第十八話 揺らぐ心と炎
白煙が上がる人里へ近づいたころ、緩やかな速度をともなった馬車が、蹄を鳴らして地面を進む。
容赦のない日射しに照らされながら、蹄はときに甲高い音を立てる。
台座に座っていた青年が地面を見れば、そこには堅い岩肌が露出していた。
岩肌は平らにされているため、地面に埋まった岩を歩く馬に支障はない。
「火山の近くだからか岩が多いな」
「岩もごろごろしとるが、ここらは鉱石を採るための鉱山もあるからのう」
「グラーベさんからその辺りは嫌というほど聞きましたらね」
右隣を走る馬車へ青年は苦笑いをおくる。
「ふぁふぁふぁ! 知らないよりは知っておくもんじゃ!」
「じーさんの話はくどいから嫌なんだよ」
左隣から若い男の声がとぶ。
「ばかもんレッジ! この糞孫、老いた言葉ほど大事なもんないぞ!」
「へーへー何百回も聞かされたら大事に思えねえよ」
ふたりのやりとりに青年は声もなく笑う。
青年の正面を進んでいた馬車が止まり、青年たちも続くように馬車を止める。
先頭の馬車から降りる人物は、彫りの深い顔立ちをした赤毛の男性。
男性は青年の方向へと振り向くと口を開く。
「奏者様、我らが砂の隊商はここまでとなります」
「親父、そんな堅い口調でいまさら言わなくてもよぉ」
「そうじゃぞ息子よ。いつも通りでええじゃないか」
赤紫色の長髪を細かく編んだ若者には呆れた感じで言われ、
髭を長く伸ばした老人からは諭すような口調で言葉を放たれた赤毛の男性は、
ひきつった笑みを顔に浮かべながらも言葉を続ける。
「み、短い間ではございましたが、我ら砂の隊商は奏者様のーー」
「じーさん。あの親父の頑張りをあとでおふくろにどう伝えたらいい?」
「そうじゃのう。子供が浮かれて背伸びしておったと言ってやれ」
「このぉ糞親父に糞餓鬼があああああああああ!
せっかく綺麗に締めようとしてんだから少しは気を使えってんだぁ!」
赤毛の男性からの叫びに、若者と老人は揃って笑顔になる。
青年は黙って腹を抱えていた。
● ● ●
馬車から降りて赤毛の男性と向き合う青年たち。
「本当にすまないアルト。せっかくお別れなのに滅茶苦茶にしちまって」
「い、いえいえ。気に、きにしないでいいですよ」
「アルトー笑いが抜けてないよー」
橙髪の少女の声に青年は顔を引き締める、がどうしても笑みがこぼれる。
その様子に隣に立つ若草色の男は呆れた顔をする。
「アルト、まだ笑っているぞ」
「も、もう大丈夫だって」
「ったく、うちの家族はそんな面白いもんかね」
頭を手でかきながら苦笑顔をする男性。
「面白いだけでなく、色々と知ることができました。星や砂漠のことなんかも」
「あんなこと、うちら砂に住む連中には当たり前だがな」
顔を左右に振って青年は言う。
「けど、俺は知らなかったです。そもそもこの世界のことだってよく知らないんですから。
だからこそセグイドさんたちと一緒に旅ができて、俺楽しかったです」
「……そっか、そう思ってもらえるなら良かった、ってことだよな?」
「いいに決まってるだろ親父」
「うむうむ。多くを知ることで多くのことを思いやれるようになるのじゃ」
男性のすぐ近くにいた若者と老人がそろって頷きを返す。
同じく頷いた男性は、青年へと右手を差し出す。
青年も右手を差し出して、互いに手を握り合う。
「また会おうアルト。エオリアにセリアもな」
「ええ、また会いましょうセグイドさん、グラーベさん、レッジさん!」
● ● ●
白煙の上がる人里ではなく、火山の麓へと走って行く馬車を見送る青年たち。
三台の馬車が見えなくなると、橙髪の少女は素早く荷台へと身を投げる。
素早い動きに反応できず、声だけが出る青年と男。
「……大丈夫、じゃないよねセリア」
「……月のものに加えて、この暑さだからな。宿に着くまでは寝かしておいてやろう」
「分かった、なら道案内を頼むよエオリア」
「任された」
男はそう言うと、馬車の手綱を持って歩き始め、青年は台座へと座る。
緩やかに歩み始めた馬に合わせて車輪が音を立てて回り出す。
青年は静かに首を動かして荷台の方へと視線を向ける。
影となっている荷台の奥では布の敷かれた上で、頭から布にくるまっている少女の姿。
姿を確認して青年は視線を馬が進む方へと戻す。
(生理だっけ、そういえば学校では女子がときどき休んでいたなあ)
そんなにつらいものだろうか、とアルトは当時思っていたが、
いまのセリアの様子を見ていると、とてもではないが口にはできない。
視線がふっと馬の横を歩くエオリアの背中へと向く。
(エオリアはその辺、分かってるみたいだったし……情けないなあ俺)
砂の隊商との道中、体調を崩した少女を気遣う男の様子は、
慣れない出来事で慌てる青年と違って落ち着いたものだった。
突然泣き出したりわめき出したりする少女の傍ら、
男は黙ってそばにたたずみ、ときになだめ、ときに話を聞いて過ごしていた。
(一体俺は学校でなにを習っていたんだろう……役に立たないことばっかだ)
隊商の人達がいる間は笑って誤摩化していられた不安の感情が、首をもたげはじめる。
前を向いていたはずの視線が知らず知らずのうちに俯いていく。
小刻みに揺れる台座の上、久々にひとりの時間を得たことが青年の心を曇らせる。
「はあ……」
ため息が漏れる。
● ● ●
「はあ……」
背後からため息が小さく聞こえて来る。
(ひさしぶりにアルトのため息を聞いたな)
手綱を引きながら、若草色髪の男はうっすらと背後へ視線を向ける。
向いた先には台座に座りながら顔を俯かした青年。
視線を前へと戻す男。
ふう、と音にたてず息をついた男は、思案顔となる。
(それにしても、何故だ? アルトは何故悩んでいるんだ?)
手綱を握った左手とは反対の手で顎を触る。
無精髭が生えてきた顎は、手にざらついた感覚を返す。
ここまでの旅を思い返すが男には心当たりがない。
(星座の違いにあれこれ言っていたが……違うな)
レッジたちと夜空を見上げて話していた青年の様子は、明るかった。
筆記帳をひろげて向こうの世界の星座を語る姿は楽しそうだった。
そして新たに知ったこの世界の星座を筆記帳に書き留めていく青年は、
(笑顔だった……な)
ただの思い過ごしならいいのだが、と軽く頭を振った男だったが、
もしかしたら砂風呂だと偽って頭以外を砂に埋めたことを根に持っているのかと一瞬悩むが、
嘘だとばれた翌日同じことをされたからそれはない、とすぐに思い直した。
(あるとすれば……前にアルトが言っていた常識とやらの違い、だろうか)
人里に近づいてきたせいか、通りをまばらに人影が過ぎて行く。
人影のなかには岩肌を持った低い身長の人影、岩石人が荷物を背負って歩いていく。
数人で喋り歩きしている岩石人を横目にエオリアは思う。
(この世界とは違う世界のことを色々知ってはいるようだが、なんと言っていいのだろう。
知ってはいるが、知っているだけというか……)
時折、青年が見せる異界の知識からなる事実の数々。
どれもが異世界の知識であり、こちらの世界では耳にしたことがないものばかり。
そのなかでも大地が平らでなく球の形をしていることにエオリアは驚かされた。
(しかし、実際に見た事あるかと尋ねれば、ないとアルトは言う)
不思議だったのは何故見た事も無いことを事実だと信じているか、だった。
他にも多くのことを旅の傍らエオリアはアルトから聞いてはいたが、
ほとんどと言っていいほどアルトは実際に物事を見知っていたわけではない様子だった。
(それが当たり前の世界だった、と考えるべきか)
にわかには信じ難いと男は思い悩む。
再び手綱を握った手と馬の間から背後を盗み見る。
髪をびしょぬれにした青年が俯いて座っていた。
一瞬、状況が理解できず棒立ちとなったあと男は聞いた。
「……アルト。セリアにやられたのか?」
下向きとなった髪から雫を幾つも垂らしながら、青年は俯いたまま頷いた。
小さくため息を吐き出して若草色髪の男は振り返って言う。
「アルト、無理にセリアの世話をしなくてもいい。自分がーー」
「エオリア」
消えそうな声であったが、男の耳にははっきりと名を呼ぶ音があり、続けて聞こえた。
「俺、自分が情けないよ」
● ● ●
薄暗い室内のなか、寝台で眠っていた橙髪の少女は瞼をゆっくりと開く。
おでこを右手で押さえながら上半身を気怠そうに起こす。
「あれ……どこだっけいま」
疑念を口にして周囲を見回す。
寝台から数歩離れた場所からは輪郭のゆがんだ朱の光が差し込んでおり、
少女の鼻には土と鉱石の臭いが強く感じられた。
ぼやけていた視界は次第にはっきりと視界を映し出す。
眼には大小様々な岩を積み上げて作られた壁と天井があった。
「あ……そっか、寝てる間に着いたんだ精地に……」
おでこに当てていた手の平は、下がって腹部に当てられる。
少女は小さくうなり声を出して自身の内側から来る痛みに耐える。
だいぶ楽になったけどまだきつい、そう声には出さすに胸につぶやく。
自身の身体に掛けられていた布を左手で握る。
しばらくの間、少女はひとり痛みに耐えていた。
輪郭のゆがんだ朱の光が差し込む方向とは反対から扉が開く音。
半目となった少女が眼を向ければ、そこには陽光に似た光を放つ石を持った岩石人。
岩石人は女性のものと見える服装に身を包んでおり、足音をたてながら寝台へと歩み寄る。
「だいじょうぶですか、巫女さん。だいぶお疲れのようだけど」
金属質な声色で体調を気遣われる。
腹部に手を当てながら少女は左右に顔を振って、力のない笑みを浮かべる。
「なんとかなってきたところー……ここって宿ですか?」
岩石人の言葉に答えてそのまま疑問を口にする。
大きく頷いて岩石人は言う。
「そうですよ。ここは火の精地が火山の手前、センプリの里にある岩宿です」
● ● ●
所々から白煙の上がる人里を歩くのは黒髪の青年。
歩く地面からは黒光りする岩が隆起しており、土や砂に混じって多くの石が転がっている。
辺りは夕暮れを迎えるためのかがり火が焚かれており、岩石人や人族が混じって談笑していた。
青年の視線は談笑している人々の近くにある建物に吸い寄せられる。
そこには黒く大きな岩を積み重ねて作られている岩宿。
岩と岩の間には灰色の物質が隙間を埋めるように詰まっており、
近くを通りかかった際に触ったときには堅いゴムのような感覚を青年の手の平に返した。
場所によっては長い年月を経て黒い岩が灰色となった建物もあり、
隙間に詰まった色と合わさって灰一色の建物と化していた。
青年は近づいて壁を構成する岩に触れながら見上げていく。
「……こんな建物で暮らしてるんだ」
呆然とした声色でつぶやく。
壁を構成する岩の断面は鋭利であり、側に立つ青年の顔を映し出す。
足音のような者が聞こえたとき、壁横に設けられた出入口から幼い岩石人が飛び出す。
予期しないことに青年はびくっと震えるが、相手も同じ様子だった。
が、幼い岩石人はにこりと微笑んで通りで遊ぶこどもの輪へと駆け出していく。
「あっ……」
壁に触れていた手を思わず伸ばすが、空を切る。
空を切った手をそのまま頭へと持っていき、誤摩化しついでに頭をかく。
どうしよう、と青年はひとりつぶやく。
(なんか……ひとりで見て回っててもどうしようもないな)
落ち込む感情とともに宿を出るときのことを思い浮かべる。
セリアを気遣うエオリアの邪魔になっては悪いと青年は宿を出たが、
(これなら一緒に宿でセリアが目を覚ますの待ってたらよかった)
けれど、と内心につぶやき続けて、
「……なんにもできない自分が嫌だな」
言葉が口から漏れる。
建物から離れるように歩き出した青年は、
かがり火の明かりが当たるか当たらないかぐらいの位置にある適当な石に腰掛ける。
石に腰掛け、片膝を抱えて里の広場で遊ぶこどもたちを視界に入れる。
耳には甲高い岩石人の声と、聞き慣れた人族の声が混じって響く。
岩石人のこどもが立ったまま両手を足へと伸ばし、天に向かって背中を向ける。
その背中を人族のこどもが股を広げ、両の手の平を背中について跳び越える。
(馬跳び……してるのかな)
跳び越えた人族のこどもが、同じように背中を天へと向けると、
跳び越えられた岩石人のこどもが今度は跳ぼうとする。
しかし、人族の子は体重を支えられずに跳ぼうとした岩石人の子とともに転がった。
あ、と青年が小さく声を出すが、
こどもたちは転がりあったことを笑い合い、再び馬跳びに興じる。
いつのまにか浮いていた腰を青年は再び石へと降ろす。
(……差別とか、そんなの無いんだよな)
生まれたときから彼らは一緒に生きてるからこそだろうな、と思う。
近くのかがり火がちいさく爆ぜる。
近くから感じる火の熱さと、肌から得る夜気の冷たさを心地よく感じながら青年は考える。
(この世界に来て数ヶ月。こっちが当たり前に感じるようになって大丈夫なのかな)
元の世界にへ帰ったとき、自分は向こうの生活に戻れるだろうか、と。
(もし、こんな身体のまま戻ったりしたら、大変だろうなあ)
いつのまにか何倍にもなっていた自身の身体能力。
それどころかディオソの街での闘いでは、普段以上の動きをしていたとも言われた。
そんなに動けてる自覚はなかったんだけど、と胸に思う。
(一体どこからそんな力が出ているのだろう……)
そこまで考えて青年は、得体の知れないなにかを思い背筋が冷たくなる。
頭で納得できないが実際に現実として目の前にあることが、青年はおかしく見えた。
不意に柔和な顔をした大神官の言葉が思い出される。
ーー精霊の加護
(そういえば前も不安になったとき、そうブッファさんに言われたんだっけ)
片膝を抱えていた両腕に頭をうずめていく。
(なんにもできない俺だから、こんな身体、いや力を授けてくれたのかな)
組んだ両手の左手が、右上腕部に身につけてある四色の腕飾りに触れる。
ちらりと視線を腕飾りにおくる。
(リラは……今頃がんばってるんだろうなあ)
綺麗に咲いた花束を抱える、藍色髪の包帯を巻いた少女を思う。
左胸の疼きとともに寂しさが生まれる。
青年は無言のまま、組んだ腕のなかに頭をうずめる。
耐えるかのようにじっとしていた青年がやがて顔を上げたとき、
いつのまにか眼前にはこどもたちの目がいくつも並んでいた。
● ● ●
橙髪の少女が眠っていた室内は、天井中央に陽光を放つ石が金属の燭台にのせられたことで、
室内全体に朝日が差し込んだかのような明るさに満ちていた。
部屋には寝台にて上半身を起こした姿勢で湯気を放つスープを飲む少女と、
寝台へ向いた形で置かれていた椅子に腰掛ける若草色の男。
「……大丈夫なように見えるが、身体はどうだ」
「う〜ん、だいぶ平気になってきたよーまだちょっときついけどねー」
スープの温かさを味わうようにゆっくりとスプーンを運んでいた少女は、
言葉は明るいものの困った口調で言葉を告げる。
そうか、と男は言う。
「火の精地にはたどり着いたのだから、おまえの身体が治ってから火の大精霊様には会いに行こう」
「……うん。ってそういえばアルトは?」
「アルトなら……ひとりで里を見て来ると外へ行った」
「そっかーあんまり覚えてないけれど、アルトなにか落ち込んでたよー」
「む? そうだったのか?」
少女は頷き、スープの中に入っていた大きめの野菜をスプーンですくいとり、口のなかへ運ぶ。
「ふぃんだひょー」
「何回言わせる気だ。食べてから話せと」
呆れつつも男は少女の言葉を待つ。
口内の食物を飲み込んだ少女は口を開く。
「そうだよー馬車で寝ぼけて水ぶっかけちゃったとき、ずっと俯いてた」
「ああ、あれか」
少女の言葉に合点がいったのか、両腕を組んで男は軽く頷く。
「……アルトは、言っていた。俺はなにもできない、と」
「え? どうしてそんなこと言ってたの?」
「自分が尋ねてもはっきりとは教えてくれなかった。だが、おそらくは……」
言いづらそうに口ごもる若草色髪の男。
少女はスープの入っていた器を持ったまま男の言葉を待つ。
眼はまっすぐに。
「セリアが寝込み、その世話をどうしたらいいか分からなかったことが、
関係しているかもしれない」
深刻そうな口調とともに放たれた言葉に、少女は驚いた顔になったあと、吹き出す。
「あのなセリア、アルトにとってはーー」
「だってだってー」
少女は口を手で押さえて笑い続ける。
その様子に困った顔となった男は、どう言葉を続けていいのか迷う。
「あーおかしいおかしい。だってアルト、おかしいよー」
「おかしいとは言ってもだな」
「だって寝込んだボクの世話はエオリアがしてくれたんでしょ?」
「む、そうだが」
「やっぱりーだったらアルトは気にしなくてもいいのに」
「……そうだな、アルトが気にすることでは、ないよな」
「うん、そうだよーでも、それでも気にするってことは」
「アルト自身、なにかしら思うことがあるのだろうな」
だねーと少女は言葉をつなぎ、器に残ったスープを飲んでいく。
やがてスープを飲み終えた少女は、器を手に持って床に立つ。
「よぉっし! アルトを探しにいこう!」
「探しにってセリア、身体がまだ」
「いいのいいの! もう平気!」
わかった、と苦笑した顔で男は答えた。
● ● ●
「今度はだれだー!?」
「はーいっ! はーい!」
「ぼくだってばぁ!」
青年の呼び声に人族の子と岩石人の子が両方答える。
「君はさっきやったから、この子が先だよ」
青年はしゃがんでこどもらと視線の高さを合わせると、
人族の子の頭をなでて、岩石人の子を手で招く。
嬉しそうな顔になって岩石人の子は青年へと近寄り、両手を青年へと出す。
青年は出された両手を自身の両手でそれぞれ握り、身体に力を込める。
「それじゃあ、振り回すからしっかり握ってて」
「わかったぁー!」
甲高い声にうん、と頷いて青年は握ったこどもごと左へ身体を傾ける。
青年が大きく広げた足を踏ん張ると、岩石人の子は身体が宙に浮く。
(んぐ……! やっぱ見た目通りすごく重い!)
さっきまで振り回していた人族の子よりも両腕にかかる重さが違った。
それでも青年は身体の動きを止めることなく左へと回り続け、
岩石人の子を空中に浮かべて旋回する。
岩石人の子が浮いて青年とともに回転するのを、周囲にいるこどもたちだけでなく、
遠巻きに見ていた大人たちも一緒になって歓声をあげる。
「すげーすげー! 兄ちゃんすげー!」
「うわあ、いいなあいいなあ!」
「今度はおらを空へと放り投げて!」
何度か回転したのち、勢いを弱めて青年は動きを止めて岩石人の子の手を離す。
岩石人の子はお礼を言ってこどもたちに自慢をする。
その様子に小さく笑って青年は言う。
「ごめん、ちょっとだけ休ませて」
「えーでもいいよ! またあとで遊んでね!」
「うん。またあとでね」
こども達にそう答え、青年は先ほどまで座っていた石へと近づく。
いつのまにか額に汗が浮き、身体には熱がこもっていた。
腕で額の汗をぬぐい、石に座ろうとして何かを感じた。
「ん……?」
見れば石の近くで燃えているかがり火の真下になにかがいる。
なんだろうと青年が眼をこらすと、一瞬なにかの輪郭がぼやけた。
えっ、と驚き声をあげたときなにかが青年へと近づく。
「な、んだ……って狐?」
思わず言葉に出した単語通りの生き物が青年の目の前にいた。
全身が燃えるような朱色の毛で包まれた生き物は、
首もとと尾に大きく広がった毛を持っていた。
青年の顔から見える生き物の高さは腰程しかないが、
地面へと伸ばされた四肢は太く、力強さがうかがえた。
思わずあとずさりする青年。
(しまった……剣は、宿だ。けどこっちには……)
背後からこどもたちの遊ぶ声が聞こえる。
眼前の生き物は動くことなく赤い眼で青年を見据えている。
先ほどとは異なる汗が青年の身体をつたう。
(こんな人里で……どうする? どうしたらいい?)
青年は自問する。
知らず知らずのうちに身体の各部に力がこもり、
開いていた手の平を握って拳を作っていく。
かがり火の炎が、大きく爆ぜた。
青年と、生き物は互いに動かない。
自らが吐き出す息の音と、生き物の口から聞こえる呼吸の音が、青年の耳へ響く。
青年は出来る限り生き物の視線を塞ぐよう、足を広げ、身体を大きく開いていく。
すぐそばからの熱気が、頬に汗をつたわらせる。
すでに空は夜をまとい、周囲にはかがり火の明かりだけがある。
熱気と、それとは別で沸いてくる汗を肌に流しながら青年は思う。
(なにもできない自分が、唯一できるのは、怪物退治)
ディオソの街にて覚えた憧れは、街に住む人々を守るための意思となった。
いまはどうか、と青年は自らに何度目かとなる問いを投げる。
(ここに憧れたあの人たちはいない。けれど、けれど!)
こどもたちを守らなくてはならない、そう意識する。
(リゾルさんやベティさんが言ってた、だれかのためにできること)
まだ自身は頼りなく、心には不安もある。そう青年は胸に思う。
(だけど、俺の力でもだれかを守れることを、俺は……!)
包帯を巻いた少女の笑みが思い出され、青年は奥歯を噛み締めた。
奥歯を噛み締めたとき、目の前の生き物が動きを見せる。
前脚を広げ、今にも飛びかからんとする視線をとり、尻尾がそそり立つ。
生き物の輪郭が、ゆらめく。
「……燃えて、る……?」
事実をそのままに言葉が出る。
生き物の全身を覆う朱色の毛、それは炎。
青年は気づく、先ほどから肌で感じる熱さが、かがり火からではなかったことを。
自身の目の前にいる生き物から発せられている熱であることを。
事実に気づき、足が一歩下がる。
(まさか、炎でできた生き物がいるなんて!)
焔の狐が一歩、踏み出してくる。
青年は拳を握りしめる。
(……こいつを倒すのに素手は絶対無理だ! でも、こどもたちを逃がす時間くらいなら!)
奥歯を噛み締め、睨みつけるように顎を引く青年。
瞬間、焔の狐が口端を左右に広げ、不気味に笑みを浮かべたとき、
狐と青年の周囲を囲むように炎の壁が、燃え上がった。