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第1話 ニース村の少女

あたりが段々と明るくなり始め、目の前の岩壁に光が射したので振り向くと、遠くの稜線を縁取るようにして日が昇り始めたところだった。


「……3日前より日の出の時間が早い……もう春だなあ……」


眩しさに思わず目を細めてひとり言をつぶやく。

アリーシャは現在、垂直の断崖絶壁の斜面を、自分の両手と両足だけで登っていた。


腰までの真っ直ぐな黒髪を青い飾りひもでくくり、背中には今日の収穫である山菜と薬草、ケナガ鳥の卵が入った大きな籠を背負っている。

服装はいつも通り、薄物の半袖の上にゆったりとした膝までの上着を重ね、ズボンの裾は布製の長い編み上げ靴の中に入れ、両手には指先の出る皮手袋をはめていた。 腰には狩猟や採取に必要な道具の入った小さな物入れを巻いていたが、今使われている道具は、崖縁の木の幹とアリーシャの胴をつなぐ長いロープだけだった。下を向けば谷底は深すぎて底が見えない。上を見れば、崖の縁に生えているのであろう木々がぼんやりと見える。


おそらく、太陽が完全に山の上に出るくらいまでには、上までたどり着けるだろう。

アリーシャはそうあたりをつけた。そして再び斜面に向き直ると、一手一手、一歩一歩慎重に登り始めた。



アリーシャの住む村は、ファーディラム大陸にある4つの国の一つ、西のエストレア王国シェットクライド州のニース村という小さな村である。


エストレア国の都ベルファールから、隣国レスランカとの国境に位置するシェットクライド州の州都ドーラムまでは馬車で6時間、さらにドーラムからニース村まで徒歩で1時間かかる。

国の端の州だが、5年前に現エストレア国王がレスランカの王族の姫を正妃に迎えてからもともと盛んだった両国の貿易、交流はますます栄えた。

両国間の全ての物流は必ず一度ドーラムを通る。そのため、州都ドーラムからベルファールまでの道路は念入りに整備され、2つの大荷馬車がすれ違えるほどに道幅は広かった。

またこの町には国境警備隊の駐屯所も設置されており、昼夜見回りの兵士が巡回しているため治安もよく、ドーラムは今では立派な宿場町として国の外貿の要になっていた。


「……よい、しょっと」


両の手のひらで少し湿った雑草をしっかりと掴むと、アリーシャは腕の力で体を引き上げ、無事に崖上の地面に両足を着けた。


と、同時に鐘の音が聞こえる。回数は1回。


この国では、1日に5回教会が時刻を知らせるために鐘を鳴らす。

日が昇りきった早朝に1回、日の出と正午のちょうど中間で1回、正午に1回、正午と日没の間で1回、そして日が完全に沈んだところで1回である。

それぞれの鐘の回数は早朝の鐘が1回、次が2回と1つずつ増えていき、日没の鐘が5回で最後だ。

だいたいの人々は自分で空を見れば今が1日のどのあたりなのか見当がつくが、雨の日など天候が悪く太陽が見えない時には鐘の音を頼りにその日の仕事の割り振りをする。

ほぼ予想通りの時の経過にアリーシャはわずかに笑みを浮かべ、森に向かって歩き出した。この森を抜けるとすぐにアリーシャの暮らす小さな小屋があり、ニース村の人々が暮らす集落がある。


アリーシャは普段、村人には入ることの難しい山の奥深くや崖の斜面に生えている珍しい植物や薬草、また食糧的価値の高い野生の動物を狩り、それらを州都で売って暮らしている。


彼女が9つの時、アリーシャはニース村に住み始めた。

最初の1年は村長夫妻に養われるだけだったが、10になる頃にはただ世話になることがとても居心地悪く感じられるようになり、仕事を見つけたいと思うようになった。


この村でできて、他の人の商売の邪魔をせず、元手がかからず、自分にできること。


必死に考えた結果浮かんだのが、自らの身体能力を生かした貴重な動植物の狩猟採集だった。村で1年暮らしながら周囲の子供たちを見るうちに、自分の体は彼らのそれとは違うことにぼんやりと気づいていた。

彼らは狙った川の魚に石を当てて気絶させることもできなかったし、遥か上空を飛びまわる鳥を射落とすこともできなかった。

底の見えない谷底に生える薬草を取ってくることも、力任せに突進してくる熊を一撃で仕留める技も知らなかった。そもそも彼らは毎朝裏手の山の頂上まで駆けたりせず、木の幹に印をつけて跳躍力をはかることもしなければ自分で的を作って石を飛ばし命中の精度を上げる訓練をするようなこともない。

そしてそれは、子供だけでなく周囲の大人にもあてはまることを学んだアリーシャは、ある日から早朝に出かけて、手に入りにくい薬草や山草を取ってくるようになった。

村の人々は初めこそ驚きアリーシャにどうやって手に入れてきたかを聞いたが、その度「偶然生えているのを見つけた」「森の神さまがくれた」とうやむやに返され、何となく聞くのを躊躇うようになり、やがて自然に受け入れるようになっていった。村人はみな身寄りがないアリーシャの今後を心配していたし、彼女が自分で生計を立てる道を見つけられたならそれで充分だと思っていたからだ。


そうしてアリーシャがニース村に溶け込んでから10年の月日が経った。


アリーシャは今年で19歳になり、今は村長の家を出て森の入口の小屋で一人静かに暮らしているのだった。



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