第12話 店主の誤解と背中の傷
次の日の朝は少し遅く、アリーシャは夜明けとともに起床した。今日は昨日の収穫を持って、町に下りる日である。身支度を整えて準備をしていると、ノックの音が聞こえた。
「はい」
返事をして扉を開けると、笑顔のセルフィエルが立っていた。
「おはよう」
…本当に毎日来るつもりなのだろうか。アリーシャはそう思いながらも笑顔で挨拶を返す。
「……おはようございます。背中の傷の具合はいかがですか?」
「うん、昨日お医者さんのところに行ったけど、君の処置のおかげで何もやることがないって言われた。アリーシャにやってもらったって言ったら納得していたよ。そんな深い傷ではなかったし、もう痛みもほとんどない。2、3日で治るらしいから。心配かけてごめんね」
アリーシャはほっとした表情を浮かべた。
「それは良かったです。……でも、これからも危険なことがあるかもしれません。山に行くのはやめて、町に下りるときだけ手伝っていただくというのはどうでしょう?」
アリーシャの提案に、セルフィエルは首を振った。
「それじゃあ意味がないよ。植物がどこにどういう風に生えて、どんな動物が生息しているのか、きちんと自分の目で観察しないと。それに、俺は昨日アリーシャと一緒に山を歩けて楽しかったよ。だから、今日は町で何か武器を探すことにする。ちゃんと自分の身は自分で守れるようにね」
どうやら気が変わる様子はないらしい。アリーシャは諦めた。
「わかりました……。さて、ではそろそろ町へ出発しましょう。今日の昼の仕込みに間に合うように届けないといけませんからね」
そして1時間後、2人はドーラムにいた。アリーシャは薬草の入った籠を、セルフィエルはシカイノシシをまるごと1頭抱えている。傷を心配するアリーシャを、大丈夫だから持たせてくれと説得した結果だった。
「たしか、セインさまは一昨日もいらしたんですよね」
シェルダンの郷土料理の店の前で足をとめ、アリーシャはセルフィエルを振り返った。
「うん。ここに偶然寄らなかったらアリーシャに会うこともできなかった。店主のおじさんには、本当に感謝してるよ」
「………」
アリーシャはどう返事をするか迷い、結局無言で受け流した。店の扉を叩いて声をかける。
「おはようございます、シェルダンさん。シカイノシシ一頭、お届けにあがりました」
しばらくすると階段を下りてくる大きな足音が聞こえ、扉が勢いよく開かれる。大柄な店主のシェルダンが、満面の笑みで姿を現した。
「おはよう、アリーシャ!いやあ、今日は寝坊しちまって……そろそろ仕込み始めねぇと昼に間に合わねぇ。おお、これはでかいのが獲れたなあ!仕留めるの苦労しただ……ろ……?」
シェルダンの視線が、シカイノシシからそれを抱えるセルフィエルに移る。
「に……兄ちゃん。……確か2日前、店に来た……」
セルフィエルはにっこりと笑って頷く。
「セインです、一昨日は美味しいシチューをご馳走様でした」
セルフィエルの言葉を最後まで聞かず、シェルダンは顔を真っ赤にしてセルフィエルに詰め寄った。
「おい、何であんたがアリーシャと一緒にいるんだ!」
「いや、ご主人に話を聞いたあと彼女に会いに行って会話をするうちに、ますます興味が湧いてきまして。それで、一カ月後のお祭りの準備でこれから忙しくなるって聞いたものですから、それまでお手伝いをすることにしたんです」
「一カ月!?そりゃあ、ちょっと長すぎやしないか。……まさか兄ちゃん、俺の忠告を無視してアリーシャに……いや、待て、お前言ってたよな、国に」
セルフィエルは慌ててシェルダンの口をふさぎ、小声で耳打ちする。
「嫌だな、決まってるじゃないですか、俺が興味を持ったのは、純粋に彼女の仕事とこの近くの山の動植物の生態系だけですよ。もちろん、故郷の婚約者一筋ですからね」
シェルダンもつられて囁き返す。
「……ほんとだろうな?」
「ええ、本当です。だいたい、疾しいところがあったらこうして堂々と彼女と一緒にここに来られませんよ」
「そうか、それもそうだな」
「……あの、どうかしました?」
怪訝そうなアリーシャの声に、2人は同時に振り返る。
「いやいや、何でもねぇよ。この兄ちゃん……セイン、だっけか?セインに、大事な材料をここまで運んできてくれた礼を言ってただけだ」
「……?そうですか。ではシェルダンさん、注文の品はこちらでよろしいですか?」
シェルダンはセルフィエルからシカイノシシを受け取ると、ぐるりと回して全身を確認する。
「ああ、こりゃあ上物だ。ありがとな、アリーシャ」
そう言って、シェルダンはアリーシャに50レニール紙幣を4枚手渡した。アリーシャはそれを大事そうに懐にしまう。
「いえ、こちらこそです。ではまた明後日伺いますが……何かご注文はありますか?」
シェルダンは少し考える素振りを見せてから答えた。
「そうだな、ケナガ鳥を5羽ほどお願いできるか?祭りに向けて新メニューを開発するんだ」
アリーシャは微笑んで頷く。
「いいですね、この時期、ケナガ鳥は雛の餌を探して活発に動きますから、きっと身が締まっていて美味しいですよ」
「そうだな、期待できそうだ。じゃあ俺は、そろそろ仕込みに入る。また明後日だな。……セインも、山に入る時は気をつけろよ」
背中の傷に気づかれていたらしい。セルフィエルは苦笑して頷いた。シェルダンの姿が店内に消える。
「では、行きましょうか。次は薬屋さんです」
「うん」
青い髪紐を靡かせて踵を返したアリーシャのあとに、セルフィエルも頷いて続いた。