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第9話 ローズマリーとセージのパン


「……インさま、セインさま。起きてください、お待たせしてしまってすみません」


声が聞こえる。うっすらと瞼を開き、自分を見下ろす若い女の顔を見上げる。彼女が微笑んで再び口を開く。


「セインさま、旅の疲れが残っていたんですね。お休みになっていればよかったのに、無理して一緒にいらっしゃるから」


セイン?誰だ?

……ああ、俺のことか。


「……いや、大丈夫。目当ての薬草は見つかった?」


少々の気まずさを感じ、アリーシャから視線を外しながらセルフィエルは尋ねた。彼女の前で呑気にも眠りこけてしまうとは。セルフィエルは自分の神経の太さに少々嫌気がさした。

そんな彼の心中を知らないアリーシャは、得意気に薬草の入った籠を見せる。


「はい、見てください、たくさん採れましたよ!それと髪紐、どうもありがとうございました」


自分の右手を見ると、アリーシャの青い髪紐が握りしめられていた。


「ああ……うん。どういたしまして」


アリーシャは髪紐を受け取ると、何度か手櫛で髪をとかしたあと器用にまた一つに結ぶ。


「午後はシカイノシシ探しなので、お昼ご飯にしましょうか」


そう言って、持ってきた布の包みを開く。ふわりといい匂いが漂った。


「ああ、よかった。ゼンマイの葉で包んできたおかげでまだ少し温かいですね」


「なんだい、これ?」


「小麦粉と水と塩を練って窯で焼いたものです。美味しいですよ」


「ところどころ見える黒い点は?」


「細かく刻んだローズマリーとセージの葉です」


「……」


パンならば王宮で毎日食べていたが、外見がこれとはだいぶ異なる。王宮のものはもっと全体的に均等に焼き目がついていたし、もう少ししっとりとしていたように思う。同じ製法でこうも違うものか。


「召し上がらないんですか?」


差し出された物体とにらめっこを続けるセルフィエルに、アリーシャが声をかけた。


「いや……いただきます」


受け取り、一口かじる。小さな驚きとともに、香草の香りが口の中に広がった。


(なんだ、思ったよりも普通じゃないか)


もちろん味は王宮のものに劣るが、どことなく懐かしい味がした。


「美味しいよ」


素直に感想を告げると、アリーシャは嬉しそうに微笑んだ。


「それは良かったです」


そう言って自分も食べ始める。2人はしばらく無言で昼食を頬張り続けた。


「……セインさまは本当に祭りまでわたしの手伝いを?」


アリーシャがぽつりと尋ねる。


「うん、そのつもり」


「でも、あんまりおもしろくないと思いますよ。このとおり、やっていることは毎日山で薬草や山菜を採集して、町に出て売っているだけですからね。なんというか、1カ月も付き合っていただくのは申し訳ないというか、セインさまの研究のお役に立てるとは思えないのですが」


正論だった。セルフィエルは心の中で同意する。

確かに、この単調な行動に1カ月も付き合うのは時間の無駄だろう。もしセルフィエルの目的が本当に、風土調査であったとしたら。しかし生憎、そうではない。


(どうしようかな……)


うまい返しが見つからない。答えに困ったセルフィエルは、しばらく悩んだ。そして数秒後、おもむろに並んで座っていたアリーシャとの距離を少し詰めると、地面に置かれたアリーシャの手の甲に自分の手のひらをそっと重ねた。

アリーシャが驚いてセルフィエルを見つめる。


「セインさま?」


「ごめんね、君が迷惑だって感じているのは知っていたんだけど」


アリーシャが少し慌てたような素振りで、視線をそらす。


「……いえ、別に迷惑では……あの、手を」


アリーシャの言葉にかぶせるように、セルフィエルは声にほんの少し甘さを含ませて囁いた。


「でも、研究も大事だけど、それ以上にアリーシャ自身のことが気になる。何で君みたいに華奢で可愛い女の子がこんな危険な仕事をしているのか、あんな小屋で一人で暮らして寂しくないのか、とか」


困ったように俯いたアリーシャの顔を、セルフィエルは覗き込み、続ける。


「昨日初めて会った時から、君のことばかり考えてる。……何でだろうね?」


「……さあ……わかりません……」


「一カ月後の祭りが終わるまで、でいいから。もっと君のことが知りたい。そしてできるなら、少しでも君の助けになりたい。できたら、嬉しい。……そばにいちゃ、だめかな?」


少し困ったように微笑んでみせた。そんなセルフィエルを、アリーシャは遠慮がちに見返す。鳶色の瞳が、わずかに潤んでいる。


(……なんとか誤魔化せた……かな?)


自分の紅茶色の瞳が、どんな表情の時どう見えるか、セルフィエルは熟知していた。幼いころからそういった感情の駆け引きには不向きな兄の代わりに、王宮内でも城下の町でも、自分の外見と話術を最大限に生かして情報収集や人脈作りをしてきた。その才能はとくに、女性相手には如何なく発揮されている。王都で名を馳せる百戦錬磨の高級娼婦や、自分を最大限に魅力的に見せる術を知っている上流貴族の令嬢を日常的に相手にしているセルフィエルにとって、アリーシャのような全く男慣れしていない一介の村娘をその気にさせることなど造作もないことだった。

しばらく見つめ合ったあと、アリーシャがふと目を伏せる。セルフィエルの手の下から自分の手を抜きとり、手早く荷物をまとめるとさっと立ち上がる。


「……そろそろ行きましょうか。シカイノシシが出るのはもう少し下った辺りです」


背けた頬が少し赤く染まっている。セルフィエルも腰を上げ、満足そうに笑った。


「うん、行こうか」





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