第八話 音色が響く夜
時刻は下り、空には星が瞬いている。
通りを行き交う人々は減る様子を見せず、しかし昼間とは様相の異なる人々が道を占める。
そのひとりは金髪の女性、彼女は歩いていく先々で通りを行き交う人々に声をかけられる。
「よぉーエラ姐さん、いまから呑みかーい?」
「エラールさんこないだ良い香水仕入れたのさ、また見に来てよ」
「おっと待ってよ姐さん、この硝子玉娘さんの土産にどうよ」
片手を上げて答えたり、また今度と声を掛けたり、酔っぱらいを蹴っ飛ばして女性は歩いてく。
「はあ、なんだか妙に人が多いねえ。アル坊が来てるせいなんかねえ」
そう言って、自宅へと残してきた盲目の娘のことを思う。
昼過ぎにやってきた橙髪の少女には、久しぶりに会って色々話したいこともあるだろうと、
リラの部屋に泊まってもいいよと言っておいた。
思えば一ヶ月と少し前ぐらいから娘の様子が変わった。理由は分かっている、あの黒髪の青年だ。
あの青年が娘を祭りへと連れ出してから、娘は外へ眼を向け始めた。
(やっぱあれかい? 女は男で変わるって言うのかい)
そう思いながら苦笑が顔に浮かんでくる。
波がかった金髪を揺らしながら歩いて向かう先は、
十二歩くらい離れた位置でも室内のにぎわいが外にもれてくる酒場。
騒がしい声にまぎれて弦の音が聞こえてくる。
その音にあ~あと再び苦笑いを顔に作って、エラールは酒場の門をくぐった。
酒場のなかを見れば、カウンターに向かって多くの客が顔を向けていた。
だれもかれもが楽しそうだ。
「いよおフラン、繁盛してるかい?」
エラールは酒場奥のカウンターへと向かいながら、
カウンター内で酒を取り出しては客に振る舞っている坊主頭へと声をかけた。
「よぉ、エラ! あたりまえだろうがぁ!」
と豪快に笑いながら返答がきた。
その場にいる他の人らにも声をかけてエラールは奥へと歩いていくが、
カウンター手前で足が止まる。
「……ちょっと、こりゃいったいどうしたんだい?」
黒髪の青年は顔を赤く、酒臭い声で調子外れに歌いながらリュートをおかしな音で弾いていた。
青年の隣に座っている若草色の男は耳を真っ赤にして、青年の歌に手拍子をとっている。
アルトもエオリアもエラールには気づかず歌と仕草に夢中だ。
なんだいこれは、と呆れ顔をしながらカウンターの空いてる席に金髪の女性は座る。
「ん? ああ、このガキが人前で歌うなんて恥ずかしい、などとほざきやがるから、ほれ」
カウンターに鈍く打ち立てる音を立てて一本の硝子瓶が置かれる。
中には赤みがかった液体が入っており、瓶の底には黒い石が数個入っていた。
その瓶の口元を持って、にやりと笑みを浮かべたフランセは、
「火の方角にある村から仕入れた、溶岩酒ってやつよぉ。
砂漠葡萄を使った葡萄酒に、火の精地付近から取れた溶岩が突っ込んであるんだ」
「溶岩が入ってるなんて変わった酒もあるもんだねえ」
「おうよぉ! 呑めば陽気な気分になれることたしかよ! こいつらみたいになぁ!」
言いながら完全にできあがっている青年と男を指差す。
「ふうん、ちょいと興味が沸いたねえ。一杯おくれよ」
「もちろんよぉ!」
鈍い光沢を放つ赤茶色した深めの杯を取り出し、その杯へと硝子瓶の中身をなみなみと注ぐ。
注ぎ終えるのを眼で確認して金髪女性は杯を手に取り、
「精霊の恵みに感謝して、頂くよ」
「ああ、精霊の恵みに感謝だぁ! 乾杯!」
同じく杯を持ったフランセと杯を掲げあって呑み出した。
● ● ●
「で、どうなんだいアル坊の腕は」
「どうしたぁもこうしたぁもねえよ。こいつはひでえもんだ」
「ありゃ、なんだい。あんな立派な楽器こさえてるくせに」
「楽器なんか関係ねえよ。もともとの腕がわるすぎだぁ」
そう言い返してフランセは鈍く光る杯を煽る。
おーおー飲むねえ、と感心しつつ自分も杯を傾けるエラール。
「そんなに悪いかねえ、ここにいる連中は音にのってるけどさ」
「んなもん酔っぱらいだからに決まってるじゃねえかぁ」
カウンターに肘を置いて振り返れば、酒場のどこもかしこもエオリアのように手拍子をとったり、
適当な歌を歌ったりしながらアルトの生み出す音に揺れている。
「酔っぱらいでもいいじゃないか、楽しめるんだからさ」
「あほかぁ! 聞かす奴も聞く奴も酔っぱらってるからの話だろ。
たくよぉ、こんな早く酔っぱらうなら飲ますんじゃなかった」
坊主頭をかきながら答える男性はだらしない顔をして音を出している馬鹿と、
真っ赤な耳の頭を前後に振りながら手拍子している馬鹿を交互に見やる。
その様子を、楽しいじゃないか、と笑い飛ばしているのは金髪の女性。
「いいさいいさ。おかげでエオリアの奴はともかく、アル坊はなじんでるさ。ほら」
そう言って指差す方を見れば、
「おーおーいいぞあんちゃん! おらの歌に合わせてもっと音だせえ!」
「なんだいあれ、珍しい髪色のくせに面白い顔してるじゃあないか」
「ひゃっひゃっひゃっ! 黒髪さんよぉ一緒に呑もうぜ!」
酔っぱらいが集って馬鹿二人と一緒に騒ぎ立てていた。
下手な歌に合わせて流れる外れた音は酒場の上空を踊る。
馬鹿ばっかりじゃねえかよ、と言いつつも酒場の店主は上機嫌だ。
「たくよぉ。ちっとばかし心配してたのがあほらしいじゃねえかよ」
「へえ、あんたでも心配するのかい」
「女の色も知らねえガキ相手に心配すんなってのが無理だ」
「言うねえ言うねえ」
くくく、そう含み笑いをしながらエラールは杯を煽る。
しかしねえ、と言って杯に入った氷をからからと鳴らしながら、
「それにしちゃあんた、アル坊たちにこれ、どれだけ飲ましたんだい」
「ああ? んなもん飲めるだけに決まってるじゃねえか! ここは酒場だぞ!」
歯をひんむいて大笑いをする坊主頭は、自分らが開けたのとは別に空となった硝子瓶をかざす。
硝子瓶に入っている溶岩玉を鳴らす男へ半目顔を向ける金髪女性。
「フラン……あたしは平気だけどこの酒相当きついんじゃないか」
「んなもん酒が美味けりゃ関係ねえよ!」
「美味いことは美味いけど、こりゃあとでひどいことになりそうだねえ」
そうつぶやいて、もう何杯目かも分からない溶岩酒のお代わりをするエラール。
カウンター横に集った酔っぱらいからは黒髪と若草色髪の外れた歌声が混じり出した。
● ● ●
薄暗い部屋がある。
四角い窓は厚手の布に覆われているが、隙間から朝を知らせる角度の光が射し込む。
隙間から入った光は壁へと当たり、室内に一点の輝きを与え、
輝きは静かに室内へと光を散らして、部屋の様子を浮かび上がらせた。
部屋の端から端までを埋める何段にも重なった棚は天井と同じ高さ。
その棚には様々な鉢植えが置かれており、色とりどりのつぼみを持った草花があった。
草花たちが無言の居住まいを揃えているなか、床には白い布をかぶってうごめく影。
うごめいた影は衣擦れの音を出しながら身体半分を起こす。
「あああああぁ……あ、あたまがっあたまがぁ!」
なんだこれ前にも同じことがあったような、と思ってから影は一人頭を抱える。
瞼を開くがとびこんでくるのは薄暗さ。
痛む頭をもちあげて周囲を見るが見覚えはない。
「どこだここ……? というかなんで酒場じゃなくて?」
霧がかかっているのか記憶がはっきりしない。
ぼさぼさの髪の毛頭をかいていると、鼻に入ってくるにおい。
どこかで嗅いだことのあるにおいだと思い、すんすんと鼻息を吸う。
「あ……土と草のにおいだ」
分かった途端、気持ちが落ち着いてきた。
においを身体にとりこむように大きく口を開いて呼吸をする。
が、痛み。
「ててててててっ! だーなんだよこれ!」
頭の奥から鈍くひびいてくる痛みに顔をしかめながら、
再び頭を両手で抱えて俯くと、僅かに木材が擦れた音が耳に。
音の方向へ眼を向ければ部屋の扉がちいさな隙間をもって開いていた。
隙間から射し込んでくる光が室内の人影に当たる。
「まぶしい……」
だれかいる? と思って見ていると扉の隙間から入ってくるちいさな影。
ちいさな影はとことこと歩いて部屋のなかまで来ると、白い布をかぶった影にむかって鳴いた。
影は白地に黒斑模様の猫。
「なんだおまえ? ここの猫なのか?」
ひと鳴きした猫へと手をのばして頭を撫でる。
撫でられた猫は眼を閉じて嬉しそうに唸って鳴き、
腕によりそいながらそのまま布の上へと乗っかる動き。
「お、おいおい」
影の胸元へと頭をこすりつけて甘えた声で猫は鳴き続ける。
(なんだか懐かれてるなあ)
どうしようかと手持ち無沙汰にしているとちいさく開いていた扉が大きく、開いた。
「え、あ、あの。もしかして……アルトさん、ですか?」
目元に包帯を巻いた藍色の長髪少女が目の前に立っていた。
● ● ●
「ねえねえ、ボクらに分かるよう説明してくれないかな。そこの馬鹿二人!」
「セ、セリアさん馬鹿馬鹿言っちゃいけませんよ」
花屋の一階奥にある台所では大きな木机にて男女二組が向き合って座っていた。
包帯を巻いた少女と橙髪の少女が座る反対側には、
黒髪の青年と若草色髪の男がどちらも頭を抱えて苦悶顔を浮かべていた。
「たのむ……あんまり大声を出さないでくれ……」
「リラごめん……俺にもよく分からないんだ……」
しぼりだすように声を出す馬鹿二人に対して、
セリアは大きく息を吐き、リラは二人を見てセリアを見ておろおろしている。
「もう、エオリアはともかくアルトは分からないだろうけど、
ここはリラとエラおばさんが住んでる花屋なんだよ」
「え……ここが?」
「はい。ここで花を育てて売っているんです」
橙髪の少女からの説明に顔をあげて疑問符をあげる青年。
包帯の少女がその疑問へと答えると、足下から鳴き声。
「あ、ごめんね。お腹すいたんだね」
「その猫……ここで飼ってるの?」
「いいえ、この子。数年前からここに来るようになって、それでいつもご飯あげてて」
足にまとわりつく猫の頭をよしよしと撫でながら、リラは台所へ向かう。
台所へ立った少女の背中を、青年は頭の痛みも忘れてぼんやり眺める。
その横、いまだに頭を抱えているエオリアにセリアは顔を近づけて、
「でさでさ、昨日トロおじさんの家からフランセおじさんとこ行ったんでしょ」
「……ああ」
「そこで何してたの?」
「覚えてる限りでは……おじさんにアルトの腕、演奏の腕を見てもらい……」
ぼつぼつと声がひびく。
「ああ、そうだ……酒場が開いて人が増え、おじさんがアルトに演奏しろと言って……
確かアルトはそれを嫌がって……」
だんだんと思い出してきたのか、声は明瞭になり大きくなる。
「あの親父……! 自分らに『酒場にいる奴はまず酒を飲め』などと無理矢理に!」
声を荒げた瞬間、うめきながら頭を抱えるエオリア。
あーあと声を出したセリアは馬鹿馬鹿しそうな顔をして言った。
「こんのぉ、馬鹿!」
● ● ●
「リラちゃん、こちらのお花、頂けるかしら」
「はい。持ちやすいように包みますのでお待ちください」
老婆が手に持っていた鉢植えを受け取り、二階への階段近くにある小さな机の上に置く。
机の引き出しから大きな布を取り出し、机の上へと敷いたのち鉢植えを置いて包む。
丁度上部で持てるよう布のふたつ端を結び、老婆へと渡す。
「ありがとうリラちゃん。いつもありがとうねえ」
「いえいえ、おばあちゃんこちらこそ」
老婆は礼を言って鉢植えの代金を渡したのち、硝子戸を開いて、閉じて通りの流れへと混じって行く。
あの子が幸せでありますように、少女はもらわれていった花のことを思い祈る。
いままで母とともに育てて来た花々がこの家を出て行くとき、欠かすことなく祈って来た。
胸前で握っていた手をほどき、通りから台所の方へと振り向けば、
そこでは三人の人物がそれぞれ動いていた。
「エオリアー火加減もうちょっと強くしてー」
「むう、まだ足りないか」
「うわこの野菜どうなってんだ、包丁の刃がうまく入らないや」
リラが訪れる客への応対をしている間に三人は騒がしく昼食の準備をしていた。
(こうやって大勢で賑やかに過ごすのっていつぐらいだろう・・)
包帯を巻いた少女はなんとはなしに、包丁を手に持ち悪戦苦闘している青年の背中を見た。
一ヶ月前よりも髪の毛が伸び、たまに見える横顔や袖をまくった腕には傷痕が見える。
日焼けしているだけでなく、気のせいか身長が伸びているようにも思えた。
(なんだか、たくましくなりましたねアルトさん)
そう思って自分のことのようにリラは嬉しく思う。
それしにしてもと少女は考える、どうしてアルトとエオリアは二階の倉庫で寝ていたのかと。
エオリアの話では酒場で飲まされてからの記憶がないと言っていた。
酔ってここへ来たにしても鍵がないから入れるわけがない。
それどころかアルトは花屋がどこにあるかを知らない。
じゃあ誰かが? と考えついた先で少女は気づく、朝から見ていない人物がいることを。
「そっか、お母さんが連れて来たんだ……」
答えに気づいてため息が出た。
「あ、こ、こらおまえ! そんなところに乗るなって!」
台所からアルトの叫びと猫の鳴き声がした。
● ● ●
丁度昼食ができたころ金髪の女性が寝ぼけ眼で一階におりてきた。
台所の長机には緑や赤色の刻まれた野菜に、炒められた魚や湯気のたつスープが置かれ、
同じく机の上に置かれている布の敷かれたカゴにはパンがいくつか入っている。
猫はすでに腹を満たしたのか姿がない。
「おや、リラだけじゃなくあんたたちも起きていたのかい」
「おはよう。お母さん」
「おはよーエラおばさん」
「おはようエラおばさん」
「おはようございます。エラールさん」
おはようと娘たちに返した母は、長机へと近づいて娘の横にある椅子へと座る。
「それじゃあ、精霊の恵みに感謝して、いただくかねえ」
そう言って食事が始まった。
途中、野菜をつまみながらエオリアは、スプーンでスープを飲んでいるアルトに言う。
「ところでアルト、あの猫にはずいぶん懐かれていたようだな」
「ん? ああ、眼を覚ましたとき部屋……倉庫か。そこに入って来たんだけど。
頭を撫でてやったら妙に懐いてきて」
「へえ。あの子、あんたを気に入ったんだろうねえ」
「そうなんですか?」
丸いパンを一口かじったエラールへと顔を向けるアルト。
「あの猫、名前もない子なんだけどあたしには近寄らなくてねえ。
どういうわけかリラには近づいて、いっつもご飯をねだるんだよ」
「エラおばさーん、だめだよーこわがらせちゃー」
「馬鹿言いなよ、あたしがそんなことするかい」
「ふふ。お母さんがご飯あげようとしても近づかないもんね、あの子」
スープをスプーンですくって飲んでいたリラが微笑んで言う。
「エラールさんには近づかないのか……そういや、隣でエオリアが寝ていたのに、
そっちにはまるで近寄らなかったなあ」
「きっと馬鹿がうつると思って近寄らなかったんだよー」
「おまえはいちいちうるさいぞセリア!」
まあまあとエオリアを宥めるアルトは朝から思っていた疑問を口にする。
「それよりもエラールさん」
「なんだい?」
「昨夜……酔ってからの記憶がないんですが、ここへ連れて来たのって」
「ああ、あたしさ」
「やっぱり……ご迷惑おかけしてすいません」
「エラおばさん、すまない」
「いいっていいって二人とも。あたしが好きでやったことなんだからさ」
頭を下げた二人に対して、それよりもさ、と言葉を加え、
「アル坊、あんた演奏会ではちゃんと弾けるのかい。
フランから聞いた話じゃ最悪の腕だって言われてたけどさ」
「……はい」
青年は昨日のことを思い出して俯く。
そんな様子の青年を心配そうに包帯の少女は見ている。
「だーいじょうぶだよエラおばさーん」
「またおまえはそうやって人の会話に割り込む」
「うっさい馬鹿。アルトはちゃんと演奏できるようになるから大丈夫だよー」
「大丈夫って……アル坊は素人なんだろ?」
「そうだけど、リュートは素人でもそれなりに弾ける楽器だからねー
簡単な曲を練習すれば演奏会なんてらくしょうだよー」
「口で言うのは簡単だけどねえ」
「いや……ちゃんと演奏してみせます」
見ればいつのまにか顔を上げた青年が答えた。
口元を引き締めた顔は、一ヶ月前よりも気骨のある雰囲気を漂わせている。
包帯の少女はほっとしたように微笑んで青年を見つめていた。
● ● ●
太陽が傾いてきた昼下がり、街の大通りを歩く四人。
露天が並んでいる通りには足を止めて商品を見る人々などで活気が溢れている。
単純な骨組みで組まれた屋台には人族だけでなく龍翼人や岩石人の姿も見かける。
「この通り賑やかだなあ。祭りの雰囲気みたいだ」
「実際この通りにあった屋台も祭りに店を出していたからな」
前方を歩いていた片方の青年は通りを見渡しながら言う。
隣を歩いている男は同じように通りを眺めながら答えた。
二人の背後には橙髪の少女と灰色の布をかぶった少女がいる。
「なんだかこうやって一緒に出かけるのって久しぶりだよね〜」
「そうですねセリアさん。お祭りのとき以来です」
「うんうん」
楽しそうに頷く橙髪の少女にエオリアは振り返って口を開く。
「ところでセリア」
「なーにーかーなー」
「アルトが弾く楽曲になにか思い当たりでもあるのか」
「んーんーぜーんぜーん」
「えええええ! どういうことだよそれ!?」
驚き顔で振り返る青年。
「素人でも簡単に弾ける曲があるって言ってたじゃないか!?」
「ん、あれね。いきおいで言っちゃった」
「言っちゃた……じゃないよ」
「ア、アルトさんそんなに気を落とさないで」
「ああ、うん。ありがとリラ」
頭をかいて、あーとぼやいた青年の横で、
「安心しろアルト。これから向かう楽器屋でなら簡単な楽譜があるかもしれない」
「うう、そうだといいんだけどな」
「あそこの主人とは自分も付き合いが長いからな。そこで駄目でも知り合いに聞けるかもしれん」
「付き合いが長いってのは?」
青年の疑問に対して男は腰裏に取り付けてある小さな皮袋から、細長い布包みを取り出す。
「それは……」
「祭りでの演奏会で用いていた横笛だ。アルトが喚ばれたときに吹いてもいたが、
向かっている楽器屋でしつらえてもらったもので、調律もしてもらっている」
「これから行く楽器屋はねーボク達が昔からお世話になってるんだー」
「この街でも有名な楽器屋さんで、多くの人が使っているそうですよ」
二人の少女の説明にふんふんと頷いて返し、青年は背負ったリュートを指差す。
「もしかしてこのリュートもそこのだったりするのかな」
「トロッポ会長が所持していた楽器だからな、おそらくそうだろう」
「そっか……俺でも弾ける曲があればいいなあ」
アルトは天を仰いだ姿勢で、路上開店している散髪屋の行列横を通りすぎる。
「あの、アルトさんは元の世界では楽器などに触っていなかったのですか?」
「んー触ってなかったわけじゃないけれども、縦笛や鍵盤ハーモニカ……て分からないかな。
こう、小型の鍵盤でいいのかな」
リラに楽器の姿を伝えようと見ぶり手振りをする青年。
「その鍵盤からはチューブ、じゃないなんだ、中身が空いてる紐がのびてて」
「変わった形をしていますね」
「そうなんだ。その紐に息を吹き込みながら、鍵盤を押すと音が出る仕組みで、
それで演奏とかはしていたんだけど……リュートのような弦楽器は触ったことなくて」
そうなんですか、と包帯の少女は心配そうに答える。
「で、でもさ。演奏会ではなんとか弾いてみせるからさ、その、なんだ」
リラの方へと振り向いて後ろ向きで歩くアルトは、先ほどよりも大仰な手振りをしながら、
「リ、リラにも演奏会には、来て欲しいと思って、るんだ」
「……アルトさん。はい、私、楽しみにしてます」
たどたどしい青年の言葉に驚きから笑みへと表情を変化させる包帯の少女。
二人の様子に若草色の男と橙髪の少女も笑みを持って見守っていた。
● ● ●
時間は過ぎて二日後の夜。
丸い机を壁へと立てかけ、木の椅子だけが置かれている酒場には大勢の人々が集っていた。
直角のカウンター横には演奏する人物のために空間が空けられており、椅子がいくつか置かれ、
空間から数列後ろに置かれている椅子には、金髪の女性と包帯を巻いた少女。
大勢の人がいるためか軽く俯き、胸前で手を合わせている少女。
騒がしさに包まれている酒場内では椅子に座れなかった人々が、壁などにもたれかかって立っている。
カウンター前にいる口髭を携えた中年の男性は、店内を見渡して、
「ふむ、人も多くなったようですし、そろそろですかな」
とつぶやき、手を二、三度叩いて人々の視線を自身へと集める。
「さて、今宵の演奏会へ皆様ようこそ! これより演奏会を開始いたしますぞ!」
その声に拍手と歓声が起こり、店内は音に埋め尽くされる。
口髭の男は立ち上る音を両手の手の平を見せて抑えると、
「土地はパストラ、場所は酒場ガイオ、奏でるは奏者様のご一行にございます!」
さらなる拍手と歓声が響き渡る。
今度は抑えることなく口髭の男は大声で言い放った。
「奏者、アルヒト・ヤマハのリュート演奏をお聞きあれ!」
空間横にある酒場の出入口から黒髪の青年がリュートを持って現れた。
● ● ●
黒髪の青年は胸から止まない早い鼓動の音と、心を占める緊張感に歯を食いしばって耐えていた。
調律を済ましたリュートがまともな音色を出すようになったのと、
運良く見つけることができた簡単な楽曲の楽譜を二日間練習していたことで、
フランセからは「聞くにはマシになった」と言われた。
それでも人前に出ることに慣れていない。
(逃げたい逃げたい逃げたい、でも駄目だ駄目だ。きっと、リラが来てるはず、いるはず!)
名を呼ばれてカウンター横の空間へと進み出て、人々の前へと向き直れば包帯の少女が視界に入る。
(良かった来てくれてた……ってほっとしてる場合じゃないんだ!)
目の前のことよりも、必死で練習して覚え込んだ楽譜を椅子の前にある楽譜台へと置く。
言葉での挨拶代わりに、ひとつ頭を人々に向かって下げる。
その姿勢に多くの拍手が返された。
数秒を持って下げた頭を持ち上げ、口元を引き締める。
(間違ってもいいから止まらずに演奏すること……)
フランセから教わったことを頭のなかで繰り返す。
椅子に座り、右手に持っていたリュートを膝上に抱える。
口を大きく開いて息を吸い込み、そして吐き出す。
弦に手を掛けると、店内は静寂を得る。
音色が、奏でられる。
● ● ●
自信がないのか、弱々しい音から演奏は始まった。
楽譜を見ては、手元を交互に見る黒髪の青年を見て、包帯を巻いた少女は祈る。
(アルトさん……頑張って、頑張ってください……!)
周囲にいる人々は軽くざわつきはじめたが、
「静かにしやがれてめえらぁ!」
カウンター内にいた坊主頭の一喝に黙る、が驚き顔の青年も手が止まる。
手を止めた青年を坊主頭が睨むと演奏は再び始まった。
音色は相変わらず弱かったが、次第にこわばっていた青年の口元が緩んでくると、
音のつっかえはなくなりはじめ、よどみなく音色が流れ出した。
胸前で握っていた手をゆるめた少女は、包帯で覆われた視線でまっすぐ前を向く。
次第に演奏されている曲そのものが落ち着いたものであることを人々は理解しはじめる。
ゆっくりと、ひとつひとつの音色を確かに鳴らし、曲は進んでいく。
丁寧でありながらも柔らかな音色は、静かな店内へと響き渡っていった。
リュートを演奏する青年は、すでに楽譜を見ていない。
ただ、ひたすらに身体で腕で指先で覚えたリズムを曲に刻む。
「優しい音……」
包帯を巻いた少女は耳へと伝わってくる音色につぶやく。
青年の指先がひとつ弦を弾くたびに、ひとつ音がリュートより流れ出ていき、
隣に座っている金髪の女性は瞼を閉じて聞き入っていた。
店内にいる人々も女性と同じように、頷いたり、眼を細めたりして聞き浸り、
音は高くもなく、低くもなく、ただ淡々と繋がって曲をつむいでいく。
(とても優しくて、気持ちがやすらいでくる……不思議な感じ)
握っていた手はほどかれ、胸元へと少女は手をあてている。
しばらくの後、人々や少女が見守るなか、青年は弾く手を弱めていき演奏を、終える。
まばらに拍手が沸き上がり始め、次第に大きな拍手へとなり、
その拍手に応えるよう手を挙げる青年は、照れた表情を浮かべていた。
照れた顔のまま頭を下げて一礼すると、今度は若草色髪の男が空間へと入って来た。
「奏者様、演奏ありがとうございました! さあ、続いては奏者様と、
騎士エオリア・バールによる合奏でございます!」
口髭が言い放った言葉にどよめきを得る人々。
少女の母親も「ほう、合奏するのかい」と感心した顔をしている。
一方で驚き顔になった少女。
青年と目線を合わせて頷いた男は、手に持っていた銀の横笛を構えた。
立ったまま構えた男に合わせるように、椅子から立ち上がりリュートを構える青年。
ふたたび静まり返った店内に、横笛の音が奏でられ始めた。
音はゆるやかに流れ出し、低く、ときに高く音を響かせる。
そして、一度笛の音がとまり、一拍の間を置いて激しくかき鳴らされるリュートの音色。
先ほどの落ち着いた遅い音ではなく、指先を上下に激しく動かして複数の音が生まれる。
その様子に人々が驚きの声をあげ、歓声も飛び始める。
激しい音を奏で始めた青年に合わせるがごとく、横笛の男は手拍子をとりはじめ、
店内の人々も同じように手拍子をしだした瞬間、高音の音色を響かせる。
周りの人々につられて少女も最初は弱く、そして強く手拍子をとっていき、身体を揺らす。
早い拍子と生み出される激しい音に、店内は熱い空気を醸し出す。
リュートを弾く青年は楽しそうな笑顔で身体を揺らしながら手を動かし、
横笛を吹く男は青年や人々の方へと身体を向かせたりして音を紡いでいく。
(すごい、あんな笑顔で、楽しく演奏できるなんて。いいな、もっと、もっと聞いていたい)
いつのまにか笑顔となって手を叩いてる少女は頬が火照るのを感じた。
途中でリュートだけの演奏に入っても青年の手は止まらず音が生まれていく。
「すげえぞすげえぞ! 奏者のあんちゃん!」
「こないだの下手っぷりはどこいったんだい!」
「あひゃひゃ、もう楽しくてしょうがねえよ!」
人々からは思い思いの歓声が前方の空間へと投げられた。
熱気に包まれていく店内を流れる音にもう一度笛の音が混じり、さらなる興奮が起きだし、
興奮を冷まさないよう横笛は高い音を鳴らしていくかと思えば、唐突に低音を流し出し音が止まる。
手拍子を止めて人々がどうしたのかと見ていると、今度はゆっくりとした拍子で音が漏れ出す。
青年の手は激しさから落ち着いた動きへと戻り、生み出す音色が店内の熱気を和らげていった。
一転して朝の穏やかさを表したかのような二つの音色に人々はうっとりと聞き惚れる。
そこへ歌声が混じり出す。
おおおっと店内から歓声があがれば、橙髪の少女が両手を広げ、ステップをとりながら人々の前へと躍り出た。
人々から見て左手に若草色髪の男、右手に黒髪の青年を置いた絵となって、橙髪の少女は歌い出す。
「お次は、巫女セリア・オペラによる歌唱と、奏者様と騎士様の演奏でございます!」
酒場の熱気と興奮と歓声は、皆の笑顔とともに最高潮に達した。
● ● ●
演奏会のあった日から数日後、パストラの街の出入口を示す、かがり火近くには三頭の馬。
それぞれの馬には旅の食料などが入れられた革袋が吊るされており、馬の側には旅装束を着た人物がいる。
日差しを避けるように手を眼の上へとかざしている黒髪の青年は、
馬に吊るされている皮袋がしっかり吊るしてあるかどうかを確認している。
「エオリア、こっちの馬に吊ってある革袋も大丈夫だ」
「こっちもだアルト」
互いに確認を取り合い、一息つく青年と男。
横手を見れば、金髪の女性と包帯を巻いた少女、旅装束の橙髪少女が談笑している。
談笑している様子を見ていると、声が掛けられる。
「おい坊主!」
「え、あ。フランセさん!」
青年が声の主へと振り返ると、坊主頭が硝子瓶を突き出していた。
「餞別だ、くれてやるよ!」
「こ、これ俺が飲まされた酒じゃあ……」
「ああっ!? おれの酒が飲めねえってのか!?」
「そうじゃないですけど……でもいいんですか?」
「あんな下手な演奏聞かされてたんじゃあなあ」
「下手って……素直にほめてくださいよ」
ふざけんな、と言って大口開けて笑うフランセに困り顔をするアルト。
瓶を受け取ると手を差し出される。
「フランセさん……」
「元気でやれよ、坊主!」
「……ええ!」
差し出された手を力強く握り返す青年。
「おや、フランも見送りに来てたのかい」
「フランセおじさん、こんにちは」
「こんちゃーおっじさん」
坊主頭に気づいた三人がこちらへと寄ってくる。
「おじさんって呼ぶ……まあ、リラちゃんはいいがよ」
「えーなにそれボクだけ扱いおーかーしーい」
「うるせえ」
しっし、と手をセリアへ振るフランセ。
足を止めた三人のうち、金髪の女性が言う。
「アル坊、旅先でもしっかりやりな」
「はい、わかってます」
「だいじょうぶだよーエラおばさーんボクらがいるよー」
「その通りだ、安心してもらってかまわない」
「はは。ま、あんたらなら大丈夫だろうねえ」
手の平を大きく広げて振る橙髪の少女と、腕組みして頷く若草色髪の男。
二人を見て、それから大きく頷いて金髪女性を見る黒髪の青年。
その青年へと、花を象った髪飾りを付けた少女が一歩近づく。
「アルトさん……あの、これを」
「え、リラ……」
少女が両手で差し出した手の平には、手の平に収まる大きさの布包み。
「アルトさんに、受け取ってほしいんです」
布包みを受け取り左腕の手の平にのせて、右手で包みをほどく。
「これは……花の腕輪?」
四色の花を象った金属らしきものが連なって作られた腕飾り。
「はい。旅人のお守りとして多くの方が身につけられているそうです」
「そっか、そうなんだ。うん、ありがとうリラ」
嬉しそうに礼を言った青年は、右腕に腕飾りを通す。
「大切にするよ、なによりも一番の宝物になったし」
「良かった……気に入ってもらえて嬉しいです」
ほっと右手を胸にあてて息を吐き出す少女。
「でも、また……当分会えなくなりますね……」
「あ……うん」
馬のいななきが聞こえる。
青年と少女から離れて馬のちかくにいた若草色髪の男と橙髪の少女は、
金髪の女性と坊主頭に世話となった礼をしていた。
「もう、出発ですね……」
「うん……」
包帯を巻いた少女は見えない視線を地面へと傾ける。
青年は何を言うべきか迷いを顔に出している。
「リ、リラ! あのさ!」
「! は、はい!」
突然の大声に、顔を上げて同じく大声で応える少女。
「手紙! 旅先からさ、手紙出すよ、俺!」
「て、手紙……ですか?」
「うん、手紙を、そうだリラに送るよ」
「でも……私、からは送ることは……」
場所が分からないからできない、と少女が言おうとして、
「いいんだ、俺がさ、送りたいんだ。リラに。それに知って欲しいんだ。
俺が見て聞いて感じた、この世界ってのを」
両手を左右に大きく広げた青年が言葉を先に放った。
しばし呆然とした様子だった少女は、
「……アルトさん。はいっ! 待ってますから!」
「ああ、絶対送るから!」
馬の方から青年達を呼ぶ声。
そちらに振り向き歩き出す二人。
既に馬へと乗っていたエオリアとセリアに続いて、アルトも馬へと乗る。
「フランセさん、エラールさんお世話になりました。
それじゃあリラ! 行ってくるよ!」
右腕の花飾りが見えるように空へと腕をかざす黒髪の青年へと、
藍色の長髪に花の髪飾りを輝かせた包帯を巻いた少女が言葉を贈る。
「いってらっしゃいアルトさん!」