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大地の歌を奏でる者たち  作者: 日高明人
第一楽章 召喚
3/37

第三話 思いふれあう

日差しが強く照っている神殿の外は昨日以上の人々であふれかえっていた。

外から来た客用の部屋にある寝台へエラールを寝かせたアルトは、

外出用の服装に着替えたリラを伴って神殿出入口に立っていた。


「うわああ、すごい人出でにぎわってるなあ」


喧噪でさわがしい外を見渡して、ほうけたように声を出すアルト。

そんなアルトの影に隠れるように立つリラは、


「……」


人波から視線を隠すようにしてうつむいている。

頭部から肩までを覆うように灰色の布を目深にかぶる姿。

何も言わずに後ろにいるリラへと目をやったアルトは、


(もしかしたら人ごみ苦手なんだろうか、無理に誘わない方が良かったかな)


内心に小さな後悔を抱く。

だが、包帯の少女は、


「アルトさん、大丈夫です、平気、ですから」

「うん……分かった。じゃあ行こうか」


小さいながらも意を決した雰囲気の声で青年を促した。


   ●   ●   ●


祭りの挨拶を終えて舞台袖に退場したブッファは限界を迎えていた。


「大神官殿ぉー! 自分は嘔吐物入れではありませーん!」

「お父さーーーん、やあめえてええええええ!」


神殿前にある舞台袖からセリアとエオリアの沈痛な声が場外へと響きわたる。

突如響き渡った声に人々は一瞬静まりかえるが、


「まいどまいど大神官さんもこりないもんだねえ」

「いやあれがないと祭りが始まったって気がしないよ、がははは」

「うおーい呑め呑め! おれらも負けずに呑むぞぉ!」


すぐに騒がしさを取り戻して、それぞれの動きへともどっていく。

その舞台から離れた広場では調教師による動物の演目が行われており、

演目を見物するだかりから少し離れた場所に、黒と灰色の二色が何事かと舞台を見ていた。


「いま、ひびいた声って……?」

「あはは……あのお二人の声ですね」


右手には奏者であるということで無料でもらった焼いたイカに串を通したものを、

左手には黄色く鼻を軽く刺激する液体の入った杯を持つアルト。

アルトの疑問に答えるように苦笑顔をするリラは、手に持った杯を傾ける。


「やっぱりか……それにしても意外、だったなあ」

「なにが、ですか?」

「ああ、えと。どう言ったらいいのかな」


頭をかこうとして両手が塞がっていることに気づいた青年は、

かくのを諦めて左手の飲み物を一口飲んでから言葉を発した。


「実は、俺のいた世界では違う世界に喚ばれるって話がけっこうあるんだ」

「そうなのですか?」

「うん、例えば魔王に滅ぼされかけている世界へ勇者として喚ばれるなんて話がさ」

「私も驚きです、ならアルトさんの世界では召喚されるのは日常的なんですね」

「いやそれは違うんだ。単に話というか読み物としてあるってこと。

 ああごめん分かりづらかったな。そういった物語の本が多くあるのだけども」


どう表現したらいいか悩みながら言葉を発していく青年。


「大抵がさ、なにか困難があるから、それを解決してくれって感じなんだ」

「そうですか……でもそれが?」

「それが……歌を集めて世界を楽しんでくれなんて聞いたことがなかったし、

 わざわざ喚ばれた人間を歓迎して祭りまで開いてくれるなんて初めてだよ」


灰色の少女はどう言葉を返したらいいかと思い、


「危険な目にあわせられるよりは良いかと思いますけれども……」

「そりゃそうだよね、しかも旅では護衛までつくのだし」


青年の意図するところがよく分からず少女は口をつむる。


(なんだろう……アルトさん、不安なんでしょうか)


包帯で覆われた両目の視線を青年の横顔に合わせると、

なにかを誤摩化すかのように青年はイカを豪快に噛みちぎる。


「もうひとつ意外だったのは俺がいた世界と似た食べ物があるとこだなあ」

「それは私も不思議です。もしかしたら親が一緒の兄弟の世界かもしれませんね」

「親が一緒の世界か、面白いなそれ」


青年がははと笑い、話が変わったことに軽く安堵を覚える少女。

せっかくの祭りなのだから楽しめるようにしたいな、と思い続けて喋ろうとして、


「おおお、これは奏者様ではないですか。楽しんでおられますかな~」

「あ、ああどうも。楽しんでますけど」


人ごみをぬって横手から口髭を伸ばした男がアルトに声を掛けて来る。

そのまま何かを言おうとしたが、灰色の少女を見て眉をひそめると、

少女は口髭の目から隠れるようにアルトの背へと移動する。


「奏者様、失礼ですがこちらの方は……」

「彼女は……えと、ああ祭りの案内をしてもらってるんだ」

「ふうむ……いえ邪推して申し訳なかったですな。

 おっとそれよりも自己紹介が遅れてしまいましたな。ワシはノン・トロッポ」

「ノンさんですか。あ、もしかして昨日の」

「おお、よかったよかった覚えておいででしたか!」


アルトは昨日の爆発的な勧誘にて、招待券を手に握らせてきた相手を思い浮かべ、

それが目の前にいる口髭の男だと気づいた。


「そういえばもらった招待券って」

「そう、その招待券のことなのですがな。専用の招待席を用意してありますので是非とも」

「いや、なんの招待券か分からないのですけど」

「おお、おおうっかりしておりましたな。

 祭り最後の日にこちらからも見えている舞台にて演奏会を開始するものです」


ノンが指差す方を青年と少女がみれば、何かの演劇をおこなっている舞台が目にはいる。


「今しがた行われているのは『愛されてドロシー目指せ逆玉』ですかな」

「なんだか妙になまなましい題目の演劇ですね……」

「ははっここ最近は成り上がり物語が受けておりましてな」


声高に笑い声を上げるノンにどうしたものかと悩み顔をするアルトは、

ふと背後からの感触に気づいて目を向ける。

そこには僅かに自分の服の端を掴むリラの姿があった。


(ん、どうしたんだろう。なにか伝えたいのかな)


「リラ? どうか——」

「なんでもない、です。平気で、です」


アルトにしか聞こえない小さな声だったが、語尾は荒く、異常を感じる。


「どうかされましたかな」

「ええと、どうも彼女が気分が悪いようなのでちょっと向こう行きますね」

「おっと、それは失礼しましたな。では奏者様、また公演にて」


少女の異常を感じ取ったのか、ノンは余計な詮索をせず、

片手を振って二人の近くから離れていった。

ノンが人ごみに紛れて見えなくなった辺りで、アルトはリラに振り向き言葉をかける。


「リラ、さっきの人ならもういったよ」

「……」

「リラ?」


返事がない、そのことに緊張と焦りを覚える。

少女の両肩に手をのせ少し揺らす。


「……ん、あ」

「リラ、リラ!?」

「ごめん、なさ、い」


なにを謝っているんだ、と思った瞬間。

リラがアルトへと身を倒してきた。


   ●   ●   ●


曖昧で混濁するかのように暗かった意識から覚醒する少女。

ゆっくりと左右を見ると場所は神殿の客間。


(私どうして……ああ、そっか気をうしなったんだっけ)


リラは今自分がどこにいるかを確認したのち、ゆっくりと背を起こした。

そして寝台へ寝かされていることに気づく。


「誰が……ここに」

「アル坊が運んだんだよ、リラ。気分は平気かい」

「お母さん……私……」


寝台の左脇には椅子に座っているエラール。


「なーんも言わなくていいさ。それよりお腹へってないかい」

「ううん、大丈夫。それよりもアルトさんは?」

「あいつならアンタが目を覚ますまでそばにいるってうるさいからたたき出したよ」

「たたき出したってそんな……」

「いいんだよ。祭りはアル坊のために開いてるのに、部屋にいたら意味ないだろ」

「それはそのとおりだけれども……」


母親の言葉に少女は声を落とす。


「いいから静かに寝ておきな。ほら」

「うん……お礼ぐらい言いたかったな」

「そんなの後でいくらでも言えるさ。

 それ以上にアンタが元気になるのが、あいつとって一番のお礼になるんだから」


少女は母親におでこを押されて、ゆっくり寝台へ背を倒す。


(アルトさん……心配してるだろうな……)


室内にはいない青年を思い、再び暗闇へと感覚を落としていった。


   ●   ●   ●


「ああああ心配だ心配だ心配だあああああああ」

「気持ちは分かるが少しは落ち着けアルト、ほれ」


舞台近くの休憩所では、祭りの喧噪が耳に入らないのかうめくよう声をあげる黒髪の青年、

隣には服装のあちこちが汚れている若草色髪の男がおり、手に持っている杯を渡す。


「ああ、ありがとうエオリア……って酒じゃないかこれ!」

「エラおばさんから聞いたぞ、けっこう呑める口だと」

「あれは呑んだんじゃなくて、呑まされたの間違いだ!」

「せっかくの祭りなのに呑まなくてどうする」


当然のような顔で聞いてくるエオリアに、


「リラが倒れてるっていうのに呑めないよ、倒れたの俺のせいだし」

「そのことなんだがな、アルト」


エオリアは自分の杯をぐいっと呑む。


「リラが倒れたのは、おそらくお前のせいではない」

「おそらくってどういうことなんだ?」


言葉に振り向くアルト。


「リラは……人見知りで知らない人間が多いところでは極度に緊張するほうでな、

 とくに人ごみのなかは最悪らしい」

「なっ……そうだったのか」


目線を空へ向けながら話す若草色髪の男に、青年は反対に視線を地面へと落とす。


「知っててやったわけではないんだ、そう気に病むな」


目線はそのままに青年の肩へと手を置くエオリア。

小さく礼をいうアルトだったが、ふと疑問顔になる。


「そういえば、俺とは初対面でも普通に話していたような」

「ああ、そうだったな。なんでだろうな?」

「俺に聞き返されても困るよ」

「まあ、あのときは自分とセリアもいたからな。それで安心して話せたのではないだろうか」

「そっか……」

「それよりもどうしてリラと一緒だったんだ?」

「エラールさんが酔いつぶれちゃっててな、一緒に祭りが回れそうにないって言ってたから」

「ほーう……」

「なんだよ、細い横目でこっちを見るなよ」

「ははは、悪かった悪かった。あんなに臆病だったリラがな」


エオリアは独り言をつぶやきつつ杯をあおる。


「臆病だった?」

「……あんまり自分が話すことではないが、ひとつだけ」


声をしずかに落としてエオリアは言う。


「気づいたかもしれないが、リラは外を怖がっている。

 自由に振る舞えるのは、良くて神殿か自宅近辺ぐらいなものだ」

「それは今日の様子を見ててわかったよ」

「だろうな。原因はあの見えないのに見えてる眼だ。

 生まれついたときからリラは自分達とは違うものが見えている」


再び聞くリラの眼にまつわる話。

アルトはどこか気まずさを思い、誤摩化すかのように杯に口づける。


「そのせいで当時近くにいた子らにひどく虐められていたらしい」

「もしかして」

「考えてる通りで合ってる。あの服装はリラなりの防御手段みたいなものだ」


答える言葉を失う。


「ただな……だから驚いてるんだ。

 エラおばさんや自分達以外の人間と一緒に外へ出てるなんてことに。

 それも昨日出会ったばかりのアルト、おまえとだ」

「エオリア……」

「自分やセリアとはいまでこそ当たり前のように話せているが、

 それでも初めて会った頃はまともに言葉など聞いた事がなかった」


杯を強く握りしめ、若草色の男は無表情に言葉を吐いていく。

男は堪えられなくなったのか杯の中身を一気に呑み下す。


「お、おいエオリアさっきから呑み過ぎじゃないのか」

「すまんな、いまだけは呑まないとやってられない。なあアルト」

「なんだ?」

「できるなら、リラのそばにいてやってくれ……」

「それはいいのだけど、意味がよくわからないんだが……」


すがるような声を出すエオリアに困惑するしかないアルト。

そこに近づいてくる足音がひとつ。

誰だろうと足音の方へ顔を向ける二人。


「あ、ブッファさんもう——」

「逃げろアルト!」

「え、どうしたんだエオリ——」


名前を最後まで言うまえに老人は、笑顔で盛大に嘔吐した。


   ●   ●   ●


「も~お父さんの馬鹿! せっかく祭り用に着飾ったのに!」


白くゆったりとした普段着に着替えたセリアはひとり神殿内を歩いていた。

左手には男性用の衣服を抱え、右手には色とりどりの果物が入ったかご。


「エオリアの馬鹿もなーんで一緒によごれちゃうかなあ」


あーあとため息を頭上へと投げる。


「あ。そうだそうだエラおばさん起きたかな」


神殿出口に向かっていた足を止め、住居方面にむけて歩き出す。

通路には普段はいない人々が多くうろついていた。

歓迎祭のために遠出してきた人のために、神殿を寝床として提供しているからだ。


じっくりと神殿の装飾を眺める者、神官と話をしている者とさまざま、

歩いているセリアに気づいて、会釈をおくる者もいる。


(岩石人のこどもかな〜かわいい〜)


自分の腰ほどの身長をもった岩石人のこどもにセリアは手をふりかえす。

途中、聞き覚えのある悲鳴らしきものが神殿外から聞こえた気がしたが、

祭りだからきっとはしゃいでるのよね、とひとり納得。

そして足はエラールが寝ている客間で止まる。


「エラおばさーん起きたー? セリアだよー」


かけ声とともに扉を開けてみやれば、寝台に寝ているのはリラ。


「え? あれ、なんでリラが寝てるの?」

「やあセリア、どうしたんだい?」


寝台脇の椅子に座っていたエラールが声をかけてくる。


「あれれ、エラおばさん起きてる。なんでー?」

「なーにをいってるんだか、とっくに起きてたよあたしは」

「てっきりまだ寝てると思って様子見に来たんだけどなあ」

「そうだったのかい。ああ果物ひとつくれないかい」

「どうぞどうぞー取れ立てをヒルダさんにもらってきました」

「ありがとさん。それならリラが起きたときようにもうひとつもらっておこうか」

「好きなだけもらっちゃってーそれよりリラ何かあったんですか?」


持っていた衣服を近くの丸机へとのせ、右手のかごから果物をいくつか取り出すセリア。

それを受け取り、そのうちのひとつをエラールは果物ナイフで皮を剥いていく。

寝ているリラの顔をのぞくように寝台近くへ移動したセリアは、室内にあった椅子に座る。


「アル坊と一緒に祭りへ行ったんだけども、途中で気を失ったってさ」

「えええ!?」

「なにをそんなに驚いてるんだい?」

「だってだってリラが、あんな恐がりだったリラがですよ〜

 会ったばっかりのアルトと外へ行ったなんて〜ボク嬉しいな〜」

「気を失ったことについては何も言わないのかいあんたは」


驚き半分笑顔半分の顔で話す少女。

こちらは呆れ顔になっている女性。


「リラ……きっと分かっていたんじゃないかな」

「気を失うことがかい?」

「いえ、たぶんアルトと一緒なら大丈夫なんだろうと」

「昨日会ったばっかりなのにえらい信用されてるねアル坊は」

「あはは、ちょっとした助言をしちゃったからかな」


すこし困り顔で笑っている少女に、ふうんと答える女性。

少女は静かに寝ている顔の頭に手を置き、眼を覚ませないようゆっくりなでる。


「ボク、自分勝手かもしれないけどリラには幸せになってほしいと思ってて」

「そいつはあたしだって同じさ。だけどこの子がそう思わないと意味がないさ」

「うん……リラ、もっと自分勝手になって、いいんだよ?」

「はは、まるであんたがお母さんみたいじゃないか」

「お母さんか〜お姉さんって言われるほうがボクいいなあ〜」


エラールは皮を剥き終え、分割した果物を皿にのせてセリアへと差し出した。

少女は礼を言って分割されたうちのひとつを手で掴み、大きく口をあけて含んだ。


「あんた、相変わらずの食べっぷりだねえ」

「食べれるときにちゃんと食べる! がボクの信念だから!」

「片手を握りしめて意気込んで言う事かい、まったく」


苦笑しつつ女性も果物を掴み口にいれる。


「そういや、あんた他によるところあるんじゃないのか」


そういってエラールは丸机にのせてある衣服を目で指す。


「ああ、寝ているリラのことですっかり忘れた。二人の服もってかなきゃ」

「なにかあったのかい?」

「えーとね、吐いた」


簡潔な言葉を俯きつつ出す少女。

その言葉で合点がいったらしく、


「ほんと、ここには相変わらずな人たちばっかりだねえ」

「あは、あはは」


笑って誤摩化した少女は椅子から立ち上がり、ふたたび衣服を手に取った。


   ●   ●   ●


「な・ん・で増えてるの〜!」


目の前には服装の端々が汚れたアルトとエオリア、そして横には笑顔で仰向けになっているブッファ。

三人を前にセリアは目の端をつり上げて言い放つ。


「エオリア! なんでこうなってるの!」

「セ、セリア。エオリアは悪く——」

「アルトは黙って! もーうお父さんの馬鹿! エオリアのもっと馬鹿!」


なにを言っても駄目だろうと諦めきった顔をしたエオリアは、

ひたすら自分にむけられる言葉を黙って聞き流す。

そんな態度をとっているエオリアに呆れたアルトは右手を頭に当てて困り顔。


「ああもう、お父さんよりも先に二人はこれで着替えて来て!」


左手を突き出すセリアを見れば、白の上下服があった。

二人分の服を受け取ったアルトは、


「俺たちは着替えるからいいけど、ブッファさんは?」

「自分らが着替えたら神殿まで運べばいい」

「分かってるならさっさと動く!」


三人の会話をよそにブッファは、これ以上ない笑顔に涎をたらしながら眠っていた。


   ●   ●   ●


移り変わって時間は空が赤く染まる夕方過ぎ。

祭りで騒いでる人々は活気に溢れており、時間が経っても衰える様子はなかった。


そんな人々を眺めながら、ブッファを運び終えたアルトはひとり神殿外の階段に腰掛けて物思いにふける。

頭のなかには倒れたリラの心配や、笑顔で吐いて来たブッファへの出来事などを思い浮かべていた。

何度か目の前をすぎていく人々が声をかけてくるが、アルトは呆然と喧噪を眺めているだけ。


大人は屋台の長机で酒を酌み交わし、子供は走り回ってはしゃいでいる。

どこか懐かしさを覚えているうちに、脳裏には家族の姿が思い出される。

家族の姿が浮かんだ瞬間、我知らずアルトは涙を流していた。


はっと涙に気づき、慌てて顔を腕で覆う。

止まらない涙に理由もなく焦る。


「駄目だ、泣いちゃ駄目なんだって」


自らに言い訳するように言葉を放ち、鼻をすすり目をこする。

ひとりになった反動か、アルトは無意識に寂しさを胸にふくらませていた。

元の世界にいるはずの家族、友人、知り合いたちの顔が変わるがわる浮かんでは消えていき、

耐えきれずに顔を俯かせ声を押し殺したアルトは、周囲の人々に気取られないよう静かに泣く。


遠くの舞台からは愛憎劇を盛り上げる悲しく深い音色が響いてくる。


   ●   ●   ●


階段で俯き泣いているアルトの後方、神殿出入口近くには若草色の男と橙の少女が立っていた。


「やっぱり不安で仕方ないのだな」

「当たり前でしょーボクが同じ立場だったら湖ができちゃうよー」

「大げさすぎるぞ。昨日は帰れると分かってからは平気そうだったが」

「ねえエオリア」

「なんだ」

「どうしたらいいかな」


少女はまぶたを薄く閉じて、考え込むように視線をさげている。


「自分たちがすぐどうこうできるわけではない。

 だが、なにも力になれない、というわけでもないだろう」


舞台の女優が男優へと勢いあまった飛び蹴りをかますのを見ながら男は、

突き放したかのように言ったと思えば、少女を気遣うように穏やかな口調で声を発した。

声を受けて少女は、頭を男の胸に預けてうんと頷く。


祭りの熱気は覚めるどころかますます活気づいていくなか、祭りの一日目は終了した。

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