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大地の歌を奏でる者たち  作者: 日高明人
第一楽章 召喚
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第五話 不安を越えて

包帯で目元を隠している少女は、歌と旋律に合わせるように左右へと手をかざし、

口元は笑みを浮かべ、先ほどまでの震えなどなかったように身体を動かす。

黒髪の青年はただ黙ってみつめてはいるが、何を言おうか考えあぐねている様子でもあった。


歌と旋律は二人のことなど構わないまま徐々に弱々しく音が落ちたかと思えば、

再び明るく力強い音がひびきわたり地面にいる人々を盛り上がらせる。

そして布下から響き渡る歓声に青年と少女は身体を振るわされる。

震えから少女は青年の存在を思い出す。


「あ、あのアルトさん……私……」


少女は何をどう言うべきか戸惑い顔と声で青年を見る。

声には恐れと期待を僅かに含ませているのが彼には感じられ、

アルトは、リラの覆い隠されている眼へ視線を合わせたまま口をつむっている。


(リラには、精霊が見える。リラは、それをどう思っているんだろう)


思い出されるのはエオリアが話していたこと。


——ひどく虐められてたらしい。


舞台の巫女は歌声とともに身体を踊らせ、騎士は横笛を高い音色で旋律を流し続ける。


   ●   ●   ●


巫女は声を張り上げて歌い踊りながらも、眼前の人々ではなく上空へと意識をとばしていた。


(あんな高いところリラ大丈夫かなー)


いままで包帯の少女が外にでるとき、セリアは出来る限り付き添い、彼女の安心を守って来た。

それが自分にできる一番のことだと、少女を大切に思うセリアの意思。

踊りで身体を回転させるついでに横笛を吹いている騎士へと視線を当てた。


エオリアは眼前へと顔を向けて横笛を吹きながらも、セリアの視線に眼を合わせて答える。

しかし、彼の目線も人々へではなく、上空へと戻る。

自分と同じく彼も二人を気にしている、そう感じ取り、大丈夫アルトを信じようと思った。


あの少女が、出会ったときは母親の後ろにずっと隠れ、

ひとりで『大地の間』の花壇を手入れしていて、声をかけても黙っていなくなってしまった彼女が、

たった数日前に出会ったアルトにあそこまでの笑顔を見せるのだ。


アルトが、少女の花を一番最初に褒めたのも大きいだろう。

何よりも花を大事にして花とともに過ごしてきたリラだ、自分のことのように嬉しかったに違いない。

セリアは回転を止めて人々へと向き直り、今度は叫ぶに近い声を早い拍子で出していく。

隣からは低音を響かせる旋律が生み出され始める。


いま歌っているのは、人を信じずに愛を憎む男がひとりの女によって信じる心を取り戻す歌だ。

歌い上げる歌詞には女の想いが込められているが、歌の作り手は男性だと聞く。

最初に歌を聞いたときは歌と同じ経験をした女性が作ったものだとばかり思っていた。


しかし、のちに聞いた事実は違っており、

親の愛に餓えた養子を歳のいった男が不器用ながらも共に過ごすなかで、

子を歪みから明るい方向へと歩み育てていったなかで生まれた歌なのだという。


この世界は厳しい、セリアは歌声には込めず胸に秘める。


精霊の加護と術のおかげである程度は安全に生きていられるとはいえ、

生まれた子の多くは大人の力およばす失われてしまう。

それに神殿や街をはなれれば凶獣が人を襲うこともあり、

飢えや生活の苦しさから盗みや殺しをせざるえない人もいる。

結果、リラのように壁や悲しみを得てしまう人も少なくはない。


それでも、と思い喉を限界まで振るわせて声をふりしぼる。


厳しさに、悲しさに負けることなく、生きてほしいと願う。

悲しいことがあった分だけ嬉しいことをたくさん見つけて幸せになってほしい。

そう、普段から父であり大神官でもある人が口癖のように言っていることを、

セリアは無言の願いを、大きく左右に手を振り広げて歌声にのせた。


   ●   ●   ●


眼下から聞こえる歌は勢いを増していき、人々からは熱気が溢れ始めるなか、

絨毯の上に座る青年と少女は互いを見ていた。

拳を薄くにぎりしめてアルトは口を開けようとして閉じるを繰り返し、

リラはアルトの言葉を待っているかのように空中に掲げていた手を胸の前で握っていた。


(そういや、リラ、よく胸前で両手を握っているよな)


そのしぐさも彼女なりに意味のあることなのだろうと思いながら、思案に頭を巡らせていると、

耳にはこれまでの音量を超えて熱い歌声がとどく。


歌声の熱さに聞いているこちらまで胸が熱くなって来た、熱く悲しい歌だ。

歌には男がどれだけ人を想い、ゆえに人を信じなくなったか。

しかし女は信じることを諦めず男をただ信じているのかが詞に込められていた。

横笛は歌声の熱さとは対照的に、静かに波打つような音を奏でる。

青年と少女は知らず知らずのうちに舞台へと眼をむけている。


「とても悲しい歌……だけど、だけどそれだけじゃない」


少女がつぶやく、青年は頷く。


聴こえる歌詞とは裏腹に感じられる、男が女を信じようと自身と向き合おうとしているのが。

男は逃げた、自身の悲しみから、自身の不安から。

それでも、女を信じようとするのは、希望を、自身を信じたかったから。


——僕たちは不安だけが心にあるわけではありません。

——明日への見えない不安と、明日への希望も夢も楽しみも一緒に持っているのです。


ブッファの言葉が、自身の抱いていた不安とともに呼び起こされる。

しかし、いまは不安をぐっと胸の奥に押しとどめつつ、

歌声とともに聴こえる静かな笛の音に心を落ち着かせる。


「リラ……ちょっと聞いてもらってもいいかな」

「アルトさん……はい」


青年は、ふりしぼるように声をだしていく。

少女は、前を向きつつ答える。


「俺、とても不安なんだ、ちゃんと帰れるのか。

 自分が大地を巡って神殿まで無事に戻って、元の世界へと帰れるのかが」

「……はい」

「でもさ、同時にこの世界がどんなとこだろうって興味もあるんだ」


最初よりも明るい声が出る。


「俺のいた世界と違ってびっくりするような髪の色の人がいたりさ、

 漫画や映画でしか見たことないような龍翼人や岩石人なんてのがいるし」

「……」

「聞けば木霊族や人魚族ってのもいるっていうから、旅先で出会えるかなって楽しみなんだ」


少女は何も言わず、胸前の手を解くことなく聞いている。


「俺の見たことないもの、知らないことが、たくさんたくさんこの世界にはある。

 精霊術なんてまさにそう、火の玉を自在に操ったり、空中からいきなり水出したり」


強制的に呑まされた夜が思い出される。


「だからさ、どんなことでも驚いたりするだろうけど、怖がらずに触れていきたいんだ」

「アルトさん……」


言葉の終わりとともに青年は少女へと向き直る。

少女は、待っている、言葉を。


「俺、羨ましいよ。精霊が見えるなんて、すごいよ」

「…………」

「リラにしか見えない世界、いつかは俺も見てみたいと思う」


静かに言葉を言い終える異界から喚ばれた青年。

花の似合う少女は言葉もなく涙をながしていた。


歌声と音色は終わりを迎え、地面が歓声と拍手に包まれていく。


   ●   ●   ●


時間は過ぎて二日後の昼、神殿外では二頭の馬がつながれた荷台近くに人が集まっている。


「それではアルトさん、訓練がんばってください。また会えるの、待ってますから」

「ありがとう、リラも元気で。また色々話しを聞かせてくれるのを楽しみにしてるよ」


馬車の台座に座っている灰色の布をかぶったリラへ、

アルトは片手をあげて笑顔で答える。


「あんたたち、ずいぶん仲良さそうじゃないか」

「え、そな、そんなお母さん何言ってるの!?」

「はは、ははは……」


同じく台座の横にすわるエラールの言葉にリラは慌てる。

どう反応したらいいかと照れて頭をかくアルト。


「んんん〜ボクも気になるな〜気になっちゃうな〜」

「止さないかセリア、馬に蹴られるぞ」

「はっはっは、若い人はいいですねえ」


近くにいる三人からの野次が恥ずかしい。


「それじゃあ大神官様、世話になったね」

「いえいえ、こちらこそいつもいつも助けられてますから」

「なーに、うちのお得意様なんだから当然さ。

 今度くるときはフランから上等な酒かっぱらってくるよ」


是非とも! と頬をゆるませて言うブッファに呆れ顔になるセリアとエオリア。


「道中気をつけてね、リラもエラおばさんも」

「まだ日が高いとは言え、危険がないとは限らないからな」

「大丈夫ですよ、街道沿いに行きますし、祭りからの帰りで人がたくさんいます。

 それに……お守りもありますから」


包帯の少女が頭にかぶる灰布のなかで一瞬光りがきらめく。

光を発したのは藍色の長髪に付けられた花を象った髪飾り。

青年は素知らぬ顔をしているが、巫女と騎士はにやけた顔で彼を見ている。


「ありゃりゃ、いつのまにかうちの娘が色気づいてるよ」

「も、もーちがうったらー!」

「さてからかうのはここまでにして、そろそろいくかね」


エラールが意地の悪い顔を見せる横、リラは小さく唸っている。


「ええ、名残惜しいですが、それではまたエラールさん、リラ君」

「二人ともまたねー」

「道中気をつけて」

「向こうでも元気で」


それぞれの呼びかけに二人は手を振って答えつつ、馬車は街道へと向けて駆け出していく。

神殿から遠ざかり街道を歩く人々や、他の馬車に混ざって見えなくなるまで四人は見送る。

姿が見えなくなったところで、さあと大神官は青年へと振り向く。


「今日から訓練と勉強を始めますよアルト君」

「そんな酒臭い口で言わなくても分かってますよ」


苦笑いを浮かべるアルトに、はっはっはと笑い声が返ってくる。

青年の後ろにいた騎士は、アルトの肩に手をかけて


「よし、さっそく神殿周りを十週走るぞアルト」

「ちょ、ちょっとまて! いきなり過ぎるだろそれ!」

「ほう……アルト、おまえ逃げるのかな?」

「な〜に〜?」

「訓練では同じことを自分も一緒にやる、負けるのが恐いのかな」


エオリアの売り言葉を買うようにしてアルトは、


「エオリア、俺が、いつ、負けるのが恐いと言った」

「そう聞こえたんだが気のせいだったか」

「舐めんな! これでも陸上部だったんだ!」

「はっ! りくじょうぶとやらは分からんが、運動には自信があるわけか!」

「ああ、おまえに敗北ってやつを教えてやるぜ!」

「その言葉、そっくり返してやろう!」

「ただの訓練になにをそこまで張り合ってるのかなー」

「はっはっは。やる気があるのはいいことですよ」


言い終えてから神殿の角へと走り出した二人を見ながらぼやくセリアに、

楽しそうにあごをなでて二人を見ているブッファ。

馬鹿二人の雄叫びが神殿付近に響き渡る。


   ●   ●   ●


街道を形作る石畳を進む馬車には、ひづめと車輪の音に揺られる金髪の女性と包帯の少女。

女性は馬の手綱を持って前を向いており、少女は本に顔を向けているなか、

馬車の周囲には荷物を携え歩く人や、同じように馬車を揺らす者もいた。


ときおり雲間から日差しがのぞくものの、気温は涼しく空気は乾いている。

気持ちのよい空気と定期的に聞こえる足下からの音に、リラは眠気を感じ始めた。


(ん……もうちょっと読んでから眠りたいな……)


手元にある本に書かれているのは、奏者の言い伝えが書き連ねられたもの。

神殿から出立する際、図書館からセリアを介して借りた。


自分が生きている間に奏者が喚ばれることがあると耳に挟んだ言い伝えで知ってはいたが、

もともとそこまで興味があったわけではなかった。

外に興味を持てない自分には関わりのないことだと、思っていたからだ。


しかし、現代の奏者、アルトに出会った。

彼は、いままで出会った人とは雰囲気も色もなにもかも異なっていた。

異界の人間、興味がないと言えば嘘になる、しかし怖くもあった。


度重なる眠気に耐えれそうになくなってきて、はあと本を閉じると、

そのまま本を膝上に置いたまま、台座の背もたれに背中を預ける。


(彼は、アルトさんは、お花を褒めてくれた。そして、羨ましいと言ってくれた)


それに、と思いながら髪に留められた髪飾りに触れれば、

祭りの演奏会が終わったあとのことが思いうかぶ。


アルトとともに夜店をまわり、彼が花の似合う自分に合うと言って買ってくれたことを。

嬉しかった、髪飾りを買ってくれたこと以上に、なにより花が似合うと言ってくれたことが。

知らず知らずのうちに口元が微笑んでいる、とても暖かな気持ちが胸にある。


それから知りたくなった、アルト以前に喚ばれた奏者はどのような人たちだったのか。

そして、それぞれの奏者が喚ばれた頃の大地はどうであったのか。

これからはもっと外のことを知っていこう、アルトともっと話ができるようになろう。


包帯の少女はそう意思を抱いて、街へと着くまでの間、眠気に従って暗闇へと落ちた。


   ●   ●   ●


数日後の神殿外、午後の日差しが突き刺す暑さのなか、

神殿に寄り添うよう大きく枝葉を広げて佇んでいる樹木の下、幾人の人が集っていた。

日差しから逃れるように樹木の影に隠れ、木の根もとには橙の少女が立っている。


少女の横手には黒に近い色合いの板が地面に突き刺して立ててあり、

板の前にはこどもたちに混じって黒髪の青年があぐらをかいて座っていた。

青年のあぐらの上には何人かのこどもたちがのっかっていて、

左右や後ろから服や髪をひっぱりるこどももおり、青年は対応に疲れ顔。


「よっし、じゃあ皆、今日の勉強始めるよ〜」

「は〜い」


とどく声に、ようやくかとつぶやいて青年は前を見る。

黒板には白い文字でいろいろと書かれていくのを、アルトは左から右へと眼を動かして見る。


(やっぱり読めるなあ……どうなってんだろ)


見た事の無い文字だったが、内容が頭に入ってくる。

耳には少女の声と質問をするこどもの声が交互に聞こえてくるが、

そのまま考えに意識を向けていく。


訓練と勉強を開始してからの数日。

アルトは改めて気づかされたことがいくつかあった。

もともと陸上部で運動していたから、それなりには訓練についていけるだろうと思っていた。


だが訓練を始めてみればおかしなことに、身体が想像以上に動く。

初日のエオリアとの神殿周り十週もなんなくこなしていた自分がいた。

息切れはしていたものの、横を走っていたエオリアは汗をいくつもかいていたのを見て、

おかしい、明らかにそう感じ取れた。


(俺は短距離走が専門だったし、マラソンではドベの体力しかないのに)


そして、セリアの地理や歴史、精霊術などの勉強では、文字が読めていた。

どれもこれも始めて見る文字であるのに理解ができてしまう。

一体これはどういうことなのかと、自問したとき言葉が通じていることにいまさら気づく。


おかしさに不安と気味の悪さを覚え一度ブッファに相談をしたが、

理由はわからない、代々の奏者も同じだったと聞かされた。

得体の知れないなにかの力が働いてる、そう思うと不安だったが、

ブッファはアルトへ「きっと精霊の加護が付いているのですよ」と優しく言葉をかけてくれた。


だが、そう簡単に納得ができたわけではないが、

気にしてもしょうがないかとアルトは考え過ぎないようにした。

はあ、と下向きに息をつくと、


「ア〜ル〜ト〜そのため息はなんなのかなー」

「わーアル兄ちゃんふまじめだぁー」

「はっ? へえっ?」


セリアが眉と口をゆがめ、両腕を組んで青年を見ている。

近くのこどもたちは皆、アルトへ指を向けたりして笑っていた。


「罰として、術の受ける役!」

「わーいっ!」

「えええええ、またかよぉ!」


音が鳴りそうな勢いでアルトを指差したセリアはそう言い放ち、

青年の近くへとよって片腕を引っ張って無理矢理立たせる。

そのまま黒板横まで引っ張り、木の根元から少々離れた位置に立たせた。


「よぉし! じゃあ今日はボクがお手本を見せるからね」

「はぁーい!」

「うわぁ……手加減、してくれるよな?」

「し・な・い・よ」


眼が笑ってない笑顔で言うセリア。

少女は眼を閉じて、両手を目の前へとかざす。


「みんなーよーく聞いて、ちゃんと覚えるんだよー」


眼をつむったままセリアがこどもたちへ教えを説けば、

こどもたちは期待を浮かべる顔で言葉を待っている。


「まず、眼を閉じたりして気持ちを集中。

 そうやって精霊さんが近くにいるのを感じ取るの」


目の前へとかざされた両手を左右に広げ、手の平を上にして止める。


「それで心のなかでお願いするの、精霊さん力を貸してくださいなって」


左右の手の平からは拳ほどの水球がそれぞれ生じている。


「いまやってるみたいなのは、水の球を一緒に作りませんか、な感じでお願いするの」


拳ほどだった水球が、一回り大きくなる。

さらに一回り、さらにさらに一回り。さらにさらにさらに一回り巨大に。

こどもたちの眼は見開かれ、思い思いに驚きと喜びの声を出している。


「あんまり強引なお願いの仕方は駄目だよ、精霊さんが困っちゃうからね」


生じたころより三倍近くも大きくなった二つの水球は、

ふたたび両手を目の前にもってくることにより、さらなる大きさをしたひとつの水球となる。

セリアは眼を開いて口元を笑みに歪めて、


「んふふふふふ〜ア〜ル〜ト〜」

「セ、セリア! それやばいって! 死ぬって!」

「アル兄ちゃーんがんばれー」

「おお、がんばるよー……ってああああああああああああああああああああ!」


こどもたちの声に応えた瞬間、アルトの全身へ巨大な水球がぶつかった。

あとには右手を振り抜いた姿勢で立つ、満面の笑みのセリアがおり、

派手に展開された精霊術にこどもたちは歓声にわいていた。


   ●   ●   ●


夜、神殿住居の一室では柔軟体操をしているアルトの姿。

昼過ぎまでは身体を鍛える運動、過ぎてからはこどもたちと勉強。

加えて夕飯を終えるまでは神殿で働く人々の手伝いを青年はしていた。

寝台の上で身体を伸ばしながら、


「あー……セリアにやられたせいであちこちが痛い」


伸びたさいに生じる骨に響く音と肉体の軋みに顔をひそめながらぼやき、

腕と足の位置を組み替えて、先ほどとは反対の箇所を伸ばす。

そのまま手に力をこめて足を伸ばしつつ目線を動かして見るのは、

室内に据え付けられていた木製の机、上には一冊の本。

ロウソクの灯りに照らされて横開きになっている本のページは白紙。


「日記、か……どんなこと書こう」


股関節あたりからいい音が鳴る。

今度は背筋を伸ばすように姿勢を整えるアルトの脳裏には、ブッファとのやりとりが浮かぶ。


——アルト君、これをお渡ししておきます。

——ブッファさん、これは?

——これは『賛美歌の道』へ旅立つ奏者に書いていただく記録帳です。

——記録帳、ですか。

——ええ、とは言ったもののどちらかと言うと日記ですね。

  日々なにがあったか、旅した場所ではどのような人と出会い、出来事があったか。

  そういったことを思いのままに書きつづっていただいてかまいません。


そのように言われてわたされた本だ。

旅が終わり自分がもとの世界へ還った際には風の図書館に納められるという。


(この世界に、俺がいた証として残されるのか、というか他の人が見るのかなあ)


下手なこと書けないな、そうどこか恥ずかしい気持ちを抱きながら身体を伸ばす。

目線を日記帳からひとつ横へとずらす。


机の上には四色の宝石がはめこまれた銀の腕輪もあった。

ブッファから初日に渡されていた腕輪。

その腕輪について、詳しい説明も受けた。


「腕輪には、人々の気持ちが込められていくのか」


言い伝えでは初代の奏者が四大精霊と心を通わせた証拠としてもらったものらしい。

そして腕輪にはめ込まれた宝石は、旅で出会った人々の思いや願いを受け取り、

旅の終わりで完成される賛美歌の質を高めるのだとブッファから聞いた。

それゆえブッファは、旅先では多くの人々と積極的に触れ合うと良い、と。


柔軟を終えて寝台に寝転がる。

石造りの天井をしばしみつめるが、考え顔をして脚を地面へとおろしアルトは立ち上がり、

そのまま木製の机へと歩み寄り、同じく木製の椅子に腰掛けた。


腕組みをしたまま白紙のページを見る、本の横には黒いインク壷と灰色の羽根ペン。

ふと眼に入った羽根ペンの色に、灰色の布を思い出しリラのことを思う。


(そういや、もう何日も会ってないなあ)


包帯を巻いた少女の顔と声を思い浮かべて、寂しさに胸がすこし痛くなる。

この世界には携帯電話などの遠方と即座に通信できる手段はない。

手紙のやりとりや精霊を通じて交信するぐらいにしか術はないという。


「会いたくても会えないって、こんなにつらいなんて」


家族たちと会いたい気持ちがなくなったわけじゃない。

いまだって会えないことの寂しさと不安はある。

だけど、こっちの世界では自分のことを思い受け止めてくれる人たちがいる。

不安と寂しさを埋めるだけでなく、希望と楽しさをあたえてもくれる。


「あーだめだだめだ、暗くなんな俺」


湿っぽい思考を吹き飛ばすように頭を左右に振り回し、

右手で羽根ペンを手に取り、インク壷へと突っ込む。

やや付け過ぎなインクを垂らさないようペンを運び、ページに文字を書いていく。

他人に読まれてもいいよう元の世界の文字で書こうと思ったが、

現代の記録になることを思い出してこちらの世界の文字で書きだす。


こちらに喚ばれたときのこと、祭りのこと、訓練と勉強のこと、

それらを一通り書いたところで気づく。


「あ、タイトルとかあったほうがいいかな」


日記ではあるが記録でもあることを考えて悩む。

半時ほど唸ったり頭をかいたりして青年は脳を働かせ、

ようやく思いついた末に日記帳の表紙にタイトルとなる文章を書き込む。

満足した顔で日記帳を引き出しにしまい、銀の腕輪も一緒に入れる。

そしてロウソクの火を消し、室内灯のランプも消してベッドに潜り込んだ。


引き出しにしまわれた日記帳の表紙には、


——大地の歌を奏でる者たち——


と書かれていた。

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