第三十七話 風の行くさき
風の精地とされる一面が白となっている雪山、その頂き近くの洞穴からは冷たく強い風が外へと吹く。
強い風にさらされながらも黒髪の青年は目の前へと立っている、
自身よりも三倍以上はあろうかという顔無き蒼雪の巨人を見上げていた。
ほうけたように見ている青年の前、軋む音をたてながら巨人は太く大きな右手でアルトを指差す。
「え、なんだろう」
「貴方が奏者か、とそう問いておられるようです」
動きの意味が読めず戸惑うアルトにエアリーが言う。
「エアリーさん分かるんですか?」
「小生はこどもの頃からの付き合いでありますから。
それよりもアルト殿、お名前を教えてあげてください」
「わかりました」
頷いてアルトは巨人へと顔を向き直す。
「アルヒト・ヤマハ、第三十代目奏者のアルヒト・ヤマハです」
青年がそう名乗ると、岩が軋む音をたてながら巨人は指をもどし、
顔の無い胴体で大きく頷くような動作を見せる。
すると、洞穴へと巨人はその身を振り向かせ、一度手招きをして地響きをたてて歩き出す。
「大精霊のもとへと案内してくださるようですので、彼とともにお行きくださいアルト殿」
「わかりました、けど二人は?」
言葉とともに左右を見れば、騎士と巫女は頷く。
「自分らの役目はここまでだからな」
「風の大精霊様はちょっーとむずかしい方だからねー」
「二人がいないとすこし不安だなあ」
「すまんな、風の大精霊のもとへは奏者がひとりで行くと決められているから」
「アルト殿、話しているとおいていかれますよ」
「うわ、ちょっと待って!」
横から苦笑している青年へ龍翼人が声を掛ければ、
アルトは慌てて巨人を追って洞穴へと駆け出して行った。
● ● ●
青年よりも大きい巨人ですら余裕でおさまる広さをもった洞穴。
巨人のあとを追って歩く青年が、巨人自ら発している薄い光で照らされた岩壁を見れば、
そこかしこに灰色の壁にそぐわぬ色で描かれた絵や文字などが見当たり、
ここがこどもたちの遊び場になっていることを想像させる光景があった。
「大精霊がいる場所なのに、こどもには関係ないんだろうな」
ちいさく笑みを得て、思い出すのはこどものころ。
危ないから行ってはいけない、そう言われた場所ほど好奇心にかられて皆で行っていたことを。
きっとここでも同じように言われたこどもたちがいるのだろう、そう考えたとき。
弱い風が通り抜ける。
「……?」
青年に聞こえたのは大勢のこどもたちが遊ぶ声。
立ち止まり周囲を見渡すものの、声の主はどこにも見当たらない。
巨人もなにも見ていないのか立ち止まらずに地響きを立てている。
「気のせい、かな」
頭をかきながら青年がつぶやいた瞬間、洞穴の奥から突然突風が吹き荒れ、巨人と青年を襲う。
いきなりの風にアルトは両手で眼前を覆うことしかできず、
風を堪えて前へと進もうと両足を踏ん張るが、突風は止まないまま勢いだけが強まっていく。
着ている服と髪が風に強く揺れ、もはや目を開けていることさえ困難なほど風は強くなる。
歯をかみながら堪えている青年はなんとかして足を動かそうとするが、
地面からわずかに浮かせただけで片足は風にもっていかれそうになり容易に動けない。
まるで風が拒んでいるかのように青年をその場へと張り付かせていた。だが、風が唐突に止む。
止んでからも数秒は風を堪える姿勢でいたアルトがゆっくりと目を開いてみれば、
正面には巨人の大きな手が風の壁となるようにおかれていた。
巨人に礼を言ったあと、アルトはなるべく巨人の背を歩くようにしつつ洞穴の奥へと進み、
進みながらひとりつぶやく。
「そうか、だからひとりで行く必要があったんだ」
複数いては巨人が風から護れない、ゆえに奏者ひとりで巨人とともに行く必要があったのだと知り、
今回はひとりだけで大精霊のもとへと行くことをエオリアに言われたときの疑問が、
アルトのなかで氷塊していく。
巨人とともに進んでいるとまたも冷たく身を切るような突風が吹いてくる。
雪山を登るときに身につけていたのと同じ赤い精霊石をアルトは首から下げていたが、
洞穴の奥から吹いてくる風は石から発している熱すら打ち消す冷たさであった。
風の音と巨人がたてる地響き、洞穴にそれ以外の音が存在していない、
それは生きている存在がほかにまるでいないことの証拠でもあった。
そのことが足を動かしている青年の身を心持ちよけいに凍えさせてもいた。
白い息を風に流しながらアルトは風の盾となるよう前を進む巨人を見る。
「こんなところで、千年も過ごしてきたなんて……」
強風で閉じそうになるアルトの視界には、
広い洞穴の端々に大きな岩を彫って作られた椅子や机といった家具らしきものが、
無造作にころがっているのがいくつも見受けられた。
どれもこれもがすでに使われないままでいたのか、転がったまま風化しており、
もはや原型をとどめているもののほうが少ないほど。
かつてはあった生活の跡、それすらも年月の経過で失われようとしていた。
ふたたび聞こえる右耳へのささやき。
「さびしいひと、か……」
同意する口調でつぶやけば、左胸を締め付ける感覚が沸く。
誰もいない場所でたったひとり過ごすことがどれほどの苦痛であろうか。
昨日までそばにいた誰かともう会うことも話すこともできないことが、
目の前を進む巨人にとってどれほど胸を痛めることであるのか。
「この世界へ来たときの俺と、似てる」
なおも締め付ける胸に手をあてながら、青年は苦悩の表情で進む。
自分と巨人、違うのは失ってしまったか否かの一点。
青年は思う、自分はいずれ元の世界へ戻り家族と会うことができる、
だが目の前の巨人は違う、語らう友人も愛すべき家族もなにもかも失っていると。
ほの暗い光を発しながら洞穴の奥へと歩む巨人はなにも語らない。
時折吹き付ける風からアルトを守るように手や足を盾にするだけで振り返らない。
その姿は聞くことも話すこともなにかもを拒絶しているように青年は思えた。
だからこそ悲しみを抱かずにはいられなかった。
失ってしまうとはどういうことか、ひとりぼっちになるとはどういうことか、
それだけでも心苦しいはずなのに独りで千年も仲間たちがいた場所に住むのはなぜか。
尽きない疑問に沸いて来るのは涙。
吹いて来る風に飛ばされてしまう涙、それでも青年は思わずにはいられない。
ただの思い込みかもしれないが、無言で歩む巨人を他人事に思えないと。
人ではない相手をまるで自分のことのように青年は捉えていた。
そこへこれまで以上に強烈な暴風にも等しい風がアルトを襲う。
巨人も風の強さが尋常でないことを悟ったのか、
身体を軋ませながら急いでアルトをかばおうとした瞬間。
青年は叫んだ。
「いらない!」
全身が吹き飛ばされそうになりながらも、身体を低くしてアルトは巨人へと叫び、
腰にさしてあった鞘から白い剣を抜いて堅い地面へと勢いよく突き刺す。
半ばも刺さらないほど堅い岩の地面だったが、それでも風をしのぐには十分であったのか、
奥歯を噛み締め唸るような声を出しながら、刺さった剣にしがみつくようにして、
アルトは暴風を巨人の手を借りずにやりすごす。
「大丈夫、です。まだ俺だけでも平気です」
胸の締め付けをごまかすように強ばった声が洞穴にひびく。
千年もひとりで生きて来た相手がいる、そのことに青年は自分を恥じる。
人々や騎士と巫女、そしてリラとの交流を経てアルトが抱いていた孤独感や寂しさは、
召喚された当初に比べればずいぶんと薄らいでいた。
それでも時に顔を出して来ることは有り、その度に青年は苦しさを覚えてもいた。
小さくうめきながらも暴風にさらされた身をゆっくりと起こし、
青年は白い剣を地面から抜き出して戸惑うようにしている巨人へと向き直る。
「ずっと……」
涙がこぼれた。
「ずっとひとりで、どうやって貴方は生きてきたんですか」
アルトの言葉に、蒼雪の巨人は洞穴の奥ではなく、青年のほうへと巨体を向けた。
● ● ●
地響きを数度たてながら巨人はアルトへと向き合う。
最初こそは初めて見たこともあって気づけなかったが、
倍以上大きい巨人の発する威圧感に青年はたじろぎそうになる。
しかし、アルトは自身を叱咤して威圧感と向き合い、巨人をみつめた。
聞こえるのは風の唸る音。
頭部を失っているためか、言葉を発さない相手へどう言葉を掛けるか青年は悩む。
それでも、と歯を噛み締めアルトは声をはなつ。
「教えてください、千年もどうやって生きてきたんですか」
風に流されてしまわないよう大きな声が洞穴に響きわたる、が声は震えていた。
なぜならば青年は自分の言葉がどれだけ相手へと踏み込むかを知っていたから。
言いたくもなければ思い出したくもないこともあるだろう、
場合によっては巨人を怒らせてしまうかもしれない、だが問わずにいられない。
「どうしてだか、貴方のことを他人に思えないんです」
頭部があったであろう部分をみつめながらアルトは言葉を続ける。
一方的な思いを言うだけでしかないと分かっていながら。
「俺はこの世界へひとりで召喚されました。ある日突然です。
なんの用意も準備もなく、気づいたときにはこの世界にいました。
仲のよかった友達や家族なんかにも何も言えないまま」
小さくなっていた寂しさが大きくなる。
「どうして、どうして俺がいきなりってわけも分からないままで、
苦しくて、つらくて、死んでしまいそうでした」
風は冷たく青年の周囲をすぎていく。
「でも、そんな俺でも今生きていられるのは、
こんな何の取り柄もなかった、夢や目標もなかった俺に、
優しくしてくれた人や支えてくれる人がいたからです」
だから、というように両足に力を込めて風に耐える。
「だから知りたいんです。ここで貴方がひとりで生きていられる理由を」
声は震えを帯びたまま、大きくなる。
「どうやって寂しさや孤独と向き合って来たのかを!」
洞穴内にアルトの声だけが何度も反響していく。
やがて声が小さくなり聞こえなくなったころ、巨人はゆっくりと動き出す。
彼が見せた動きは太く大きな右手を青年の目前へとそっと置く動き。
巨人の動きにどうすればいいのかとアルトが思っていると、ささやきが聞こえる。
「さわる……?」
聞こえたささやきの内容に疑問を得ながら青年は眼前へとおかれた青白い手に触れた。
すると頭にひびく声。
『きこえる だろう か』
低くしわがれた老人のような声が青年の頭のなかに聞こえてきた。
驚きの表情となったものの、すぐさまアルトは答える。
「は、はい。聞こえています!」
『おどろかせて すまない』
「いえ、いつも驚いてばかりですから。
でも、こうやって話せるということは……教えてくれるんですか?」
『きみが なみだとともに きみのことを おしえて くれたから』
「……ありがとうございます」
礼を述べるとともに巨人は左手で壁をしめし、
『すこし ながいはなし となる』
「わかりました、座って話を聞きます」
『ありがとう』
巨人と青年は互いに壁を背もたれとして腰を地面におろす。
それから彼はゆっくりとぎこちない声で語りだし、アルトは静かに耳を傾けていた。
『ずっと ずっと ずっと むかし たくさんいた』
「貴方の仲間、がですか?」
『そう みな いつも いっしょ いつも ここにいた』
触れる巨人の肌は吹き抜ける風と同じぐらい冷たさを青年に感じさせたが、
彼が語ることばはどこかあたたかさを伝える。
『きのうも あしたも きょうも いっしょだった』
「……」
『けれど かつてない くろが おおきなくろが やってきた』
「くろ?」
『くろ それはあばれるもの くろ それはあれくるうもの』
「エアリーさんが言っていた凶獣と嵐のことかな」
『みな とうへつどった だいじな だいじな とうまもるために』
途切れ途切れでありながら、言葉には強い悔恨が込められていた。
『まもった まもりぬこうとした まもることで うしなった』
なにを、とは聞かなくても青年は分かっていた。
『ここに みなが いない みなは とうにいる なにもいわない』
「みんな、死んでしまった……ということですよね」
『わからない しぬ わからない』
「わから、ない?」
『みなは いわであるもの いのちもしも もっていない』
「命も死ももっていない……?」
触れている手から伝えられる言葉にアルトは理解ができない。
『みな はじめは みな いわだった
だけども ネルギニスさまが かたちを かえてくれた
だから いのちも しも もっていない』
「元々岩であったから生きてない、そういうことですか?」
頭部のない胴体で巨人は頷く動きを見せる。
「だったら死んだのではなく塔をおおうよう形を変えた仲間がいた、と」
『そう みな しんだわけではない みな いわにもどった だけ』
「でも、でももう話し相手は、貴方と同じ巨人はいないんですよ?」
『いない だけど いる だから ここにいる』
「……寂しくなんかないってことですか」
『すまない さびしいが わからない』
「いえ、いいんです。俺が勘違いしてただけなんです」
青年は自身が思い違いをしていたことを知る。
エアリーが語るように彼が話したように、巨人はひとりぼっちだと思い込んでいた。
しかし、巨人はひとりでいるつもりもなければ、寂しさも得てはおらず、
他者に対する見方そのものが人族と巨人では異なっていることを痛感したのだった。
「はは……なんか俺恥ずかしいな、ひとりで勘違いしてた」
『そんなこと ない はなしかけてくれて うれしかった』
「……うれしい、ってのは分かるんですね」
『エアリーが おしえて くれた』
「エアリーさんが?」
『エアリーが まだつばさを もっていたころ ここによくいた
まちにもどらず ここで よくほんを よんでいた』
「そうだったんだ」
アルトはエアリーがかつて虐められていたことを思い出す。
「いじめられるのがいやで、ここにいたんだ」
『よく はなしあいてに なった いろんなことを はなした』
「いっぱい本読んでる人だからいろいろ話したんでしょうね」
『たくさん きいた たくさん ないていた』
言葉にハッとさせられる。
『いつも いっていた こんなつばさ いらないと
とべもしない はばたけもしない じゃまなだけだと
いみを もたないものなんて そんざいするいみ ないと』
いまのエアリーからは想像できない厳しい言葉にアルトは黙り込む。
『だから エアリーは つばさを すてた そして ここへこなくなった』
「え?」
『エアリーは いっていた けじめ なんだと
もう ここをたよらない もう にげたりしない と』
笑顔で過去を語っていた龍翼人、けれど巨人は知っていた笑顔でなかったころを。
『だから ひさしぶりに はなせて うれしい』
「じゃあ、もうずっと誰とも話してなかった……」
エアリーは言っていた、八十も昔の話だと。
「八十年も話さずいて、それでも寂しくないなんて……」
うれしいが分かると言う巨人を言葉もなく見上げてアルトは思う。
本当はさびしいけれど、自分を騙しているんじゃないのか、と。
わからないふりをして彼はずっとずっと長い孤独を耐えてきたのではと。
そこへ先ほどの暴風じみた突風がまたも襲いかかって来る。
「そういえば、洞穴に入ってからずいぶん経ってるような」
『もうすこしで ネルギニスさまの もとにつく』
「……これ以上話してると遅くなりそうだし、もういちど案内お願いします」
言葉に巨人は軋ませながら身体を起こした。
● ● ●
ふたたび洞穴奥へと歩き出す巨人と青年。
ふたりを足止めするように突風は止むことなく吹き続けているものの、
巨人の横にならんで歩んでいる青年は風に臆することなく歩み続ける。
何度も吹いて来る暴風も巨人に頼ることなく、剣を地面に突き刺して耐える。
その心中に巨人を想いながら、アルトは吹き付けて来る風を睨む。
自分がもしも孤独に耐えれなくなったならばどうするのか。
元の世界へと帰ることが叶わず、この世界へひとり残ることになったら、
そう考えて思わず青年は精霊石の暖かみを受けているのもかかわらず背筋が寒くなる。
想像していた以上に心のなかへと暗く湿った感情が沸き出しかけ、
風に耐えるのとは別でアルトは奥歯をより強く噛み締めて感情を抑え込む。
抑え込みつつも思考は止めない。
気が狂ってしまうのだろうか、と思うものの視線だけで巨人を見て浮かぶのは、
感情を無くしてしまうかもしれないという考え。
だれもいない現実に耐えれなくて、苦しみたくなくて傷つきたくなくて、
なにかも忘れてしまって楽になってしまったほうがいいと、巨人は考えたのかもしれないと。
そう思わせるのはアルトの視線が向かう、巨人のいまは空白となっている頭部。
どうしてこの巨人は頭部を失っているのか、てっきり千年前の災いで失われたものだと、
アルトは勝手に思い込んでいたが、さきほどの会話を経て自ら砕いたのではと思いだした。
そうでなければ、と考えながらよぎるのはエアリーが見せた悲しい目。
(エアリーさんが語るときに見せた悲しい目の理由が思いつかない)
最初はただひとり生き残ってしまったのを悲しんでいるのかと思っていた。
でも巨人は悲しみを理解せず、ひとりぼっちだと思ってなどいなかった。
しかし巨人は言う、うれしいが分かると。
どこか矛盾している、とアルトは気づいていた。
放置され崩れかけているかつての巨人たちが用いていた岩の家具、
それはこの巨人たちが知恵をもって生活していたという事実。
(家具を作ったりする存在が感情を知らないなんてあるのだろうか。
ましてやヴィーボに住む人々と交流して、さらには人々のために塔を作ったのに)
答えが分かりそうでわからない。
いや、わかってしまってはならないのだろう、とアルトは思う。
エアリーはわかってしまったからこそ、あんな眼をするのだと。
思考しながら強風のなか歩みを進んでいると、唐突に風が止む。
すると隣から聞こえていた地響きも止まっており、眼前をおおっていた両腕をアルトがおろせば、
目の前にはより広い岩の壁で構成された空間が広がっていた。
「ここに大精霊が……?」
疑問とともに巨人を見れば、ほの暗い明かりを放つ巨人はふたたび歩き出し、
地響きをたてながら広がった空間の中央へと歩んでいく。
そして中央へたどり着くと、ゆっくりアルトへとその身をひるがえす。
アルトが手にもっていた白き剣を鞘へおさめると、風が巨人の周囲を回るように起こり、
何が起こるのかと見ているアルトの前で風が強くなりはじめ、
青年の背後や左右からも小さく風が中央へと流れ出す。
竜巻。
巨人を中心にして岩壁の空間に竜巻が生まれていた。
咄嗟に抗おうとして青年は剣を取り出そうとしたが間に合わず、
強烈に風を引き寄せる竜巻へとひきこまれてしまう。
「ううわあああああああああああああああああああああ……」
身体が浮いたとアルトが思った瞬間には竜巻に身体が飲み込まれ、
上下左右に回転しだす視界に意識が遠くなっていき、やがて叫び声は風に消えた。
その後、アルトを飲み込んだ竜巻はなおも巨人を中心にして回っており、
ゆっくりと広い空間の上空へとその身を伸ばし、青年を洞穴の上へと運んでいく。
青年が運ばれていく先、洞穴の天井には地上へとつながる大きな穴が開いていた。
ゆっくりとした動きでアルトを回転させつつ竜巻は穴を上昇していき、
やがて雪山の頂上となる地表へ出たところで竜巻はちいさく勢いを弱めていく。
勢いが弱くなるとともに、風に回転していた青年の身が地表へと投げ出され、
積もっていた雪へとアルトの全身がぼすっと沈む。
数秒後、
「つ、つめてええええええええええ!」
勢い良く雪のなかから身体を起こすアルトがいた。
「さっきの竜巻、なんだよ!? それにここ……」
どこだ、と言おうとして動きが止まる。
青年が立っている場所から数歩、そこは崖だった。
振り向けば真っ暗な大穴が口をあけていて、左右も三歩あるけば足場がない。
岩山の頂上、そこに自分が立っているのだとアルトは気づく。
「た、高い」
見下ろす視界には遠くにあるヴィーボが見え、篝火や煙突からのぼる煙が小さく見えた。
それも手をかざしてみれば街のすべてが手の平におさまってしまほどの小ささ。
「洞穴の前まで歩いてきたときはそうでもなかったのに、ここどれだけ高いんだろう」
『天の雲に届くぐらい高いかもしれんな』
「そんなに!?」
聞こえた声の内容に驚いて右を振り向けば、そこには空中に浮かぶ人がいた。
否、人ではなく雪像が青年の眼には映っていた。
白い雪によって形作られていたのは冠をかぶった壮年の男性。
「もしかして、風の大精霊、ですか?」
『そうとも、余がネルギニス、風の大精霊なるぞ』
言葉とともに雪像の背後から強風が吹き荒れる。
「わわ、風止めてください! 落ちる落ちる!」
『なにを言う、余は風の大精霊ぞ? 風を吹かせるのが余の務め』
「それはそうでしょうけど、俺落ちますよ!」
『ならば弱めよう』
強風が服をなびかせる程度へと落ち着く。
「あ〜こわかった」
『落ちても死ぬわけでもあるまいに、なにを怯えるか』
「あの、冗談、ですよね。それ」
『なにを言っている?』
不意に雪像から真剣に問われ、アルトは言葉に詰まる。
「いや、俺たんなる人間ですし、こんなとこから落ちたら死にますよ!」
『……そうだな、たんなる人間は落ちたら死ぬのであったな』
「セリアがむずかしい方って言ってたのがよーく分かった……」
肉体的な疲れとは違う意味での疲れを顔に浮かべてアルトは苦笑。
『して貴様は何者だ、ここへ来たということは余に何用か』
「名乗るのが遅くなりました。今代の奏者、ヤマハ・アルヒトです」
『ほう、今代は貴様か。またずいぶん若いのが来たな』
「それは先代と比べて、ということでしょうか」
『いいや、余に比べれば大地の命は全て若い』
言葉とともにネルギニスは背後をアルトに見せる。
『風はうつろうもの、命もうつろうもの、どちらも形がうつろうとも本質は変わらぬ。
生まれては消えていく、風も命も、そこに若いも老いも関係はない』
「はあ……」
『なんだその生返事は、余が風がなんたるかを説いているのだぞ』
「それは有り難いんですけれども」
『なんだ』
「ひとつお聞きしてもいいですか」
アルトは大精霊に出会ったならば聞こうと決めていたことを口にする。
「白い光、奏者にまつわる白い光について何かご存知ないですか」
『……なぜにそのことを余に問うか』
「三千年生きている大精霊様ならなにか知っているかと思って」
『知らぬ』
「そう、ですか」
断言する口調の言葉に、愕然として返事することしか青年はできなかった。
『仮に余が知っていたとして、知ってどうするつもりなのだ』
「……わかりません。けれどどうにかしたいと思っています」
沈む口調で答える青年に、大精霊はため息を吐く。
『それでは知っただけに終わるのみだ。もっと考えよ、でなければ何も為せんぞ』
「はい……」
『情けのない面を見せるでない。知らずとも考えることはできよう。
いままでに貴様が見たもの、感じたものをもとによく考えるのだ』
「考える、ですか」
『そうだ、考えるのだ。考えずとも命も風もうつろう、しかしだ考えずして新しい命も風も吹かぬ』
「考えるってなんですか」
『生きることだ』
「生きること……」
『考えずして生きることもできよう。だがそれは生きてるとは言わぬ。生かされているのだ。
貴様はどちらだ、生きているのか、生かされているのか』
「俺は……」
青年は思う、これまでの自分を。
元の世界にいたとき、自分はどれほど自分から行動できていただろうか。
そしてこの世界に来てからもどれだけ自分の意思で行動できていたのか、と。
拳を握り込み、歯を噛みながら青年は言う。
「俺は、生かされて、いました」
『自覚があるか、いいだろうならば考えよ。そして生きるのだアルヒトよ、今この瞬間から』
「……はい!」
『少しは良い面となったようだ。して用件はそれだけかアルヒトよ』
「いえ、風の試練を受けにきました」
『それならばとうに終わっておる』
「えっ、終わってる?」
『貴様がここへたどり着いた、そこで試練は終わりだ』
「でも、俺……さっき名乗ったばかりですけれど」
『貴様知らぬのか、風の大精霊たるネルギニスのもとへは多くの命が尋ねてくることを』
「どういうことですか?」
『余は風、この大地に吹く風、長きにわたり命とともにあり命を見守ってきた風。
なれば命は余に問うであろう、風の行く末を。だが風は見守るだけではない』
ネルギニスの背後からまたも突風が吹く。
『風は優しく厳しく命とともにある、なればここへ来るものは風をくぐり抜けなければならぬ』
「もしかして洞穴で吹いていた暴風とかは」
『無論すべてが試練の風なり。風に問うのであれば、風を越える意思を持たねばならん』
「俺は……意思を持ててるのでしょうか」
『それに答えるのは余ではない、貴様自身に問い見いだすのだ』
「そう、ですね。そうします」
『……試練を越えた奏者にはこれを渡さねばいかんか』
言葉とともにネルギニスは右手を青年へとかざす。
かざした手の平には風が何重にも重なって生まれた塊とも言える球が生まれ、
風の球に向かってアルトが左の手首にはめた精霊の腕輪をむけると、
腕輪へと風の球がゆっくりと吸い込まれていき腕輪にはめこまれた翠の宝石が輝きを得る。
『賛美歌の歌、確かにわたした』
「確かに受け取りました」
一拍の間。
「もうひとつ、聞いてもいいですか」
『よかろう』
「蒼雪の巨人のことなんですが……
彼らは嬉しいや悲しいといった感情を知らない、そんな存在だったのでしょうか」
『アルヒトよ、貴様はどう考えているのだ』
「千年前の災いが起きたとき、巨人たち総出でヴィーボに立てた塔を守ったと聞きました。
そんな彼らが大事な塔を守るためにその身を犠牲にしたとも聞きました」
ならば、
「感情を知らなかったとしたら、自分の身を犠牲にすることなんてできるのでしょうか」
『アルヒトよ……問う、感情とはなんだ』
「えっ」
思いもしない問いかけをされ、青年は戸惑う。
『感情とはなんだ』
「感情は……心の動き、だと思います」
『心の動き、ならば心はなんだ』
「心は、心は……」
問いにアルトは答えれない。
『わからぬか、ならば考えよ。心とはなにか、感情とはなにかを』
「……」
『でなければただひとり生き残った巨人の意思を知る事はできないと思え』
「……はい」
『それだけではない、貴様がこの先において命を賭したとき』
風が青年の周囲を渦巻く。
『思慮の足りぬまま命を賭したならば、無駄になると思え』
「いま以上に考えろ、ってことですか」
『そうだ、悩むのではない。考えるのだ、追い求めるのだ。風のように立ち止まることなく』
「追い求める……」
『それこそが風と命が重なる意思。アルヒトよ、風は常に追い求めている、風の行く末を。
貴様も風をまとうものならば、そのことを常に覚えておくがいい』
「風を、まとうもの? どういうことですか?」
『貴様が帯びている白き剣は余がかつての奏者に授けたもの。
しかして剣が秘めし風は奏者だけが操ることができるものでもある』
「俺が、風を……?」
『追い求めよ、それこそが風と重なる道だ』
渦巻いていた風が、竜巻と化す。
『これで問答は終わりだ。帰るがいい』
ネルギニスの言葉が終わるとともに、アルトを包むようにして起こった竜巻は、
青年の身を再び空中へと浮かばせていき、そばにあった大穴へとアルトごと落ちる。
あとには長い悲鳴だけが残り、空に浮かんだ冠をかぶった壮年の雪像だけ。
『千年前と同じく、剣に宿りし風を操るものが生まれた』
雪像が天を見上げれば、満月が浮かぶ夜空。
『余にはわかる。大地に新たな風が吹こうとしているのが。そのときが来たのだと』
言い終えるとともに雪像は足下からくずれだし、その場には風だけが吹いていた。
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