第二十六話 花が開くとき
いままで聞こえていた虫の音、鳥の鳴き声、近隣の物音、それらが消えた。
耳に届くのは無音の響き。
青年は気がつけば、暗闇に立っていた。
上は白、下は黒の装いで。
「? ……!?」
ハッとなった顔つきで周囲をせわしなく見る。
何も見えず、何も感じられず、何もわからない。
顔をうごかすのをやめ、自身の両手を見て服装がいつものでないことに気づく。
「この服は、召喚されたときの……」
どうして着てるんだ、胸のなかでつぶやく。
服を触り感触を確かめていると、黒のポケットから硬い手触り。
なにかと思い取り出せば四花の腕飾り。
「どうしてこれだけが……?」
不可解な気持ちが沸きつつも右腕へと腕飾りをはめる。
もういちど周囲を見渡し、足下を確かめるように青年は歩き出す。
ゆっくりと歩きながら青年は少しずつ記憶を思い出していく。
苦しそうな表情で横たわり、自分へと謝る少女の姿。
慰めることもどうすることもできず、謝らないでと言うだけだった自分。
ただ、手をつなぐことしかできなかった、その悔しさを。
「ありがとう、って言えなかった」
暗い思いが胸に広がる。
思いを映すように足取りは重くなり、暗闇に沈むような歩調。
悔しさ、苛立ち、不安、ごちゃ混ぜとなる感情。
瞬間、聞こえる音がひとつ。
「?」
俯いていた視線を上げ、わずかに音のした方へ顔を向ける。
相変わらず暗闇しかない視界、だったはずが違った。
幼い藍色髪のこどもが両膝を抱え、顔を膝に隠してすすり泣いていた。
● ● ●
見えたのは灰色の視界。
耳慣れぬ音が間近から響き、少女は驚いてあとずさる。
あとずさった少女の前、自身よりも背のある四角い物がふたつの円を回しながら進んでいった。
足下からは土や石とは違う堅さのあるなにか。
焦りと怯えを含んだ表情で藍色髪の少女は周囲を見る。
空は薄い灰色、空を区切るように走る黒い線、黒い線とつながる高い柱。
広い道を走り過ぎていく金属板のなにか。
狭くくぎられた道を歩く顔色さえも灰色で配色された人々。
突然の状況に少女は頭を抱え、座り込みそうになるが、
左手に触れた髪飾りの感触によって意識を保つ。
二度、三度呼吸を繰り返して胸の鼓動を落ち着かせて少女は考える。
どうしてこんな場所にいるのだろう、と。
思い起こされるのは意識が転じる前。
不意に息苦しさとだるさから解放され、不思議に思って起き上がり、
右手を握る感触をあたたかく思い、青年を見つめていた、はずだった。
そこまで思い至って少女は気づく。
いま、包帯をしていないことに。
「!!!」
声にならない叫びが出そうになり、口を両手で覆う。
しかし、狭い道を歩く人々は少女にはまるで気づかず傍を通り過ぎていく。
昂った気持ちと鼓動を再度落ち着けていくうちに、少女はおかしさを覚える。
何人も何人もすぐ傍を人が通り過ぎていく。
「私のこと、見えていない?」
そのとき、少女の正面から歩いてくる姿があった。
上は白、下は黒の佇まい、右手には手提げ鞄、顔は見知ったもの。
「! ア、アルトさん!?」
少女の声、だが青年はなにも変わらぬ様子のまま歩く。
聞こえていない? そう思った少女へ近づいてくる青年。
どうするべきか迷っているうちに青年は眼前へ。
ぶつかる! と思い両手で顔を覆う、がなにも起こらない。
数瞬して手の覆いの隙間から正面を伺うが誰もいない。
手をおろし振り返ってみれば、そこには後ろ姿を見せて歩く青年。
「どうなってるの……?」
状況が飲み込めない少女は、戸惑いながら青年の後ろ姿を追いだす。
● ● ●
暗闇にうすぼんやりと浮かぶ幼いこどもの隣に青年は腰をおろしていた。
すすり泣く声は止まず、暗闇にへと消えていくばかり。
上を向いたりとあらぬ方向へ顔を動かして青年は諦めた表情をしてため息をひとつ。
声をかけようともしても答えず、手で触れようとして触れ得ず、
こどもの泣き声をどうすることもできないまま青年は困っていた。
「これ……なんなんだろうなあ」
見つめるのは暗闇、だと思っていた場所。
幼いこどもを認識した瞬間から、暗闇はうっすらと光を帯び、
場所の様相をうっすらと青年の視界に現していた。
下は角、上半分は半円状をした閉じられた窓とおもわしきところから漏れる光。
光が暗闇に浮かび上がらせるのは幾つもの棚と植木鉢。
青年は泣いている藍色髪のこどもを見る。
「この子は、小さい頃のリラなのかな」
だとしたら、と心で続けて周囲を見る。
「ここは花屋の倉庫、なのか?」
声に出して言うものの、答えはない。
ふぅー、小さなため息。
青年は自分の手を見る、そこにははっきりとした輪郭の手。
しかし、その手はこどもには触れることはできない。
「火の大精霊が見せた幻覚みたいだけど、どうしていま見せられてるんだろう」
目線がとなりですすり泣くこどもへ向く。
相変わらずこどもは泣いたままだが、あることに気づく。
「包帯を……していない」
● ● ●
先を歩く青年の足は早かった。
途中で藍色髪の少女は何度も何度も小走りになりながら、青年に追いつく。
高い壁を曲がり、橋を渡り、四角い物が動きを止めるまで立ち止まったりしつつ、
少女は見慣れない景色へと視線をとばしていった。
何人も人がすれちがう、だが誰ひとりとして眼を合わせない。
声すら掛け合うこともなく、ただ歩き遠ざかっていく姿が少女には不気味に映った。
時折、青年が懐からちいさな箱を取り出し、それに向かって話し出したかと思えば、
箱にむかって指を動かしていった。
(いったい、なにをしてるのだろう)
全てが違い、全てが奇妙に見え、全てが分からない。
分からない、その思考が浮かんだときに気づく。
ここは、もしかしたら奏者、青年が元いた世界なのではないかと。
よく見れば、青年とよく似た服装をしている男女が同じ道を歩いている。
段々、同じ服装の男女が増えていき、いつしか建物が見えて来た。
白く高い高い建物、それは窓が何枚もあり、そこへ青年と似た服装の男女が進んでいく。
(なんだろう……なんの建物なんだろう)
不安と好奇心が僅かに沸く胸の内、眼前を歩く青年は隣を歩く男に声を掛けられる。
元気のある声に対して青年も勢い良く声を返す。
ふざけあい、馬鹿にしあい、楽しそうにじゃれあいながら話す様子が映しだされる。
(アルトさん……あんなに楽しそうにしてる)
胸が苦しくなった。
(きっと、きっと……帰りたい、ですよね)
少女は、視線を落としていった。
● ● ●
すすり泣く藍色髪のこどもを凝視する青年。
こどもが膝と腕で隠している顔には包帯を巻いている様子はない。
青年の、喉が鳴る。
「リラの……リラが隠している眼が……」
不安と好奇心が強く心にもたげてくる。
しかし、こどもは泣くことを止めようとしない。
木が、こすれる、音が響く。
「!」
振り向いた先、光を背後にひとりの人物が立っていた。
開かれた扉からは外からの柔らかい光が倉庫へ広がる。
思わず手で顔を覆う青年は、しばらくして誰が立っているかに気づく。
「……エラールさん?」
そうつぶやいてみたものの、目の前の女性は短髪であった。
金色の短髪、顔つきは険しさを持っている。
女性はこどもの姿を倉庫奥に認めると、ゆっくりと歩み寄り、こどもの目の前で座り込む。
『リラ……どうした、こんなところでなに泣いてるんだい』
こどもは答えず、すすり泣く。
『また、いじめられたのかい』
泣き声が強くなる。
『泣いてちゃ何もわかんないよ』
女性はこどもの頭を撫でる。
『……おかあさん、どうして、どうしてわたし、みんなとちがうの?』
泣き声混じりの声が問う。
『どうしてなの。どうしてわたしだけこうなの。いやだ、わたしこんな眼、いやだ』
強い否定と、大きな震え。
『いつも、いつもなの。おまえの眼はきもちわるいっていわれるの。
ねえおかあさん、どうしてわたしはこうなの!』
叫びに近い声を、女性は何も言わず頭を撫でて聞く。
こどもの泣き声は止まらず、ただ響いていくばかり。
● ● ●
上は白、下は黒の服装をした男女は、白く高い高い建物へ入ったあと、
階段を登ってばらばらに道なりに分かれ、大きな部屋へと入った。
青年の後を追っていた少女もひとつの大きな部屋へと入る。
そこには椅子と机が等間隔で並べてあり、青年は一番最後尾の左端、
窓際の机へ向かい、椅子に座った。
少女は青年の後ろへ立ち、そのまま近くの窓をのぞく。
(うわあ……高い)
目の前には少女が経験したことのない高い視界。
遠くまで景色が映り、そこには四角く色とりどりの建物が見えた。
(アルトさんが住んでた世界ってこんな景色なんだ)
我知らず少女は胸前で手を結んでいた。
『きりーつ、礼。着席』
びくりと反応して眼を声のした方へ向ければ、黒い板の前に立つ中年がひとり。
『あーおはよう。今日は進路希望用紙の締め切りだからなー
まだ出してない人は放課後までに提出するように』
はーい、と気の抜けた返事が大きな部屋のあちこちからあがる。
なんのことだろうかと少女が思っている目の前、青年は机のなかから一枚の用紙を取り出す。
名前だけが書かれた白い用紙を。
『連絡事項はそれだけ、じゃあ朝のショートホームルームは終わり』
『きりーつ、礼。着席』
中年は大きな部屋から出て行った。
椅子へと着席した青年、目線は机においた用紙、その顔は表情が曖昧だった。
後ろから覗き見るような姿勢で少女は思う。
どうしてなにも書いていないのだろうか、と。
『山羽! おまえどうすんだよ将来さ!』
青年の右となりに座っていた男が呼びかけた。
『んー……なんも考えてない』
『はぁ? なにそれおまえ、なんかやりたいことねえの?』
用紙を見ながら青年は小さく唸り、
『べつに……これといったものないなー』
『つまんねえやつだなー弁護士とか宇宙飛行士とか目指せよ』
『なんでそんなの目指さなきゃいけないんだよ。
そういうおまえはどうなんだって』
苦笑顔と問いかけた先、男は腕を天へと振りかぶって言う。
『おれか? おれは最強のサラリーマンになる!』
『はあ? ……ああ分かった。おまえ、最近あの漫画読んでたな』
単純な奴、と青年は呆れた様子。
『いいじゃねえか、かっこいいんだからよ!
山羽はなんかないのかよ、こう、かっこいいのとか憧れとか』
『かっこいいのとかなーあんまりないなーそういうの』
困ったような顔をして青年は笑う。
『だってさーかっこいいとか思ってもさ、そうなれるとは限らないじゃん。
将来だってそう、いくら今こうなりたいって思っても絶対そうなれるなんて誰が言ったよ』
だからさ、と青年は言葉を区切る。
『それなら俺はべつになんにもなれなくていいやって思うんだ』
● ● ●
悲痛な声で女性へと問うこどもの姿、青年は知らず知らずのうちに奥歯を噛んでいた。
拳をにぎり、胸の内には燻る思いを得て。
藍色髪のこどもは眼を両手抑えながら頭を左右に振る。
『きもちわるいなんていわれるこんな眼いらない!いらないいらないいらない!』
こどもの頭に手の平を置いたまま、金色の短髪女性は苦しそうな顔となる。
その顔を見て青年は思う、どうすればこの子を救えるのか、どうすればいいのか、と。
いまも同じ不安を抱えているかもしれない藍色髪の少女を、青年は思う。
『やだよ……もうやだ……おかあさん、もう、やだよぉ……』
段々と小さく、消えていくこどもの泣き声。
女性はこどもを抱きしめ、つぶやくように言う。
『それなら、それならさ、リラ。その眼、なくしちまおうか』
え、という声が青年とこども両方から生じる。
『リラがそんなにつらい思いしてるのに、気づいてやれなくて、ごめんよ』
抱きしめる両手、僅かに力が、こもる。
『だから、嫌なことからは逃げていいし、見なくていい』
女性は両手をこどもから外し、近くの棚へと手を伸ばす。
手が持ってくるのは一巻きの包帯。
『リラ、手をおろしな』
いまだ泣き止まないこどもは、怯えた様子で手を眼から外す。
その様子を見て青年は迷ったのち視線を背後へと向けた。
包帯が立てる音とともに女性の声が響く。
『リラの眼をあたしはどうすることもしてやれない。
だからさ、この包帯で隠してやる』
『おかあさん……?』
『そんでさ、もう外に出て遊ばなくてもいい。嫌なこと言うやつらとは関わらなくていい』
『……うん、わかった……』
でもな、と女性は続けた。
『もしも、もしもいつかあんたが見せてもいい、見られてもいい、そう思ったら』
『そうおもったら……?』
『……リラの、好きにするといいさ』
こどもの眼には包帯が巻かれ、包帯はわずかに涙で湿っていた。
青年が視線をもどしたところで、女性はこどもを抱き上げて立つ。
『さて、と。それじゃあ下へ降りてご飯にしようじゃないか』
『うん……おかあさん、ごめんなさい』
『謝る必要なんかないよ。それに悲しいことはもうこれで終わりだよ』
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少女は視界が、髪飾りからの光に包まれた。
● ● ●
青年は視界が、腕飾りからの闇に包まれた。
● ● ●
耳には鳥がさえずる音が聞こえる。
肌には冷たい空気と日差しの暖かさを感じる。
手の平からはぬくもりが伝わってくる。
青年は自分の身体に感覚が戻ってくることを感じた。
少女もまた同じように感覚が戻るのを感じた。
互いに握った手が力を得て、動く。
そして、青年と少女は互いを見る。
青年は気づいていた、少女が包帯をしていないことを。
少女は気づいていた、青年が過去を知ったことを。
「アルトさん……おはようございます」
「おはよう、リラ」
「あの、アルトさん」
「うん、なにリラ」
黒髪の青年は視線を少女の顔から外さない。
藍色髪の少女は頷き、言う。
「私の眼、どう見えていますか」
一拍の間。
「綺麗な、花のように綺麗な眼だよ」
青年は答えた。
少女は金色と四色に象られた瞳の眼尻に涙をため、その言葉に頷いた。