえ感じず、脳天を芯から揺さぶられる。
思わず意識を飛ばしそうになるが、ぐっと堪えて目の前の足首を思い切り掴む。細い。先ほどの攻撃が信じられないほど。
逆手に掴んだアリーシャの足を軸に、遠心力を利用して彼女の身体を放り投げようと腕に力を込める。
刹那、アリーシャの顔が眼前に迫った。驚く間もなく目から火花が散る。腹筋のみで自らの上体を起こしたアリーシャが、勢いに任せて頭突きを食らわせたのだ。
セルフィエルが悶絶する。その拍子に緩んだ彼の手から足を引き抜くと、アリーシャは片手で足元を打ち、身体を半回転させて着地した。そして地を蹴ったその足で、即座にセルフィエルに向かってくる。
(……正攻法じゃ……敵わないか……)
セルフィエルも剣を構えなおす。その時、頬に冷たいものが当たった。とうとう降り始めたらしい。みるみる激しくなった雨で視界がぼやける。真正面から心臓を狙ってきた突きを上体を捻って躱し、返す刀で切りつける。アリーシャが一瞬で小刀を斜め上に振り上げて刀身を受け止める。
その一瞬を逃さず、セリフィエルは空いた左手の拳に渾身の力を込め、アリーシャの みぞおちを抉った。骨を砕いた感触が響く。
「……はっ……!」
アリーシャの口から空気が漏れる。かろうじて踏ん張り倒れこむことは避けるが、次の瞬間にはもうセルフィエルがアリーシャの背後を取っていた。
(……終わりだ……!)
アリーシャが振り向こうとするが間に合わない。セルフィエルが、アリーシャの首目掛けて剣を振り下ろした。
アリーシャの長い黒髪がぱっと広がる。
見開かれた鳶色の瞳。
そして。
セルフィエルの視界の端を、暗い雨の降りしきる中でも鮮やかな、青色が掠めた。
(――――っ!)
腕の力に、刀身の速さに、一抹の躊躇が混じった。
アリーシャはその一瞬を見過ごさなかった。振り向きざまに重心を落とし肩からセルフィエルの胸に体当たりする。
そして仰向けに倒れた彼の上に馬乗りになり、首元にぴたりと小刀を押し付けた。
「…………」
「…………」
2人の間に沈黙が下りた。激しく降り続く雨音と、互いの息遣いだけが空間を満たす。
セルフィエルはしばし呆然としたあと、顔面を容赦なく打ちつける雨に目を細めながら、一つ深く溜息を吐いてアリーシャを見上げた。
「……まいったよ。……君の勝ちだ」
首元から小刀が退けられる。
アリーシャは無言でセルフィエルを見下ろすと、泣きそうな顔で笑った。
彼女の頬を流れ落ちる水が、まるで涙のようだと、セルフィエルは思った。