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大地の歌を奏でる者たち  作者: 日高明人
第五楽章 風の旅
31/37

第三十一話 風が見せる絵

挿絵(By みてみん)

黒…神殿 灰色…街・村など 

茶…地 青…水 赤…火 緑…風

風。


空を、地面を、肌を駆け抜ける風。

雪原を彩る白を舞わせながら、風が踊る。

踊り、揺れ、舞い、高く、低く、前後左右を我が物としながら、風が吹く。


緩やかに、非常に緩やかに上下する帆のない船。

風の地を象徴する雪原を勢いよく進む船は、船体を構成する木材の色だけを周囲に見せながら、

雪原のなかを幾つも吹きすさぶ強風、突風、つむじ風、真上から地面に吹き付ける風、

ありとあらゆる風にさらされながらも前へ前へと進む。


船を前へと進ませる力は、地面より下から発せられていた。

息継ぎをするように時折、船先から何本もの緑色の触覚が現れ、そしてまた沈む。

緑色の触覚を先頭として左右に雪の波が流れていく。

雪中を潜り進んでいるのは船をかついだ、巨大な蝸牛。


触覚以外の全身を雪中へと潜ませ、身体の左右に何重にもあるひだを動かして推力を生み出す。

気候ゆえ固まらず、粉雪ばかりで構成された雪中を泳ぐように進むことができるのは、

柔軟な身体を持つ蝸牛であるからこそ。


雪中をかきわけ進む船の先に佇むは、一人の帽子を被った岩石人と黒髪の青年。

岩石人が立つ船先には、正面に厚い硝子の張られた小屋のようなものがあった。

落ち着いた様子で前方を見張り、両手を静かに天へと膜を向けた幾つもの太鼓に添えている。

太鼓の地を向く方はそのまま床へ管となってとつながっていた。


黒髪の青年は不思議そうに床へとしゃがみ、何本もある管を眺める。


「センプレさん、これが下にいるカタツムリにつながってるんですか?」

「おう、ですよ。この操舵の鼓を叩いて行き先をアインザッツに伝えてるんですわ」

「へ〜音で操ってるんですか」

「トランクィでの漁師してる家系のもんは、寒期にはちっさいころから育てた蝸牛で」


言葉とともに岩石人は右手を勢いよく連打。


「わわわっ!?」

「こうやって雪原に繰り出してるんですわっ!」


船体の速さが増し、青年は姿勢が崩れる。


「しっかし、うちも奏者様を乗せられるなんて名誉あることできてよかったな! アインザッツ!」


笑いながらセンプレは床側ではなく、天井付近の穴のあいた管へ叫んだ。

すると管からは枯れた葉をすりあわせたような音が返ってくる。

近くの柱につかまりながら立ち上がった青年は、天井を見ながら言う。


「今のは……?」

「アインザッツの声でさぁ、奏者様」

「人語、が分かるんですか蝸牛は」

「言うても嬉しい、悲しいといった簡単なぐらいですがね。

 言葉、つうよりも声の音色で聞き分けてるってぐらいですわ」

「声の、音色ですか」


あまり意識のしていないことを言われ、思案の色が青年の顔に浮かぶ。


「そりゃ人とちがってアインザッツたちは言葉は話せねえ」


ですがね、と続く。


「ガキん頃からようけ世話してたら分かるんですわ」


やや間の空いたテンポで太鼓が叩かれ、船の速度が落ちる。


「ああ、いま嬉しいんだなとか、これは嫌なんだわなってのが声や態度でさぁ」


吹き付ける風に舵のある小部屋が震える。


「おんなじ生きてる命なんだ、ってのが分かるもんなんですわ」


どこかで聞いた、そう青年は感じ口に出す。


「ルスティカでも似たような話を聞きました。よく日焼けしたおじいさんに」

「ははっ! そりゃ面白い偶然もあったもんですな!」

「ええ、そのころはまだぼんやりとしか考えてなかったんですけど」


岩石人と同じように前方を見据え、青年は言葉を続ける。


「いつも身近に大小様々な命があること、そのことを忘れちゃいけないんだって」

「……奏者様は、なんつうか変わってますな」

「やっぱり、そう見えますか」

「失礼な言い方になったら悪いんですが、あんまり自身らでは当たり前のことを、

 それはそれは大きく受け止めているなあと」

「……俺がいた世界では、こっちの当たり前があまり見えていないことだったんです」


頭のなかに描かれるのは幼いころに行った動物園の思い出。


「生きてるものが区別されていて、管理されていて」


まるで、


「道具のようななにかとして扱われているのが、普通に見えてたんです」


檻のなかにいた、一生外へ出ることのないだろう動物の存在。


「俺と……そうやって扱われていた命との違いってなんなんだろうって今は思うんです」


視線は俯く。


「人とそうでない人達も一緒に生きていて、人以外の命もまた、一緒に生きている」


一瞬ののち、視線はまた前へ、強き意思を込めて。


「俺、これから出会うだろうどんな命にも、恐れず触れていきたいんです」


こちらを振り返り、岩石人は笑顔を向けている。


「それが、俺がこの旅で、唯一できることだから、そう思うんです」


身体横に下げられていた拳が強く、強く握り込まれていた。

記憶のなかに微笑む藍色髪の少女を浮かばせて。


   ●   ●   ●


「ひゃああああああああああ。せっかく整えた髪がああああああああ」

「髪をまとめておけと言った自分の言葉を聞かないからだ」


船の縁に立つのは橙髪の少女と若草色髪の男。

風にばたつく髪をおさえながら少女は叫び、男は軽装で赤い大剣を振っている。

近くでは船員の人族や龍翼人が周囲を見回しながら歩いてもいた。

手にもっているのは先端に返しがついた槍であり、槍の末端は紐で身体とつながれている。


「しかし、昔に来たときよりも風が荒いな」

「うえええええええええええん。もういやあああああああああ」

「雪の質もこんなに固いものだったろうか……?」

「ふひいいいいいいいいいいいいいいいい。ああああああああああああああ」

「……やはり、親父殿の言う通りなのか……」

「うにょおおおおおおおおお。ふぁはふぁあああああああ。すのおおおおおおおおおおお」

「や・か・ま・し・い!」


怒声。

船員たちまでも振り返る声に一喝された少女は、両耳を塞いで床にしゃがむ。

その間にも旅で伸びた橙色の長い髪が風に舞う。


「だってだってーどうしようもないんだもーん」

「だ・か・ら、さっき自分が髪をまとめろと言っただろうが!」

「……」


無言でにらみかえす少女に、男は一瞬たじろぐ。


「な、なんだセリア。なにか言ったらどうだ」

「……すこしは女心をわかればーか」

「? すまないが風でよく聞こえん」

「うっさいばーか! ばーか!」

「だから人前でそう呼ぶなと言ってるだろうが!」


二度目の怒声が響いたところで、二人はハッとした顔で前方を見る。

遅れて船員たちも互いに声を掛け合って船の前方へと集まっていく。

吹きすさぶ風すらも切り裂く、甲高い咆哮が雪原を駆ける。


「……やはり凶獣がでるか」

「ねえエオリア、ラルゴおじさん何か言ってた?」

「ひとつだけ言っていた。親父殿が奏者と旅していたときと似ている、と」

「そっか……」


先ほどまでのふざけた様子ではなく静かに前を少女はみつめ、

男は赤い大剣を一振りさせると前へと歩きだす。


「奏者は、アルトは人間ではないかもしれない」

「……」

「だが、自分はアルトを仲間だと思っている」


少女は喜びの色を浮かべる。


「そして、それ以上にかけがえのない友でもある」

「……エオリアが友人と呼ぶ人ができるの、ひさしぶりだね」

「……すまんな」

「いーのいーの。ボクは貴方のそばで、貴方を助けていくのだから」


だから、と少女は心に思う。


(火の精地で起きた出来事に口を閉ざしたことは、貴方を孤立させた)


それでも彼は、エオリアは騎士になることを目指すのに心を折らなかった。

そして少女もまた折れず、巫女となるべく彼によりそい修練に励んだ。

少女は思う、いま自分と彼の心は同じ方を向いているのだと。


「セリア、自分が前にでる。お前は後ろから支えてくれ」

「わかりました我が騎士よ。汝が務め、奏者の巫女が支えましょう」


凛とした声で言葉が男の背後から飛んだ。

一瞬、ほうけた顔となった男だが、すぐに笑みを引き締め声を放つ。


「奏者が前に立ちはだかる凶獣よ! 奏者の護り手である騎士エオリアが打ち破ろうぞ!」


自らを鼓舞するように、若草色髪の騎士は喉をふるわせ雄叫びを放つ。

騎士の雄叫びに呼応するかのように甲高い咆哮がふたたびあがり、

アインザッツ号の船員たちが驚き恐れる声を漏らす。


そう、甲高い咆哮をあげる主が現れたのだ。


   ●   ●   ●


「センプレさん! あれはっ!?」

「かーっ! ちくしょうめが、ありゃ凶暴化した雪蠍だ!」

「サソリ!? あれが!?」


センプレが急ぎの拍子で太鼓を叩き、船を右へ回頭させていく。

同時に船内が右へと傾いていき、青年は慌てて柱につかまりながら硝子越しの正面を見る。

そこには、青年の知るサソリとは違う異形があった。


雪原の白さとは対照的に赤く濁った殻に包まれた体躯は船より一回り小さい。

だが、前後に長い体躯の前方から伸びる一対のはさみは、体躯には不自然なほど巨大であり、

はさみひとつだけで大人十人をはさめるほど。


一対のはさみの中央にある頭部には、何本もの歯と思わしきものをかち合わせ、

後方の体躯からは左右に太い脚が幾本も雪をかきかわけている。

尻尾だけは雪に埋まっているためか、青年には見えない。


重いものがぶつかり響く音を立てて、雪蠍は船へと迫ってくるのを見据えながら青年は言う。


「……センプレさん、俺行ってきます!」

「おっしゃあ、船は任しとけ!」


威勢の良い声に笑顔で答えて青年は、背後の扉を開き外へ。


「!」


船室にいたとき以上に冷たく強い風が頬を打つ。

しかし怯んだのは一時、すぐさま気を張って船先へと走る。

舵のある船室の左に立ったところで、奏者の後ろに騎士が立った。

そして背後には、槍をかまえた船員たちが並ぶ。


青年は、奏者は迫り来る雪蠍を睨み口を開いた。


「俺は、恐れない、恐れたくない。例え、どれだけ危険でも、どれだけ人でなくとも!」


左腰に身につけた白き鞘から、白き剣を抜き正眼に構える。

背後では騎士が赤き大剣を構えた。


「眼の前の命に、真っ正面からっ、ぶち当たる!」


風が、大気を迸る風ではなく、鞘から生じた風が、奏者を包む。


前方からの注意を外さないまま、騎士は奏者を見る。

そこでは床に円を描くように風を沸き立たせる奏者の姿。

雪原に吹雪く風すらはね返す風がそこにあった。


   ●   ●   ●


「アルト……」


神殿に伝えられる伝承では、奏者は精霊術を使えない、そう聞いていた。

だが、いま騎士の目の前にいる奏者は白き風をまとっている。

風は剣からも、鞘からも発しているように見えてもいた。


再び甲高い咆哮。

右へと曲がった船と並走するようにしながら、雪蠍は船へと近づいてくる。


「! アルト、来るぞ!」

「分かってる!」


正面の雪蠍は、右の巨大なはさみを振り上げ、雪原へと叩きつけた。

瞬間、大量の雪が舞い上がり、雪蠍と船のあいだに高い雪壁を生み出す。


「視界が!」


だれかの叫ぶ声とともに、弓が射られる音。

三発の音が鳴った、そう思ったときには高い雪壁に穴が穿たれる。

だが三つの穴が空いた先、壁の向こうに赤黒い体躯は、ない。


どこへ行った!? その思いだけが、アルトの思考に走ったところで反対側から轟音。

揺れる船底に身体を震わされながらも背後へふりむけば、

そこには船にとりついた雪蠍の姿。


「船長ぉ! 右っ腹に食いつかれたぁ!」


船員の悲痛な叫びが先頭の船室に飛ぶ。

巨大なはさみが船体をきしませながら、噛み付いてくる。

そこへ左には奏者が、右へは騎士が駆ける。


「せやあああああああ!」

「おおおおおおおおお!」


互いの雄叫びを重ね、剣を浴びせる。

左には白い斬撃が何度も重ねられ、右には赤い衝撃が何度も響く。

後ろからは雪蠍の頭部を狙うように矢や槍がいくつも飛ぶ。


だが、そのことごとくが赤黒い殻に弾かれる。


「くそっ!」


傷は付くものの、深くは斬れず奏者は一歩あとずさり、

騎士はかまわず赤い大剣を叩き付けるようにしてはさみを打つ、打つ、打つ。

その様子を見て、奏者ももう一度剣を構えたところで気づく。

雪風のなか、なにかが、巨大な雪蠍の表面をつたいやってくるのが。


「あれは……小さい蠍?」

「奏者様ぁ! そいつは雪蠍の子供だ!」


開いた舵部屋から響くセンプレの声。


「アルトォ! 自分がはさみを潰す!」

「わかった! なら俺は小さいやつを叩く!」

「ボクたちもいるからね!」


最後の声とともに飛んで来た矢が、はさみまでやってきた子蠍を撃つ。

背後の巫女と船員たちへ頷きを返し、奏者は右のはさみから雪蠍の体表へ。


巨大な雪蠍の腹からはわらわらと何体も小蠍が身体を登ってきており、

どれもが奏者の腰まである大きさだ。


「あんなのが船に上がったら……!」


確実に船は沈む。


そうさせないためにも、青年は敢えて雪蠍の背へと駆け上り、

襲い来る子蠍を背から雪原へと白き剣で叩き落としていく。

同じようにして槍をかまえた山吹色髪の少年と、茶髭を持った龍翼人が奏者の背に陣取り、

三人は互いの背を護るようにして小蠍を蹴散らす。


その間にも、船体にくいこんだはさみは外れず、ぎりぎりと船体をむしばんでいく。


「エオリアッ! まだなのか!?」

「あとすこしだ!」


叫び返した騎士の目の前、何度も何度も赤い大剣が打ち込まれたはさみは、

亀裂を生じさせはじめており、内部が見え出していた。

次でっ……! そう念じた思いとともに騎士の振り下ろした一撃は、殻を叩き割る。


瞬間、痛みにわめくような甲高い咆哮。


咆哮とともに左のはさみは船体から外れ、そのまま振り上がって騎士を狙う。

しかし、騎士は振り降ろした姿勢のまま身動きが取れずにいた。

雪蠍の背から、空中へ跳んだ龍翼人の身体につかまっていた青年が、避けろと叫ぶ。


そこへ飛んでいくのは一筋の水。

強風に散らされることなく太い水の帯びは、はさみよりも早く騎士の身体に巻き付き、

一気に彼をはさみが落ちるより遠い場所へ移動させる。


移動させられる騎士の眼にうつったのは、弓を片手に手の平を突き出して水を操る巫女。

しかめ面で水を操る巫女に、騎士は頷きを返す。

頷いたと同時に巻き付いた水は霧散し、騎士を自由に。


自由になった、その瞬間に騎士は床を蹴り、右のはさみへ。

振り下げた赤い大剣に炎をまとわりつかせ、視線を右のはさみについた傷に合わせる。

狙いは奏者が傷つけた部位。


「そこならば脆くなっているはず……!」


跳び上がり、剣先を振り下ろそうとして声。


「エオリア! 尻尾が——」


セリアの声、と思ったときには真横から叩き付けられていた。

全身に響く、衝撃と痛みと骨の軋み。

剣を手放して騎士は船の甲板に吹っ飛ぶ。


   ●   ●   ●


奏者の眼下では、雪原に潜んでいた尻尾に叩き飛ばされた騎士の姿。

強風に乗りながらはばたく龍翼人につかまりつつ、奏者は歯を噛む。


船の甲板上にいる巫女と船員たちは、振り回される尻尾のせいで、

船体に噛み付いた右のはさみに近づけないでいた。


「どうする……どうしたらいんだ!」


はさみを砕こうにも白き剣では重量が足りない。

歯噛みしている間にも子蠍が再び雪蠍の身体をのぼりはじめてもいた。

残されている時間は、もはや無い。

つかまっている龍翼人に振り向き言う。


「なんとか、近づけないですか!?」

「……すまん」


弱々しい口調から察し、眼下の雪蠍を睨む。

甲板上には口元から血を流し、肩をかついで起こされる騎士を、

かばうように立つ巫女と船員たち。


このまま甲板上に戻っても事態は変わらない。

そう思っていると、反対側につかまる山吹色髪の少年の声。


「奏者様、いちかばちかの賭け。してみる気ってあるっす?」


場違いに気軽な声を聞き、呆気にとられたものの奏者は尋ね返す。


「なにか、なにか手があるんですか!」

「まっとうなやり方じゃないっすけどね!」


笑ってはいるが少年の眼は本気だった。


   ●   ●   ●


「全員前に出やがれ! いいか、奏者様たちだけは死なせんな!」

「「「おおよっ!」」」


張りの有る声がその場にいる船員たちを鼓舞する。

彼らの後ろで弓を構える巫女は、すぐそばで治療を受ける騎士を見て言う。


「エオリア、立てる?」

「ぐ、ふぅ……全身が痺れるような痛みだが、立てる」


口元の血を拭いつつ、騎士は震えながらも膝を立て、立ち上がった。

治療をしていた船員から赤き大剣を受け取り、暴れる雪蠍へ視線を向ける。

殻の割れた左のはさみと尻尾を叩き付ける姿に、どう対処すべきか思考。


「セリ——」

「囮になる、なんて言ったら承知しないから」


言わんとしたことを言われ、言葉が止まる。

軽く笑い、口のなかの血を吐く。


「馬鹿を言うな」

「ばかにばかって言われた〜」

「相変わらずというかなんというか……」


呆れた口調でつぶやきつつ、騎士は言葉を続ける。


「だが、このままでは船が沈む」

「……」


無言で矢が雪蠍の口元へ向かって射られるが、はさみに防がれた。


「矢も術も通じないかーここまでの凶獣がいるなんてねー」


なにかに気づいたのか、巫女はふと上を見上げる。

つられて騎士も上を見上げ、声が出た。


「なにをする気だ?」


   ●   ●   ●


船の進行方向に回り込もうとする龍翼人は、

捕まる二人の重さを感じさせない速さで強風をくぐり、乗り、舞い、飛ぶ。

その速さに思わず眼を閉じて奏者は龍翼人に掴まる。


冷たく身を切るような風が身体に吹き付ける。

しかし、白き鞘から生じる風が、冷たい風をやわらげ奏者の身を護ろうともする。

うっすら眼を開けば、目の前には雪風の舞う白い雪原だけ。


雪が舞うため遠くは見渡せないが、それでも見えるものがあった。

山だ。

遠く、遠くに見える影、それは山の形をしていた。


「あれは……風の精地?」


雪原にそびえ立つ巨大な岩山、それが風の祝福を受けた龍翼人の住まう場所。

風の大精霊が住まい、幾多の風とともにある生き物の住まう土地でもある岩山。


「こんなところで……足止めされてるわけにはいかないんだ」


強く奥歯を噛んだところで、少年の声。


「奏者様! もう位置についたっす!」

「わかった! やってくれ!」


叫び返したところで、二人を掴む龍翼人は翼を広げて滞空。

そのまま後ろへと振り向き、三人の視線は船を襲う雪蠍へと向く。

龍翼人は少年の方へ向いてにやりと笑う。


「火薬いじりがこんなところで役立つなんてな」

「うっせえっす。毎日暖を取れてるのは誰のおかげだと思ってるっす」

「上手くいったら船長の酒をくれてやろう」

「……その言葉、覚えておくっす」


左手で懐をまさぐり、少年は手にいくつもの黒い玉を持つ。

眼でちらりと風の強さをはかり、黒い玉についている灰色の線を歯で噛み切り、眼を閉じる。


「……爆ぜろ、爆ぜろ、爆ぜろ。風に爆ぜろぉ!」


一言、一言をつぶやいていくたび、黒い玉の線に火が点き、最後の言葉とともに手を振りかぶった。

吹き付ける風に乗って黒い玉が宙に舞う。

行き先は雪蠍。


船の右前方に滞空している龍翼人から、雪蠍のいる場所まで数秒。

その数秒を火の点いた黒い玉は飛んでいき、雪蠍のいる場所へ届こうとした瞬間。


連なる爆発音。


そして、滞空していた龍翼人は翼を水平にして、爆発の煙へと突っ込んだ。


   ●   ●   ●


騎士たちの見ている雪蠍、その左側が爆発音とともに黒い煙に包まれた。

突如起きた爆発に雪蠍は甲高い咆哮とともに怯んで体勢が崩れ、

船体を掴んでいた右のはさみが、緩んだ。


「!」


緩んだことに気づいた騎士は、痛む身体に喝を入れて駆け出す。

甲板で子蠍をつぶす船員たちのそばを駆け抜け、目指すは右のはさみ。


「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」


駆けながら騎士は吼え、赤き大剣に炎を生み出す。


五歩。


四歩。


三歩。


二歩。


跳んだ。


跳び下りる勢いそのままに赤き大剣を、はさみの傷跡へと叩き込んだ瞬間、


炎の奔流が、船体を掴むはさみを通じて雪蠍の巨体を包む。


巨体が、燃えた。


   ●   ●   ●


龍翼人が黒煙を抜けたとき、眼の前には全身を炎に包まれた雪蠍がいた。

咳き込みながら眼を開いた奏者は、ちらっと船を見て剣を振り下ろした騎士を確認。

騎士はそのまま甲板に倒れ込み、後ろから駆けて来た巫女に肩をかつがれる。


ありがとうエオリア、そう胸に思い奏者は前を見据えた。

目の前には燃える雪蠍、しかしそれでも右のはさみを船からはずしていない。

ならばやるべきことはひとつだと奏者は意気込む。


燃え怯む雪蠍へ龍翼人は一気に接近していき、その身を船体を掴むはさみへ飛ばす。

近づくにつれて焦げた臭いが鼻に届いてくる。

意を決して奏者は、すでに火が消えている雪蠍の身体へと、飛び降りた。


爆発で怯ませ、黒煙に乗じて接近、そしてはさみの根元を断つ。


それが、たったそれだけが彼らの策だった。

もしも爆発が失敗したら、もしも怯まなかったら、もしも気づかれたら。

いくつもの成功が重なって初めて成功する、そんな稚拙な策。


しかし今奏者は、船体を掴むはさみの根元に立っていた。

天へと掲げた白き剣を両手で構えもち、刀身に白き風をまとわせていく。

吹き荒れる風、暴れる雪蠍の身体、そのどちらにも揺らがされず、立ち構える。


短く、重さの足りない白き剣では駄目だ、そう思った奏者は、

立ち構えながらかつてあった砂蛸との戦いを思い出していた。

自身の倍以上ある砂蛸に騎士はどのように立ち向かっていったのか。


自らの三倍以上もある炎の剣を生み出していたことを。


ならば、と奏者は心に叫んで声を出す。


「白き剣よ! 白き鞘よ! 鞘に宿りし風の精霊よ!」


天を見上げ、叫ぶ。


「風よ風よ風よ! 奏者とともに在りし風よ!」


風が、白き風が、白き刀身に沿って、天に白き長大なる剣を造りあげていく。


「一陣の烈風となりて、駆け抜けろ!」


目前に迫った尻尾に臆することなく叫びきった奏者は、


天へと届かんとする白き長大なる剣を振り下ろし、


一閃。


根元を狙った一撃は、そのまま巨大な雪蠍の体躯を前後に両断。

風と速度の慣性に引きずられて雪蠍の体躯は後方へとながれていき、

船体を掴んでいたはさみも根元から引きちぎれていった。


一瞬のあと、船体からは船員たちの歓声。

歓声に笑顔を向けながら奏者は飛んで来た龍翼人につかまり、船へと戻っていった。


   ●   ●   ●


そこで藍色髪の少女は眼が覚める。


いいや、正確には意識が戻ったところだった。

ハッとした顔で左右を見れば、そこは石造りの部屋。

司書見習いの少女に割り当てられた部屋だった。


「なに、いまの? どうしてアルトさんたちの姿が?」


部屋を照らす灯りに戸惑う表情を映しながら少女は自問する。

場所は自分の部屋、椅子に座り机へと向かう姿。

視線が下へと向く。


視線の先にあったのは一通の手紙。


「アルトさんから、風の精地に着いたのを、知らせる手紙を読んでいて……」


確認するように言葉が口から漏れていく。

両手には手紙の肌触りがある。

手紙の触り心地を確かめながら少女は内容に眼を落とす。


固めの筆跡で書かれていたのは風の精地へ着くまでの内容。

しかし、内容には雪蠍という巨大な生き物と遭遇した、の一文だけがあり、

それ以外のことについてはまるで言及されてはいなかった。


少女は思う。


(アルトさんの手紙を読んでたら、急に雪原と船が見えて、それから……)


赤く濁った殻を持つ雪蠍が現れて船を襲い、アルトたちが闘う姿だった。


「手紙にはそんなことまるで書いていないのに、どうして……?」


自分が見たものは分かるが、なぜ視えたかが分からず自問。

手紙から両手をはずし、そっと両目を触るように目元へ手を置く。


「この眼のせいなの……?」


自問の行き先は自分の両目。


しかし、答えを返す者はおらず、


少女の両目は四色の輝きを静かに発していただけだった。


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