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大地の歌を奏でる者たち  作者: 日高明人
第五楽章 風の旅
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第三十四話 歩み出す少女

篝火に溶けていく雪を視界におさめながら、若草色髪の男は歩く。

詰所で教えられた宿屋内にあるという診療所へと、背中に橙髪の少女を背負いながら、雪道を歩く。

吐き出す息は白く、背負った少女と同じく表情には暗いものを含んだまま、歩く。


夕闇はすでに闇へと変じており、見えているのは篝火に照らされる家々。

どの家からも煉瓦造りの煙突が天へと伸びており、暖かな煙を空気中へと散らしていた。

煙突のある家々には二重となった窓、吹き付ける風と寒さを遮る作りとなっている。


エオリアは昔と変わらない風景を見ているうちに、僅かばかり心が落ち着いていくことを感じた。

もはや色褪せてしまった幼いころに住んでいた村の記憶。

同じ作りの家々が並んでいたことだけしか覚えていない。


なにが起きたかも分からないまま、辺りの家は砕かれ、人々は地に沈み、

気づけば自分はたったひとりで廃墟と化した村をさまよっていた。

ある日、空から飛んで来た龍翼人に拾われるまで。


不思議なことに覚えていたのは名前だけ。

出会ったラルゴに名前を尋ねられるまで、エオリアの記憶はなかった。

きっと恐ろしい出来事があったのだろう、養い親が言うのはそれだけだった。


「……こんなときに昔を思い出すとは……」


雪道に深さのある足跡を残しながら言葉がこぼれる。

少女を背負いながら、自身の掌のなかには四花の腕飾りがあった。

すでに輝きを失っているものの、エオリアの意識にはいまだ腕飾りの輝きが残ってもいた。


「奏者の伝承にはない、白い光……だが、奏者の危機などには生まれる光」


白い光を見たのはこれで三度目。

一度目は凶獣と化した巨大砂蛸、二度目は同じく凶獣となった雪蠍、

そして最後は先ほど詰所で見たアルトの腕が消え出した瞬間。


「一度目や、二度目はまだいい。まだ、奏者の力、として考えることができる」


だが、


「さっきのは一体なんだ……あれでは、あれではまるで」


アルト自身が白い光そのものに見える、その思考だけを意識に刻む。

腕飾りを握る手に強く力が入ったが、すぐに緩み、確認するかのように男の独り言は続く。


「語り継がれる伝承のなかで、大神官殿が疑問とされていたこと……」


奏者はなんのために喚ばれ、そして還っていくのか。

ただ、ただかつての少女との約束を守る、そのためだけに男は奏者の騎士を目指し、

一度は折れかけた心を奮い立たせて見事騎士となった。


そして得たのは騎士として奏者を護る使命。


しかし、使命だけを全うするだけでいいのか、そう心が揺らぐ。

揺らぐと同時に思い起こされるのは、火の大精霊に連れて行かれたときのこと。

あのとき見せられた状況の記憶が、鮮明なまでに意識へ映し出される。


(あのときはまるで分からなかった状況だったが……)


そのことが果たしてどのような意味を持っているのかは今だに分からない。


首を少しだけ後ろへ回せば、背後で寝息を立てているセリアの顔。

聞こえる寝息に小さく笑みを浮かべてエオリアは思う。


(心配掛けてすまないセリア。だが見せられたものを言うわけにはいかない)


言われたのだ、火の大精霊に。


「問え、自らに、そして戦え、と」


もうあと数歩の距離まで診療所があるであろう宿屋へと近づいたところで、

上空から羽ばたく音が聞こえてきた。

音とともに巻き起こる風に眼を半分閉じつつ上へと視線を向ければ、

防寒の長衣を着させられて横たわるアルトの姿があった。


青年が横たわっているのは巨大鷲の背であり、鷲を操っているのは翼を持たぬ片眼鏡の龍翼人。

龍翼人はゆっくりと地面へ鷲を着地させると、笑みとともに口を開いた。


「騎士殿、お待たせいたしました。無事、奏者殿を見つけ保護いたしました」


   ●   ●   ●


宿屋内の一室、その室内にある寝台へと寝かされる青年と、隣の寝台へと寝かされる少女の姿。

頭部に布を巻いた人族の男性は、手伝いの女性に少女の手当を任せたのち、青年を診る。

背後にエオリアと片眼鏡の龍翼人、エアリーを立たせて。


数分後、アルトを診ていた男性は二人へと振り返る。


「特におかしなところはないようですなぁ。ただ眠っておられるだけですし」


その言葉に二人は安堵の様子を見せはしない、ただ黙って頷いただけ。

二人の様子を見て医師の男性は少しばかり怪訝そうな表情となる。


「お二人とも、そんな堅い顔されんとも大丈夫ですよ」


二人がいまだ心配しているのかと思った男性は明るい声を掛けるが、

それでも二人の表情は晴れないまま。


「……ご心配なのはわかりますが、本当にただ眠っておられるだけですよ?」


両手を広げて大仰に二人へと呼びかける医師の男性に、二人はいまだ言葉を発しない。

エオリアは一度奥歯を噛み、それからアルトが眠る寝台へと近づく。

あっ、と医師の男性が止める間もなく、エオリアはアルトに掛かっている毛布をめくった。


「……」


ぼろぼろになっていた旅装束から新しい衣服へと着替えさせられて横たわる青年。

若草色髪の男が食い入るように見ているのは一点。

黒髪の青年の、いつもと変わらない姿で身体とつながっている右腕。


エオリアの隣へと片眼鏡の龍翼人がすっと並び、言う。


「小生が見つけたときには、すでに」

「……そうでしたか」


言葉とともにめくった毛布を掛け直し、エオリアは医師の男性へと振り返る。


「医師殿、診察ありがとうございます。このお礼は音楽会にてお返しいたします」

「そ、そうですか。

 あー騎士様、よかったら隣空いていますので、そこに泊まられてもいいですよ?」

「有り難い、では隣室をお借りします」


礼とともに頭を深々と下げたエオリアは、頭を戻す動きでエアリーをちらりと見る。

小さく頷きを返して片眼鏡の龍翼人は、エオリアについて隣室へと向かった。


   ●   ●   ●


エオリアは自分のと少女の荷物、そしてエアリーが持ち帰って来た青年の荷物を丸机の上へと置く。

動きを止めずに室内の燭台へと火を灯し、暖炉そばへと置かれていた薪を抱えて暖炉前へとしゃがむ。

投げられた薪が煉瓦の上におかれていき、術によって火が点けられる。


彼の背後に置かれている椅子へとエアリーは腰掛け、そばにあった丸机へと両肘を乗せたあと、

重く閉じていた口を暖炉に向かっている男の背に向けて開こうとして、先に言葉が述べられた。


「司書、エアリー・ド・トクサ様、奏者殿を発見および保護して頂き、誠に感謝いたします」

「……礼にはおよびません、エオリア・バール殿」


薪に点いた火が燃え上がり、冷えていた室内へと熱い空気が流れ出したところで、

若草色髪の男は立ち上がってエアリーの方へと向いた。


「久しぶりにお会いしたというのに、雪山ではろくに挨拶もできず申し訳ありませんでした」

「いえ、いいのです。あのような事態では挨拶をしているべきではなかったのですから。

 それよりも……旧交を暖めるよりも、お話したいことがあります」


そう言ってエアリーは空いた椅子に座るよう相手を促し、応えるようにエオリアは座る。


「お気づきかと思いますが、奏者殿の右腕はつながっております」


男は頷く。


「ですが、小生と騎士殿は見ていますね、肩からちぎられた右腕を」


再度、頷く。


「そして小生が発見したとき、奏者殿の周囲には半球状の白い光の壁がありました」


白い光の壁、その言葉にエオリアの眼が開かれる。


「近づき、様子見に雪玉を投げてみたところ、一瞬で壁は中心へと小さくなり」


一息。


「あとには五体満足な奏者殿がおられました」


薪がはぜる。


「また、白い光の壁に包まれていたなかには、

 枯れきった樹々に大きな雪食魚のものと思われる骨がありました」


ため息が龍翼人の口から漏れる。


「ここまでが小生の見たものです」


言葉とともにエアリーはエオリアを見る。次はそちらだと。

視線を受けて男は懐から右袖だけの装束と四花の腕飾りを丸机の上に置く。

置かれたものを見て、エアリーは眉をひそめる。


「騎士殿、これは?」

「自分とセリアが詰所にて暖をとっていたときのことです。

 ……信じられない話でしょうが、眠っているセリアが抱えていた右腕は、

 腕飾りから発した白い光を受けて、だんだんと白い粒へと変わっていき……」


一旦、間を置き、


「最後には右腕そのものが装束内から消えていました」

「だから……ちぎれた右腕が奏者殿の身にあったことを先ほど確認したわけですか」

「ええ。もしかしたら右腕は消えてしまっただけで、

 アルトの右腕は無いままでは、と思ってもいましたから」


言葉には安堵の思いが含まれていた。


「しかし、疑問は残ります」

「白い光、ですね」

「そうです」


再び薪のはぜる音。


「白い光について奏者殿はなにかご存知なのですか?」


左右へと振られる男の顔。


「アルト自身、あまり分かっていないようです。

 自覚なく白い光を発していることもあるらしく、自由に扱えてる様子はありません」

「ふむ、では枯れた樹々や骨となった魚に思い当たることは?」

「……火の精地へ向かう旅にて、凶獣となった巨大砂蛸と戦ったとき、

 アルトは白い光をまとっていました。そのとき周囲にいた人々、自分もですが、

 身体から力が抜けるような感覚を皆得ていました」


男から伝えられる事実に、片眼鏡の龍翼人は考え込んだ姿勢をとる。

考え込む姿勢を見せるエアリーにエオリアは問う。


「風の図書館における管理を一任されているエアリー殿ならば、

 白い光についてなにか思い当たる記述や書物はありませんか?」


焦りとなんとかしたいという気持ちを含んだ声。

だが、声を向けた相手はすぐには答えない。

数分ののち、龍翼人は小さく口を開く。


「白い光についてはいますぐにはわかりません。

 それと……騎士殿に言うべきかどうか迷いましたが、おそらく奏者殿は……」

「人間ではない、と?」

「気づかれていたのですか?」

「確信があったわけではないのですが、今までの旅にて思う事はありました」

「と、言われますと」


机の上で両手を組んだ男は視線を俯かせながら、独白するように言葉を吐く。


「まず、アルトは喚ばれるまで剣を扱ったことはないと言っていました。

 しかし、訓練を始めて一ヶ月で基礎的な動きができるようになり、

 半年以上が経ったいまでは自分の技量すら上回る動きを見せるほどです」

「なんと……有り得ない習熟度ですね」


もうひとつは、と続けられる。


「明らかに自分たちよりも細く鍛えられていない身体であるにも関わらず、

 即座に旅ができるほどの体力が異常にあります。

 実は同じようなことを先代の騎士であった我が親父殿も言っておりました」

「先代騎士のラルゴ殿まで同じ見解であったのですね」

「ええ、あとひとつはアルトは一度も身体の調子を崩したことがないのです」


言われた言葉にエアリーは眉をひそめる。


「崩したことがない、と言われますと?」

「……恥ずかしい話ですが、自分は数度ほど旅の最中に食あたりなどを起こしました。

 セリアは気候による不調などもありましたが、アルトは一度たりとも調子を崩していないのです」

「そのことをラルゴ殿は……」

「先代の奏者も一度も調子を崩したことはなかった、終始元気に旅をしていたと」


沈黙が訪れる。

しかし、エオリアは沈黙を破るように言葉を放つ。


「それでも、アルトは人間だと、自分は信じます」

「……なぜ、ですか?」

「親父殿が言っていたのです。一年という短い間だったが、先代奏者は確かに人であったと。

 誰よりもよく笑い、誰よりも人を笑わせていた、誰よりも笑顔を好んだ人物であったと」

「伝承だけではわからないものですね」


微笑をエアリーは浮かべる。


「確かに。伝承では奏者と呼ばれる存在は、まるで想像で作られた英雄のようです」


エアリオは言葉をゆっくりと述べた。


「ですが、自分もアルトとともに旅をして得たのは、アルトの心は紛れも無く人であることです」


記憶の内側に大神官である老人の言葉が蘇る。


「楽しければ笑い、不安を抱いては泣き、誰かのために駆け出し、立ち向かう努力をする」


視線が上がる。


「なにひとつとして、アルトの意思は自分たちと変わらないのです」

「ずっと旅に同行されてきた騎士殿が言うのでしたら、その通りなのでしょう」

「おそらく……セリアの奴も言うとは思いますが」

「はは、あの明るく朗らかな巫女殿もですか」


軽い笑いがお互いに起こる。

そして、エオリアは言う。


「だからこそ、謎の白い光については調べなくてはいけません。

 これはアルトだけでなく、リラという少女のためでもあるのです」


   ●   ●   ●


日が昇りだした頃、神殿内にある一室ではひとりの少女が眼を覚ましていた。

藍色髪に四花の髪飾りを刺した少女は、ぼんやりとした意識のなか瞼を開き、

目元を手で拭いながら、自身が寝台で寝ていることに気づく。


「え、私……たしか図書館で」


見渡す視界に映るのは自分の部屋だ。

だが、記憶にあるのは神殿地下の図書館で本を読んでいた自分。

そこから先は曖昧になっていてわからない。


「どうしてだろう……不思議だけどアルトさんがそばにいたような気が」


リラが見つめる両手からは青年らしきぬくもりの残滓。

そのぬくもりを逃がさないように少女は両手で身を浅く抱きしめる。


「アルトさん……」


いまは遠く離れた場所にいるであろう青年のことを思ってつぶやく。

ざわつく心と疼く左胸。

鼓動は、静かに強く少女の身体を叩く。


寂しい。


不意に胸中で沸いた感情。


会いたい。


沸き上がる感情。


苦しい。


沸き続ける感情。


涙が、こぼれる。


「いやぁ……」


抑え込めずに沸き出す感情へ、少女は泣くことしかできない。

閉じられた窓の隙間から差し込む陽光を受けながら、少女はひとり震える。

内側に熱をもって暴れる感情をどうすればいいのかわからずに。


「あ、あぁ……」


か細い声が漏れ、少女の脳裏には青年の姿が次々と映し出されていく。

初めて出会ったときの姿、パストラで出会ったときの背中、旅から帰ったときの声、

数日ごとにとどけられる青年たちの絵、泥に汚れながらも駆けつけてくれたときの顔。


最後の顔が浮かんだとき、ひときわ強い鼓動に身体が疼く。

息苦しさとともに吐き出される息には熱がこもり、触れる顔の肌からは熱さを感じる。

強くなりつづけ、うねり荒れる感情たち。


どうすることもできずに、ただ耐えていると扉が数回叩かれたあとに開く。

ゆっくりと開かれた扉から室内へ入って来たのは年配の女性、ヒルダだった。

女性の姿を見て、呻くリラの様子にヒルダは手にもった食事と着替えを置いて駆け寄り、

あやすように少女の背中へと手を当ててさすり、笑顔をうかべて安心するよう手話をする。


「は、い……」


どうにか返事だけをして、少女は身体を抱きしめたまま背中をさすってもらい、

自分のなかに渦巻いている感情を鎮めるようにして唾を飲み込み口元を引き締める。

そのまま耐えながらしばらく背中を暖かくされているうちに、渦巻く感情は小さくなっていく。


「は、んぁ……はあっはあっ」


ようやく息苦しさもなくなり、呼吸も詰まることなく少女の体内へと空気が入りだす。

落ち着いた様子を見せ始めたリラを見て、ヒルダは近くの机においた硝子瓶と杯をとり、

杯へと水を注いでリラへと差し出す。


震える手で杯を受け取ったあと、ゆっくりと水を口に含み、すこしずつすこしずつ飲んでいく。

飲み終えたリラへヒルダは手を動かし言う、もう大丈夫そうね、と。


「私……気づいたら寝かされていたんですけれど、なにか、あったんですか」


その問いにヒルダは、詳しいことは大神官様が知ってらっしゃるから呼んでくるわ、と答えた。


「大神官様が?」


それよりも、とヒルダは手を動かし、まずはご飯を頂きましょう、と少女に勧めた。


   ●   ●   ●


リラとともに朝食を終えたヒルダは、リラに着替えておくよう手話で伝えたあと、

食事の後片付けに部屋を出て行った。


寝台から起き上がって着替えようとしてリラは気づく、自分の服装が神官装束ではなく、

普段着となっていることから、どれだけ自分が眠っていたのかと。

また迷惑を掛けてしまった、そう胸に思いながら着替えを済まし、

風を入れるために窓を開けば、穏やかな陽光が差し込み少女の顔を照らす。


照らされる陽光に気持ちよさを感じながら寝台に腰掛け、

藍色髪の少女は先ほどまで自身の体内で渦巻いていた感情に思いを馳せる。

胸を締め付ける、熱く濁った感情。


いままで得たことのない感情、ゆえに少女は知らない、この感情を何と呼ぶのかを。

知らぬまに少女の両手は胸前で組まれ、祈るような姿勢となり、眼を瞑る。

自分の不安を隠すようにして旅をしている三人の無事を祈る。


そして、黒髪の青年を思って、深く、深くを手を握りしめて、祈る。


少ししてから扉が軽く叩かれ、声がした。


「リラ君、ブッファです。入っても大丈夫ですか?」

「はい。入って頂いても大丈夫です」


両手を解いてから発された声に応じて扉が開かれ、白い装束姿の老人が入ってきた。

ブッファは寝台に腰掛けるリラの姿を見て笑みとなる。


「ヒルダさんからお聞きしましたが、元気になってなによりです」

「そんな、私のほうこそ迷惑かけてしまったみたいで……」

「いいのです、それよりも自分が倒れたときのこと、覚えていますか?」


室内の椅子に座り、ブッファは確かめるように言う。


「それが……私、さっき気づいたばかりで……なにも」

「そうでしたか、ではそうなる前は?」

「たしか、図書館でお仕事をしていたはずですが……」


リラは思い出そうと記憶を探るものの、見えてくるのは読んでいた本を見ている記憶だけ。


「では、倒れていたときのことは覚えていないのですね」

「……はい。ですが」

「ですが?」

「眼が覚めたとき、どうしてか……アルトさんがそばにいたような気がしました」

「……アルト君の気配が、あった」


少女の言葉に考え込む様子を見せるブッファ。


「大神官様……?」

「覚えてないようですが、リラ君。貴方は倒れていたとき高熱を出しており、

 熱にうなされながらアルト君の名前を呼んでいました。それも天へと両手を伸ばしながら、です」

「両手を伸ばしながら?」

「ええ、なにかを掴もうと伸ばしていたのです。覚えていませんか?」

「そう言われますと……」


熱にうなされながらも青年の名を呼んでいた、そのことに気恥ずかしさを抱きながら、

リラは両手をみつめながら口を動かす。


「よく……わからないです。なにか、見たような気もしますけれど、覚えていません」

「そう、ですか。では質問を変えましょう。

 倒れたとき高熱を出していましたが、前日から身体の具合が悪かったのですか?」

「いいえ。身体の具合は、このごろはそんなに悪くなっていません。

 ……それに具合が悪ければ司書様にちゃんとお伝えします」

「そうですね、司書もリラ君の調子が悪そうには見えなかったと言っていましたし」

「あっ! そういえばお仕事はどうなりましたか? 私、ここで眠っていたから……」


司書のことを聞いてリラが立ち上がろうとするのを、ブッファは手の動きで止める。


「安心してください。元々図書館の仕事はひとりでも問題ないのです」

「でも私、司書様に迷惑を……」

「いいのですよ。突然のことでしたし」


リラを安心させようとブッファは微笑みとともに言葉を掛ける。


「ただ……司書からはリラ君が仕事中、ぼーっとしていることがあると聞いてはいます」

「それは、その……」

「声を掛けても気づかないようで、なんでも本を読んでいるときに多いそうですが」

「……ごめんなさい、大神官様」

「はは、いえいえなにも怒っているわけではないのですよ。

 ただ貴方にしては珍しいと思って。なにか、考え事や心配事でもあるのですか?」


優しく笑みをもって問われる。

問いを受けて、リラは視線を俯かせ膝の上に置いた手をみつめながら口をつぐんだ。

その様子を見て、なにか言えないことでもあるのでしょうか、と老人は考える。


「もし、僕に言いにくいようなことであれば、司書やヒルダさんに相談してくれていいのですよ」

「い、いいえ。そうではないんです。ただ、ただお話しても信じてもらえないと思って……」


不安と怯えを含んだ声を聞いて、ブッファは思い出す。

他人と違うことで拒絶されるのを、誰よりもこの少女は恐れていることを。

気づかれないよう小さく息を吸い直し、ブッファは口を開く。


「大丈夫です。リラ君を疑うようなことはしません」

「あ……」


ブッファの真剣な言葉を聞いて、リラはハッとしたように顔をあげる。


「ごめんなさい……」

「貴方が謝ることはありませんよ。それでなにかあったのですか?」

「はい。私、パストラでアルトさんが駆けつけてくれたときから……」


一度言葉を止め、膝の上で両手を握って、少女は意を決した。


「本や手紙に書かれた人の記憶や思い、そういったものを視ることがあるんです」

「記憶や思いを視る?」

「はい。うまく言えないんですけれど、いま見てる風景や景色みたいに視えるんです」

「ふうむ……」


リラの言葉を受けてブッファは、


(アルト君が駆けつけたあとリラ君は両目を覆っていた包帯を外した、

 そのことと関係があるのでしょうか。ん……包帯?)


ひとつのことに気づいて問いかけた。


「リラ君、そういえばなんですが」

「はい」

「貴方は包帯で両目を覆っていたとき、どうして外が見えていたのですか?」

「えっ……」


驚いたような表情をした少女に続けて言葉が掛けられる。


「もしかして貴方が包帯をしていても外が見えていたのは、

 いま話してくれた視る力が働いていたからではないでしょうか」

「……私、包帯しても外が見えていたことを、疑問に思ったことがありませんでした」

「だとすれば、リラ君が幼いころから視る力は一緒にあった、のかもしれませんね」

「私が、幼いころからあった……」


考え込む様子となったリラは口を閉ざし、室内には沈黙が訪れた。

どうしたのものかと思いブッファは話題を変えようと言葉を掛ける。


「リラ君、さっき本などを書かれた人の記憶などが視えると言っていましたね」

「は、はい」

「例えばどういった人のが見えたりしたのですか?」

「アルトさんが風の旅先から書いた手紙からは、アルトさんが蝸牛船に乗っていた風景が視えました。

 ほかでは……」


そこまで言ってから思い出した。


「『調合薬考察』と書かれた本を読んでいたときは、

 ひとりのおばあさんが湖近くの小屋に住んでいるのが視えました」

「どんなおばあさんだったのですか?」

「私のよりも薄い藍色の髪で、瞳は錆色をしていました。

 それと、小屋のなかにはとてもたくさんの本が置いてあって、

 揺れる椅子に背をあずけながら、おばあさんはひとつの植木鉢を持っていました」


あのときの記憶が脳裏に映し出される。


「私がアルトさんからもらった種、夜露草が咲いた植木鉢を」

「……そのおばあさんの名前はわかりますか?」

「はい。本に書いてあったのでわかりました。フィーネ・ラメントさんという名前のようです」

「ふむ、湖近くとなるとラメントさんがおそらく住んでいたのは水の方角でしょうか。

 水の精地には大きな湖がありますからね」

「はい。私もあとで司書様に聞いて同じことを思いました」


言い終えてからリラは、ずっと考えていたことを口にした。


「大神官様、私、お願いがあります」


リラの言葉を聞いて驚きの表情となるブッファを見ながら、

いままで目立たないよう人目を避けながら生きて来た少女は、

今から自分の言うことを一言一句はっきりと言葉にした。


青年の思いを叶えるために、笑顔を見るために、そして自分を変えるために。


「私、水の方角へ旅に出たいんです。フィーネ・ラメントさんに会う為に」


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