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第15話 暗闇の中の幸運


セルフィエルがニース村に滞在し始めてから、半月が経った。季節はすっかり春になり、時折汗ばむ陽気の日もあるほどだ。最近では世話になっている宿屋の下の居酒屋の手伝いもしており、メリーベルの祖父母はセルフィエル目当ての女性客が増えたことを喜んでいた。

ドーラムの町もニース村も、祭りの準備がだんだんと慌ただしくなってきた。

毎日アリーシャについて回っているおかげで村人とも町の住人ともすっかり打ち解け、セルフィエルが一人で出歩いていても声をかけられるようになり、とうとう先日、郷土料理屋のシェルダンが言い辛そうに切り出してきた。


「なあ、セイン、お前に婚約者がいるのはわかってるけどよ……アリーシャのこと、本当に何とも思ってねえのか?いや、俺も、初対面の時はあんなこと言っちまったけど、あんた見かけによらず真面目で働き者だ。アリーシャに対する態度も紳士的だし、薬屋のジェイとも話してたんだよ、その……悪くないよなって……」


セルフィエルは驚いた。実は流れで婚約者がいると言ってしまったことを少々後悔していたのだ。

もしもシェルダンがアリーシャにそのことを話してしまったら、アリーシャセルフィエルに対して必要以上の好意を抱かなくなってしまう。要するに、人当たりがよく親切な旅の学者さん止まり。

それでは困るのだ。もっと強く、セルフィエルのことを信頼してくれなくては。

信じて、好意を寄せて……それが嘘だとわかった時、裏切られたと絶望できるくらいには。

そしてそうするためには、アリーシャに異性として好かれることが最適だった。

見たところアリーシャに恋愛の経験はなさそうだ。初めて異性として好きになった男性が、実は自分に復讐をするために近づいたと知ったら……。その時彼女は、どんな顔をするだろう。


自分のことを評価してくれているらしい善良な店主には罪悪感を感じないでもなかったが、これは願ってもない機会だった。少し深刻そうな表情を作り、セルフィエルは口を開いた。


「そのことなんですけどね、シェルダンさん。俺に婚約者がいるってこと、薬屋のジェイさん以外誰かに話しましたか?」


シェルダンは戸惑いながら答える。


「いや、言ってねえけど。……あ、女房には言ったかもな、あいつがアリーシャとあの学者さんいい感じよねって言うから、でもあいつ国に恋人がいるらしいぞって」


「言い辛いんですけど。……それ、嘘なんです」


シェルダンが目を剥いた。


「はあ!?う、嘘ってどういうことだよ!?」


「すみません、初めてお会いした時、シェルダンさんがあまりに俺を警戒していらっしゃったので、誤解されたら困るなあと、咄嗟に……すみません。本当は婚約者なんていないんです」


しばらく目を見開いて呆けていたシェルダンだったが、やがて我に返ると渋面を作り腕を組んだ。


「なんだよ……そうだったのか……。いや、まあ俺も悪かったが……と、待てよ。面倒だから、そう言ったんだろ?誤解されたくなかったら、そのままそういうことにしときゃあ良かったじゃねえか。何で今俺に話しちまったんだよ」


さて、どう答えよう。

セルフィエルは数秒思案した。いくらただ手伝いをしているだけだと言っても、大半の町の住人にはすでに半分恋人同士のように思われているのは明らかだった。それはいい、セルフィエルがそうなるように仕向けたのだから。

問題はアリーシャの気持ちだ。いくら周りの人間にセルフィエルの恋人扱いをされても、当のアリーシャだけはセルフィエルに対して半月前と距離感を変えていない。セルフィエルが少し恋愛めいた言葉をほのめかしても、にこにこと笑って流されてしまう。その躱し方の技術だけは、出会った当初に比べて上達しているようだ。おかげでセルフィエルにも未だにアリーシャの本心が掴めなかった。

祭りまであと半月しかない。祭りが過ぎれば、セルフィエルがアリーシャの傍にいる理由がなくなってしまう。もう一カ月は王宮に戻らなくてもいいが、いつ何が起こるか分からないのであまりゆっくりもしていられない。できるだけ早く、アリーシャの気持ちを自分に向けた上で、過去を聞き出す必要があった。


(…………よし)


セルフィエルは自分一人でじっくりと攻めるよりも、周囲を味方につけて外堀から埋めることを選んだ。


「実は……最初は本当にそんなつもりはなかったんですが、だんだんとアリーシャのことが気になるようになってきまして」


「なんだと……?そ、それはつまり……」


身を乗り出してくるシェルダンに向かって、セルフィエルは照れ臭そうに告げた。


「はい、今は彼女に、一人の女性として好意を持っています」


シェルダンは数秒制止すると、小刻みに首を縦に振りながら言った。


「そ、そうか、そうか……その、もうアリーシャとは……」


「いえ、彼女が俺の気持ちを知っているかどうかも、俺のことをどう思っているかもわかりません。みんなに冷やかされても笑顔で否定していますし」


「そうか……まあ、なんだ、……応援するぞ。滅多な奴にアリーシャはやれんと思っていたが……、うん、お前なら、安心だ」


シェルダンの笑顔に、セルフィエルの良心がちくりと痛んだ。そして自分にもまだそんな気持ちがあったことに、密かに驚いた。

半月ここで生活を送ってみてわかったが、この町の人々は、本当にいい人ばかりだった。アリーシャが感謝していた理由がよくわかる。国境という立地で人の出入りが激しいからだろうか、他の州に比べ、外から来た者に対してとても大らかだった。ずっと付き合っていくわけではないから親しくなる必要はない、という姿勢ではなく、いつか別れるからこそ、一つ一つの出会いを大切にしようとしているように見えた。


ふと、アリーシャの陽だまりのような笑顔が頭に浮かぶ。

ある日突然ふらりと現れたまったく身寄りのない少女。この町でなかったら、この村でなかったら、彼女はあそこまで真っ直ぐに育つことができただろうか。

ここに来る以前に彼女が生きていたであろう世界の暗さを考えると、それはとても困難なことのように思えた。暗い場所からさらに深い闇に堕ちることは簡単だが、その逆は比べようもないくらいに難しいことを、セルフィエルはよく知っている。そう考えると、今を穏やかに生きている彼女が奇跡のようだった。


「……アリーシャは……幸運だったな」


店を出て青い空を見上げながら、セルフィエルは小さく呟いた。



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