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大地の歌を奏でる者たち  作者: 日高明人
第五楽章 風の旅
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第三十話 剣をめぐる風

挿絵(By みてみん)

黒…神殿 灰色…街・村など 

茶…地 青…水 赤…火 緑…風

静かに冷える夕暮れ時、誰もいない部屋の前でうごめく影がひとつ。

影は手をなめ、足をなめ、尻尾をなめて毛繕いをしている。

ときおり思い出したかのように長く高い鳴き声を、小さくあげていた。


明かりとともに木造の階段を上がってくる音がする。

軋んだ音がやめば、影がランタンの光に照らされた。

白黒まだら模様の猫。


「なんだね、あんたかい」


ランタンを持つのは花屋の主人である金髪の女性。

声に反応して、猫は鳴き声を返す。

ふぅと一息つきながら女性は階段へ腰掛けた。


「そんなとこにいてもリラは帰ってこないよ」


ランタンを隣に置き、女性は呆れたように言う。

猫は毛繕いを続けている。


「子供だ、子供だと思ってはいたけれど」


女性は手を伸ばすが、威嚇する声に阻まれた。


「ちゃんと言えるようになったもんだね」


ランタンの光に照らされながら思う。


「やりたいこと、を」


懐からひとつの封書。

封を開き、中から取り出されたのは白い神官装束を着込んだ、藍色髪の少女が描かれた絵。


「そろそろ話すべきなのかね、あの子の両親のことをさ」


ぼんやりとした光のもと、ひとりと一匹は静かに、そこにいた。


   ●   ●   ●


「街が見えて来たぞ!」


男の声に黒髪の青年は意識が目覚める。

最初に見えたは風に揺れる幌。

ぼんやりとした意識のまま、馬の駆ける音へ目を向ければ、その先には湖近くに佇む街。

眠い目をこすりながら、台座へと近づく。


「エオリア、おはよう」

「おはようだ、アルト。あと少しで街に着くから、セリアを起こしてくれ」

「ふぁ〜わかった」


前方から吹き付けてくる冷たい風に震えながら振り返り見れば、

荷台の荷物を寝台代わりにして寝ている橙髪の少女。


「……食べても食べてもおなかが〜……おなかが〜……にへへ」

「起こさないほうがいいんじゃない?」

「駄目だ」


苦笑しつつ言う声に、はっきりとした返事。


「いまの時期は日中の時間が短い、早めに行動しなければすぐ日没となる」

「そういやそうだった。ちょっと地図見せて」


手綱を持ってない腕から一枚の地図を渡される。

旅を始めたころとは異なる絵、そこには風の精地周辺の白い領域が拡大していた。

青年が白い部分に注視していると声。


「冷えてくる時期になると、風の方角からそれぞれの方角へ風が吹き始める」

「それで、風の領域である雪原が広がるんだっけ」

「そのとおりだ。反対に火の領域である砂原が小さくなる」

「もしかして来る時期悪かったのかな」

「いや、そうでもない」


そう言って若草色髪の男は左手で街の方を指差す。

指差すを見てみれば、そこには船らしきものがゆっくりと雪原に向かって動いていた。


「? エオリア、なにあれ」

「雪原を移動するさいに用いられている蝸牛船だ」

「かぎゅうせん?」


聞き慣れない単語に、疑問となる青年。


「なに、着けばわかる」


   ●   ●   ●


白い石造りの神殿、そのまた内部にある図書館。

代々神殿に務める者たちが、自身の興味が赴くままに収集した本が収められており、

本の種類だけでなく分野も様々に収蔵されている。


書物の保存が優先されているため、行き来のしやすい地上部分ではなく、

神殿の地下部分に図書館は作られており、内部の温度は冷たい。

また全ての棚に本があるというわけではなく、部分部分には空きも多い。


空きの多い棚のそばを歩いているのは神官装束の人物が二人。

片方は顔に皺を刻んだ中年と思わしき栗色髪の女性、もう片方は藍色髪の少女。

二人は中年女性が手にもつ燭台の光を頼りに、棚のあいだを歩いていく。


右を見ては戸惑い、左を見てさらに戸惑う顔となる少女。

歩き出してからもう数十分が経っていた。

石造りの床に足音を響かせながら、無言でふたりは歩む。


やがて足が止まる。


光を栗色髪に反射させながら女性が、少女へ振り返り告げる。


「ここがこの図書の終わりです」

「はい。こんなに奥があると、思いませんでした」

「そうでしょうね。普段は大神官様以外はこちらまで来られることは少ないですから」


そう告げた女性の視線は、再度奥へと注がれ、言葉が続けられた。


「この奥には代々の大神官様が書かれた記録帳が封じられています」


視線の先には暗闇にぼんやりと浮かぶ、石造りの扉。


「開くには大神官様の持つ鍵が必要とされますので、誰も立ち入ることはできません」


ただ、


「それでも小さい子たちが無理に入ろうといたずらすることがありますから、

 もし見かけたらリラヴェルさん、注意してくださいね」

「は、はい」


普段とは違う名の呼ばれ方に、少女はわずかに緊張しながら答える。

その姿を見て女性は、小さく笑う。


「ふふ、そんなに堅くならなくていいのよ」

「……はい。司書様」

「司書様、ね。ただ本が好きでいろいろ整理していただけなのにね」

「でも、そのことが認められるのはすごいと思います」

「ありがとうリラヴェルさん。じゃあ司書見習いさんには、仕事をあげましょう」

「はい、なんでしょうか」


奥の扉とは反対側へと歩きだす二人。


「こどもたちへ本を読み聞かせること」

「それだけで、いいんですか?」


藍色の長髪を揺らしながら少女は問う。

問いに頷きを返しながら女性は言う。


「いいのよ。今日は朝から雨だし、こんな日は外から本を借りにくる人はいないわ。

 だから退屈してるだろうこどもたちの相手をしてほしいの」

「私に……できるでしょうか」

「……あなたのことはエラールさんから聞いているわ」


空きばかりだった棚から、本の詰まった棚へと周囲が変わっていく。


「いろいろと助けてあげたくもあるけど、そこは見守ってやってほしいと言われたの」

「……お母さん」

「だからね、あなたに無理のないようひとつずつでいいのよ」


そう言って中年の女性は、皺をゆるませて笑みを見せた。


   ●   ●   ●


二人の女性が地下の図書館から地上へと上がっていったあと、

ひとりの老人が静かに図書館への階段をおりていく。

階段をおりたそばに備えられた、受付代わりの長机と椅子に視線だけを送り、

老人はひとりで図書館の奥へと歩き出す。


点々と壁に取り付けられた明かりだけをあびながら、

老人は足音を薄い暗闇のなかへ響かせていく。

やがて、奥にある石扉前へと辿り着いたところで、懐をさぐる。


「……使うのは先代の大神官が亡くなったときでしたかね」


懐から取り出されたのは、先が螺旋状となった四角錐の石。

そのまま螺旋部分を石扉の穴へと突っ込み、半回転。

重く鈍い音ともに何かが外れる。

すると石扉は右へとずれていき、人がひとり通れる隙間ができた。


老人は四角錐の石を石扉から外すと、扉の奥へ。

奥へ入ると同時に石扉は元の位置へと移動して隙間を消す。

真っ暗闇。


「火よ」


ひとつ、つぶやけば正面に火の玉が浮かぶ。

周囲は変わらず石造りの通路。

しかし何年も人が通らず手入れがされていないため、ほこりやカビ臭くある。

装束の袖を口元に当てながら老人は通路へ歩みを進めていく。


数分歩いたところで、下へと降りる階段。

どこから入ったのか、老人の気配を察して逃げだす小さき生き物。

老人はクモの巣などを払いながら下へ、下へと降りていく。


しばらくして階段が終わる。

平らな床へと足裏を置けば、目の前には石造りの大きな部屋。

左右には書物のおさめられた棚があり、中央には木製の机と椅子があった。


老人がその部屋へ足を踏み入れた瞬間、空気が変わる。

それまでカビ臭かった空気が清らかとなり、生き物の気配が無くなった。

老人は壁に付けてある燭台に火を灯し、部屋を明るくして火の玉を消す。


「以前と変わらないままですね。一体どういう術が掛かっているのでしょう」


言いながら触る木製の机からは瑞々しい触感が返る。

乾燥して風化することなく机と椅子、それに棚は何百年もここにあった。

当然おさめられている書物もまた、一切風化することなく形を留めている。


「いずれは僕の書いたものもここに収めることになるのでしょうが……」


ここに入りきらなくなったらどうするんでしょうね、と思い棚を見る。

ほこりも積もらず、カビることもなく、虫に食われることもなく、書物があった。


そのうち一冊を丁寧につかんで引っ張り出す。

表紙には何代目であるかを示す数字と名前。

ぱらぱらと適当にめくったところで厚みを見ると指ひとつほど。

だが、ひとりだけでも記録された書物は何冊もあり、ざっと見渡すだけで百を越えている。


老人はひとり苦笑し、


「これはなかなか骨が折れそうですね」


そう言葉を漏らした。


   ●   ●   ●


「なに、これ。というか、でかいカタツムリじゃないのか?」


青年が見上げる先には、ぬめりとした光沢を返す大きな体躯。

先端から触覚のようなものを何本もだし、体躯の左右にはひらひらとした部分がある。

見ているうちに大きな体躯は淡い緑色から濃い緑色へ何度も変化している。


「カタツムリ? なんですかい、それは?」


声が返ってきたのは青年の背後、振り返れば橙髪の少女とともに、帽子をかぶった岩石人がいた。


「え、ああ。カタツムリってのは俺が元いた世界の生き物なんだけど……セリア、この人は?」

「ボクたちが乗る蝸牛船の船長さんだよー」

「どうもどうも奏者様、アインザッツ号の船長しとりますプレスト・センプレです」

「お世話になります、奏者のアルト・ヤマハです」


丁寧に名乗り返して青年は岩石人と握手を交わす。

見れば握手に差し出している岩石人の手には船の絵が刻まれていた。

それに気づいて青年は聞く。


「やっぱり船長さんだから船なんですか?」

「ん? あーこの手の絵ですかい、いやこれはセンプレ家の伝えでして。

 こちとら風側に住んでる岩石人は、火の方に住んでる奴らと違って、

 家ごとに刻む絵が決まってまして」

「へーえ。住む場所が変われば風習も異なるんですね」

「まあ、善くも悪くもですけどな」


そう言って岩石人が笑う横、橙髪の少女が尋ねる。


「ねーえ、さっき言ってたカタツムリってなーに?」

「えっと、背中に殻を背負った生き物で、この蝸牛みたいにぬめぬめしてるんだ」

「ほーうだったら奏者様の世界にも、こいつはいたわけなんですかい」

「いや俺がいた世界ではもっと小さくて、手の平もないぐらいですよ」


言いながら青年は再び淡い緑色となった蝸牛、アインザッツを見上げた。

見上げていると蝸牛が背負っている船から若草色髪の男が顔をだす。


「エオリアーやっほーやっほー」

「そんなところで声を出していないで運ぶのを手伝えセリア」

「いいじゃなーいもうすこしゆっくりしたらさー」

「日が沈むのが早いとあれだけ言っただろう……そうだ、アルト」

「なんだ、エオリア?」

「それっ」


わっ、と声を出した青年へ向かってリュートが投げられる。


「いきなり投げるなよ」

「すまない、それよりも先に酒場へ行って練習してきたらどうだ」

「練習? そんなのエオリアたちと……」


そこまで言いかけて青年は男の意図に気づく。


「わかった、下見も兼ねてちょっと行ってくるよ」

「じゃあじゃあボクも一緒にーー」

「おまえはこっちだセリア」

「むーエオリアのばかー!」

「なはは、でしたらあっしが街案内いたしますぜ奏者様」

「ええ、お願いしますセンプレさん」


   ●   ●   ●


すでに日差しは傾きはじめ、街のなかとはいえど冷たさが空気に混じる。

通りすぎていく誰もが、厚着であり首もとなどに布を巻くなどして温もりを逃がさない。

リュートを背負った黒髪の青年は、帽子をかぶった岩石人の案内についていく。


「それでしてな、この街トランクィは湖をはさんだ向こう、ルスティカとは兄弟みたいなもんでして」

「どっちも漁業が盛んなわけですね」


湖の縁近くへくれば、遠くに見える風景にかつて通ったルスティカがあった。

何隻もの船が湖の向こうからだけでなく、こちらの岸からも多く出ている。

釣りをしたり、網を投げたり、銛をもって飛び込んだりとそれぞれが漁をしている絵。


「ただ、トランクィでは湖での漁だけでなく、雪原での狩猟もしてまして」


街の方へ歩き出す岩石人。


「雪原が広がるこの時期には、それぞれが蝸牛船を駆って狩りをするんでさ」

「狩るってなにを狩るんですか? あんまり雪原と聞いてぴんと来ないんですが」

「なはは、奏者様は初めて来られたんでしょうし、そりゃ分からんですな」


両手を後ろに組みながら岩石人は話を続ける。

その間に、地の方角から輸送された木材によって立てられた家屋には、

夜を迎えるための明かりが灯り始めていた。


「雪中を住処とする魚がいたり、身体が雪と見分けのつかない鳥なんかいますさ」

「……聞いてるだけではまるで想像できないです」

「いやいや、これから嫌というほど見れますから安心くださいな!

 見れるだけでなく、食べることにもなりますがな!」

「あはは……」


ひきつった笑いを返して、青年は左右を見る。


「あの、センプレさん」

「? どうしましたかい奏者様」

「この辺にですね……歴史や伝承に詳しい人、いますか?」

「歴史や伝承、変なこと聞かれますなあ。んーそれでしたら……」


顎に手をあてて岩石人は考える様子となる。


「人が集まる酒場に行かれたほうが早かろうと、酒場でしたら旅の詩人や、

 街のじじいどもなんかも集いますからなあ」

「でしたら酒場までの案内お願いします」


   ●   ●   ●


外と内側をしきる壁のない開放的なつくりとなっている酒場。


何台もならぶ丸い木製の机には、泡をたてる麦酒の注がれた杯たち。

冷え込みをものともしない、夏場の漁業で焼けた肌をさらした屈強な身体の男女は、

ひとりの青年が奏でる音楽に酔いしれながらお酒を楽しんでいた。


流れる音楽は普段彼らが聞くことが少ないであろう、火の方角にて歌われるもの。

短い感覚で指をつま弾き、ときにかきならし、ときにとめるなどして流れをつくっていく。

たんたんたんと何度も繰り返されていく音に、次第に観客たちは足の音を重ね始める。


最初は青年の近くにいた数人が、次に周りの何人かが、最後には酒場にいる全員、

だけでなく近くを通りがかった人々ですら足音を重ねていきだす。

足音の合奏は拍子をきざんでいき、青年の歌う声をより力強いものとする。


身体を動かす熱だけでなく、人々からわき上がる熱気にも当てられて、

青年の身体には快い汗が流れていく。

最後の繰り返しに、たんたんたんと音を刻み、大きく一度音を刻んだところで演奏は終了した。


突っ立ったまま演奏していた青年は、汗を袖口でふきながら一礼。

青年に向かって大きな拍手と喝采がとばされる。

拍手を背後に青年は酒場出口近くへと歩いていき、そこにあった椅子へ座り込む。


「下見に来ただけなのに……なんでこうなってるんだろう」


酒場に来た途端、センプレに大声で紹介され、そのまま演奏するはめになったのを思い出す。

紹介した当の本人は麦酒を何杯も呑んで、上機嫌に仲間たちと話し込んでいた。

はあ、とため息をつきながら汗をぬぐっていると、目の前に杯を差し出される。


「おつかれさん、奏者様。いい演奏だったよ」

「あ、ありがとうございます」


杯をわたしてきたのは、髪の毛を後ろに括った赤髪の女性。


「あ、お代は……」

「いいさいいさ、あたしの店からのおごりだよ!

 それにしても火の方角にはあんな音楽があるんだねえ!」

「あっちの人達は騒ぐために生きてるみたいな人達ばかりですから」

「それを言ったらあたらしらも同じようなもんだけどね」

「あははっ……そうだ、あの店長さん」

「なんだい、奏者様?」

「ここにですね、歴史や伝承なんかに詳しい人っていますか?」

「歴史ってのは分からないけど、伝承だったらうちのじい様かねえ」


腰に両手をあてて酒場内を見渡したあと、女性は奥の方へと歩いていった。

しばらくして女性は顔を赤らめた老人をひとり、連れてくる。


「ほいっ、奏者様またせたね。お望みのじい様だよ」

「なんじゃなんじゃ。なんで儂奏者様のところへ連れてかれとるんだ」

「いーから黙ってここに座りな。はいっどうぞ」

「あーありがとうございます。それと、えとどうも奏者のアルトです」

「おーぅおう、どこぞのおてんば娘と違って丁寧でええのう」

「うっさいよじい様。もう麦酒よこさないよ」

「亡くなった嫁そっくりになりおってからに……でええとどうなさいましたかの」


赤ら顔からただよう酒気に鼻をつまみながら青年は言う。


「あのですね、奏者の伝承についてお聞きしたいんですが」

「奏者の伝承? といわれますとどれのことですかいな」

「え、どれと言いますと?」


尋ねた目の前、赤い顔の老人は赤い色の髭をさわりながら、


「儂が伝え聞いているものだけでもかなりの数ありましてなあ。

 なのでお聞きになりたい、とおっしゃられるなら第一から皆で謡いますがあ」

「えっ……そんなに、あるんですか」

「あるもなにも、今代の奏者様で三百になりますんで」

「あ〜」


どうしたものかと、青年は顔を手で覆い呻く。

ふっと閃いて口を開いた。


「そうだ! あの、伝承のなかにですね、白い光についての言い伝えってありましたか?」

「白い光ですかい? ふ〜むぅ……」

「精霊の腕輪から、こう白い光が出てくる話とか」

「しろ、白、城……白い剣の話でしたら、あるんですがのう」

「白い、剣ですか?」


視線が自分の左腰へと向く。

そこには旅にでてからずっと携帯している白き剣。

赤い顔の老人も同じように視線を向ける。


「……千年前でしたかの、今代の奏者様と同じ黒髪の奏者様と聞いていますじゃ」


思い出すように、ゆっくり、語るように老人は言葉をつむぎだす。


「女の奏者、そのもの、強き意思を封じた瞳持ち、火と踊り渡り、地を説き伏せ」


酒場の喧噪に負けない声量で老人は謳う。


「水とともに呑み、風をつらぬいて、かつてない剛のものであった。

 女の奏者、ただひとりの従者を連れる。若き剣士、神殿を護るものであり、奏者を導くもの。

 旅おわりにて、女の奏者、ひとつの剣を風より得る」


視線を奏者に合わせる。


「その剣、なにものでない白、なにものでもある白、よごれなき白、すべてにそまりし白。

 剣その身には風、風そのものが剣、白き剣は、女の奏者とともにある」


言い終わったところで、老人は一息をつく。


「儂が伝え聞いているのはこれだけですじゃ」

「いえ、ありがとうございます。……この剣そんな昔からあるものなんですね」

「いやいや、たぶんですがの、おそらく伝わっているのは形だけはないですかねえ」


えっ、と青年が返す。


「いくらなんでも、風の大精霊から得た剣と言いましても、年月が過ぎれば金属は錆び、

 持ち手の部分は朽ちてしまいますからな。ただ、何度も刀身を替え、

 握りや鍔などが朽ちれば取り替え、そうして奏者へ代々伝えられていると聞いてますゆえ」

「そう、だったんですか。じゃあこの剣に精霊が宿ったりは?」

「うーむぅ。難しいんですのう。最初に与えられたときはともかく、

 何度も刀身やほかの部分を取り替えていますから宿りにくいかと思うんですがのう」


青年は腰から吊っていた白い剣を鞘ごと目の前に取り出す。


「そうですか、じゃあ精霊がこの剣に宿ってるかは分からないんですね」

「ん? ちょっと見せてもらってもいいですかの」

「? ええ、どうぞ」

「では失礼して……おや、これはちゃんと宿っておられますなぁ」

「ええっ?」


驚いた青年の前、老人は鞘をゆびさす。


「剣ではなく、この鞘にどうやら精霊は宿っておられるようですのう」

「鞘……ですか?」

「ですのう。触ったところでわかったのですが、どうもこの鞘には、なにか術が掛かっていますな」


言われて青年はひとつの文様だけが烙印された、白き剣の鞘を見る。

文様は風を巻いた竜巻の絵を示しているかのようだった。


「どういう、ことなんでしょうか」

「儂もはっきりは言えないんですが、もしや千年前に与えられたのは白き剣でなくて、

 この白き鞘だったのかもしれませんのう。

 鞘には風が宿っておられ、鞘に封じた剣へとその力を与えていた、かもしれませんのう」


剣ではなく、鞘が? なぜそのような形をとったのか、青年の心に疑問が残った。


「さて、こんな老いぼれの言葉ですが、お役にたてましたかの」

「! いえいえ、とても役立ちました。ありがとうございます」

「そんじゃ儂は元の席へと戻りますかのう。おお娘よ、麦酒もう一杯な」

「そのうち腰抜かして知らないよ!」

「ははは……」


席へと戻って行く老人を笑って見送り、青年は手にした剣へ目をおとす。

白き鞘におさめられた、白き剣。

精霊が宿っていたのは剣ではなく、鞘。


「……伝えられている伝承に食い違いがある。どういうことなんだろう」


鞘から抜かれた白い刀身は、黙って青年を映していた。


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