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大地の歌を奏でる者たち  作者: 日高明人
第三楽章 火の旅
20/37

第二十話 炎が映すもの

視界が真っ赤だ、青年が得たのはその思考のみ。

一瞬、空中へと浮かんだ感覚を得たのち、青年の意識に訪れたのは堅い地面へと叩き付けられる痛み。

同時に全身へ襲いかかる焼け付く痛みと熱さ。


「ーーッ!」


口を大きく開き、声にならない叫びを発して青年は痛みに耐えようとするが気を失う。

気を失った青年を見て、包帯を巻いた少女の姿をした存在は両手を青年へと向ける。

青年の全身をおおっていた炎が消え失せる。


『……ここまでか』


少女の姿をした存在はひとり意識に言葉を浮かべる。


(奏者の力を得ている者とはいえ 生身

 天を光が五つを過ぎる間 耐え過ごしただけでも さすがだ)


姿が若い男へと転じる。

ため息をつくような動きを見せたあと、若い男は青年へと歩みよろうとした。

近づこうと一歩踏み出した折り、青年の右腕にある腕飾りから緑の輝きが漏れ出す。


『! ……ジョコの仕業か 毎度毎度余計なことを』


緑の輝きはゆっくりと青年の全身を包んでいく。

輝きが触れた場所から青年の焼けた肌は治り、得ていた傷も治っていった。

若い男は立ち止まり、じっと青年の様子を見る。

焼けこげた服装こそは戻らないが、輝きによって青年は全身を回復していき、

意識がもどってきたのかうめき声が口から漏れる。

緑の輝きは消えかけていた。


頭を左右に振りながら青年は上半身を起こし、

自身の身体を見て触っては不思議な顔を浮かべている。

ふと気づいたような仕草で、怪訝な視線を若い男へと向けた。

若い男は視線を否定するように顔を左右に振り、

右手の人差し指を青年の腕飾りへと向ける。

向けられた方向を見た青年は、うっすらと緑の輝きをはなつ腕飾りに気づく。


「! そうか、地の大精霊の……」

『そうだ ゆえにこれ以上は やめだ』


意識に響いた言葉にはっとなって顔を上げる青年。


「な、なら試練は? 失敗……なのか?」


再び顔を左右にふる若い男。


『さきほどまでのは 余の遊びだ』

「はっ?」

『聞こえなかったか 余の遊びだと』

「……意味がよくわからない、のですが」


立ち上がり、困惑した表情を浮かべる青年に対して、

もういちどため息をつくような仕草をして若い男は言葉を発する。


『闘いこそ 余の楽しみ なのだよ』

「……え、じゃあ、その試練は……?」

『そんなものは ない』


言葉を聞いた瞬間、青年は肩を落とす。

同時に握っていた剣を地面に落とし、乾いた金属音が洞窟内にひびく。

音として響かないものの、洞窟内は細かな振動を繰り返す。


『だが ここへ連れ込んだ者へ 余はあるものを見せる』

「? あるもの?」


青年は地面へと向けていた視線を、ゆっくりと起こす。

地面へと落ちた剣と、手に持っていた剣を消した若い男は、両腕を組んで頷く。

ふと青年は気づく、目の前に立っている若い男の輪郭がぼやけていることを。

そのことに気づき後ずさりする青年。


『なに もう傷つくようなことはせぬ 身体はな』


その言葉に青年が身構えた瞬間、

若い男であった存在は炎となって青年の周囲に拡散した。


   ●   ●   ●


炎が轟音をたてて洞窟内に広がり、青年の周囲を一面照らし出していく。

両腕で顔面をおおう青年は音が止むまで姿勢を崩さない。

閉じた瞼の下からでもはっきりと解る明るさ、

青年はいったいなにが起こるのかと不安の混ざった意識でいた。

やがて音がおさまり、光もまぶしくない程度となったところで、

青年は両腕を下ろし、瞼を開いた。


「!?」


周囲が朱の光で満たされていた洞窟内ではなくなっていた。


金属の標識が立つ、アスファルトで固められた道路。

排気音をたてて走っていく何台もの車。

自転車に乗る人や、歩道を歩く人々の姿。


なにがどうなったのかが理解できず、青年は周囲を見回す。

見回すついでに自身を見れば、服装は召喚される前に着ていた服装。


「なんだこれ!? そんな戻ってこれたのか?」


いやそんなわけがない、と自分の言葉を胸のなかで否定する青年。

否定の気持ちを抱いたまま左を見て青年は固まる。

そこには、自分の家があった。


驚いた顔となった青年は、ゆっくりとした一歩を踏む。

踏む、踏む、踏んでいく脚が、はやくなっていく。

かつて何度も行き来して、何度も開いた扉が近づく。

胸の鼓動だけが異常なほどに早くなる。

青年の脳裏は否定を抱きつつ、期待が膨れ上がっていく。


玄関の扉を開き、靴も揃えず脱ぎ捨てる。

足音など気にもせず、居間へと通じる扉を開く。

泣きそうで、しかし怒ってもいるような表情を青年はしていた。

閉じられた扉のドアノブを掴み、立ち止まる青年。


掴んだ腕は、力がこもっている。

手の甲には血管が浮き上がる。


ドアの先からは鼻歌を歌う声が聞こえてくる。

TVのアナウンサーがニュースを読み上げる声もだ。

わずかながら煙草の匂いも漂ってきた。


どれもが懐かしい、どれもが愛おしい、どれもが苦しい。


青年はこれが幻覚だと理解していた、しかし幻覚であっても否定できない自分もいた。


表情をぐちゃぐちゃにしながら、青年は俯いて扉を開く。

扉はゆっくりと居間の内側へと開いた。


そこには居間と一体化した台所で調理する母親と、

テーブルの椅子に座ってTVと新聞を見ながら煙草を吸う父親、

の姿が一瞬だけ青年の視界に映って、消えた。

TVだけが存在を主張するように音声を垂れ流している。


誰もいない居間に立ち、青年は、壁を殴りつける。

殴りつけたと同時に周囲が歪み、変化していく。

にじんだ視界で周囲をにらみつける青年。


歪んでいた風景が動きを止めたとき、青年の眼は大きく開かれた。

そこはパストラの街、大通りであった。

目元を腕で拭えば、肌に触れる感触に着慣れた服装の生地があった。


まさか、と思い見覚えのある大通りを見ていけば、一軒の花屋。

店先では包帯を巻いた少女が鉢植えを運んでいた。

思わず走り出す。

そして、意識せずに少女の名前を叫んでいた。


叫びが聞こえたのか、少女が何かに気づいたように後ろへ振り返り、笑顔を見せる。

青年も笑顔となって応じた瞬間、青年の足が止まる。

笑顔を向けてくる少女は包帯をしていなかった。

少女の眼があるべき場所はくぼんだ暗い穴が空いていた。

目の前の事態が理解できず、青年は表情を固めたまま。


少女は笑顔のまま炎に転じて消え去る。

数瞬して、青年は激怒の声をあげて、近くの建物へと蹴りを入れた。

周囲が転じる。


足下が再びアスファルトの感触を得る。

怒りがおさまらない顔のまま、周囲を見る青年。

場所は側溝が走る道路、を越えた先には校舎と白線の引かれた校庭。

警戒を高める青年は、校庭と道路を分ける門を抜けて校庭へと足を踏み入れる。


土が敷かれた地面には白線で二辺が半円となった長方形が描かれており、

白線に従って何人もの半袖短パンの人物が走っている。

人物を見て青年は、ぽつりぽつりと誰かの名前をつぶやいていく。

だが、つぶやいていくたびに、走っている人物が減っていき、

青年が名前をつぶやきおえれば、校庭に人はいなくなっていた。


誰もいない校庭を歩き、青年は陸上部と書かれた札の貼られた部屋の扉を開ける。

胸にあふれている寂しさを抑え付けているためか、顔は歪になっていた。

開いたなかからは、光が迸る。


まぶしさを瞼を閉じてやりすごしてみれば、視界に映るのは大地の間。

召喚されたときと同じ場所、同じ景色を得ていることに気づく青年。

後ろを勢いよく振り向けば、黒い扉。

胸と脳裏にをかきまわす感情を落ち着かせるため、

青年は黒い扉に手をあてて眼を閉じる。


「……これは全部、幻覚。それはわかった。じゃあなぜこれを見せるんだ?」


言われた言葉を思い出す。


ーー余はあるものを見せる。


と。


「なにか、わからないけど、なにか意味があるのか」


誰に問うでもなく、問いを投げかける。


誰もいない自宅。

暗い穴が空いた少女の眼。

人が消えていく校庭。


そこまでを思い返して瞼を開いた。

瞬間、青年は驚いた顔となって一歩引く。

神殿は廃墟のように崩れ去り、天から見える空は灰色となって淀んでいる。

青年の周囲には飛び交うように骸姿の幽霊が右往左往していた。


「なんなんだ、なんなんだよこれは!」


黒い扉を、青年は開いた。


   ●   ●   ●


青年は、堅い地面に片膝をついている自分に気づく。

俯いていた視線に見えるのは焼けこげた旅装束。

油断なく顔をあげれば、炎の狐が目の前にいた。


「……いまのが、あるもの?」


青年の疑問を含んだ問いかけに、狐はゆっくりと頷く。

立ち上がり、焼けこげた服装の上着を脱ぎ捨ててさらに言葉を青年は投げる。


「あの風景になんの意味があるんだ?」


狐は答えず、じっと青年の顔を見ている。

何も言わない狐を眉をつめて睨む青年。

炎の狐の輪郭がゆらりと歪む。


『考え 動き 求めよ』

「えっ……」


狐は天を向いて甲高い鳴き声を長くあげる。

青年と狐の空中に、火が集っていき、ひとつの炎と成す。

警戒する青年に向かって、


『左腕を 掲げよ』


言葉が届けられた。

疑問顔のまま、青年は精霊の腕輪がはまった左腕を静かに燃える炎へ向けた。

空中に浮いた炎がゆっくりと左腕に近づき、腕輪を包む。


「暖かい……どうみても炎なのに火傷もしてない」


炎に包まれた左腕を不思議な顔で見つめる。

腕輪にはめこまれた赤い石は強い輝きをはなって、炎を吸い込んでいった。

輝きがおさまるころには炎も消え、あとには静かな輝きを返す腕輪があった。

不思議そうに右手で左腕を触る青年。


『賛美歌は 伝えた あとは 祭りを楽しむがよい』


へっ? と声を返した青年の視界を炎が包んだ。


   ●   ●   ●


火山近くにある鉱脈付近には、

鉱石を掘り出す人々や鉱石によって商いをする人々によって、

ひとつの街が形成されていた。


センブリの里より、馬で一時間もしない距離にある街には、

最初に鉱脈を発見した者の名をとって、プレッシと呼ばれていた。

プレッシでは近くにある火山の影響か、温泉が吹き出すことが多く、

幾種類もの温泉が街にはあった。


幾つもあるうちの温泉宿を経営するひとりの壮年男性は見た。


「……あんれぇ、火山から鳥が飛んでくるけど、あんれぇ……」


壮年男性の視界には、大人五人が両手を広げてつながった以上に大きな炎の鳥が見えていた。

眼をまんまるに大きく開いているうちに、炎の鳥はどんどん壮年男性のいる宿へと迫ってくる。

宿付近にいた人々も気づきだしたのか騒ぎ出す声が聞こえる。


「おいおいおいおいおい、ああああれ、あれもしかして大精霊じゃないの!?」

「そそそうかもしんないけどどどどど、どうしたらどうしたら!」

「わぁー綺麗だねー」


宿の上空へと近づいてくる炎の鳥にどうすることもできないまま、壮年男性は突っ立っていた。

壮年男性の脳裏にはこれまでの出来事が走馬灯のごとく過ぎていき、顔色は青くなっていた。

そして宿間近となったときに壮年男性が瞼を閉じれば、響き渡る盛大な水没音。

恐る恐る瞼を開いた壮年男性は、音の聞こえた方角に不安げな顔で向かう。


「おいおいおいおいいいいい誰かが落ちたぞぉ!?」

「かなりの勢いで落とされたけど大丈夫なのか?」

「ねえねえ、落ちたところって……」


壮年男性は思う、どうやら宿裏にある温泉に誰かが鳥から落とされたと。

数日前に奏者が大精霊に連れて行かれたという噂を、そう言えばと男性は思い出す。


「やったっ! うちの温泉に奏者様が来たって言えば儲かるぞ!」


そこまでのことを考え、壮年男性は裏の温泉に向かう。

思わず走り出して二つある温泉入口の右へと進み、なかへと入る。


「奏者様、ようこそうちの温泉へっ!」


が、壮年男性へと返ってくるのは無言の視線。

あれっと思い、温泉を見渡すと湯に浸かっているのは宿に泊まっている男性のみ。


「……………………………………………………………………」


渋い顔になりながら、壮年男性は、男性湯と女性湯を隔てる木製の壁を見る。


「きゃーきゃー奏者さまぁよぉ奏者さまぁ!」

「いやぁーん若くってつるつるしてるぅ!」

「真っ赤になって逃げないでぇ〜」


視線を向けた先からは青年の恥ずかしいそうに叫ぶ声が混じっていた。


   ●   ●   ●


翌日の昼過ぎ。


奏者がプレッシの温泉に落ちた、との話を聞きつけて、

若草色髪の男と橙髪の少女は古びた温泉宿に駆けつけた。

しかし、辿りついた宿にて二人は青年に会えないでいた。


「アルト! エオリアだ、扉を開けてくれないか?」

「アルトぉーセリアだよぉー開けてくれないとあることないこと言っちゃうよぉー」

「それは流石にやめろ」


木製の扉を叩きながら呼びかける男は、隣で一緒になって呼びかける少女に言う。

近くに立つ壮年男性は二人を見ながら申し訳なさそうに口を開く。


「申し訳ないですだ騎士様、巫女様。昨夜からこういった感じでして」

「気にしないでくれご主人、迷惑をかけているのはこちらなのだから」


うんうん、と少女が頷く。

しかし、と言いかけて男は言葉を続ける。


「ご主人たちが見た大きな炎の鳥、おそらく火の大精霊コンフォード様だろうな」

「やっぱりそうですかねぇ……三年前のときはうちいなかったもんですから」


三年前、と聞いて顔が苦くなる男。

あっと思って少女は早い口調となって言う。


「ねね、アルトちゃんとご飯とかたべてました?」

「へっ? ええそりゃもう、けどもなんだか異様にお腹空かせてましたねえ」

「……それは当然だろう、五日間も食べていなかったからな」

「えええっ!? 五日間も食べてないって動けないでしょう!」


驚く壮年男性の横、若草色髪の男は言う。


「なぜだかは知らないが、火の大精霊に連れられた先では身体の感覚がおかしくなるんだ」


木製の扉に置いた手を離して男は言い続ける。


「連れていかれた洞窟内では天を照らす光も、夜を照らす光も見えず、

 どれだけの時間が経ったのかすらわからない」


男は扉から離した手を握って拳を作る。


「それと、もしかしたら身体を活性化させる火の精霊術によって、

 食べていなくても動きつづけられるよう大精霊に術をかけられていたのかもしれん」


拳を握りしめる男の様子に、黙って聞く事しか壮年男性はできなかった。

少女も心配そうに扉と男を交互に見ている。


「……なにがあったかはわからん、だがこのままでは駄目だ……ご主人」

「はっはい!?」

「あとで直す」


短く言い切った言葉とともに、放たれた拳は、見事木製の扉を粉砕した。


   ●   ●   ●


粉砕された木製の扉を見て、壮年男性は大口を開いて驚き固まっていた。

砕かれた扉の破片を踏みながら部屋へと入っていく男を追って、

少女は慌てた様子で壮年男性に謝りつつ部屋へと入る。


男と少女が部屋へ入れば、木造の部屋に備え付けられた窓は厚い布で閉じられ、

室内の天井中央にある硝子灯は冷たいままだった。

暗い室内のなか、木の机にある椅子に座った人影は動かないまま。

男は苦い顔となったまま、人影に向かって声を放つ。


「……アルト、なにがあったかは聞かん。だが、ひとりで閉じこもっていてはだめだ」

「……エオリア……説得力ないよーぜんぜんないよー」

「いまは静かにしていてくれ」


後ろに立つ少女に言ってから、男はさらに椅子に近づく。


「おそらく、きついこと、嫌なことがあったと思われる。

 だが、それで立ち止まっていては駄目なんだ」


自身に言い聞かすようにして言葉を紡ぐ男。


「おまえが奏者、だからというわけではない、アルト」


男は椅子の横に立つ。

少女はあーあと呆れている。


「聞いているのかっ!? アルト!」

「聞いてないとおもうよーエオリア。アルト、寝てるから」


若草色の男は、机の上で寝息をたてている青年を見て姿勢が止まる。

隣に立つ少女はにやにやとしている。


一拍の間。


強ばっていた肩から力を抜き、静かな口調で男が言葉を出す。


「あー……セリア、起きるまで待つがいいか?」

「それよりも扉、なおしてくるほうがさきだよー」


左腕を伸ばして指さされた方向を男が見れば、部屋の入口に壮年男性が悲しそうな表情で立っていた。

ばつが悪そうに頭をかいた男は部屋の外へと壮年男性とともに出て行った。


「もーうエオリアったらほんとばかなんだからー」


呆れた口調で言いつつも少女は笑顔。

笑顔のまま硝子灯に明かりを灯し、窓を覆う布を横へとよけて寝台へと歩みよる。

青年の姿は宿で用意されたものらしい、動きやすい袖がなく裾の短い服装。

机でうつぶせに寝ている青年の手の先、開かれた筆記帳と羽ペンがあった。


「? アルト、なに書いていたのかな?」


小さな好奇心とともに少女は、筆記帳をのぞく。


そこには見た事の無い造形をした部屋。

四角い建物が立ち、二辺が半円の長方形が描かれた風景らしき図。

そして両目が黒い少女の絵と、周辺を骸姿が飛び交う黒い扉。


それらを見て怪訝な顔となる少女。

一体これらはなんなのか、そう疑問が沸いたが書いた本人はまだ眠っている。


「起きたら聞いてみようかな」


   ●   ●   ●


日も暮れ始め、火山の向こうに太陽が沈みかける辺りになって、ようやく青年は眼を覚ました。

眼を覚まして急激に空腹感を覚えた青年は、食事をしようと部屋からでようとして気づく。


「あれ……扉、こんなんだったっけ?」


部屋の出入口には、周辺の木壁と合わない新しい雰囲気の扉があった。

疑問は晴れないまま部屋に鍵をかけ、酒場兼温泉への受付となっている一階へと降りていく。

階段を降りる途中で気づく、なにやら騒がしい様子だと。


「……なんだか知ってる声が聞こえるけど」


怪訝な顔で降りれば、そこには室内中央に丸い机を置いて向かい合う若草色髪の男と、

袖がない服装の筋骨隆々な禿頭の男性が片腕の掌を合わせあっていた。

二人を囲むようにして人々が椅子に座ったり、立ってなどしており、野次や罵声が飛んでいる。


「おらおらぁ負けんなよ! お前に賭けてんだからよぉ!」

「きゃああああ騎士さまぁああああ頑張ってええええ!」

「どっちも頑張れー! ついでに注文してお金落としていってねー!」


しかして声を出す人々は楽しげであり、そこに悪意などは感じられない。

青年は知った顔が中央にいることが理解できていない。

橙髪の少女が、掌を重ね合った男二人の前に立って声を高らかにあげる。


「はぁーい! では神殿騎士エオリアがさらに勝つか負けるか! 五度目の挑戦、始め!」


始め、の声とともに男と禿頭の男性が顔を強ばり、腕に血管を浮かび上がらせて力を込め合う。


「ふんぬぅうううううう」

「ぬううおおおおおおお」


二人の口から、低く静かに猛り声が出される。

青年が見ている限り、禿頭の男性は若草色髪の男よりも背丈があり、腕も太い。

とてもではないが、エオリアが勝てるようには見えなかった。


青年の思いを映すかのように、禿頭の男性は重ねた腕を細かく震わせながら自身の内側へ、

わずかずつではあるが腕を倒していく。

周囲が騒ぎ出す。

禿頭の男性の腕が丁度垂直の半分ほどまでに傾いたとき、勝利を予感したのか男性は口端をあげる。

若草色髪の男はそれでも諦めずに力を込め続けて、腕を返そうと抵抗する。


その状態で一分が経過した頃。


ふっと男が力を腕から抜く。

突然の脱力に禿頭の男性は力の抵抗を失って、姿勢が崩れる。

だが腕は一気に男性の内側へと倒され、

あわや机に男の手の甲が当たる直前に、反対側へと一気にひっくり返されて机に手が触れる。


一瞬の間が空いて、周囲の人々から歓声が巻き起こる。


「すげえええええ、よく勝てたな騎士様!」

「あんの馬鹿! あいつ最後油断しすぎだろうが!」

「きゃーさすが騎士様! みんな勝ち祝いでどんどん頼んじゃってー!」


ほうけた様子で周囲の人を見ている青年の視界のなか、

互いに健闘をたたえあいながら握手をする男と男性。

二人の近くに立って少女が再び声を高らかにあげた。


「これにて神殿騎士エオリアの挑戦、締めさせて頂きます! 

 みなさま! みなさまご高覧ありがとうございましたぁ!」


少女の言葉とともに大きな拍手が室内をうめつくした。


   ●   ●   ●


青年は酒場のカウンターとなっている一席に座り、野菜を口に運びながら言う。


「部屋の扉、なんで変わってるんだろうと思ったらエオリアが壊したのか」

「そーそーとめるひまもなく、こう、がつーんとやっちゃったんだー」

「面目ない」


青年の右隣へ並び座る少女と男。

野菜を飲み込みながら、杯を手にとり中身を飲む青年。

少女は紙皿におかれた小さな揚げ物を口にし、

男は泡立つ液体が入った杯を手に飲んでいた。


「んで、その修理代を稼ぐために、あんなことやってたんだ」

「……旅の資金を、自分のためには使えないからな」

「まーエオリアも悪気があってやったわけじゃないけどねー」

「ははっ。でもさ、ごめんよ心配かけて」


男と少女はそれぞれ気にしなくていい、の意で顔を振る。


「大精霊に連れていかれたことはアルトのせいではない。

 むしろああなって当然だったかもしれない」

「? ああなって当然って?」

「火の大精霊コンフォード様は、悩みや迷いを持つ者を火山へと連れていくことがあるのだ」


その言葉を聞いて、青年は食事をする手を止める。


「……悩みや迷いを持つ者」

「ああ」


短く答えて、男は杯に口を付ける。

少女は黙って揚げ物を次々と口に放り込んでいく。


「そっか。じゃあ俺が連れて行かれるわけだ」


青年は自分を薄く笑みを浮かべて、視線を俯かせる。

少女はその様子を見て口を開く。


「んーでもいにしにゃいでひひとおもふよー」

「セリア、食ってから喋れ」

「うっん。うっさーい、だってアルトは奏者だからどのみち大精霊様と会ってたわけだし。

 あ、おねぇーえさーん! 砂蛸の唐揚げもう一皿ちょうだーい」

「お前それさっきも食べたばっかだろうがっ」


いつものやりとりを見て、青年は気分が楽になる。

野菜とともに置かれている葡萄を手にとり、一粒口のなかへと放り込む。

甘いだろうと思っていると、強い酸味を感じて思わず瞼が閉じる。

だが口内に広がるのは爽やかな酸味と僅かに感じられる甘み。


「はっはっは。葡萄の味、その顔だと意外だったみたいじゃの」


背後から甲高い声を掛けられ、口内に酸味を残したまま振り向けば岩石人が二人。

男と少女も背後を振り返り、声を出す。


「里長、わざわざ来られたのですか」

「あ、コモドくんもいっしょなんだー」


煙管を口元にくわえたまま穏和な笑みを浮かべた岩石人は、

頭ひとつ小さい岩石人とともに答えた。


「なぁに、奏者様にはこっちから挨拶すべきじゃろうと思ってな。ほれコモド挨拶せんかい」

「う、ううううっせええな! 言われ、言われんくても挨拶するわぁ!

 こ、こんちは初めまして奏者様! おれカランドが父、コモドとも、申しまする!」

「馬鹿息子よーそこでなぜ語尾にるがつくんじゃー?」

「黙っててくれよそこは!」

「ほんにしっかりできん息子じゃて。奏者様、儂はカランド・アニマート。

 馬鹿息子コモドの父親であり、センブリの里にて長を務めておりますじゃ」

「あ、は、初めまして、奏者のアルヒト・ヤマハと良います」


いきなりの挨拶に戸惑いながら青年は椅子をおりて立ち、名を述べて頭を下げる。


「良ければ隣、座ってもいいですかの?」

「あ、はい。どうぞ」


青年の返答へ頷いて親子の岩石人は、青年の左へとそれぞれ座る。

カウンター内を切り盛りしている中年女性に向かって、

炎の模様を肩に持つ岩石人は葡萄酒を注文する。


「おっと、ついいつものくせで頼んでしまったわい。奏者様は酒が呑めますかい?」

「あー……少しぐらいは」


苦笑とともに青年は言葉を返す。


「それはいかんのぅ。男でしたらこう、がっつり呑めないと」

「親父ー奏者様相手に説教はやめてくれよ」

「餓鬼はだまっとれ。まだろくに酒も呑めんくせに」

「家にある酒は儂のもんって言って一滴も呑ませないくせに!」

「あは、あははは」


どうしたもんかと苦笑いを浮かべるだけの青年。

そうしているうちに岩石人の親子は口喧嘩を始めてしまい、

青年のことなど気にしない様子になってしまう。


どうしたらいいんだろうと思いつつ、間近で岩石人を見ることが初めてであることに気づく。

物珍しげな視線となっていたのが分かったのか、

右となりに座る少女がカウンター内の厨房を覗き込みながらつぶやく。


「アルトー岩石人ってのはねーもともと地面なんかに転がっている土の塊がはじまりだったの」


ふんふんと頷く青年。

翼の模様を後頭部に彫った岩石人は、カウンターを強く叩き付ける。


「その土の塊が火の大精霊から祝福を受け、動ける身体を得たことから彼らが誕生したの」


言葉を続けながら少女は、隣の男に運ばれて来た薄切りされた果物を盗み取る。

炎模様を持つ岩石人は張り手を、翼模様の岩石人にかます。


「ボクらと同じ様に男女の区別とか親子って考え方はあるけど、夫婦で子が得られるわけじゃないの」


えっ? と驚き顔で振り向いた後ろ、

翼模様の岩石人は、炎模様の岩石人に外に出ろと言う。


「不思議なのだけど、彼らは有る程度生きると、自身の身体から欠片が落ちて、

 その欠片が新しい岩石人として育つんだって」


そこまでの説明を聞いて、そういえばそうだったな、と神殿の図書館で驚いたことを青年は思い出す。

炎模様の岩石人は掌を重ねて間接を鳴らしながら、椅子を立ち上がる。


「不思議だよねーでもそんなこと気にせずボクたちは彼らと一緒に生きているの」


そうなんだ、と青年は言葉を返し、互いに罵倒し合いながら外へと出て行く岩石人の親子を見る。

薄切りされた果物を取り返した男は続けて言葉を放つ。


「あとは気性が荒く、喧嘩っ早い性格の岩石人が多いということだな」

「うん……それは今目の前を見てわかったよ」


広く設けられた酒場の出入口近く、

向き合った岩石人の親子は周囲に人族と岩石人が混じった野次馬を集めて、殴り合いを始めていた。

鉱石がぶつかり合うかのように甲高い音を出し合う二人。

合間合間には甲高い声での罵声が飛び交い、周囲はさらに熱気をあげていく。

青年と一緒に視線を向ける少女と男。


「もうひとつ言うと岩石人は生まれてから、ひとつの模様を肌に彫る習慣があってな」

「ここの辺りに住んでいるひとたちも、それを真似して入れ墨を彫るひとがいっぱいなんだー」


だからなんだ、と思い殴り合う親子周辺に集う人々を注意深く青年が見ると、

半袖や袖無しの服装となっている人族や岩石人の身体各所に多種多様な模様が彫られていた。

ある者は顔に雲、有る者は腕に角、有る者は首元に草と。


「入れ墨……かぁ」


そうつぶやいた先、

炎模様の岩石人が足下から天に向かって伸ばした拳を、

翼模様の岩石人の顎へと見事に決めていた。


   ●   ●   ●


「いやいや、すまんの奏者様。ほれお前も謝らんかい」

「……ごめんなさい」


顎をいたそうにさすりながらコモドは青年へと詫びる。


「いえ、そんな気にしないでください。……それより大丈夫?」

「平気だよっ! いつもやってることだし!」

「そ、そっか。……いつもやってんだ」


僅かばかり腰を引きつつも青年は言う。


「それよりも奏者様、儂らの住む火の土地へようこそ。

 本当ならもっと早く歓迎の挨拶を言っていたところだったのじゃが」

「いや、俺が悪いんです。大精霊に連れて行かれてしまった俺が」

「……失礼ながら奏者様、連れて行かれる心当たりがあったんですかい?」


カランドの言葉を聞いて、青年の右隣に座っていた男と少女は立ち上がる。

突然立ち上がった二人に驚く青年。


「え、二人とも、どうしたの?」

「アルト、すまないが少し外に出てくる」

「コモドくーん、ボクらといっしょにちょっと外であそばなーい?」

「ほれ、お二人が誘ってくれてるからさっさと行け」

「なんだよ急に、まっいいや!」


一瞬怪訝な顔をした翼模様の岩石人は、少女と男に着いて外へと出て行った。


「わざとらしくすまんの、たぶん聞かれたくない話だと思っての」

「あ、そうかそういうことだったのか。俺全然気づかなかったです」

「あとでお二人にお礼でも言っときなされ」


カランドは言葉とともに杯にそそがれた葡萄酒を一気に飲み干す。


「ぷはぁ! 相変わらず美味いのここの葡萄酒は! っとそれよりも奏者様」

「はい」

「なにか大精霊様のところでなにかあったですかの」


そう聞かれ、青年は火の大精霊に連れていかれたときのことを思い出す。

剣での闘いを挑まれ、しかし炎で焼かれ、終いには風景や人物を見せられたことを。

黙っている青年の横、炎模様の岩石人は再度葡萄酒をつがれた杯を傾けつつ口を開く。


「奏者様……恥ずかしながら儂も昔、大精霊様に連れていかれたことがありましてな」


えっと言って青年が岩石人の顔を見る。

青年の顔から見えるように右肩の炎模様を見せた。


「炎模様が……焼けただれている?」

「そうですじゃ、かつて連れて行かれた際に火を浴びせられましての」

「! 俺と同じだ!」

「ああ、やはり奏者様も遊ばれましたかい」

「ええ……てっきり試練とかだと思っていたんですけどね」

「はっはっは、連れて行かれていきなりかかってこいですからの」


言葉とともに右肩を元へもどし、岩石人は杯を傾ける。


「でしたら、なにかを見せられた、わけですな」

「……はい」


既に食べ終わったのか皿は下げられており、

青年の手元には新しい飲み物が入った杯があった。

両手で杯を持ちながら、青年は視界を杯の水面に向ける。


「カランドさんは、なにを見せられたんですか?」

「なんと言ったらいいんじゃろうな、あれは」


悩むような口調で言葉を濁す岩石人。


「大精霊様からはーー」

「考え、動き、求めよ。それだけ言ってました」

「やっぱし同じかのう……」


小さくため息をつくように岩石人は息を吐き出す。


「儂が連れて行かれたのはかれこれ、十を数える年も前ですじゃ。

 連れて行かれた当時はなにを意味してるかさっぱりでしての」

「いまなら、分かったりしたんですか?」

「いんや、まるでですじゃ」


片手をひらひらを泳がせて青年に答える。


「といっても全くというほどでなくて。

 少しは、多少、ほんのちょびーっとぐらいですかの。

 もしやこういうことなんか、って思うほどですじゃ」

「そう、ですか……」

「ただ、そのときのことがあって儂は里長になろうと思っての」

「どうしてですか?」


聞き返した青年の先、岩石人は杯を置いて言う。


「逃げていたらあかん、なと思いましての」

「……」

「当時は、まあコモドと変わらんような糞餓鬼でしてな」


少し照れくさそうに岩石人は言葉を続けた。


「なんでもかんでもやったりしてるわりに、あとになってあれで良かったんかとか、

 まあ馬鹿だったけど馬鹿なりに悩んでましての」


青年は黙って言葉に頷く。

いつのまにか酒場には人気が少なくなっていた。


「挙げ句、悩んだり考えたりするのが嫌になって、

 やりたいことしかやりとうない! って周囲に言ったりしててのう」


段々と岩石人の声色が低くなっていく。


「ありゃ、単に人から頼られて、期待を裏切らないか怖かっただけなんだと。

 今の嫁に散々怒鳴られても、頑として聞かんと頑固でしたわ」


杯を持ち上げ、葡萄酒を口のなかへと流し込み、言葉を放つ。


「そんなとき、大精霊様に連れて行かれ、見せられたのが泣いている嫁と……」


続きを聞こうと真剣な顔をしている青年。


「当時いるわけのないコモドの姿でしてな」

「えっ……どういうことですか?」

「いやいや、儂に聞かれても分からんて。

 ただな、その絵を見せられて、なぜか逃げたらあかんと思って」

「変な、話ですね……」

「まったくですじゃ……」


二人は同時に杯を傾け、喉を潤す。


「……不思議なことに、コモドの奴が生まれてからそういうことがあるんじゃないかと、

 そう思っていろいろ嫁と子に気を遣ってましての。

 けど結局そんなことはないまま今になって」


残りを飲み干すように一気に杯を傾ける岩石人。


「もしかしたら、あれは儂に人を泣かせないよう、

 逃げずに向き合えってことだったんじゃあないかと思ってましての」

「そう、なんですか」

「奏者様は……どうなんですかい?」

「えっ?」

「大精霊様になにかを見せられて、なにを思いましたかのう」

「……」


青年は口を閉じ、杯の水面に映る自分の顔を見つめた。


   ●   ●   ●


場所は変わってセンブリの里。


祭りによって炭坑夫や観光客で賑わう里のなか、

中央付近に土を盛られて作り上げられた舞台では、

体格のよい岩石人同士が向き合って互いを舞台から押し出そうと力比べをしていた。


力比べを見て盛り上がっている人々のなかには、

翼模様の岩石人に連れられている青年と、二人を追いかけて歩く男と少女の姿があった。

元気のいい岩石人にあっちこっちへと連れて行かれている青年は、

苦笑しつつも楽しそうであり、後ろをついていく二人も思わず笑顔になるほど。


「あーよかったよかった。コモドくんのおかげでアルト笑ってくれててー」

「そうだな」


男は言葉は短いながらも安堵を含んだ言い方。

少女もそんな言葉ににんまり笑みを浮かべて言う。


「それにさーアルトが無事に賛美歌もらえてたおかげで、大精霊様のところへ行かなくてよかった!」

「おまえ、単に火山登りたくないだけだろうそれは」

「えーだって半日以上もかけて登らなきゃいけないんだよー

 まえの修行なんかだってさーせっかく行ったのに大精霊様いなかったし!」

「……あれは自分が連れて行かれたからだろうな……」


人ごみのなかを避けて歩きながら若草色紙の男は当時のことを思い出す。


「普段はおられると聞いていただけに、神官殿も申し訳なさそうだったな」

「それでもいないなんてひどいよー」


そう怒り口調で言いながら、少女は手にもった透明の飴をまとった果物にかぶりつく。

かぶりつく様子を見ながら呆れた顔になる男。


「セリア、冗談でも大精霊様を悪く言うのは止せ。近くにいるかもしれないのだぞ」

「へいきへいきーどうせ火山のうえでねてるにきまってるよー」


後ろへ片手を振る少女へ、小さくため息をつく男は盛り土の舞台後方を見やる。

そこには、岩石を重ねて作られた岩宿の上に立てられている櫓。

櫓の上には朱色の小猿が一匹。

小猿は若草色髪の男をちらりと見て身体を揺らめかせ、舞台で闘い合う岩石人へと視線を戻す。

男は前を歩く少女に気づかれないよう、小猿へ向かって小さく礼をして歩き出す。


   ●   ●   ●


「つぎつぎ! つぎのお店いこうぜ奏者様! おれ美味いもんいっぱい知ってるんだ!」

「美味いもんならきっと俺よりセリアの方が嬉しいと思うけど……」


ぼやく青年の言葉は翼模様の岩石人の耳には届かない。

左腕を引っ張られながらも青年は岩石人についていく。

歩きながら青年は思う。

自分が連れて行かれてから五日も時間が経っていたことを。


(そういや、あそこにいるときはまるで時間のことなんて気にしてなかったな)


そのせいか空腹感や便意を催すことがまったくなかった。


(エオリアが言うには精霊術で身体が活性化されていたからだ、なんて言うけど)


五日間も飲まず食わずで動き続けていられたのが青年は不思議でしょうがなかった。

しかし、と青年は思う。

連れて行かれて、最後に大精霊から見せられた風景。


(カランドさんと話してからずっと考えているけれど……)


まるで意味が見えてこないでいた。

それどころか、思い出すだけで泣きそうになっている自分がいた。

たた、意味は見えてこなかったが分かったことがあった。


(この世界へ喚ばれる前、俺は……なにをしていたんだ?)


コモドから毒々しい赤紫色をした野菜を挟んだパンを渡される。

怪訝な顔で食べれば、口内に広がるのは何とも言えない味。

好意で渡された手前、まずいとも言えず微妙な顔で翼模様に岩石人に礼を言う青年。

そのまま引っ張られてつぎの店へと案内される。


(陸上部で部活をしていたのは覚えている。自宅の様子だって覚えている。

 なのに何故だろう、この世界へ喚ばれる直前のことが……思い出せない)


歩きながらも青年は思う、記憶が抜け落ちている、と。

でも、と意識に意思を持つ。

気になったことはそれだけじゃない、と意思は言葉になる。


(暗くくぼんだ眼となっていたリラの姿……まさか、リラは眼がないのか?)


違う、あれは幻覚だ! 強い否定の意思とともに頭を振る。


「どうしたのさ奏者様?」

「ううん、なんでもない。ちょっと眼にごみが入っただけ」

「そっか! んじゃつぎいこうぜつぎ!」


ふたたび歩き出しながら青年は思う。


(今は考えても仕方ないや、それに……いつかは聞くだろうし)


この世界へ喚ばれ、そして初めての祭りにて、包帯の少女へ向けて言った言葉。

青年は片時も忘れずにいた。

だが、どうすればいいのか、分からずにいた。

どうすれば少女と同じ世界が見れるのか、答えは得られないまま青年は焦ってもいた。


(火への旅も神殿へと帰れば終わる。風と水の旅が終われば……)


焦りと不安を抱いたうずきが胸に宿る。

目の前を歩く岩石人と人々がから眼を離し、空を見上げて青年は思う。


(俺は、どうしたらいいのだろう)


幾つもの意味を重ねて、青年は答えのない問いを空へと投げかけた。

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