第11話 応急手当と戦利品
(……いた……)
先ほど別れた場所から少し外れた茂みの中で、小刀を構えてシカイノシシと向かい合っているアリーシャを見つけた。まだセルフィエルの存在には気が付いていないようだ。
(どうするかな……)
このまましばらく傍観するか、加勢するか。逡巡していると、その瞬間、シカイノシシがふと鼻をならし、セルフィエルの方を向いた。
(……!気づかれたか)
シカイノシシが猛然とセルフィエルに突進する。アリーシャも気づきすぐに地面を蹴ってあとを追うが、間に合わない。セルフィエルはとっさに右手を腰にやり、剣がないことに気づく。
(しまった、今は丸腰だった)
仕方がないので腰をかがめて重心を下げ、眼前に迫ったシカイノシシの鼻面を思い切り蹴り飛ばす。自身の勢いの反動で大きく飛ばされたシカイノシシを身軽に避けながら、アリーシャがセルフィエルに駆け寄った。
「大丈夫ですか!?」
「うん、平気。何か心配になって、戻ってきちゃった」
笑顔でそう言うセルフィエルを見て、アリーシャが軽く眉根を寄せる。
「シカイノシシを見つけられてたからよかったですけど……村に知らせに行って下さったんじゃないんですか」
「いや、近くまで下りたけど何も騒ぎになっていなかったみたいだし、君を一人残してきたのが気がかりで」
アリーシャがなおも何か言いかけた瞬間。
セルフィエルの目に、アリーシャの背後から飛びかかろうとするシカイノシシの姿が映った。
「…………っ!」
アリーシャも気配を察知し振り返りながら、左手が懐からすばやく何かを取り出す。セルフィエルは咄嗟にアリーシャの腕を引き、自分の胸に抱き込んだ。背中に鋭い痛みが走る。
直後、アリーシャの右手が放った小刀がシカイノシシの眉間深くに突き刺さり、どっという轟音を辺りに響かせ、シカイノシシは絶命した。
「…………」
森に平和な静寂が戻る。しばし時間が停止したのち、アリーシャの小さな声が沈黙を破った。
「…………あの、」
「あ、ごめん」
腕の中から聞こえた声に、セルフィエルは我に返りアリーシャを解放する。立ち上がる彼女を見上げながら尋ねる。
「だいじょうぶ?」
アリーシャは、セルフィエルを軽く睨みながら返した。
「大丈夫ですよ、セインさまが かばってくださいましたから」
「……怒ってる?」
アリーシャはしばらく無言でセルフィエルを見つめると、ため息を吐き、彼の背後に膝を付いた。
「……怒ってませんよ。一度引き受けて下さったことを反故にしたことは少し怒っていますけど。……それ以上に、あなたに怪我を負わせてしまった自分の不注意さに腹を立てているだけです。……すみません、八つ当たりですね。助けて下さって、ありがとうございました。服を脱いでください。背中の傷の手当てをしましょう」
背中に薬を塗られながら、セルフィエルが口を開く。
「……でも、正直俺が かばわなくても、何とかできたよね?」
背後から襲われたアリーシャの左手に、吹き筒が握られていたのが見えた。おそらく、毒を塗った矢が仕込まれていたのだろう。
「正直、何とかはできましたけど怪我はしたと思います。だから、こうして無傷でいられるのはセインさまのおかげです」
「……そう」
会話をしながらアリーシャは手際よく薬を塗り終え、包帯を巻き終わった。
「はい、おしまいです。応急手当ですから、あとでちゃんと町のお医者さんに診てもらってくださいね」
「傷の手当も手慣れているんだね」
ゆっくりと上着を羽織りながら言う。
「小さな怪我はよくあるんです。いちいち誰かにやってもらうより、自分でできるようになったほうが便利ですからね」
淡々と返すアリーシャを見つめ、セルフィエルは思った。
(全く何でもないことのように言うんだな)
セルフィエルが今まで出会ってきた女性たちは、少し指先を擦り剥いただけで大騒ぎだったというのに。
「……セインさま?痛みますか?」
彼の視線を疑問に思ったのか、アリーシャが心配そうに尋ねた。セルフィエルは笑みを浮かべて首を振る。
「いや、たいしたことないよ。ありがとう。さて、こいつを村まで運ぼう。やっと荷物持ちとして役に立てる時が来た」
「いえ、わたしが運びます。傷に障りますから」
「うーん、じゃあ俺はその籠を持つよ。入っているのは薬草だけだし、そんなに重くないだろう。勝手にお願いして付いてきた挙句に邪魔だけして手ぶらで帰るんじゃ、何をしに来たかわからないからね。アリーシャに対して申し訳ないというより、俺が嫌なんだ。せめて、それだけでも持たせてくれないかな?」
アリーシャはしばらく考え、背中の籠を下ろした。
「わかりました。ただし背負わずに、前に抱えて歩けますか?」
「うん、了解」
そうして、一応その日の目的を全て果たしたアリーシャとセルフィエルは戦利品をそれぞれに抱え、ニース村へと戻った。