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大地の歌を奏でる者たち  作者: 日高明人
第四楽章 転機
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第二十五話 小雨が止む頃

小雨がぱらついているなか、めんどうそうな顔をしつつも街の門付近で見張りをしている男たち。

彼らが目を配っている視界におさまっている方向では、夕闇がおりつつあった。

ひとりが大きく口を開いてあくびをし、そばにいた男が声を掛ければ、

あくびをした男は照れくさそうに口を閉じた。


そして、声を掛けた方が一瞬動きをとめ、次に街道へと振り向く。

つられてあくびをした方も眼を向ければ、小雨のなか街へ向かって駆けてくる馬が二頭。

眉をひそめ二人の男は馬へと注意を向けつつ、馬の進路上へ立つように脚を動かす。


あくびをした男は大声で静止の呼びかけをおこなう。

瞬間、勢いをゆるめたのは二頭のうち、後ろを走っていたほうだけ。

先を駆ける馬は速度を落とさない。

おいおい、とめんどうそうな顔をしていた男は焦りの声。

慌てて片側が槍、もう片方は斧を構える。


先ほどよりも強く地面の煉瓦を叩く蹄鉄音。

速度を示す音は断続的に響き、武器を構える男たちへ無言の圧迫感を与える。

あと三十歩もない、あっという間に埋まる距離、そこまで馬が迫る。

どうするべきか、汗を浮かべて悩んだ男たちは一斉に武器を前方へと振り下ろし、突き出す。


風。


   ●   ●   ●


一拍の間が空き、ひと際大きな音が鳴ったのち、再び連続した蹄鉄音が響く。


街中へと駆けて行った蹄の音は、いまや遠くへと消えていった。

門の近くで驚いた表情で振り向いた姿勢でいる男たち。

その近くへとゆっくりな音をたてて歩く一頭の馬。

馬上にいた長衣の頭巾から聞こえるのは老人の声。


「申し訳ありません、警備のお二人方。いまのが野盗ではないのを僕が保証します」


斧を持った男が顔だけを身体の向きと合わせれば、そこには苦笑顔をした老人がひとり。


「あんたは……ああっ!? だ、大神官様! なんで、どうして!?」


老人は馬から地面へと降り立ち、人差し指をそっと閉じた唇の前へと置く。

静かに、という意味をこめた動きに警備の男は思わず口を両手で塞ぐ。

が、斧が煉瓦道へと落ちて金属音が響きわたった。


「……」

「……あ、あはは、す、すんません」


斧を拾いつつ後頭部に手を当てて謝る男は、いまだ振り向き姿勢でいる槍の男に言う。


「おい、おまえいつまで見てんだ。大神官様がいるんだぞ」

「……」

「? おいっ! どうしたんだ!?」


びくっとして槍を持っていた男は首を素早く回して斧を持った男を見る。


「えっ、ああ、すまんなんか言ったか?」

「もういいよ、んで大神官様、どうしたんですかい」


槍の男は斧の男と街中を交互に見ている。


「いえ、ちょっとばかり急ぎの用事がありましてね。

 それで僕と……奏者様で来たのですが」


槍の男が奏者、と聞いて顔を老人へと向けた。


「あ、やっぱり、さきのは奏者様だたのかあ」

「さきのはっておまえ、見えたんか顔が」

「見えた見えた。けどさ前に見たのとは全然違って驚いたんよ」


二人のやりとりを聞いて老人はひとり目線をよそへ投げて顎を引く。


「あ、っとすんません大神官様、それで奏者様とふたり、どしたんですかい」

「ええ、知り合いのご家族が病にかかったと聞いてお見舞いに来たのです。

 ですが、なにぶん急なことだったので僕と奏者様だけでして」


ふんふん、と斧の男は頷く。


「そりゃあ病気になった人が心配ですわな、さっきのはしょうがねえ見なかったことにしますわ」

「申し訳ない。お詫びといってはなんですが、のちほどこれを差し入れに来ますね」


これ、と言いつつ老人は片手を、杯を握ったように構えて口元へと運ぶ動作。

その動きを見て槍の男は苦笑い。


「ありがてえんですけど、トロッポさんにばれねえようにお願いしますよ。

 そんじゃま、こっちの詰め所で入出書類に書いてってくださいな」


槍の男に促されて老人は馬を連れて門近くに立てられた小屋へと歩んで行った。


   ●   ●   ●


暗がりへと落ちようとする空の下、街を歩く人は少ない。

代わりに建物へと宿る灯りは多く、閉じられた窓の隙間からは漏れた室内の光。

一日が終わろうとしている空気を切り裂く蹄鉄音に、通りを歩く人々は目線だけを飛ばす。


周囲に構うことくなく、馬へしがみつくようにかがんだ姿勢でいる青年。

長衣の頭巾によって覆われた顔からは表情は見えない。

ただ、手綱を握る手だけが彼の思いを語る。

堅く、固く握り込まれた手綱、そして手の甲には血管が浮かび上がっていた。

手だけなく、長衣に隠れていない腕にも力がこもっているのが分かる。


手綱が馬へと伝えるのは、ひとつ。

速く、速く、速く、前へ。

馬は、酷使されようとも、ただ背に乗る者の意に応える、愚直なまでに。


だが、どれほどの想いを乗り手が込めようと、

どれほどに馬が手綱の指示に応えようと、限界は来る。

雨にぬかるんだ地面が疲弊した馬の脚を掴む。


青年の視界が、倒れ込んだ。


煉瓦道ではない地面には水たまりが幾つもできており、

場所によっては泥沼のようになっている部分もあった。

そして、青年と馬が倒れ込んだ先は人馬を包むような泥だまり。


水面を叩く、派手な音と土色の飛沫。

目線だけを人馬へ送っていた人々は音に驚き、身体ごと視線を向けた。

好奇と不安の視線が泥だまりにそそがれるなか、

泥によごれた長衣をまとった青年はぎこちなく立ち上がり、馬を起こそうとする。


馬を起こそうとして足底を滑らせる青年に、近くを通った男が声を掛けるが、

青年はなにも答えず馬を起こそうとする。

しかし、馬は起き上がろうとしない。

長時間の走行で疲弊した馬には立ち上がる力がなかった。

見かねたのか声を掛けた男だけでなく、ほかにも何人かが馬の周囲にやってくる。


青年が必死に馬を起こそうとしているのを見て、

ひとりの男性が無言で青年の隣へと位置どり、肩を馬に当てて足底を泥だまりに沈ませた。

その男性の様子を見て、他にも何人かが馬の周囲に陣取り、肩を当て、手を当て馬を押す。


小雨がぱらついているにも関わらず、青年と街の人々は数十分間、馬を押す。

やがて馬自身にも力が戻り始め、自力で立ち上がろうとする力と、

横から青年たちが押す力によって真っ正面へと向き上がり、馬は立ち上がった。


   ●   ●   ●


詰所で書類を書き終えた老人は、背後に馬を連れて街の大通りを歩いていた。

小雨がぱらついているのを見て、室内では下ろしていた頭巾を頭に再びかぶる。


「さて、アルト君はもう、リラ君のところでしょうか」


ぽつりとつぶやいた先、歓声が聞こえた。


「?」


なにかあったのかと歩きつつ歓声があった方へと歩いていけば、そこには人だかり。

だれもかれもが泥に汚れた格好をしており、しかし笑顔であった。

笑顔の彼らへと頭を何度も下げているのは、長衣を泥でよごした青年であった。

すぐそばには身体の半分以上が泥まみれとなった馬。

老人の視線がそのまま下へ向けば、そこには大きな泥だまり。


苦笑するように笑ったあと、老人は足早に人だかりへと近づいていく。

その間に青年は周囲の人々へ礼を述べて、馬に乗りゆっくりと駆け出した。

笑顔の人々はそれぞれに声を掛けて青年を見送る。


「もうこけたりすんなよー奏者様ぁー」

「急ぎだからって急ぎすぎるのは毒だかんなー」

「あとでうちの風呂屋においでーなー」


青年は後ろ手に手を振って声に答えたあと、前を向いて駆けていく。


「あ~あ、よごれちまったなぁ」

「でも、いいじゃねえか、奏者様を助けれたんだしよ」

「だなっ! よっし、どうせだこのまんま呑みに行こうぜ!」

「そりゃいいな! あの坊主頭が怒鳴るだろうがな」

「そんときゃこう言ってやりゃいいのさ!『名誉の汚れだ!』ってな」


泥に汚れた格好の男たちは快活な笑い声を通りに響かせる。

その笑い声にうんうんと頷きながら老人は男たちへと近づき、口を開く。


「良かったら、僕におごらせてもらえませんか?」


   ●   ●   ●


倒れた場所から幾分か離れたあたりで、青年の背後からは歓声が聞こえた。

振り返ってみれば泥に汚れた男たちと一緒に、老人と馬が歩いていくのが見える。

眉をひそめたまま青年は前へと向きなおり手綱を握った。


手綱を握る力は、弱い。

歩を進める馬の歩みにも力はなく、にぶく地面に蹄をめりこませる。

青年も馬にもすでに体力はない。


それでも青年は手綱を握る手に力を込め、前へと進むように馬に伝える。

馬も手綱に応えようとするものの、力無く鳴き声を漏らし、弱々しく歩んでいく。


時間だけが、過ぎていった。


気づいたように馬の背へと落ちていた視線を上げれば、見慣れた建物の並び。

既に日は没し、道ばたに焚かれた篝火に建物は照らされ、下から上へと伸びる灯り。

うっすらと泥に汚れた人馬は闇に浮き上がり、その歩みを止めた。


馬が手綱に促されて止まったのは、既に店先からは草木や花をしまったあとの花屋。

力無い動作で馬から地面へと降り立ち、青年はゆっくりとした手つきで花屋の軒下にある、

柱に馬の手綱を括り結んで馬の頭をなでる。

馬へちいさく幾つか言葉をつぶやき、青年は花屋の閉じられた硝子戸へと向かう。


閉じられた硝子戸。

透けた硝子は内側から厚手の布が上から下へ垂らされることで外からの視線を遮っていた。

それは閉店を意味する。

だが、僅かに布の間から漏れる灯り、それはなかに人がいる証拠。


手の甲を正面に、右手を顔の前に持っていったところで青年は、ためらうように動きを止める。

止まっていたのは数秒、次の瞬間には手の甲が硝子戸を数度、叩く。

反応は、なかった。


それでも青年は再び、硝子戸を数度叩いた。

自分の名前も添えて。

もう一度、叩く。


階段を降りるように板を踏む音が聞こえた。

降りきったところで止まった足音には、戸惑いに近い雰囲気があった。

青年は足音が聞こえた方へ、名を告げた。


硝子戸を締めていた鍵が、開く音。

そのまま硝子戸はゆっくりと左へと開かれていき、内側に垂れていた布を上へと押しやって、

軽く波がかった金髪の女性が顔を出した。


   ●   ●   ●


「で、なーんでまた大神官様がいんだ?」


黒塗りのカウンター内で坊主頭は目の前で杯を傾けている老人に問いかける。

背後ではところどころを泥に汚れた男たちが意気揚々に酒を酌み交わし、話に興じてもいた。

老人は一息に杯の中身を飲み干し、はぁっと息を吐いてカウンターの上へと杯を置く。


「ガイオのお酒を呑み来ました。だけでは不満ですか」


坊主頭はしゃがみ込んで中身の詰まった硝子瓶を取り出し、

栓を抜いて空となった杯へと注ぎ込んでいく。


「そんなことねえさ。でもよ、ただ珍しいっつうか、なんかあったんかなと」

「あった、と言えばありましたねえ」


そこで言葉を切り、空でなくなった杯を老人は手に取り匂いをかぐ。


「相変わらず香りだけで酔えそうですねえ」

「今出したのは二十年ものの奴さ。ま、結局美味いことに変わりねえがな」

「ははは……」

「で、さ。あっちで呑んだくれてる奴らが言ってたりもしたが、

 あの坊主も来てるってのはほんとなのかい?」

「ええ」


短く答え、老人は手に持った杯を傾ける。

常温の液体は口当たりよく流れ込み、ほどよい酸味と果実の味が喉を過ぎる。

口に含んだ全てを飲み込むのではなく、いくらかを残して舌で長く味わう。

瞼を閉じて老人はひとり、味の余韻に浸る。


「うん、美味しいです」

「ありがとさん、そんで……まあそうだわな、坊主はリラちゃんのとこか」

「知っていましたか?」

「そりゃあ、な」


聞こえた注文の声に返答をしつつ別の酒瓶をとりだし言葉をつなげる。


「いちおうエラールのやつも店は閉めないでいるが、

 それでもやっぱ思うようにはならねえよな」


声を小さくする。


「リラちゃん……もうよお、九日ぐらい寝込んだままなんだ」

「……」

「で、よ。街の医者なんかを呼んで診てもらったりもしたらしいが……」


坊主頭は言いにくそうに言葉を濁す。


「熱を下げたりする薬も、身体のだるさをなくす薬も効かねえ……

 もしかしたら不治の病にかかっちまったかもしれねんだとよ」


   ●   ●   ●


青年は、金髪の女性から苦しそうな声で言われた事実に、

眼を見開き口元を震わせたまま棒立ちとなっていた。

一階の室内を照らす灯りは、時折近くを飛び回る虫によって陰りを生む。


閉じられた硝子戸近くに立つ青年と、階段近くの椅子に座る金髪の女性。

小降りの雨は、僅かな間をあけつつ木材に当たっては室内に音をこだまさせる。

青年にはそんな音すら聞こえる余裕もなくなっていた。


開いていた両手、青年は震えたまま握り込み、階段を登ろうとする。

が、強い声で呼び止められた。

睨むように見た青年へ、女性は椅子から立ち上がり近づく。


女性は口を開くとともに指をさす、青年の泥によごれた長衣と顔を。

呆れた顔になって女性は、傍の棚から布を取り出して青年に突き出す。

女性に言われて顔に触れ自らの身体を見る青年。


汚れた長衣を女性に渡し、布で顔を拭った青年は改めて階段を上がって行った。

一息つき、呆れた声を出した女性は、しかしどこか安心した様子。

渡された長衣から泥をはたき落とし、室内で鉢植から立派に育つ樹木に引っ掛ける。

二階から戸が開いて、そして閉じる音が聞こえたあと、

金髪の女性はひとりごとのように何かをつぶやき、布を編みかごへと放り込んだ。


踵を返して女性は硝子戸を開いて、閉じ、外から鍵を掛けた。

鍵を懐にいれ女性は軒下の柱につながれた馬を見て、労うように言葉を掛け頭を撫でる。

小雨が降っているのを見て、女性は馬を雨の当たらない軒下へと入れ、

そのまま酒場のある方角へと小雨を気にすることもなく歩き出した。


音が立たないよう静かに扉を開いた青年は、閉じるときも音がたたないよう静かに閉めた。

後ろ手に扉を閉めた手を身体の横へと戻し、青年は黙ったまま室内を見渡す。

室内は木机の上におかれたランタンの淡く揺らめく灯りに照らされていた。

灯りが生み出す影は濃く長く姿を伸ばし、

丁度灯りが当たらない位置に包帯を目元に巻いた少女は寝台に横たわっていた。

寝台からは眠っていることを示す規則正しい、しかし弱々しい呼吸音が聞こえる。


木材を打つ小雨の音、そんなことは気にも止めず青年は少女が横たわる寝台へと近づく。

寝台のそばには丸く切られた木材が台座となった椅子、

そこへ青年はゆっくりと腰を下ろして座り、背を曲げて膝に肘を乗せ両手を組み、少女を見る。


椅子の近くには水の入った壷があり、包帯の少女の額には湿らせた厚手の布があった。

青年は伸ばした手で少女の額にあった布を手に取り、壷内の水にひたらせたあと、

取り出して水気を僅かに残すようにして絞り、ふたたび少女の額へとのせる。


手を戻し、青年は横たわる少女を見つめる。

包帯を巻いた少女の顔は生気のない色をしていながら頬は淡く赤い。

少女を見つめながら青年は、ひとつ、またひとつ言葉を口からこぼしていく。


言葉は理不尽にたいする怒りがこめられていた。

なぜ、どうして、そういった類いの言葉がこぼれ続ける。

俯いて視線を床へ落とし、それでも言葉は止まらずにいた。


床に、雫が落ちる。


きつく組まれていた両手をほどき、青年は目元を拭う。

拭っても湿りが取れない目尻のままであったが、その腕は途中で拭うのをやめ、

青年が腰裏に身につけていた皮の鞄へと向かった。

厚く膨らんだ鞄を開き、中へと差し込まれた手の平にはいくつもの封筒。


それは神殿へと届いた、青年へと宛てられた少女の手紙。


いくつかの手紙を両手に持ち、青年は俯き加減になりながら、

言葉を、横たわる少女へと手紙を送ってくれたことの喜び、

読んだ手紙について青年自身がどんなことを思ったかを、ぽつりぽつりとつぶやいていく。


青年の独白にも近いつぶやきが続く。

ただただ思いを込めて言葉をつぶやく青年。

手紙を握っていた両手に触れる、かるい感触。


涙の筋を残した顔の青年は、はっとなって目線を両手に向ける。


横たわっていた少女の手がのせられていた。

少女の名を呼べば、横たわりながら青年の方へと包帯の巻かれた顔を向けた少女。

息苦しそうに少女は青年の名を呼び返した。


   ●   ●   ●


薄暗い灯りだけとなった店内。

従業員をのぞけば、客はカウンターに座る老人と金髪の女性だけ。

だが、カウンター内に立つのはひとりの坊主頭。

ほかの従業員の姿はなく、店内には三人のみ。


「なんでアル坊がひとりで来たのかと不思議に思ってたら、大神官様が一緒だったのかい」


灯りに鈍く反射する赤金の杯を傾けながら女性は言う。


「ええ。たまには僕も旅に同行しようかと思いましてね」


応えた老人はすでに顔を赤らめ、ふらふらと左右に揺れている。

老人の正面、黒塗りの台の向こう坊主頭は自分で杯に酒を注いでいた。


「とは言ってもよぉ、わざわざ大神官様が来なくてもあいつらがいるじゃねえか」

「……旅の疲れが二人にでましてね」

「ふーん、行って帰ってくるだけの旅で、疲れ、ねえ……」


酒をそそいだ杯を坊主頭は持ち上げ、中身を嚥下。

女性はそれを見ながらも、ゆっくりと杯を傾け、飲んでいく。


「そのわりには詩人が歌いにくるような出来事があったじゃないかさ」

「砂蛸をぶったおしたって話だったな、ありゃ本当なのかよ」

「はっはっは。わざわざ嘘をつく必要がありますか?」


そりゃそうだ、と言って坊主頭は意地悪く笑う。


「でもさ、大神官様。アル坊がうちに来たとき……酷い顔になってて驚いたよ」

「……色々とありましたからね……」


椅子から倒れないよう、天井を向いて老人はぼそりと言う。


「まぁ、あの付近にはたちの悪い連中もいるって話だぁ。

 もしかして脅されたりしてびびっちまったのかもなぁ!」

「……」

「え、な、なんでそこで黙るんだよ大神官様ぁ!」

「いえいえ、なんでも、なんでもないです」


ふらふらしながら笑みを返す老人に、坊主頭は黙り込む。

横目で見ながら杯を傾ける女性は、思う。


(あれだけ必死な顔で、泥まみれなのも構わずうちに来る、

 それこそなんにもなかったってのがおかしいさ)


空になった杯を台の上に置く。


「フラン、新しいの」

「あいよぉ。それよかエラ、リラちゃんはどうなんだ?」

「どうって、相変わらずさ」

「そか……」


栓を抜かれた新しい酒瓶から酒がそそがれる。


「お医者様には不治の病、なんて言われちまったけどさ。

 そんなもんあたしは無いって信じてんだ」

「でもよぉ……薬、ろくに効かねえんだろ?」

「違うよ、効かないんじゃない。効きにくいんだよ、あの子は」


新しく酒がそそがれた杯を握り、女性は言う。


「小さいころから熱を出しては、あたしが解熱薬を作ったりしたけどさ」


杯を握っていない腕で肘をつく。


「地の精霊がなにかわからないけど、薬を意味なくしちまうんだ」

「は? なんだそりゃ」

「あたしにもよくわからない」


横から寝息。

ちらりと女性が眼をやれば、椅子から落ちないよう器用に重心を保って眠る老人。


「最初は、さ。地の術者はこうなのか、って思ったさ。

 けどどうも違うようで、どうやらあの子の体質らしいのさ」

「体質って言ってもよお、リラちゃん、そんな変わったところあったか?」

「あるさ……あの子の眼、それがあるじゃないか」

「! 見えないけど見える眼、か……」

「あんまり言いたくないけどさ、あの子精霊が見えるって言うのさ」

「おいおい初耳だぞそれ!」

「いま言ったんだから当たり前じゃないか」

「ぬぐっ……で、それが体質とどう関係するってんだ?」


傾けていた杯を女性は、台の上へと静かに置く。


「さあね」

「さあね……って言われてもよぉ」

「さっきも言ったろ? わからないって」

「う〜ん……」


それっきり黙って杯を傾ける坊主頭。

同様に杯を傾け、女性は喉に酒を流しこむ。


「……もしかしたら、あの子の両親も、同じ体質だったのかもね」

「かもなぁ……」


降り続く小雨は、変わらず雨音を室内へと響かせ続けていた。


   ●   ●   ●


小雨が静かな室内に響くなか、息苦しそうに言葉をつむぐ横たわる少女。


寝台横の椅子に座り、少女の手を両手でにぎり答えるように言葉を返していく。


ときおり、少女は苦しそうでありながらも精一杯笑おうとする。


青年は顔を左右に振って、ぎこちない笑みを浮かべた。


ありがとう、と青年の口が動く。


少女もまた、同じ動きで唇を動かす。


青年が旅の話をしていけば、少女は苦しそうにしつつも相槌を返していく青年。


こわかった、と青年が身体を震わせる。


組まれた両手をなでるように少女の手が動く。


少女が育てていた種の話をすれば、青年は頷いて聞く。


ごめんなさい、と少女は震えながら声を出す。


静かに顔を振って、ランタンの置かれた机に振り向く。


そこには芽がでかけたところで萎れてしまった夜露草の鉢植。


鉢植を見て、青年は言う。


君が一生懸命、育ててくれようとしていたことは手紙が伝えてくれている。


そして、そのために君は、倒れてしまったのだと。


少女は、目元に巻かれた包帯の隙間から涙をこぼし、言う。


こんな私のことを思ってくれる貴方にただ応えたかった。


それなのに、私は、貴方からもらった種を枯らしてしまった。


泣き声が、室内に広がっていく。


泣かないで、と青年は言う。


そう言いながら、青年も涙を床にこぼす。


ごめんなさい。


少女は泣きながら謝る。


雨音だけが室内を満たす。


いつしか、少女は眠りに落ちる。


青年は寝台の傍らで少女を見守り、少女の手を優しく両手で包む。


しばらくの時間が過ぎる。


青年は疲れからか知らず知らずのうちに、寝台へともたれかかるようにして眠っていた。


小雨は止み、雲間からは闇夜に浮かんだ満月があらわれる。


淡い、淡い満月の光は、寝息を立てる二人がいる室内へ、窓から差し込む。


光に反応するかのように、青年の右腕に身につけてある四花のお守りが輝きだす。


輝きは翠色となり、青年の身体を包み込みだす。


翠の輝きは青年の身体だけにとどまらず、つながった手から少女の身体にも流れていく。


青年と少女、二人の全身を翠の輝きが包んでいくなか、青年の左手首からは別の輝きが生まれる。


白い輝き。


白い輝きは翠の流れに沿うようにして少女の身体へと流れ、翠の輝きと同じように少女を包む。


白と翠は明滅を繰り返し、次第に少女の顔に生気がやどりだし、頬も赤みを薄くしていった。


青年と少女、両方の身体が癒されていくにしたがい、


翠の輝きは二人の身体に沈み込むようにしてその光を失っていく。


白い輝きだけが少女を包む。


輝きはやがてひとつの場所へと集まっていった。


それは少女が寝込んでいる間も外すことのなかった四つの花を象った髪飾り。


円を描くようにして白き輝きは集っていき、髪飾りへと吸い込まれる。


二人を包んでいた輝きが消え失せたころ、少女は不意に眠りから覚める。


呼吸に苦しさを憶えないことに違和感を覚え、上半身を起こす。


起き上がった拍子に目元の包帯が少女の顔からほどけ落ちる。


青年は、少女の気配に瞼を開く。


はっきりしない意識のまま青年は少女の名を呼び、顔を持ち上げる。


目の前には、黄金の円を浮かべた、黒い眼があった。


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