第二話 祭りの始まり
神殿の外はにわかに騒がしくなっていた。
「奏者様が来られたぞー!」
「あれが今代の方……言い伝えと同じ黒髪なんだねえ」
「あんまりワシらと変わらないのぉ」
老若男女の様々な声が聞こえてくる。
その声に戸惑い足を止める黒髪の青年。
先に神殿出口の階段上を歩く若草色髪が、苦笑顔で青年に振り向く。
「皆いまかいまかと待ち望んでいたからな」
「それにしてもこんなに人がいるなんて……」
アルトの眼前には大勢の人々が集まっていた。
いや、なかには人の容姿ではない者も混じっている。
その人々より向こうには舞台が建てられており、そちらにも大勢の人が集っていた。
賑やかな様子で集まっている人々に向かってエオリアが叫ぶ。
「皆の者、集まっているところ申し訳ないが、いま奏者殿に神殿の案内をしている!
だから、案内が終わったあとで祭りの話をしてくれないだろうか!」
(祭り?なにかあるのか?)
エオリアの叫びにひとつの疑問をアルトが抱いている間、
神殿前にいた人々はそれぞれが思案顔をしながら散り散りとなっていく。
「エオリア、祭りって——」
「悪いが、それについては秘密だ。楽しみにしとくといい」
エオリアは小さな笑みを浮かべて答える。
その笑みにアルトは戸惑いと疑問を顔に浮かべるしかなかった。
● ● ●
神殿の食堂では二人の少女がいた。
ひとりは橙色の短髪を揺らしながら緑の果実をほおばっている。
橙色の短髪に向かい合うよう座っている藍色の長髪は、
右手に持った先のとがった匙で赤い果実をつまんでいる。
「ねえリラ。いつまで神殿にいられるの?」
長髪が果物にかからないよう気をつけている包帯の少女は、
「お母さんの話では四~五日ぐらいはいると思います。
お花の交換と献花はもう終わっていますから、あとはお祭りをゆっくり楽しめばいいと言われましたし」
「よかった~リラがいないとボクしなびちゃう~」
「そんなセリアさん、おおげさです。大神官様とエオリアさんだっているじゃないですか」
「お父さんはお父さんで仕事があるからねーあんまりお祭りに顔だせないと思う。
エオリアの馬鹿にはそもそも期待してないっ」
「馬鹿って言わなくても……」
困ったような表情で答えるリラは、
「ちゃんと約束守って、努力している人に失礼ですよ」
「うっ……そうだけどーそうなんだけどーいつもいつも小さいこと気にしてるし口うるさいし」
「もう、本当にお二人相変わらずなんですね」
果実を皿に戻してふてくされた顔でそっぽを向くセリア。
その顔を見えない目で楽しそうに見るリラ。
「それよりそれよりもさ! アルトだよアルト!」
「アルトさんがどうかしましたか?」
「……リラの包帯のこと、聞かなかったね」
「……私も意外でした、聞かれたのは花のことでしたし」
「たぶんたぶんだけど、けっこう優しいのかもね」
自分のことを言うように笑顔で話すセリアに、
何を言わんとしているかが掴めずリラは疑問顔で聞き返す。
「だってだって初めて会ったら誰でも聞きそうなことを、
あえて聞かないでいるなんて余程の無関心か相手を思ってるかのどちらだよ?
アルトは……無関心とは違うと思うんだ」
「私には……アルトさんは、どんな顔をしていました?」
「アルトは、どう聞こうかためらってた。でも聞いたのは花のことだった」
その言葉でもうわかったのか、リラはフォークを皿に置いて静かに下を向く。
目を弓なりに細めながらセリアは言葉を紡ぐ。
「ボク、リラには優しい人がそばにいてくれたらいいなっていつも思ってる」
「セリアさん……でもそれは」
「ううんううん、リラ。リラのお母さんだって言ってるでしょ。
”リラは遠慮しすぎだ。もっと自分勝手になれ”って」
「でも……私は……」
苦しそうに声を出す包帯の少女に、手をのばして頭をなでる橙色の少女。
● ● ●
「で、この状況は一体……」
「ははは、アルト君すみませんね突然」
「いやちゃんと説明をしてくださいよブッファさん」
神殿案内が終わり、エオリアと別れたアルトは、
住居へと続く通路の途中で大神官に声をかけられ今にいたる。
場所はふたたび神殿の外。
しかし、青年と大神官を囲むようにたくさんの人々が集っており、
静かではあるが何かを期待するかのように青年を見守っている。
「さて皆さん、僕の隣にいるのが今代の奏者であるヤマハ・アルヒト君です」
大神官の声に応えるように人々が歓声を上げる。
「なんだヤマハが名なのか? 変わってるな」
「ばっか、異界では逆に言うって言い伝えにあるだろうが」
「アルヒトって面白い響きだねーそれに服装も変わってる」
アルトの名を聞いての感想が漏れてくる。
(恥ずかしいな。あんまり注目されるのに慣れてないのになあ)
人々へは視線を合わせず、うつむくように目のやり場を下へと移動すると、
隣にいる大神官が再び声を発した。
「じゃあアルト君、あとよろしく」
「へ?」
間抜けな声が出た。
あとって一体なにを? と内心の思いを得たと同時に大神官を見ると、
「奏者様! 祭りでは是非わたしどもの阿鼻叫喚がちむち演目を!」
「いやいやいやわっしらの驚天動地総菜とっくりの味見を!」
「ひっこんでろ人族! 高い空と一緒に急降下玉玉きゅん体験を!」
「ウロコまみれこそひっこんでろ! あちきどものまっする蒸し風呂だいえっとを!」
人々がアルトへと爆発的に殺到した。
● ● ●
「ひ、ひどいめにあった……つかれた」
勧誘とともに服の端々までもみくちゃにされた黒髪の青年は、
自身にあてがわれた部屋の寝台に、両手をひろげて倒れ込んだ。
時刻は太陽が沈みかけ、うっすらと空を闇がおおう頃。
日差しの香りが漂う枕に顔をうずめながら、昼間の出来事に思いを傾ける。
(まさか奏者を歓迎する祭りがあるなんて、最初に言っておいてくれたら良かったのに)
だが、自分を歓迎してくれる人々の気持ちは嬉しかった。
ズボンのポケットを探ると人々から渡された招待券や無料券が出て来た。
「できれば全部行きたいけれど、さすがにきっついだろうな」
もみくちゃにされつつも聞いた話では、
(明日から三日間『歓迎祭』が行われるって話だっけ)
神殿周辺にて出店が立ち並び、神殿正面に建てられた舞台にて演目があるという。
「けど、本当に人以外の存在がいるんだな。
言っちゃ悪いけど光沢のある肌や岩でごつごつした肌なんて冗談にしか見えない」
記憶に浮かんでくるのは自分に殺到してきた人々のなかにいた異形。
人よりも背が高く細身で、全身がウロコに包まれ、背中には翼をたずさえた龍翼人。
反対に背は小さいが、横に大きく岩肌の持ち主、岩石人。
正直おどろきよりも恐怖で声がでなかったが、人と同じ言葉を話し感情を浮かべる彼らを見て、
知らず知らずのうちに恐怖よりも興味が大きくなっていった。
彼らに聞いた話ではほかに二種族がいるみたいだが今日は見なかった。
「旅に出れば人魚族と木霊族。そいつらにも会えるのかな、見てみたいな」
仰向けになり天井を見上げる。
腹部より空腹を知らせる音がゆるやかに鳴り響く。
このまま眠ろうかと悩んだ末、アルトは寝台から立ち上がる。
「こっちはコンビニがあるわけじゃないし、食堂に人がいるとき食べとかないと」
そうつぶやいて部屋の扉に向かおうとして足を止める。
視線を扉から移動させると、ベッド脇には新しい四色の花が生けられた花瓶。
目に包帯を巻いた少女のことが脳裏にうかぶ。
「花がよく似合う雰囲気の女の子だったな」
歳は自分と同じくらいだったろうか。
なんだか妙に気にかかる感覚を得ながらも、
空腹を知らせる二度目の音に思考を止めて、アルトは食堂へ足を向けた。
● ● ●
食堂に続く通路を歩いていると、食堂から声が聞こえてくる。
片方はブッファの声だが、もうひとつの女性と思わしき声にアルトは思い当たらなかった。
誰の声かと疑念をもちつつも足は食堂へとたどり着く。
「おお、アルト君も夕食ですか? ご一緒にどうですか」
「やああんたが奏者だね。そんなほそい身体でちゃんと食べてるのかい」
食堂入口に立ったアルトへと大神官と女性の声が同時にかけられる。
どう答えたらいいかと思っていると、女性が手招きする様子で言った。
「突っ立ってないでこっち座りなよ。あたしはエラール・カマックだよ」
女性の名乗りを聞きながら、ブッファの隣へと腰をおろしたアルトは、
「カマック……もしかしてリラの?」
「その様子だともうリラとは会ったようだね。そうさ、あたしはあの子の母親さ」
「エラールさんは、この神殿近くの街で花屋を営んでいて、神殿へ献花してもらっているのです」
エラールの答えとブッファの説明を頷いて聞くアルト。
食卓にはアルトの食事が黙々と年配の女性によって用意されていく。
「あ、ありがとうございます。ヒルダさん」
アルトのお礼にヒルダは微笑みを浮かべて奥へと去って行く。
「そうだ、ブッファさん酷いじゃないですか。説明なくいきなりあとよろしくって」
「ははは、いやあ申し訳ない。集まってた皆さんに急かされてしまいましてね。
早く奏者様に会わせろ、でないと神殿の壁に前衛芸術的な落書きをほどこすと言われまして」
まるで困ったふうでなく笑顔を見せる老人に、青年はため息をつく。
「なにため息ついてんでるんだい坊や。若いのが情けない」
「あの……坊やってのは勘弁してもらえないですか」
「なーに言ってるんだい、あんたぐらいのは皆坊やだろ」
女性は右手の杯をあおると、言葉を続けた。
「それにしても今代の奏者がこんな坊やだとは思わなかったよ」
「え? 昔に喚ばれた奏者は違ったんですか」
「ああ、言い伝えでは前代はがっちりとした体格で、あご髭のある立派な男だったらしいよ」
エラールの言葉にアルトは前代の奏者を思いつつ食事を進める。
木の匙で器を満たす汁をすくおうとすると、ブッファが言葉をはなつ。
「そうそう、旅のことなんですがアルト君。熱いですよそれ」
「あ、あちち。先に言ってくださいよ。それで話は」
「ええ、アルト君には旅にでてもらうとは話しましたが、なにもすぐというわけではないのです」
「と言いますと」
「明日からの歓迎祭を楽しんでもらってからは、一ヶ月ほど旅への準備にはいります。
準備ではこの世界の地理などを学んでもらい、身を守る訓練をエオリアから、
精霊術に関する知識をセリアから学んでもらいます」
「つまり勉強……ですか」
「なーに嫌そうな顔してるんだい坊や。男ならちゃんと逃げないで受けな」
訓練や学ぶといった単語に苦い顔を浮かべる青年。
その苦い顔に杯を突き出し赤みがかった顔で言葉を告げる女性。
「エラールさん……その酔ってます?」
「ばか。これくらいじゃあ酔ったとはいわないよ」
「彼女は酒豪ですからねえ。呑むときは樽ひとつくらい軽いですから」
「大神官様やめてくださいよ。これでも控えてるんだから。明日は本気だすよ」
「明日はこれ以上呑むって……まじですか」
鼻の奥にただよってくるお酒の匂いにアルトは顔をゆがめる。
その顔におかまいなしに杯をあおっては硝子瓶から酒を足していくエラール。
「坊やの世界がどうだったかは知らないが、こっちじゃあガキの頃から酒は呑んでるのさ」
「まあエラールさんは置いといて、アルト君お酒は?」
「まったく呑めないってわけじゃあ……」
アルトの隣に素早く移動してきたエラールは、腕を青年の頭へと回す。
「よし呑め! いますぐ呑め! ことわったらもっと呑ます!」
「ちょっと! 勘弁してくださいよお! ブッファさん助けて!?」
思わぬ力で押さえ込まれたアルトは隣にいるはずの大神官を見る。
すると大神官は素知らぬ顔で杯を傾けている。
「え……ブッファさん?」
「ぷはぁ~いやあ仕事終わったあとの一杯が美味しくて美味しくて」
「こっちも酔っぱらいだー!」
● ● ●
朝を過ぎた翌日。
食堂の地面にひとりの青年が大の字になっている。
石の長机には、硝子瓶が数本転がったなか寝息をたてながら突っ伏している女性。
そこへ、二人分の足音が聞こえてくる。
「も〜お父さんあんな顔で祭りの挨拶始めたと思ったら、いきなり叫ぶなんて!」
「あの、その、でも。も、盛り上がってましたから良かったと思いますけれど……」
「リ〜ラ〜それは娘じゃないから思えるだけ。ボク恥ずかしいよ……」
「そ、そんなに落ち込まないでセリアさんっ」
「だってだって、いきなり『みんなは幸せかーっ!?ぼかぁしあわせだぁあああ!』って!」
二人分の足音が、食堂入口で止まる。
「うわあ……父さんの様子からまさかとは思ったけど……」
「お母さん……と、床に倒れているのは……アルトさん!?」
包帯の少女は急ぎ足で青年に駆け寄る。
後ろからは橙色髪の少女がテーブルの女性と青年を交互に見やる。
「あ〜あ、アルトもエラおばさんに呑まされたみたいだね〜」
「もう無茶呑みしないでっていつも言ってるのにお母さんったら。
アルトさんアルトさん、大丈夫ですか? 気持ち悪くないですか?」
包帯の少女が青年の身体に手をかけ揺すると、僅かにうめき声がもれる。
「あ、え、ああ。がっ! いたたったた頭が」
「二日酔いみたいだねーアルト。おはよー水もってきてあげる」
「その声は……セリア? なんだかすごく頭んなかがぐらぐらがんがんする」
「あんまり動かないほうがいいですよ。いま、お水もってきてもらってますからじっとしててください」
思ってもいない近距離の声にびくっと身体を振るわせ青年は振り向く。
「リ、リラ!?」
「はい、アルトさん。おはようございます」
「あ、うん。お、おはよう」
青年はどこか気まずそうに声を発し、包帯の少女は不思議そうに声をかける。
「アルトさん、どうかしたんですか?」
「い、いや。ちょっと驚いただけ」
はははと苦笑した顔をして服のよごれをはたき青年は立ち上がる。
その近くに橙色した髪の少女が杯を二つ手にやってくる。
「どーぞアルト。目覚めの一杯だよ」
「ありがとセリア」
杯を受け取って一度に中身を飲みほすと、冷たい液体が喉から下へとおりてくのが分かった。
アルトが顔を前に戻して一息つくと、セリアはもうひとつの杯を持ってエラールの方へと近寄る。
「エラおばさーん起きてるー? もう祭り始まってるよー?」
「うへうへへへ、まーだまだ呑むぅ〜呑めるぅううう」
「だーめだこりゃ、起きるまでほっとくしかないや」
「もうお母さんったら! まだヒルダさん来られてないから、酔い覚めの薬もらえないしどうしよう……」
二人の少女がエラールをどうするか考えてる間、
アルトは頭の痛みに顔をしかめながら昨晩呑み散らかした食器や杯を片付けていた。
ただ、手を動かし片付けてはいたものの、思考が頭のなかを占めている。
(記憶があいまいだけど、なんかいろんなことを聞いたような)
長机の上を片付けつつ、目線だけを母親を起こそうとしている包帯の少女に向ける。
——見えてはいないが、見えている眼。
リラの眼は自分達と同じ世界を映しはしない、それゆえに違う世界が見えていると。
そうエラールからは聞かされた、むりやり呑まされつつだったが。
付け加えるようにブッファは、それが精霊の守護によるものだと教えてくれた。
(ただ盲目ってわけじゃないんだ……それで見えてるように動けるわけか)
昨日得た、包帯で眼を覆っているにも関わらず、まっすぐこちらの顔を見た疑問。
続けて思ったのはブッファが酔いの戯れに見せた精霊術。
てのひらから拳ひとつほどの炎を何個も生み出し、踊るように周囲を回らせた。
アルトの歓声に調子をのらせたブッファに、文字通り冷や水を空中から生み出して掛けたエラール。
この世界では誰もが精霊術を扱い、誰もが生を受けた瞬間に四大精霊いずれかの守護を受けると聞いた。
「……やっぱり違う世界の違う人間なんだよなあ……」
誰に言うのでもなく、ぽつりと黒髪の青年はつぶやく。
● ● ●
場所は神殿の住居へと続く通路。
「ごめんなさいアルトさん。ほんとうにごめんなさい」
「いいんだってリラ。あのまま放っておくわけにはいかないし」
通路を歩く包帯の少女と黒髪の青年だが、青年の背には眠っている女性の姿。
「それよりもブッファさんの方は大丈夫なんだろうか」
「セリアさんが様子を見に行っていますし、エオリアさんも付いてますから大丈夫ですよ」
「仮にも大神官って立場の人が朝まで呑むなよな……」
「あはは……そうですね」
呆れた顔で歩くアルトにリラを苦笑顔を見せる。
「そういえば祭りには行くの?」
「祭りには……お母さんと一緒に回るつもりでしたけれど」
そういって青年の背を黙って見る少女。
「こんな状態じゃあ一緒には行けないだろうね」
「はい……それに私一人だと、その、不審がられてしまうので……
セリアさんも何かと忙しいでしょうから……」
「そっか……」
小さく肩を落とすだけでなく声の調子も落としていく少女。
横目に少女を見つつどう答えたものか思案する青年。
(彼女、自分がどう見られてるのか分かってるんだ。違うってことも……)
そして気づく、少女が自由に振る舞っていられるのは事情を知る人間がいる神殿内ぐらいだと。
「アルトさん……?」
自分がいた世界にも盲目の人はいた
関わりはなかったが他者が彼らにどのような目を向けるかは、青年は知識から知っていた。
出来るなら力になってあげたい、青年は思った。
いや、助けたい、そう思い直した。
「……リラ、俺が一緒なら、平気かな」
「え?」
「お祭り。エラールさんの代わりが俺でも平気?」
「え、えええと。そんな、アルトさんにそんな」
少女は青年の申し出を拒むかのように、両手を身体の前で弱々しく振る。
通路を歩きながら青年は顔を左右に振って少女に答える。
「いいんだって、それにエラールさんがこうなったのも俺のせいだし」
「それは——」
「あとさ、一人で回るよりも二人で回りたいんだ俺が」
「アルトさん……」
振っていた手を胸の前で握る包帯の少女。
青年の背では女性が目をつむりながらも小さく微笑んでいた。