第十一話 地よりの試練
森の最深部となる場所。
そこに佇む三人の小人と三人の人族、彼らの目の前には巨大で長大な樹木。
地面をはう根は太く、深いしわをきざんだ足先を地面の下へとめりこんでいる。
黒髪の青年は、地面へとくいむこ根へ近づく。
太さも、高さも、長さも、青年の身体を超えた大きさ。
手で触れながら青年は目前の物質に圧倒されていた。
(目の前にあるのは根っこ? こんな大きいのが?)
眼を大きく見開いた表情には放心とも驚愕とも言えるものが浮いていた。
両手で樹木の根を触りながら、青年は根を生やす樹木を見上げる。
「なにがどうなったら……こんなに樹が大きくなるんだよ」
見上げる顔の角度は鈍角から、鋭角へ。
それでも青年の視界には樹木の頂上は映らない。
ただ、高くそびえる樹木の幹が映るだけ。
(湖近くのルスティカからも見えたんだよな……何百メートルあるんだ……)
感嘆とも呆れともつかない思いを内心に得る青年。
樹木を見上げた姿勢のまま、動こうとしない青年を見るのは五つの視線。
そのうちの黄色い布を巻いた小人が動く。
「アルト! だいせいれいさま、のもと、いきます!」
「! ご、ごめんディセス。いまいく」
掛けられた言葉に、青年は慌てて振り向き小走りで五人へと近づく。
「自分も初めて見たときは、あんな感じだったのだろうな」
「なに言ってんのーフェスと一緒になって幹に登ろうとしたくせにー」
「そうだ、エオリア! いまからでも、のぼるか!?」
「フェス! ばか、いうんじゃ、ないです!」
苦笑している橙髪の少女へ笑顔を向ける若草色髪の男、
隣では青い布を巻いた小人が緑の布を巻いた小人に腕を掴まれている。
六人の先頭を歩くディセスは、樹木の根を何本か越えたあと樹木の側へと立ち止まり、
人が三人分横になって通れそうな樹木のうろを手でさして言う。
「ここから、だいせいれい、ジョコさま、のところ、いけます」
● ● ●
長年の経過とともに硬質化した樹木の肌は堅く、しかし弾力をもっていた。
青年たちが歩くたびに足下からはきしむような音が響く。
六人の先頭を歩く小人は、手にろうそくを差したカンテラを持ち暗闇を進んでいく。
ディセスだけでなく、エオリアも同様のカンテラを持ち最後尾を歩く。
外からの光が一切差し込まないうろの先にあった空間。
ときおり、カンテラに淡く照らされた壁に手をついて歩く青年。
「樹木のなかに……こんな通路ができてるなんて」
「ここは、フェスたちの、あそびば、なんだ」
「こんなところでも遊ぶんだ?」
「うん! まっくら、のなかで、おいかけっこ!」
「それ……相手を捕まえられるのか?」
青年へと振り向いて話す小人へ苦笑顔になるアルト。
「アルトも、あそぼう!」
「いや、いまはそれどころじゃ……」
「フェス! ふざけすぎ、です!」
「ツィスは、つまらない、やつだ」
「~~~~っ!」
ツィスの怒りを察して駆け出すフェスを追いかける、緑の布を巻いた小人。
そのままふたりの小人はディセスを追い抜き、暗闇へと姿を消す。
「あ。い、いっちゃったけど……どうする?」
「ほおっておけ。フェスがからかい、ツィスが追うのは昔からだ」
「あんなふうでもあのふたり、とっても仲いいんだよね~」
「へ、へえ。意外、だ」
ふたりが消えた暗闇の方向へと四人は歩みを進めていく。
坂道をのぼり、縦へと樹木の壁をのぼり、青年たちの身長を越える段差をのぼり、
途中で小休憩を入れながら樹木内を歩く四人。
外よりも湿度の高い樹木内は動くものに大きな汗をまとわりつかせる。
青年は顔から垂れそうになる汗を拭いつつも脚を動かす。
青年の頭上を飛んでいく影があったが、暗闇へと溶けて消えた。
「……?」
「どうしました、アルト」
「ん。なんでもないよ。それより、あとどれぐらいで着くのかな」
「もう、すこし、です」
そっか、と頷きを返し、再び四人は暗闇を進んでいく。
しばらくの後、樹木の通路が広がりを見せ始めた。
人が三人分並べれる横幅が五人、七人、十人以上となったとき、
四人の目前には暗闇だけが座す樹木内の広大な空間。
「ここが……ここに、大精霊が?」
「はい、そのとおり、です。
だいせいれい、ジョコさま、そうしゃ、アルトを、おつれ、しました!」
アルトの疑問に答えた小人は、そのまま両手を振りかざして眼前の暗闇へと声を張った。
● ● ●
耳に聞こえるは、なにかが羽ばたく音。
小さく、しかし大きくなってくる音。
音が聞こえる方向は、頭上の暗闇から。
青年らが見上げる方向からは、ふたつのランタンに照らされ現れる姿。
次第に姿が羽ばたく音とともにアルトたちの前へと躍り出る。
「……蝶?」
大小様々、色とりどりの蝶たち。
蝶の大群は四人の前へと降って来たかと思えば、
青年たちの周囲を一度、二度、三度まわって四人の前へ動きをとめ、
広大な空間をそれぞれが自由に気侭に飛び始める。
「なんで……蝶がこんなに?」
左右へ顔を動かし、状況が掴めない様子の青年。
黄色い布を巻いた小人は頭を伏せており、習うように騎士と巫女は跪き頭を下げている。
三人を見た奏者は、数秒どうしたものかと迷ったすえに騎士と巫女と同じ姿勢をとる。
広大な空間を自由に羽ばたき、飛び回る蝶たち。
次第に羽ばたく音が小さくなり、いつしか音が止む。
奏者は、無音を聞く。
(なんだ……? なにも、聞こえなくなった?)
眼を閉じた奏者の右隣、騎士と巫女が立ち上がる音が聞こえる。
腰の袋から銀の横笛を取り出した騎士は、低い音色を奏で始める。
その音に続くように巫女はささやく声色で、空間に歌声を満たしていく。
(この音と歌は……俺が喚ばれたときのもの……)
奏者の脳裏には、この世界へ召喚されたときの光景が浮かんでいた。
はっきりとしない記憶のなか、思い出されるのは騎士と巫女が奏でる音楽。
大地を奉る曲であることを、大神官から教えてもらったことを奏者は思い出す。
『……眼を開きなさい。奏者よ……』
騎士の旋律、巫女の歌声が終わるとともに声が生じる。
男性とも女性ともとれる、不明瞭な声。
声に従い、奏者は眼を開いて声の方角へと顔を向けた。
● ● ●
アルトの眼前には、羽ばたきを止めて空中に漂う蝶の群れ。
だが、見えているのは蝶の群れ、だけでない。
蝶の群れがかたどった人の姿。
長い髪を後ろへと流し、長いあご髭、垂れ目顔の男性と思われる容姿であった。
手前で杖をついているかのように、両手を突き出して手の甲と手の平を重ねている。
アルトは跪いた姿勢のまま尋ねた。
「あなたが、大精霊……ジョコ、様?」
『そのとおりです。我は地を司る精霊ジョコ。奏者、汝がその名、教えて頂けますか?』
「は、はい。アルヒト・ヤマハと、言います」
『アルヒト・ヤマハ。奏者、アルヒトよ』
「はい。なんでしょうか」
『この大地に喚ばれし者が降り立ちて、百年が三十と繰り返されました。
そして汝が魂は三十を刻みし数に喚ばれました。汝ならば……』
ジョコは最後の言葉を濁す。
「ジョコ様……?」
『汝ならば、いつかの奏者と同じ瞳を持つ汝ならば、真の歌を得られるでしょう』
「真の歌って……賛美歌のことですよね?」
確認するように問いかけたアルトに、ジョコはなにも答えない。
「あと、賛美歌を得るには試練を受けると聞いてはいますが」
『そのとおりです。これより地の精霊から試練を汝に与えます。
出てらっしゃいフェス、ツィス』
え、と声を出したアルトの眼前。
空中に浮かぶジョコの背後から、小人の姿が現れた。
右に青い布を巻いたフェス、左に緑の布を巻いたツィス。
「どうしてふたりがそこに?」
「ふたりは、だいせいれい、ジョコさまに、えらばれた、ものです」
族長の言葉に、ふたりの小人はそうです、と答える。
『奏者アルヒトよ、これから汝に試練を与えます』
「は、はい!」
『ツィスとフェスの謎掛けに答えるのです』
「はい。……謎掛け?」
『そうです。我は知の祝福を持って木霊族とともにある存在。
なれば知の祝福には、知を持って応えてもらます』
「知を持って……知恵を見してみろってことですね」
理解とともにやる気が沸いたのか言葉に力がこもるアルト。
その言葉に頷いてみせるジョコ。
『よい意気です。それでは汝の答え、楽しみにしています』
ふっと微笑を見せた瞬間、ジョコの身体を構成していた蝶たちが羽ばたき散る。
羽ばたきの波はアルトへとぶつかり、思わず眼前を両腕でおおう。
大量の羽ばたき音が過ぎ去ったあとに眼を開いてみれば、ふたつの蝶。
「黄色のまだら蝶と、黒い蝶……もしかして」
アルトが言葉をつぶやいている間に、黄色のまだら蝶はフェスの頭部へ、
黒い蝶はツィスの頭部へと身体を留める。
「ふたつの、ちょうは、だいせいれいさまの、つかい、なのです」
黒い蝶を髪飾りのように留める、緑の布を巻いた小人はアルトへと答えた。
● ● ●
樹木を出れば、外は朱色の陽光が差す夕焼け空。
黒髪の青年と若草色髪の男は袖をまくって、顔の汗をぬぐう。
橙髪の少女は手の平をうちわがわりに扇いでいた。
「あー暑かった、もう汗だらだらだ」
「これで少しは身体の重さ落ちてるといいなー」
「おまえのような大食漢がどの口でそれを言うか」
「こーのーくーちー」
「ぐっ!」
男と少女のやりとりに笑っている青年のもとへ近づく小人たち。
「アルト、きょうは、もう、かえりましょう」
「うん、そうしようかツィス。だいぶ日も暮れてきたし」
「はやく、かえって、あそぼう、アルト!」
「はは……フェスは元気だな」
汗と疲れにまみれた三人と違い、小人たちは疲れのない笑顔を見せている。
青い布を巻いた小人は姿を蔓の狼へと変じ、背中にふたりの小人を乗せる。
背中に乗った黄色い小人が皆へと声を掛ける。
「では、みなさん、ひろばへ、かえりましょう!」
● ● ●
翌日。
小人達の広場、昼下がりの空気が漂い南天に太陽が煌めく。
広場の芝生と森の境目には黒髪の青年と黄緑色髪の少年。
青年はしゃがみ込んで森を構成する樹々を見つめ、少年は陽気に樹々の説明。
「へえーなら、この樹は?」
「この樹はね! この樹はね、父さんがうっかり触ってかぶれたから、かぶら樹だよ!」
「か、かぶれたのか……」
「一ヶ月くらい治らなくて大騒ぎだったよ!」
指差した手を引っ込める青年。
少年はかまわず樹の説明をしていく。
樹の説明を聞きながら、青年は昨夜のことを思い浮かべる。
ーーアルト。なぞかけ、します。
ーーするぞ! なぞかけ、するぞ!
ーーひととは。
ーーいのちとは。
ーーいきるとは。
ーーじぶんとは。
ーーせかいとは。
ーーたにんとは。
ーーだいちとは。
ーーしとは。
ーーなんですか。
ーーなんだ。
(謎掛けって言うから、ひとつの謎だけだと思ってた……)
少年の説明に頷いて理解を示しつつも、別の思いを得る青年。
昨夜、答えがひとつか複数であるかは小人達は言わなかった。
ただ謎掛けだけを青年へと残した。
(あの謎に答えることが、試練。でも、意図がわからない)
一通り、樹の説明をし終えた少年は、青年へと手を振って小人達の輪へと飛び込んでいった。
応じるように手を振り返していた青年は、目的もなく広場の外周をうろつく。
しばし歩いた先では、手帳と鉛筆を手にしゃがみ込む太めの男性。
「あれ、トランさん?」
「ん? おお、これは奏者殿! いや、アルト殿。どうなされたかな」
「いえ、とくにこれとなくうろついてるだけですが。トランさんは何を?」
「わたくしは植物の調査です。ここに紫色をした草がありまして」
「紫色の草ですか。これですか?」
「そうです、その草です。珍しいので写し描いておこうと思いまして」
トランの隣にしゃがみ込む青年。
しゃがみつつ、男性が指を動かす先を見る。
「草の絵、ですか。うまいですね」
「いやいや、昔から絵ばっか描いていたので。
それに草だけでなく、珍しい動物や鉱石、風景など見ると絵に描きたくなってしまうもので」
そう言って太めの男性は手帳の頁をめくって他の絵を見せる。
頁には特徴を記す文章と、実物と変わりない表現をされた絵があった。
「これ…全部トランさんが?」
「ええ。これでも学者ですので、というのは建前で、
ほとんどはわたくしの興味や好奇心でやってることですけれども」
「でも、すごいですよ。やりたいことを仕事にしてるなんて」
「……そうでも、ありませんよ」
不意に表情を暗くするトラン。
「ト、トランさん?」
「はは、なんでもありません。さて、わたくしは森へ行ってきます」
「あ、はい。わかりました。……草は採らないんですか?」
「わたくしは採らないことにしているのです」
「どうして、ですか」
「必要でなければ採らない、狩らない、持ち帰らない。それを信念としているのです」
「信念、なんですか。……信念ってなんですか」
「……強い、強い思いと言えばいいのでしょうか。
曲げない、折れない、揺らがない。そんな意思のことを指すのだと、思います」
「どんなときも、ですか」
「どんなときも、です」
太めの男性は立ち上がり、側においてあった大きめの革袋を手に取る。
青年も立ち上がる。
男性が青年へと振り向く。
「俺にも、信念ってものが得られますか」
革袋をかついだ男性は、ゆっくりと首を振る。
「わかりません。ですが、アルト殿」
「はい」
「……生きる力さえ失いそうになったとき、信念は得られるかもしれません」
「トランさん……それは」
「ははは」
トランは、笑って森の方へと、歩いていった。
● ● ●
夜。
芝生に寝転がって空を眺めるは青年。
服装は短い袖をもった衣服。
頭裏に組んだ両腕を小さな虫が通り過ぎる。
青年の鼻上には、指二本ほどの小さい蝶がとまり、飛んでいった。
眼だけを動かして蝶を追いかけて、やめて、空を見る。
「綺麗な……星空だな……」
光の点がばらつき浮かぶ黒い景色。
近づく足音。
「アルト、こんなところにいたのか」
「エオリア」
「答え、考えてるところか」
「んーそんなところ」
若草色髪の男は、青年の横へと並び寝そべる。
「あの謎掛け、なにを聞きたいんだろうな」
「なにを、とは?」
「なんだろな。大精霊の意図というか、考えがわからない」
「それはそうだ。自分達は大精霊ではないからな」
「そりゃそうだけどな」
「あまり深く考えすぎるなアルト。これは遊びのひとつと思えばいい」
「遊びのひとつって……試練だろうが、これ」
「試練ではあるが、謎掛けでしかない」
「なんか、うまいこと丸め込まれてる気がするな」
蜻蛉に似た昆虫が青年の眼前を過ぎる。
「共通点を見いだす、でもないし、なんなのかな」
「なんだろうな」
「って、手伝ってくれるわけじゃないのかよ」
「なんだ、もう諦めるのか?」
「くそ。そんなこと言われて諦めるかっての」
「ははっ。手伝ってやってもいいがな」
「腹のたつ言い方しやがって。絶対ひとりで答えてやる!」
「悪い悪い。なに、これはアルトの試練だからな」
「分かってるよ。俺が考えなきゃ意味がないのっては。
ただ、漠然としたことしか浮かんでこなくて、それでいいのかどうか」
「ほう。それは?」
「まだ自信がないから教えない」
それは残念だ、と言って男は口を閉じる。
しばらくふたりは夜空を眺める。
「ひと、いのち、いきる、じぶん、せかい、たにん、だいち、し。
禅問答みたいだな」
「? ぜんもんどう? なんだそれは」
「んーっと、なんて説明したらいいんだろう。
俺の世界にある宗教に仏教というのがあって、仏を信仰するってやつ。
こっちでいう精霊を信仰してるようなもので」
「ほう」
男は両腕を枕にした寝転がった姿勢から、
片腕を枕にする姿勢となって青年へと顔を向ける。
「その仏教ってのに、さっき言った禅問答があるんだ。
学校で習っただけだから深くはわからないけど」
「アルトの知ってるだけでかまない」
「そか。じゃあ説明すると、何かを問いかけられたら、考えるのでもなく答える。
それが禅問答、って俺の先生は言ってた」
「考えるのでもなく答える? どういう意味だそれは」
眉をひそめた男に、青年は片手を空中に泳がして言う。
「いや、意味っていうか、そのまんまなんだ」
「むう、よくわからないな」
「うん、実際よくわからないんだ。俺の先生が言うには、
問いと答えに意味はなく、答える側が明確な意思を持って答えたならそれでいい、と」
「問いと答えに意味がない? ますます意味がわからない」
「俺もよくわかってないし、先生の説明が間違ってるかもしれないな」
小さく笑い声をたてる青年に、唸る顔となった男。
「しかし、問いと答えに意味がないとすれば、それこそ意図が読めないな」
「意図なんてあるのかなあ。案外、勢いだけのやりとりかも」
「それでもひとつの宗教のなかにあるものだろう?」
「そうなんだけど、禅問答のことだけを知っても多分わからない。
先生は、仏教全体を理解しないことには、禅問答も理解できないって言ってたな」
「ふむ、アルトの話を聞いていると、仏教が禅問答であり、禅問答が仏教である。
そんなふうに聞こえてくるな」
「ええ!? なんだかエオリアが賢くなってる!?」
「なっ!? おまえまでセリアのように馬鹿にするか!」
「冗談だよ、冗談」
「冗談でなかったらリラに送る手紙、内容書き変えてやる」
「エ〜オ〜リ〜ア〜それだけは許さんぞ〜」
「は、それこそ冗談に決まってる」
ほんとだろうな、と横目で男を睨みつけた青年は、再度天へと視線を投じる。
「……リラに送った手紙、ちゃんと届いてるかな」
「安心しろ。龍翼人の配達は数日前後かかるとはいえ、
高い空を飛ぶ彼らを襲うような獣はいないし、仕事熱心な種族だ」
「そう、だよな」
届いたかどうかすら確認できないことに幾許かの不安を抱く胸。
● ● ●
山と山の合間から太陽の光が地面へと差し込みだした頃。
太陽の光が顔に当たったことで、黒髪の青年は眼を覚ます。
「う……ん。あれ……ああそうか。話してるうちに、ふわあああ、寝てたのか」
眼を覚まし、上半身を起こして両腕を伸ばした青年は、寝転がっていた芝生を見渡す。
左隣には両腕を枕にして寝ている若草色髪の男。
なにかを思いついた青年は、芝生に生える細く長い草を数本抜き取り、男へと近寄る。
口端をつりあげて、その場を離れる青年。
青年が小川で顔を洗っている最中に、広場からは盛大なくしゃみの音が数度響いた。
小川から青年が戻ると広場には数人の人影。
「おはよう。フェス、トロン」
「おはよ、アルト」
「おはよう! アルトにいちゃん!」
片手を上げて挨拶する青年に、両腕を振って答える小人と少年。
「あ、そうだアルトにいちゃん。さっきエオリアにいちゃんが探してたよ?」
「エオリア、おもしろい、かおだったぞ」
「そうか。エオリアはどっちにいた?」
「広場の中央付近にいたよ」
「わかった、ありがとなトロン、フェス。俺はちょっと用事あるから向こう行くな」
「あとで、あそぼうな、アルト」
「いってらっしゃい、アルトにいちゃん」
手を振った青年はエオリアがいると思われる方向とは反対へと歩き出した。
● ● ●
「おはよーエオリア。なにやってるのー?」
「アルトはっ! アルトはどこだぁ!?」
「しらないよーあと朝からうるさーい」
「ぐっ。悪かった、がアルトはどこだ!」
「だからしらないって言ってるでしょー」
「くそ。あいつめ、人が寝てる間に」
「なにかされたの?」
「自分の鼻と耳の穴に草を詰めていきやがった!」
広場には少女の笑い声が響き渡った。
● ● ●
広場の人々が朝食を終えたころ、
黒髪の青年は大樹へと続く小道を歩いていた。
隣には緑の布を巻いた小人。
「朝から道案内頼んでごめんな、ツィス」
「かまいません、アルトの、たのみなら」
「ありがとう」
そう言ってふたりは小道を進んでいく。
「なぞかけの、こたえ、でましたか?」
「うーん。まだ、だね」
「そうですか」
「……あの謎掛け、大精霊様がツィスたちに与えたんだよね」
「そうです、ジョコさま、じきじきに、あたえて、くれました」
話す小人の髪には黄色のまだら蝶が留まっている。
「じゃあツィスたちは答えを知ってるわけじゃないのか」
「はい。ツィスたち、こたえ、しりません」
「ヒントくらい欲しい気もしたけど、これは無理だなー」
「アルト、だったら、こたえ、られますよ」
「はは、ありがと」
礼を言いつつも内心は曇ったまま。
(昨夜、エオリアと話しててなにかが分かった気がするんだけどなあ)
声には出さずに頭をかいて青年は歩く。
視界には逞しく生えそびえる樹々。
樹々の合間をぬうように飛んでいる昆虫たち。
視線が上を向くあたりでは猿のような影や、鳥の影がちらほら見える。
(前は気づかなかったけれど、こんなに生き物がいるんだな、この森)
「あ! アルト!」
「え?」
小人に呼ばれて足を止める青年。
「どうしたのツィス?」
「あしもと、みて」
言われて足下を見ると地面には、
仰向けとなって動かない指二本ぐらいの大きさをした赤い昆虫。
動かない昆虫に群がるようにしているのは、指の幅ほどもない茶色い昆虫。
ツィスが指差す先をしゃがみ込んで見るアルト。
「この世界でいう蟻なのかな。死んだ虫に群がってるのは」
「あり? この、ちいさい、むしは、ありですか?」
「俺の世界では、そう呼んでいたんだ」
言い終えて、しばらく昆虫たちの動きを見るふたり。
(こんな小さくても、生きようとしてるんだよな)
せわしなく身体を動かす茶色い昆虫を見て、青年は思う。
ふたりが見ている先、小さい虫は仲間の虫と協力して、死んだ虫をばらばらにしていく。
死んだ虫は、次第に原型をとどめなくなり、足を失い触覚を失い、外殻を失い、頭を失い、
やがては姿そのものがその場から無くなった。
そして小さい虫は、ばらばらにした死んだ虫を担いで、小道から森へと消えていく。
消えていくところまでを見つめて青年は内心に思いを得る。
(死んでも、他の生き物の餌となる。そういやルスティカで似たような話を聞いたな)
思い起こされるのは湖の港町ルスティカにて、年老いた船頭が語ったこと。
ーーそんでわしらはさ、いつかは死んじまう。骨となって土や水、風や火に還るのさ。
ーーそしてまた、どっかの生き物となって生まれんだよ。
続いて出てくる会話。
ーーんで生まれた生き物を食って、またわしらは生きるのさ。
ーー命が……つながってるんですね。
ーーんだ。生きてるってのはそいうことでさ。
ーー恵みに感謝することで、わしらは毎日食っていけるんさ
そこまで思い出して、青年は気づく。
「そうか……そういうことか」
「アルト? どうか、しました」
「ううん、なんでもない。けど、答えが分かった気がする」
「ほんと、ですか!?」
「たぶんね。だから広場にもどって朝ごはんを食べよう」
来た道を戻りだした青年の足取りは軽くなっていた。
● ● ●
場所は樹木の内部、大精霊の空間。
蝶を髪に留めた小人ふたりが空間中央へと進む後ろ、
ランタンを持った木霊族の族長と騎士は、巫女をはさんで端に。
奏者は三人を後ろに、二人を前にした位置。
空間中央で足をとめて奏者へと振り向く小人ふたり。
その様子を見て、奏者達は足をとめた。
大量の羽ばたき音が頭上から聞こえる。
空間中央に立つ小人の髪に留まっていた蝶が飛び、
頭上で旋回している蝶の大群へと混ざり飛ぶ。
二度、三度旋回したのち、蝶の大群は小人ふたりの間で停止し、人の形へと成る。
蝶により形作られた人は瞼を開き、奏者に言葉を掛ける。
『奏者アルヒトよ。答えはでましたか?』
「はい、大精霊ジョコ様」
言葉に奏者は頷く。
『よろしい。では、ふたりから謎掛けをしてもらいます。その後、答えを』
「わかりました」
奏者が言葉を終えたあと、精霊の左右にいる小人が一歩前へ進んだ。
「なぞかけ、します」
「なぞかけ、するぞ!」
「ひととは」
「いのちとは」
「いきるとは」
「じぶんとは」
「せかいとは」
「たにんとは」
「だいちとは」
「しとは」
「なんですか」
「なんだ」
小人の謎掛けが終わる。
族長、騎士、巫女は奏者を見ている。
精霊と左右に並ぶ小人も奏者を見つめている。
「答えは……円です」
● ● ●
『円とは、どういうことかね?』
尋ねる口調で精霊が問いかける。
「すべてが、つながっている。そう思うと円に見えました。
ひとも、いのちも、いきることも、じぶんも、せかいも、
たにんも、だいちも、しも、それぞれだけが存在するわけじゃありません」
言葉を止め、空気を吸い込む。
「人が命を持って生まれて生きていることで死があって、
大地も他人も世界も、人がそこにあると考えることで初めて、存在を感じられます」
だから、とつなげる。
「謎掛けにあったそれぞれは、その存在だけで、有るのではなくて、
全部とつながって初めてそこに有るというか」
少し言葉尻を濁す。
「それぞれが関わり、つながっている、そう思ったんです。
なので答えは円、俺はそう考えました」
言い切る。
無言が空間を占める。
精霊は視線を奏者に合わせている。
奏者も視線を精霊から外さない。
精霊が口を開く。
『合格です。奏者アルヒト』
笑顔でもって言葉を述べた。
● ● ●
「やったなアルト!」
「アルトすごーい!」
騎士は奏者の首に腕をまわし、巫女は腕を掴んで上下に振る。
「いでっいででで! そ、そんな引っ張るなって!」
「おっと悪い悪い」
「ごめーん、興奮しちゃった」
痛がる様子を見て騎士と巫女は腕と手をはなす。
「アルト、おめでとう」
「おめでとう、ございます」
「めでたい! めでたい!」
三人の小人から祝福の言葉が掛けられる。
「ありがとう、三人とも」
頭をかきながら照れ顔で奏者は言葉に答える。
うんうん、と頷いていた精霊が口を開く。
『試練をよくぞ突破しました。奏者よ』
「ありがとうございます。大精霊様」
『それでは試練を突破した証として、賛美歌のひとかけらを授けます。
左腕を差し出してください』
「わかりました」
奏者は言われた通り、精霊の腕輪をはめた左腕を空中へと掲げる。
杖をつくように交差していた両手を動かし、精霊は手の平を腕輪へと向ける。
瞼を閉じて集中する姿から、空気の流れが生じる。
「腕輪が……輝いてる」
見れば、奏者が掲げた左腕、精霊の腕輪が黄色に輝いていた。
腕輪にはめられた宝石のひとつ、黄色の宝石は一層の輝きを秘めている。
黄色の宝石がひとつ、強い輝きを発したかと思えば、腕輪を包む輝きが失せた。
『これで我が持つ賛美歌のかけらが、腕輪へと収められました』
「ありがとうございます!」
奏者は礼とともに頭を下げる。
その姿勢を見る精霊は、視線を奏者の右腕へと移す。
(あれは……四花の守り。奏者への強い思いが込められていますね)
精霊が、手の平を上に右腕をあげると、そこから生まれたように羽ばたく蝶がひとつ。
琥珀色した蝶はゆるやかに羽ばたいて、頭を下げている奏者へと近づく。
そのまま右腕の腕飾りへと寄り、腕飾りを構成する黄色の花へと留まる。
琥珀色の蝶が触れた瞬間、腕飾りが一瞬、淡く光る。
光がおさまったあと、蝶は腕飾りを離れ精霊のもとへと戻る。
「? 大精霊様、いまなにを」
『賛美歌とは別の、我からの贈り物をしておきました』
「贈り物……ありがとうございます」
もう一度、頭を下げる奏者を見て精霊は思う。
(できるならば、その贈り物が役に立たなければ良いのですが)
哀れみと悲しみが混ざった目線で奏者を見つめる精霊。
(奏者、貴方が帰りを望めば全ては問題無きこと。だがそうでなければ……)
先ほどよりも一層強い感情を混めた視線で奏者を見る精霊。
頭を上げた奏者は、精霊からの強い視線に戸惑う。
「だ、大精霊様。どうしたんですか?」
『……いえ、なんでもありません。族長ディセス』
「はい! なんで、しょうか、ジョコさま!」
『今夜は宴を開きましょう。奏者アルヒトの試練突破を祝して』
「わかり、ました! せいだいな、うたげを、ひらきましょう!」
族長は両手を上げて精霊に応じた。
● ● ●
星明かりがまたたく夜の広場。
明かりが落ちていく先では賑やかに踊り歌う人々。
数人の小人が円となって踊り歌うなか、橙髪の少女と若草色髪の男、黄色髪の少年が混ざって踊る。
その円の頭上では蝶の大群が揺れ流れて羽ばたいており、
歌に合わせて大きく広がり、小さく円をえがくなど見る者を楽しませる。
族長の住処である大きな土のかまくら前で座るのは、
黒髪の青年と黄色い布を巻いた小人。
小人の髪には琥珀色の蝶が留まっている。
青年は不思議そうに琥珀色の蝶を眺めていた。
「大精霊様……その姿でも動けるんですね」
『この姿というか、この蝶の身体を借りているだけですからね』
青年の頭に精霊の声が響く。
『我は肉体を持たない、地に住まう精霊でしかありませんから』
「そんな言い方されなくても」
『奏者よ、勘違いをされていると思いますが我は意思持つ精霊。
大精霊や様を付けて敬う存在ではないのです』
「けれど、文献なんかでは木霊族をいまの姿へとしたのは大精霊様だって……」
『我が彼らをいまの姿へとしたのではありません。彼らが望んだのです』
一拍の間が空く。
『我は、この地に生まれ、意思を持ち、彼らと関わり、何年も過ごしてきました。
かつては尊大な態度を示したこともありましたが、そのようなことは無意味だと思い知りました』
精霊の声はどこか呆れた感情を含ませている。
なんと言っていいか分からず、青年は杯を傾けた。
『……長く、長く考え生きていると、これで良いのか、と考えることが多々あるのです』
「後悔、していること、あるんですか?」
思いもかけない精霊の言葉に、少々驚きつつ青年は言葉を掛ける。
『肉体がない以外をのぞけば、我も汝らも変わりはありません。
意思と記憶、そして通ずる言葉があればおのずと考えることです』
「そう……ですか」
『意外でしたか?』
「……ちょっと」
苦笑いを浮かべた青年の頭へと飛んで留まる琥珀色の蝶。
黄色い布を巻いた小人は両手を叩いて笑っている。
『過去の奏者にひとり、我に説教してきた者がいましてね』
「ええっ!?」
『女性の奏者だったのですが、気の強そうな奏者でした。
我の態度に怒鳴りつけて来て、その後は延々と怒られ説かれました』
「そんな人も、いたんですね」
『我も思い上がっていたのでしょう。我も女性の奏者に怒りの言葉を放ち続け、
試練どころではない騒ぎとなっていたほどです』
ため息をつく音が青年の頭に聞こえた。
隣にいた小人は立ち上がり、踊っている輪のなかへと飛び込んでいった。
『そのような騒ぎも数週間続くと、互いに頭が冷え、態度を改めるようになったのです』
「それは、そのなんて言ったらいいのか……」
『当時の奏者の言葉を借りるならば"若かった"のでしょう』
なんだか親戚のおじさんに絡まれてる気分だ、青年はひとり思う。
『ところで奏者アルヒト。貴方はなんの楽器が弾けるのですか』
「へっ。ええと、リュート。リュートが、弾けます」
『でしたら、一曲。我に奉じてもらえますか』
「……ええ。喜んで!」
そう言うと青年は傍らにおいてあったリュートを手に持ち、
目の前の輪で歌い踊っている連中に合わせて弦を弾いて音を鳴らし出した。
夜が更ける森、樹々が生える各所から、樹々に潜む昆虫や動物たちの鳴き声が響き出し、
いつしか森全体が合唱しているかのように音が重なり、それは遠い遠い街まで届く調べとなった。